ミキサーはアーティストだ! 吉野金次

細野晴臣 録音術』で話に出たので読んでみた。1979年の本。

細野晴臣 録音術 ぼくらはこうして音をつくってきた

細野晴臣 録音術 ぼくらはこうして音をつくってきた

ミキサーはアーティストだ!―ぼくが語ろう2 (1979年) (CBS/Sony books)

ミキサーはアーティストだ!―ぼくが語ろう2 (1979年) (CBS/Sony books)

細野晴臣『HOSONO HOUSE』

 このLPやった当時、細野さん、新婚だったのね。で、録音してるときに、子どもができたとかって細野さん、いって、マッ赤になっちゃった。なんで、赤くなったんだろう。
 そういう新婚当時の細野さんの家で、ボクらスタッフとか、ミュージシャンが、いっしょに住みこんで、作ったLPなの。
(略)
 このLPの中に入ってた曲の中に、“僕は、ちょっと”っていうのがあって、その中に、“僕は、ちょっと、黙るつもりです”っていう、自分の心境を語っている部分があるんだ。細野さん自身の口からもね、ちょっと、休みたいんだっていってたの聞いてたから、印象に残ってる。
(略)
[今YMOが軌道にのって世界進出中だけど]
 でも、このLP作ってたころと、それからあと、あんまり調子のよくなかった時期とを含めて、ポツンといったことばが、印象に残ってるのね。たぶん、細野さん、しばらく、ゆっくりと休みたかったんだろうけど、まわりが、細野さんみたいな人を放っとくわけもないし、知らず知らずのうちに、流されて、彼自身、わけがわからなくなった時期があったのかなあ。
(略)
これ、まったくの余談だけど、細野さんの家のレコーディングの前に、何度か、お邪魔しているわけなんだけど、で、最初、行ったとき、細野さんがコーヒーを入れて、もてなしてくれたんだ。手まわしのミルの中に、コーヒーを5、6粒ずつ入れて、ひいて、サイホンで、時間をかけながら、ゆっくりやってくれて。ボクがいままで飲んだコーヒーの中で、いちばんおいしくて、そのときに鳴ってたザ・バンドの『ビッグ・ピンク』とともに、印象深く残ってる。

邪魔な音は消しちゃっていいの。
聞く人の感性をチクっと刺激するだけ、それでいいのね。

ドラムをそのまま、ナマに近い音に表現するってことだって、マイクとか何とかですることじゃないと思うのね。
 そのミキサーの誠意が、ナマに近づける原動力なのよ。マイクっていうのは、ただの必要条件、誠意しかないの!
 ボクなんか、ドラマーのたたいてる音の一部しか出さない場合がある。
 ここもたたいて、ここも、そこもたたいてるけど、そんなの、ここんとこだけ聞こえてればいいって思うと、ほんとうに、そこだけしか出したくなくなっちゃうのね。
 そうやって録ると、ドラマーにとっちゃ、すごく気に入らない部分もあると思うのね。
 だから、当然、ミュージシャンに、ここ、やってるはずなのに、聞こえてねェや、ってクッてかかられるわけ。そのへん、戦場なのね。顔で笑って、内心じゃ、だったら、オレにたのむなって感じよ。
 でも、それで全体がよければ、ああ、なるほどなァ、たしかに、この部分じゃ、邪魔だね。ボーカルが入ってみると、いらないねェ――ってふうに考えてくれて、すごい、ボクのミキシング、感性を気に入ってくれる人もいるわけよね。
 そうすると、オレは自由にたたくから、いいところだけ、あとでクローズ・アップしといてくれ、ってコミュニケーションができたりするの。こうなると、ボクも、すごいラクなわけね。
 ミュージシャンが演奏した音はすみずみまで聞こえなくちゃいけない。で、ボーカルも、ちゃんと聞こえなくちゃいけない。なんていうと、もう、どうしたらいいのか。そしたら、アンタ自分で録んなよって感じ。
 自分の出した音、全部、聞こえてないと、相手に伝わらないんじゃないかって、心配なのよ。たしかに、それが必要な音楽も、あると思うのね。
 でも、何ていうのかな、そうじゃなくて、ボクらの作ってるモノって、聞く人の想像力、そこを刺激するだけで十分なのよね。
 最後までいい切っちゃう必要、ないのね。
 チクッと刺激して、あとは、それを聞く人、その人の感性を信じて、まかせればいいの。
 チクッて部分だけ、表現すればいいと思うのね。
 だって、聞いてる人は、みんな違うんだしね。(略)

パターン化したミキサーにはなりたくない

[仕事の早いミキサーは]ドラムならドラム、ベースならベースでね、もう、音の出る前に、自分である一定の音量とか音質を決めちゃってる(略)だいたい、しあがりに近い音がガーンってできる。(略)
それで、しかも、すごくデキがいいのよね。上手なの。(略)絶対、かなわねェ。
(略)
 だから、ますます、パターン化したミキサーには、ならねエゾって気になって……。(略)
 なんで、パターンがいけないかってこと、考えてみようか。
 新しいものを作るってことはね、シロウトが集まらないとできないのよ。
 ボクは、いちおう、プロだよね。でも、プロでも、スタジオに入るときは、ほんと、シロウトのつもり。ゼロの部分からスタートして、それで、みんなで作ってかなきゃいけないのよね。その結果、できるのが、新しいものになる可能性のあるものなわけ。
 もし、自分のいちばんやりやすい、やりなれた型で表現してしまうと、新しいもの、生まれないような気がするの。
 そのときどきの新鮮な感動に対してね、無理のないところから出てくる感性で、録りたいからね。

思いのままに録音すべきだよ。
そして、そこで、音楽のフォルムというものを見つけてほしいんだ

 ミキサーがね、音楽そのもののフォルムをくずすってことは、タブーなのよ。
 たとえば、デッカイ看板があるとするよね。1メートルのところじゃ、何が書いてあるのか、ぜんぜんわかんないわけ。それで、だんだん、離れていくと、ある瞬間、全部の字が見えるようになるでしょ。そこが、フォルムのポイント。あんまり、離れすぎちゃっても、字は見えるけど、その実際の大きさとか、細かいところはわかんなくなっちゃう。
 看板なんかだと、どこがフォルムのポイントなのか、ハッキリとわかるけど、音楽みたいな、目に見えないようなものの場合は、もう、感覚だけでね、そのポイントを捜さなきゃならないわけね。
 その部分がしっかり録れてないと、これ、いくらいい音してても、いい録音とはいえないの。
(略)
 けっきょく、どういうようにフォルムがとらえられるか、どういう結果を出せるか、そういう大事な部分を知るためにも、いろんな録り方にチャレンジしてみるってことが、必要なのね。ボクが、録音は自分勝手にやれっていうのは、そのためよ。

フィラデルフィアサウンド

[はっぴいえんど解散後の頃、松本隆の家によく遊びに行っていて、ソウルにはまってた松本の影響で、フィラデルフィアサウンドにはまった]
 フィラデルフィアのM・F・S・Bの中に、ドラマーでアール・ヤングってのと、べースのロニー・ベイカーっていうのがいて、ほとんどのレコードに参加してるんだ。
 アール・ヤングって、チューニングがいいの。タン・タカ・タンって感じのスマッシュで、しかも、シットリしててね。少しも刺激的じゃないの。
 で、この人のドラムのチューニングに、ボク、一時、すごくコッてた。
 自分でスネア、買って、で、何日もかかって、アール・ヤングふうにチューニングして、そのスネアをブラ下げてね、スタジオに入るとき、いつも持って歩いてたときがあるの。半年くらいのあいだ、ずっとね。
 で、それで演奏してもらってた。
 ミュージシャンによっては、ひどくイヤがる人もいたわけ。「ちょっと、カンベンしてくれる!」なんて感じで、イヤな顔されて。
 でも、反対に、すごい気に入ってくれて、自分から進んで使ってくれる人もいた。
 ボクが、あんまり執着してるもんだから、ミュージシャンの人の中にも、フィラデルフィアに興味持って、積極的に自分から、その人のドラムセットをそういったチューニングにする人も増えてきたくらい。
 半年くらいは、ほんとに、スケジュール表とスネア、いっしょにバッグに入れて、持って歩いてたのよ。そのころに録ったものは、ほとんど、そのスネア使って、たたいてもらってるの。
 いい音なのよね。マイクの限界をよく知ってるの。バリッとしてるんだけど、しっとりしてるの。すごく、余韻があるの。ンタタン、ンタタンって感じ。
 ベースのロニー・べーカーの話もついでにすると、彼、弦がのびないように、楽器に二ュートしてるの。
 スポンジを弦とフレームのあいだに入れて、弦が、ビーンとのびないようにしてるの。だから、いつも、ブツ、ブツって音になってる。
 その影響も受けてたな、ボク。一時、ほんとうに、スタジオでかならず、スポンジをくっつけてた。
 切れるベースと、その逆に、余韻のあるスネアとのからみが、フィラデルフィアのコンビネーションみたいね。
 ふつうブウンって音のベースが、ブッ、ブッて鳴るでしょ。逆に、スネアがダーンと、余韻を残すの。いままでのと逆になるわけよ。
 で、そこに、こう、サイド・ギターが、カカッ、カッじゃなくて、クワッ、クワッって鳴る。この音が、やっぱり、余韻のある感じで、すごくいいわけ。むかしの、大きなアコースティックのエレキ・ギターなのね。いまみたいな、板っペラのじゃないのよ。だから、ナマ音もかなり響くの。
 で、サイド・ギターがクワッ、クワッってやると、スネアとの余韻の中に、ベースなんかが、わりとカサカサしたタッチで入るの。
 こういう、前後が反対になったところ、このへんがね、フィラデルフィアのかくし味、オモシロイところなのね。
 でも、ソウルって、やっぱりボーカル。そんなとこかな、フィラデルフィアの限界っていうのは。