新しい音楽とことば 石野卓球 高城晶平(cero)

新しい音楽とことば (SPACE SHOWER BOOKs)

新しい音楽とことば (SPACE SHOWER BOOKs)

  • 発売日: 2014/11/14
  • メディア: 単行本
 

 石野卓球電気グルーヴ

PILとかホルガー・ヒラーとかの歌詞はダントツに面白かったな。あと、パレ・シャンブルグ。(略)
歌詞の元ネタがたとえばダダイズムだったりするんですよね。(略)「緑色した魚釣りカヌー」とかどういう意昧なんだろうと(笑)。あと、ノイバウテンの「我が魂のバクテリア」とかね。もう、そのフレーズだけで十分というか。そういう言葉のセンスが好きだった(略)
 あと、ノイバウテンもホルガー・ヒラーも英語じゃないことに惹かれてたのかもしれない。ジャーマン・ニューウェイヴなので、当然、ドイツ語じゃないですか。自分にとってはイギリスのニューウェイヴの英詞よりそっちのほうが異物感がすごくあって、音として面白かった。(略)
日本語で歌詞を書くようになったのは、たぶん、人生を始めてからだと思う。それまでは畳感覚が嫌だったわけだけど、一度、畳オンリーにしてみたら、振り切れて筵までいってしまった(笑)。
で、小学生みたいな単純な歌詞を書くようになって。まあ、ほぶらきんとかの影響もあったんでしょうけど。あの人たちの歌詞って一フレーズ、二フレーズの繰り返しだったりするでしょう。ただ、それが日常で使うような言葉ではなかったり、フレーズの組み合わせがヘンだったりするから、何度も聴かされるとトランスするような感覚になってくる。その方法論がすごく好きだったので、人生ではそれをある程度参考にしたようなところもあって。(略)
[対バンのロック・バンドに対抗するためにインパクトを追求するようになり]
キンタマが右に寄っちゃった」みたいなフレーズが生まれてきた。他のバンド目当てに来た客になんとか爪痕を残そうとしたというか。今の若手芸人がテレビに出るときと同じ考え(笑)。

メジャーデビュー

メジャーデビュー

 

 ――卓球さんは「歌詞に意味を持たせることに興味がない」というようなことを繰り返し発言していますよね。
 だからといって、まったく無意味なものをつくるほうがよっぽど難しいんですけどね。何かしら、かすってしまうので。かすることをとことん避けて、まったく意味のないものをつくろうとは思わないんですよ。そうじゃなくて、思いつく言葉をずっと出していって、それを組み合わせたときに、その向こうにポヤンとした意味があるものを目指すというか。ホルガー・ヒラーが「思いつくかぎりの陳腐な文句を組み合わせていくと、スーパー陳腐なものができ上がって、言葉の裏にある別の意味が見えてくる」って言ってたんですよね。その言葉が高校生の頃からずっと好きで、今も本当にその通りだと思ってる。

Shangri-La

 ――ところで、「J‐POPの歌詞がコピペ化している」という批判があります。(略)
 そもそも知らないですからね。(略)[ゲームの話を]聞かされるのと同じくらい関係ない話。それに対してどうも思わないというか。
(略)
 ――「Shangri-La」に関してはJ‐POPの枠でヒットさせようという野心もあったと思うんですけど……。
 いや、売れようと思ってつくってまんまと売れたというより、売れなきゃヤバいと思ってつくったからあんな曲ができたんですよ。だから、あの曲の歌詞こそコピペ(笑)。何かから引用したとかひな形があったわけではないけど、「普段ウチらが使っているような言葉をやめて、あえて耳あたりのいい言葉にしよう」と話してつくったので。(略)だから、いまだに歌詞を覚えてないもん(笑)。(略)
自分の言葉じゃないからなんでしょうね。そもそも、あれは自分の曲だとも思っていないし。半分はシルヴェッティの曲。で、残りはこっちのものかというとそうではなくて、聴いてる人のもの。だから、歌詞に関してもあまり自分で書いたような気がしなくて。(略)
自分たちがある程度グループとして安定していて、満たされている状態だったら、あんな曲は出てこなかったと思うし。かなり追い込まれた状態でつくってた。

篠原ともえ

 ――ちなみに、卓球さんは他のアーティストに歌詞を提供したりもしていますよね。篠原ともえさんとか……。
 今、一瞬「そんなことやってたっけ?」と思ったけど、篠原か!まったく仕事だと思ってなかったので(笑)。ただ、楽しかった印象はありますね。だってあの素材を渡されて、「好きに遊んでいい」と言われたら、そりゃ面白いでしょう。でも、三曲でネタが尽きた。オモチャにしすぎて。で、「ここにいてももう何も出ないし、消耗するだけだから、ヨソに行ったほうがいいよ」って追い出した(笑)。まあ、初めて会ったときの篠原は確固たるものがなくて、真っ白だったから、こっちで好きに色つけ、味つけするのには格好の素材でしたよね。本人は「今井美樹みたいになりたい」って言ってたんだけど(笑)。「バラードを歌いたい」とか。トンデモない話じゃないですか。で、「お前の歌はこれだ!」って、クルクルパーの歌をつくったという(笑)。(略)
俺も飽きやすいし、次の展開まで考えられなくて。その後、「Shangri‐La」を出して忙しくなったからやめちゃった。

小西康陽

年齢的にも近くて、一番身近なスターですね。特に作詞の点で。(略)小西さんの歌詞は本当にデリケートで、そりゃあんなにこだわってたら病気にもなるだろうっていう。僕はリズムや音構造のほうに興味があるから、そこまで歌詞にピリピリしてないんですけど、小西さんは歌詞や文章に対するこだわりがすごい。(略)
僕がフォークとロックに不感症で、他のものがいいなと思ってしまう一番の原因は、もちろん、サウンドも関係なくはないですけど、繰り返し言っているようにフォークとかロックには青春っぽいものが多いから(笑)。(略)
青春っぽいともうダメなんですよ。(略)
だけど小西さんの詞は、いわゆる青春っぽさがなく、最初から背伸びして大人になりたかったっていう感じなんです。そういうものが好きなんですよ。(略)
ただ、小西さんはわかりづらい人ではないから、何が好きで、何が原型になっているとか、元ネタはわからないでもないんです。そして、その中に、青春っぽい側面もあったりする。たとえば、ピチカート・ファイヴってすごくグルーヴする音楽ですけど、あのグルーヴィーさはおそらくグループ・サウンズから来ていると思う。ど真ん中のザ・タイガースとかではなく、もっとオブスキュアなグループですけど。で、グループ・サウンズってビートルズのマージービートを受け継いだものだったから、リズムがかなりバウンスするんですね。なので、ピチカート・ファイヴの音楽を聴いてるときに、リズムがバウンスして「これはグループ・サウンズだ」って思う時間になると、途端に青春っぽさを感じ取って、その部分は自分の中でオミットしてしまう(笑)。

WORLD RECORD

WORLD RECORD

 
  • 高城晶平(cero

フィッシュマンズは僕も好きでしたけど、それもどちらかというと荒内君がすごく好きだったんです。むしろ僕は教えてもらった感じですね。歌詞の部分でいうと、佐藤伸治さんみたいな詞は、僕が書けるものではないなと思いますね。あれは本当にぶっ飛んでいるというか。(略)
情景描写よりももっと抽象的な表現が多くて。でも、僕は絵が浮かぶような言葉に重きを置いているので。抽象的な言葉で詞を書くよりも、普通に読んでそのままわかるようなものを、と思って書いているんです。歌詞なんだけど、童話みたいな物語として読めるものを書きたいなと、いつも思ってるので。佐藤さんみたいな詞って、普通に読んでもあんまり意味がわからないじゃないですか。あのダブのサウンドの中に落とし込まれて、初めて威力が発揮される言葉のような気がします。僕とはちょっとタイプが違うかなって。(略)
[「ceroはフイッシュマンズの批判的な展開じゃないか」という指摘については]
意識してないわけじゃないけど……。フィッシュマンズを好きな人って、ある時期からフィッシュマンズから逃れたいという方向に行き始めると思うんですよね。(略)ceroも入りはモロにフィッシュマンズだと思うし、その名残りで、たとえば「大停電の夜に」(『WORLD RECORD』収録)とかもまさにそう聴こえますけど、むしろそこに抗って、そこをどう抜けていくかというところでやってきたと思うんですよね。で、その戦いにも疲れて、「別にいいか」ってなって自分の居場所をようやく見つける、というか。

ero / 大停電の夜に - PV