レッキング・クルーのいい仕事

肝心のスタジオ・ミュージシャンの話は次回になります。

レッキング・クルーのいい仕事 (P-Vine Books)

レッキング・クルーのいい仕事 (P-Vine Books)

ウォール・オブ・サウンド

レヴィンの目の前ではいくつものメーターがレッドゾーンまで振り切れかけていて、音量が許容域をはみ出したために音割れが生じている危険を知らせていた。
 レヴィンは深呼吸をすると、怒りを買うであろうことを承知でフェーダーを一斉にオフにした。
 信じられないといった様子のスペクターが恐怖の視線を送った。
 「なんてことしてくれたんだ、畜生!」彼の怒りは爆発した。
 「もうちょっとのところだったんだぜ! もうすぐで目当てのサウンドが手に入ったんだ!」
 「ごめんな、フィル。だけどこれ以上の音量は無理だったんだ。あれじゃ録音なんてできやしない」
 スペクターは椅子にどっと倒れこみ、やる気をなくしてしまった。(略)
[申し訳なく思い、レヴィンは元よりも全体の音量を下げフェーダーを元の位置に戻し始めた]
 現場のミュージシャンたちがまた曲を演奏し始めると、レヴィンは極度の注意を払って二本のアコースティックギターの音量を上げた。ここまでは大丈夫だ。それから彼はゆっくりと三本のベースの音量をそれぞれ上げ、さらにピアノの三重奏を、そしてサックス、ドラムとパーカッションと続けていった。悪くない、と彼は思った。あともう少し、残るはひとつ。
 しかし、レヴィンがエレキギターの音量をコントロールする最後のフェーダーに手をのばしたその時、スペクターがとつぜん叫んだ。
 「ストップ!それだ。それで完璧だ」
 レヴィンの手はその場で固まった。
 「おい、エレキはどうするんだ? まだ音量を上げてないぜ」
 「いいから、なにも触るんじゃない。このままのサウンドがいい。録音しちまおう。今すぐにだ」
 沢山の楽器が小さな空間にすし詰めにされているので、偶然にも隣り合わせたいくつものマイクがエレキギターの音をひろいあげ、そのファズ効果のかかった音色が、あたかも最初からそう計画されていたかのように、混じり合う音のなかに巧妙にとけ込んでいた。
 ギターの音色そのものにも工夫があった。ギタリストのビリー・ストレンジ(スティーヴ・ダダラスが好んで使うミュージシャンの一人だった)は生音に近いほうが曲にあうと思い、フェンダーのツインリバーブの裏から四本の6L6GC出力管の中の一本を抜いていたのだ。スペクターが驚くほどいい音色だった。だから彼はトップミュージシャンとだけしか仕事をしたくないのだ。(略)
ボビー・シーン、ダーレン・ライト、ファニタ・ジェイムズの歌声がそれに乗ると、もはや特別な曲が生まれたのだということを疑う者は誰一人としていなかった。ロック・アンド・ロール史が永遠に塗り替えられたのだ。

Jan and Dean Live - Little Old Lady from Pasadena

Jan and Dean Live - Little Old Lady from Pasadena
パサデナのお婆ちゃん」

[1964年]新年の伝統行事であるトーナメント・オブ・ローゼズ・パレードが行われる通りを運転しながら、由緒ただしいオールドタウン地区の情景やざわめきを見ていると、小さなおばあちゃんが黄色いド派手なフォードの32年式デュースクーペを飛ばして現れるという光景がアルトフェルドの頭にパッと浮かび上がった。ふとした思いつきだったのかもしれない。もしくは、コメディアンのジャック・ベニーがテレビ番組で演じていた「パサデナのお婆ちゃん」が売りに出した中古車をめぐるコントに出てくるジョークのことが念頭にあったのかもしれない。(略)
アルトフェルドは熱心なジャン・ベリーと一緒に、架空のスピード狂おばあちゃんについてのミュージカルを構想しはじめた。
(略)
予算の都合上、三時間のセッションで五曲もレコーディングしなくてはならず、時間に余裕がまったくなかった(略)
 ブレインとパーマーが綿密に打ち合わせしてダブルドラムの譜割りを作る作業に(ベリーは二台のドラムを細部にいたるまで完璧なユニゾンで鳴らすことで大きなサウンドを作るのが好きだった)リハーサル時間のほとんどが費やされた(略)
 「ア・デュース・ゴーアー」というタイトルの最初の一曲に着手すると、レッキング・クルーはそれをたったワンテイクで音源を仕上げてしまった。ここまではいい調子だ。次に演奏したのは「マリブ・ビーチ」、さらに「リトル・スクール・ガール」、続いて「ゴー・ゴー・ゴー」とレコーディングを進めた。万事順調だった。(略)
[残り]あと十分となっても、おばあちゃんと彼女の愛車について歌ったヘンテコな名曲にはまだ手を触れないままだった。(略)さらに運の悪いことに、その日は偶然にも組合代表がその場で待ち伏せしながら、このぜいたくなセッションに監視の目を光らせていた。一秒でも残業が発生すれば、その時間をちゃんとセッション記録に記載するよう圧力をかけていたのだ。
 テープレコーダーの故障のせいで出ばなをくじかれたメンバーたちがすぐに持ち場に戻ると、もう三分しか時間が残っていなかった。(略)ピリピリとしたムードはもう爆発寸前だった。次のテイクで仕上げなくてはいけない。
 しかし、スネアのタイミングをぴしゃりと合わせたハル・ブレインとアール・パーマーのドラミングによって、関係者全員のピンチは回避されたのだった。ジャン・ベリーの仮歌だけをガイドにしながらドラムを叩くこの二人は、瞬く間にレッキング・クルーの他のメンバーたちを奮い立たせ、そのひとつのすき間もない怒とうの演奏は小躍りしたくなるようなトラックヘと変貌していった。最後の音を鳴らし終わった瞬間に、時計が予定の三時間に終了を告げた。組合のスパイにはお帰りいただこう。おばあちゃんは時間きっちりにフィニッシュラインを通過したのだ。
(略)
1964年にはすでにレッキング・クルーにとってこんな事態はよくあることだった。プレッシャーを受けながらも手早く完璧な演奏ができるというのが彼らの持ち味だったのだ。(略)ロサンゼルス中のプロデューサーが締め切り間近には給料を倍に跳ね上げてまで彼らを揃えたがったのである。バンドの正規メンバーがレコーディングで受け取る額と照らし合わせれば、その金額は三倍にものぼるものだった。

I Got You Babe - Sonny and Cher

I Got You Babe - Sonny and Cher Top of the Pops 1965
ソニー・ボノ

[音楽宣伝マン稼業に嫌気がさし、自身でヒット曲を飛ばそうと、強引な売り込みで西海岸広報としてフィルスペクター帝国に食い込んだ。すぐに右腕となり、コーヒーを買いに走り、夜食に付き合い、といった雑用をこなしつつ、ヒットメイカーのノウハウを盗んだ。]
手持ち無沙汰なボノの髪がこれ以上薄くならないように、スペクターはハル・ブレインに頼んでタンバリンや他の当たり障りのない打楽器をソニーに担当させた。ずっとまわりをフラフラされるくらいならなんだってよかったのだ(略)
 「ビー・マイ・ベイビー」の25テイク目でカスタネットをファンキーに打ち鳴らそうと躍起になっていたボノの弱々しく鈍臭い演奏は、いつもは辛抱強いはずのスペクターにとっても見過ごせないほどだった。
 「ソニー、さすがのスイングだぜ」
 お世辞めいた調子でスペクターが言うと、その皮肉に気がついたレッキング・クルーのメンバーたちがどっと笑い声をあげた。ボノがビバップ歌手として成功を収めることになろうとは、誰も知る由もないことだった。
(略)
『ア・クリスマス・ギフト・フォー・ユー・フロム・フィルズ・レコード』の製作に費やした長いセッションの期間には、ボノはその鋭い観察眼によって自分が待ち望んでいたものをつかみ取ったのだった。自分の曲を自信をもってプロデュースするために必要な手順が彼のアタマにくっきりと描かれたのだ。今やボノには自分にそれができることを確信していた。楽器は弾けないかもしれない、歌だってうまくはないかもしれない。しかし、彼はその業界のトップに君臨する人間からどの要素をどのように組み立てていけばいいのかということを学んだのだった。つまり彼はヒット曲の作り方を学んだのだ。彼に今必要なのはそれを試す機会だけだった。
(略)
[64年、チャート40位にも食い込めなくなったフィルズ・レコード]
「恋の雨音」という曲を聴いたDJは、はっきりと顔をしかめ、スペクターの大きなサウンドに感激する人間はもういないという意見をボノに告げた。世間の趣味は変わりはじめていた。(略)
 「レノンとマッカートニーの最近の動向を知ってるかい?」とそのDJは尋ねた。
 ボノは意気消沈しながらも、このDJの言っていることは正しいとわかっていた。チャートは嘘をつかないのだ。(略)
[電話報告で]ボノは致命的な判断ミスをおかした。DJの発言以外にはなにも報告しなければいいものを、ボノはショックを和らげようとして、こう付け加えてしまったのだった。
 「フィル、サウンドを変えなくちゃいけないと思うんだ」
 スペクターにとってはその一言で十分だった。
(略)
[クビになった]ボノは自分のガールフレンドとボーカル録りをすれば活路が見いだせるかもしれないと思った。彼女は美しい黒髪を持った、ボノよりも11歳年下のティーンエイジャーで、力強いヴィブラートとスター性あふれる存在感を持ち合わせていた。彼女とデュオを組めば、キャリアを築くことができるかもしれない。(略)
[18歳のシェリリン・ラピエール(愛称・シェール)とデュオを結成し]レッキング・クルーのメンバーを一人当たり15ドルという値で雇い、組合を通さずに自費製作のデモをいくつか作った。さらにボノはその人脈をいかして、新曲の販売元としてリプリーズ・レコードとの契約を手にした。そうして発売されたシングルのうち、「ベイビー・ドント・ゴー」は1964年後半にロサンゼルスのローカル・チャートで堂々とした結果を出した。(略)しかし、全国区での人気を得るにはほど遠く、収入も名誉も中途半端なものにすぎなかった。
 そんなことを考えながら、ボノは椅子に深くもたれ、長いため息をついた。こんな夜は眠ろうとしたって無駄だった。もう一度前屈みの姿勢になると、彼はぼんやりとしたまま近くのクリーニング店から届いた薄いダンボールのうえに一見バラバラな歌詞のアイデアを書き綴りはじめた。(略)
その夜にかぎってボノは歌詞を書けば書くほど、自分が実際になにかをつかみかけているような気分になった。彼は自分の感情にまかせて連想をするうちに、思いがけず夫婦関係の本音に近づいていた。シェールとボノはまだ成功にはいたっていないし、豊かな生活にもまだ縁が薄いとはいえ、少なくともこの感情だけは失ったことがなかったのだった。
 歌詞のおよそ半分を仕上げると、にわかに活気づいたボノは階段を駆け下りて、作曲のためだけにガレージにしまってあった安い中古ピアノヘと急いだ。彼の知っているコードはほんの一握りしかないうえに、それを上手に演奏することすらままならなかったが、それで間に合わせなくてはいけないだろう。溢れ出すひらめきにまかせて、歌詞とメロディーがボノの頭と指先から未だかつてない勢いで生み出されていった。自分の演奏力をフルに絞り出してピアノを鳴らすうちに、彼は一時間足らずで曲を仕上げてしまった。(略)
[「アイ・ガット・ユー・ベイブ」は英米で一位に]

「明日なき世界」「夢のカリフォルニア

 19歳のP・F・スローンが、ある夜実家のダイニングテーブルで遅くまで作業していると、自分の内なる声がそのまま流れ出してきたような曲の着想を得た。それはスローンが辛抱ならないと思っていたいくつもの社会問題について神に必死に訴える内容で、当時は憎悪にみちた偽善行為が横行していて、黒人と白人のあいだの人種的不和は絶えず、選挙権すら与えられていない若いアメリカ人男子がベトナムの戦地に送られるという不義がまかり通っていた。「明日なき世界」とその曲を名付けたスローンはスティーブ・バリの力を借りて、メロディーと曲の構成を仕上げた。(略)
[バリー・マクガイアを起用し録音を終えても]まだバリは疑心暗鬼だった。
 「これはなんだか気の滅入る曲だぜ、フィル。バリーに歌わせるべきなのかわからない」とバリは言った。
 世界の終末を予期するような歌詞と、不吉な響きを持ったこの曲は、1965年当時のポップ・ラジオにとっては理想的なものではなかった。もちろん、ザ・バーズの登場によってこの年の始めにはフォークロックはラジオで流されていたし、メッセージソングは真新しいものではなかった。しかし、「明日なき世界」は完全に別物の曲だった。どこをとっても暗かったのだ。ダンヒルの人間はアドラーを始め、この曲はアルバム収録曲以上のものだとは思っていなかったし、よくてもシングルB面曲だろうと思っていた。
(略)
[スティーブ・バリがオフィスで聴いていると社長のジェイ・カスラーがちょっと聴かせろとテープを取り上げ、そのままこっそりラジオ局に持ち込んでしまった。ラジオで流れているのを聴いたルー・アドラーは激怒]
アドラーはこの曲は未完成だと思っていたのだった。彼の意見ではマクガイアのボーカルには録り直しが必要だった。マクガイアは不慣れな歌詞を歌うのにまごついてしまい、目の前の小さな手書き文字を読み取ろうと時間を稼ぐうちに、聴き取れるほどの声で「ああぅ」という苦悶を漏らしてしまったのだった。そんなプロフェッショナルとは言いがたいテイクを、ルー・アドラーがラジオで流してほしいわけなどなかった。
 しかし、KFWBは態度を変えようとしなかった。
「手放したくないね」ウィートリーは言った。
「こいつは『抱きしめたい』以来で一番リクエストの多い曲なんだ。お前さんたちは曲を勝手に仕上げて新しいバージョンをこっちに渡してくれればいいさ。でもこのバージョンはその間もかけさせてもらうからな」
 スマッシュヒットが目前だということに気がついたダンヒルの重役たちはそこでひっこんだ。彼らはマクガイアにもう一度スタジオ入りしてくれとも頼まなかった。彼の荒っぽいボーカルは結局のところ、これしかないと言えるような完璧な雰囲気をアレンジに付け加えることとなったのだ。P・F・スローンの心からの抗議をこめたこの曲は、のちに全国チャート1位を獲得し、ダンヒルに最初のナンバーワンヒットをもたらした。しかし、この奇抜な曲からさらにもうひとつのご褒美を得ることになることをダンヒル・レコードはまだ知らなかった。
(略)
 彼の旧友であったデニー・ドハーティ、キャス・エリオット、ジョン・フィリップス、そしてミシェル・フィリップスの最新曲を聞いたバリー・マクガイアは、彼らの特別な魅力に気がついた。ニューヨークとヴァージン諸島の小さなクラブを練り歩いてからロサンゼルスヘとやってきたこのツキに見放されていた四人組は、レコード契約を必死で探していた。彼らは野たれ死ぬ一歩手前の状態だったのだ。「明日なき世界」でスマッシュヒットを飛ばしたばかりのお人好しであるマクガイアは、彼らが音楽業界で連絡をとれる一番の人物だった。
(略)
 「おまえらはマジでいい声をしているよ」
 マクガイアはマリファナ煙草をまわしながら熱っぽく言った。
 「うちのプロデューサーのルー・アドラーの前で一曲歌ってみないかい?」
(略)
[「夢のカリフォルニア」を聴いたルー・アドラーは内心大喜びしつつ、そっけなく契約]
マクガイアのセカンドアルバムで彼らにバックコーラスを担当させた。しかし、レコーディングが進行するにつれ、誰が本物のスター歌手であるかは明らかになった。(略)
アドラーは言った。
 「この曲をバリーにはやらんよ。そういう約束をしたことは確かだが、そういうわけにはいかなくなった。この曲をお前たちのシングルにしたい」(略)
[ジョン・フィリップスからそう聞かされ]
 「もちろんさ、ジョン」すこしがっかりしつつも、マクガイアは寛大に答えた。「これはお前の曲なんだ。お前が作曲したんだから」
(略)
[広報マンに会わない方針のKHJディレクターに強引に会おうとするアドラー]
 「だからなんだってんだ」
 無愛想なジェイコブスはカッとなって言った。(略)
 「俺は忙しいんだ」
 「ロン、五分くらい会ってあげてもいいでしょう?」ブレネマンは食い下がった。
 「レコード室の裏でもいいじゃないですか」(略)
 「わかった、五分だけだからな」彼はキッパリと言い放った。(略)
 「これがうちの新人であるママス&パパスのファーストシングルです」
(略)
 「つまりお前はこんなイージー・リスニングみたいなクソ曲を俺に聞かせたくてうずうずしながら、ニッコデルで飲んだくれてたってわけか?」
 2分42秒の曲の再生が終わるとジェイコブスは言った。
 「こんな曲にチャンスなんてあるもんか」
 アドラーは手柄もなく、がっかりして帰ることになった。
 しかし、「夢のカリフォルニア」には奇妙なチャンスが待っていた。それから数週間のあいだ、KHJのスタッフの何人かにさまざまな二流ラジオ局から連絡が届いたのだった。サンバーナーディーノやサンディエゴなどの地元ラジオ局ではこの曲の評判が上々で、リクエストがどしどし届いているのだという。データは絶対に嘘をつかないと信じているジェイコブスが嫌々ながら「夢のカリフォルニア」をKHJのプレイリストに付け加えると、この曲はすぐにナンバーワンを獲得した。

次回に続く。