「表現の自由」を求めて・その3 ヘイトスピーチ

前回の続き。

広告の自由

 ひとむかしまえは、広告は憲法表現の自由の保障の外にあるとされて、ほとんど怪しまれるところがなかった。すなわち、1943年、合衆国最高裁は、街頭で商業広告チラシを配布することを禁止したニューヨーク市条例を、全員一致で合憲だと判決した。「憲法は、純粋に商業的な広告のごときに関しては、なんら公権カヘの限定を課してはいない」と論じ、それは立法機関の規律に左右されても文句を言えない、とした。
(略)
 ところが、1976年、この法領域に一大変革が加えられた。合衆国最高裁に判断がもとめられたのは、調剤薬品の値段を広告することを禁止するヴァジニア州の法律の合憲性であった。原告として訴え出たのは、市民からなる消費者団体(ヴァジニア消費者市民協議会)である。察するに、問題の法律の背景には、薬局など調剤薬品の値くずれを防いで適当に既得利益を確保しつづけようという伝統的な売り手市場的な思惑がはたらいていただろうし、これに対抗して個別の消費者がお互いに団結して市場支配の軛を脱しようという、現代に特有な消費者運動の展開があったであろう。
 最高裁は、この調剤薬品の価格表示を禁ずる法律を、違憲無効と判決した(「ヴァジニア消費者市民協議会」判決)。
(略)
「消費者としての市民の観点からすれば、商業情報が自由に流れていることは、今日的に切迫している政治論議にかかわる情報が自由に流れていることと対比して、負けず劣らず重要である」といった、情報受信者の利害関心からの観点が前面に打ち出されているのが、特徴的である。(略)州側は、薬剤業界におけるプロフェッション倫理の維持その他の業界保護の論理を並べ立てたが、裁判所はこれらの主張にほとんどまじめな検討を加えずに、消費者の、いわゆる「知る権利」を優先させたのであった。

「バックレイ」判決

 司法審査の対象は、1971年に制定され、74年に改正された連邦政治資金法であった。(略)
 最初にまず、日本の読者との関係では政治資金の問題が、なぜ言論の問題になるのかという点を解説する必要がある。最高裁も、この問題から審査を開始している。要するに、選挙運動というものはそれ自体一定の政治目的をもった言論・出版活動の束みたいなものと考える。政治資金の寄付=提供は、特定の候補者・政治団体支持のための意思表示にほかならないし、政治資金の支出は、市民への訴え(メッセージの伝達)に不可欠な行為であって、いわば金銭形式で示された表現そのものである、と解される。
(略)
すなわち、政治運動のための金銭の出し入れは、ばあいによれば、「純粋な言論」(pure speech)ととらえられ、ばあいによれば、主として行動ととらえられ、ことの次第によっては、言論と行動の混合物ととらえられ得る、とみるのである。(略)
 最高裁が衝く、もうひとつの点は、本法は金銭支出を制限することによってなにがねらわれるかというと、「コミュニケーションの抑制」そのもの、すなわち、選挙運動における人びとの声、運動にこめられた人びとの利益が押さえこまれることになるということである。
(略)
この裁判で問われた連邦政治資金法は、ニクソン大統領を辞職に追いこんだ、あの悪名高いウォーター・ゲート事件で暴露された、かずかずの政治汚職のような「金と政治」のきたない関係に、なんとかけりをつけようとする政治改革的な意欲をもって制定(=改正)されたものであった。選挙運動用の金銭の多寡によって選挙結果が左右されてはならないという、その意味で投票価値の「平等化」が問題になったさい語られたスローガン、「一個の人間、一個の投票」と同じ理想が、ここではたらいている。選挙資金の「平等化」を可能なかぎりはかろうという、エガリタリアン(平等主義的)思想が底流にあったと言える。
(略)
 金銭の多寡が言論の多寡をきめるという論理にもとづき、ある種の金銭の使い方は「純粋言論」であると評価し、そうだからこれを制限することには、強い理由がなければいけない、とするこの最高裁の立場は、はげしい批判を受けた。「金銭は言論なり」(Money is Speech)という命題に対して、「金は物を言うか?」(Does money Speak?)という疑問が、衝きつけられたまま、いまでも論争はつづいている。

「スコーキ」事件。ヘイトスピーチ

[70年代後半シカゴから締め出されたネオ・ナチの一団は]その周辺の町で一騒ぎしようと目論んだ。こうして、あちらこちらの市町村に、集会デモ行進のための許可申請を送りつけた。だが、多くの地方公共団体は、まともな応答をせず適当にごまかして面倒を避けようとした。ところが、例外的にシカゴのベッド・タウンのひとつ、スコーキ村だけが(略)事前に保証金を供託するように、と答えたのである。そこでネオ・ナチの連中は、この応答をきっかけにスコーキ村にねらいを定め、最終的には修正第一条の集会行進の自由・表現の自由を名目に、法廷闘争を開始することになった。[憲法が保障する自由権を行使するのに保証金供託を要求するのは憲法に反するという理屈](略)
 じつを言えば、ネオ・ナチの連中はそれ以前からシカゴをはじめとした地方公共団体とのあいだに、デモをめぐるいざこざが生じ、そのとき以来、アメリカ自由人権協会(ACLU)シカゴ支部から法律相談を受け、裁判上の援助もふくめ、自分たちのための憲法論上の理論武装のすべてを、ACLUから無料で受ける関係になっていたのである。援助するACLUの立場は、苦渋にみちたものであった。助ける相手は、ユダヤ系市民への差別・憎悪をむき出しにするばかりか、反民主主義・独裁政治・人権無視を叫んで、ただいたずらに騒ぎ立て、そのことによって世の注目を集めたいという、文宇どおりの馬鹿者たちである。
(略)
この協会は、戦間期[1917年]以降ずっと、個人の権利の普遍妥当性を信条に、いってみれば社会の「負け犬」の正義のために、誠実に、そしてきわめて顕著なはたらきをしつづけてきた、みごとに「アメリカ的」な組織である。(略)
[しかしマッカーシズムに迎合したり、日系アメリカ人の強制収容措置を容認したという汚点もあった。その反省もあり50年代以降、あらためて市民的自由確保のための歩みに力を尽すことになり]
KKKなど白人優位の人種差別者らの表現活動にも憲法論上のバック・アップをすることをあえて辞さないという、その点での絶対(自由)主義・無差別主義に徹してきたのであった。
(略)
[スコーキ村には]ユダヤ系市民(四万人近く)が多く集まっていて、なかにはホロコーストの生き残りの移住者がかなり住んでいる地域であった(ネオ・ナチの連中は、まさにそのゆえにこの地域を特殊的に選んだのだ、とほざいてもいた)。
 加えて、ACLUという市民団体の会員は、きわめて高い比率でユダヤ系市民により会員が占められているという事実があった。(略)そのACLUがこともあろうに、ユダヤ系市民を侮辱し排撃してナチズム復興を叫ぶネオ・ナチの連中の権利のための闘いに全力投球しようというのを眼のあたりにすることになった。「“われわれの敵”をなぜ弁護しなければならないのか」とする抗議の声が全国的規模で巻き起こった。あげくのはて、非常に多数の会員は脱会した。
(略)
[裁判の結果は]
スコーキ村の側の敗訴である(裁判に勝ったネオ・ナチどもは、しかしながら、スコーキでのデモを実行しなかった。「われわれの裁判の目的は、シカゴでのわれわれのデモの権利を獲ち得るためだったのだ」と宣言した)。(略)
集会・表現の自由はだれにでも――ネオ・ナチにも――与えられねばならない。ただ、その結果、社会や他人に対して明白に現存する危険をもたらす等の実質的な害悪をもたらしてはならないという条件があるにはある。
(略)
 だがしかし、もうその時点で、この解決方式に対する批判が強く盛り上がり、反対論は年ごとに増大するようになった。表現一般の自由などナンセンスである、そんなことを言うから差別表現が野放しになってしまったのだ、人種・女性・信条等々の差別が増大する現代を招いたのだといった種類の議論が、80年代へとひきつがれる。ちょうど、ポルノの自由が「女性の人権」侵害だという構成をとる人たちが出てくるのと共通した理屈で、ネオ・ナチの表現の自由は、「ホロコーストの生き残りユダヤ系市民の人権」を侵害しており、そういう自由が許されていいはずがないという考えが有力になる。そこに現代がある。

「R・A・V」事件

[1990年白人居住地に引っ越してきたアフリカ系市民の庭先に白人らが“燃える十字架”をしかけたことが市条例違反にあたるとして刑事裁判に。白人たちは条例は表現行為を取り締まるもので違憲無効と主張。最高裁はそれを認めた]
最高裁のR・A・V判決は、暗黙のうちに、しかし明らかにキャンパス・コード論議や広く“P・C”現象に対して、“ノー”を意思表示したものと一般に解釈されている。(略)
 なぜこの判決の評判が悪いかというと、思うに、スカリア裁判官の筆になる、ひとりよがりで晦渋に充ちた判決文章には、被差別者の苦しみも悲哀も反映されていないだけでなくて、かえって中立をよそおいながら差別反対者を小馬鹿にしたような論調がただよっていて、それだけで反感を買うおそれがあるものであった(略)
 スカリア裁判官ら最高裁の多数派にとっては、こうした判決批判は心外のきわみであるだろう。自分たちは表現の自由こそ絶対大事にしなければならないと考え、この保障のために培われてきた伝統的な法原則を本件でも堅持しただけだ、と抗弁するに違いないのである。これを非難する側の憲法理論家たちは、多数派のいわゆる伝統的な法理を――本件のような性質の反差別立法に適合的に――少なくても部分的には修正して、ある種の新しい法理を模索し、これを確定させる方向によってのみ、展望が開かれるだろうと論ずる。
 こうしてたとえば、反差別表現立法の支持者のなかから、もっとラジカルには「“表現の自由”なんていう、そんなものはないよ」(“There's no such thing as‘free speech’”)といった言いかたが出てもくるのである(略)。ここで死亡通告を受けているのは、伝統に凝りかたまった形で「表現の自由」コンセプトによって、反差別立法を斥けてしまう、そのような「表現の自由」論である、とまあ、好意的に解しておこう。これとは別に、「表現の自由」という憲法価値は、合衆国憲法修正第13、14、15条が謳う「人間の平等」という価値と両立させるのが本当の憲法論であるとし、「表現の自由」をそれだけ切り難して独歩させるのではなくて、憲法体系全体に適合的なように、あるべき自由の法理を構築してゆくべきだという考えかたも、有力視されている。

むすびに代えて――

表現の自由」の再編成に向けて

 現代新たに「表現の自由」コンセプトが拡張されることにより恩恵を受けることになった広告主(スポンサー)の圧倒的多くは、個人(=自然人)であるよりは、企業(=会社=法が人為的に作った法人)である。つまり、企業が「表現の自由」の主体として大きくまかりとおることを、アメリカ社会は許してきている。(略)
[同様に]政治的言論の自由を享受することを、承認する傾向にある。(略)
「バックレイ」判決があって約二年後の1978年、合衆国最高裁は、会社法人が政治的公共的な争点(具体的には住民投票にかけられた租税関係立法の可否)に関して、会社としての立場を宣伝するために会社株主たちの資金を使用する権利がある、と判示した。そして、さらにその二年後の1980年には、合衆国最高裁は、独占的な電力会社であるエディソン社が顧客に送付する支払い請求書に折り込んで原子力利用を積極的に支持する文書を添付するのを、公権力は妨げてはならないと判示した。(略)大きな傾向としては、最高裁は商業広告のばあいと同様の寛容さをもって、企業の側に政治活動の自由を配分してきていると言える。
(略)
これとの脈絡で逸すべからざるものは、マスメディアの「表現の自由」である。(略)
 マスメディアも、マス(大衆)を相手にした大量生産型のものであればあるほど、社会支配体制の一環に組み込まれた存在となる。そのマスメディアが、外から介入なしに自律的に「編集の自由」「編集権の独立」を行使することが、そもそも「表現の自由」の本来的コンセプトに適合的なのかどうか。結局のところ、ここでも先ほど来から指摘してきているのとおなじ問題性、すなわち会社=法人にからめ取られた「表現の自由」――それでいいのかという問いかけを誘発する状態があるように思う。
(略)
理論家のなかには、次のようなラディカルな意見を述べる者さえ出てきている。それによれば、現代アメリカ社会では「表現の自由」を論ずれば論ずるほど、それは結局、社会支配体制に吸い取られ、支配層のための「表現の自由」に転化してしまうことになっている。そうだから、われわれはこのコンセプトを棄てて、われわれに有意義な新しいコンセプトを発明し切り出してゆくほかなかろう、という主張である。いわば、「表現の自由」解体論である。
 これに対し、おなじ問題状況を認識したうえで、むしろ歴史的に本来アメリカの人びとが作り上げてきた「表現の自由」を、その本来の姿においてとらえなおし、デフォルメしてしまった「表現の自由」とは別な「表現の自由」を再構築すべきだという主張がある。いや、この立場こそ憲法学界の主流になっていると言っても過言ではない。こういった考えによれば、「表現の自由」はけっして単に個人的な「言いたいことを言う自由」といった、哲学的基礎も人間的な香りも社会連帯性も欠いた観念ではないはずである
(略)
こうして、理論家たちは、「表現の自由」は自覚ある人たちの社会的な連帯と参加する民主主義という政治的な視点から純化して構成すべきだという立場をとる。他の理論家は、次のように立論する。すなわち、「表現の自由」はその歴史と本来の姿に照らしてみれば、社会体制に異議申し立てをおこなう、「少数者たる権利」にこそ、その意義があるのであって、この観点からあるべき「表現の自由」コンセプトを整理すべきである、と論じている。
(略)
これまでの「表現の自由」コンセプトは、もっぱら公権力を「自由侵害」主体として捉え、それからの「自由防衛」の観点に立って構成されてきた。(略)しかしながら、現代社会にあっては、個人が個人として誰にも邪魔されない立場を保障されただけでは、十全に表現活動ができるという状況ではなくなっている。(略)
[したがって国家がになうべきことは]「自由規制」ではなくて「自由の促進」に向けた国家活動である。(略)
(この理論は、本書では触れず仕舞いに終った領域のひとつである“Govenment Speech”のコンセプトに関係する)。