メイキング・オブ・サージェント・ペパー・その2

前回の続き。

メイキング・オブ・サージェント・ペパー

メイキング・オブ・サージェント・ペパー

  • 〈ア・デイ・イン・ザ・ライフ〉

テープ・エコー

 トラック4:ジョンのヴォーカル、すでに深いテープ・エコーをかける。ジョンはいつも自分の声を嫌って何か手を加えたがる。今回は、〈ハートブレイク・ホテル〉をうたったときのエルヴィス・プレスリーみたいにしたいと言った。そこで我々は、声の残響を実際の声の0.09秒後に置くことにした。
(略)
取り出した音をまた録音していくという具合に、声が震えるような感じの音になるまでこれを何度もくり返したという。
 これをヘッドフォンで聴いていたジョンは、自分の声にものすごいディストーションがかけられていたので大喜びした。(略)
[10代の頃ギターの練習をしていると怒ったミミ伯母さんに家のポーチに追い出され]自然と声にエコーがかかるようなところだったので、彼はそういう音に慣れ親しみながら育ってきた。つまり、ジョンにとっては、エコーがかかっている状態が自然だったわけである。そしてまた彼は、グループで演奏するようになって間もなく、テープ・エコーが自分のリズム感に役立つことに気がついた。テープのディレイが正しければ、彼は拍子を保ちやすいというのだ。

  • 〈グッド・モーニング、グッド・モーニング〉

 当時ジョンは、ウェイブリッジというロンドンのベッドタウンの中でももっとも上流区域と言われるところで、27部屋ある“高級チューダー様式”邸宅に住んでいた。(略)
 一方、未婚のポールは自由奔放で洗練された有閑紳士で、前衛芸術家たちとのつきあいもあって“適切な”画廊や芝居に行き、適切なアンダーグラウンド雑誌を読み、ある意味でジョンやリンゴが羨むような生活を送っていた。ところでジョージは魅力的なパティ・ボイドと結婚したばかりだった。
 ジョンは郊外生活から脱け出したくなると、ポールの家まで車を走らせ、一晩過ごしてくることが頻繁にあった。ポールの家はロンドン中心部のアビー・ロードからそう遠くないところにあった。ジョンは妻と子どものために安定した家庭生活といったようなものを築かなければならなかったが、ウェイブリッジの雰囲気がよい歌を書くことを促進するとは思っていなかった。
 ポールは型にはまらない人たちと付きあっていたと思うよ。でも彼はすごく型にはまったやつだった。でもジョンは型にはまっていなかった。――リンゴ
(略)
 中産階級の中年男みたいだ、と日増しに感じていたジョンにとって、自由気ままにしているポールを見るのは辛かった。彼は、最良の時にあっても、すぐに退屈してしまった。(略)
そこは警備のゆき届いた安心して暮らせる金持ちのための地域で、トム・ジョーンズクリフ・リチャードといった多くの有名人の家があった。イギリスのメディアの大物が住むところ、それがウェイブリッジなのだ。ハリウッド・スターにとってのビヴァリー・ヒルズと同じだ。(略)会いにいけば、彼は幸福そうに見えた。しかし、どこかで彼はもっとエキサイティングな何かを捜し求めていた。
 ある意味でウェイブリッジは、ヨーコ・オノがジョンにとって魅力的に写ったことの説明になる。彼女は郊外生活者特有の物の考え方に対する解毒剤のようなものだったのだ。
 彼女は彼が本当にやりたかったことをやる自由を彼に与えた。ゴルフ・クラブのようなところでそれはできなかったのさ。――ポール
 そういうわけで、〈グッド・モーニング〉は郊外居住者の生活様式を皮肉っぽく――嘲笑的にとは言うまい――見ている歌なのである。(略)“誰もが何もやることがないのを知っている。どこも全部閉まっていて、まるで廃墟のよう。会う人みんなが半分眠っている……ぼくには何も言うことはない。いいんじゃないの、おはよう……”(略)(“妻に会ってお茶を飲む時間だ”という歌詞は、当時イギリスのテレビで放映されていたどちらかというとくだらないメロドラマ『妻に会って』から頂戴した。)

ノルウェイの森

 1966年を迎えるまでに、ビートルズは成功という衝撃的な体験をし、歌を書く方法も大きく変ってきた。(略)
特にジョンが音楽的な進展とともに、自分の歌の中でメッセージを伝えはじめた。そのよい例が《ラバー・ソウル》の中に収められている。
 ジュディと私はジョンとシンシアと一緒にスイスへスキーを楽しみに行った。そこでジョンは〈ノーウェジアン・ウッド〉を書きはじめた。ある晩彼はホテルのベッドルームで未完成のこの新曲を私たちにうたって聴かせてくれた。歌はその後ウェイブリッジでポールの協力を得て完成した。私は、まさかこの歌がシンシアに対する当てつけだとは思いもしなかったが、しかし、明らかにそのとおりだった。“かつてぼくには女の子がいた。それともかつて彼女にはぼくがいたと言うべきか……” 彼は少しいぶかしげな表情でシンシアを横目で見ながらうたった。とても若い頃にシンシアを妊娠させてしまったために彼は結婚せざるを得なかったのだ。あの頃はそれが当然だった。なぜなら、もしそうしなかったら、礼儀正しいイギリス社会の常識から外れて生きていかなければならないからだ。異議あり
 そうは言うものの、あの頃の彼は十分幸福だった――意地の悪いところはなかったのだ――ただ、いつものようなとげとげしさがあった。

〈トゥモロウ・ネヴァー・ノウズ〉

[当時ジョンが読んでいたティモシー・リアリー博士訳]『Tibetan Book of the Dead』やタンブーラのエキゾチックなサウンド、そしてジョンが求めた神秘的なゾンビのようなサウンドとは別に、この歌にはさらにもっと奇怪で素晴らしいところがある。それはポールが持ちこんだものだ。当時ポールは、我々がアヴァン・ギャルドと呼ぶものにとても入れこんでいた。モダン・アート、文学、ジョン・ケイジシュトックハウゼンといった人たちによる現代音楽――こういったものを彼は、アッシャー家が備えている豊かな環境の中で耳にしてきた。ポールがジェーンとデイトするようになって付き合いの始まったアッシャー家の人々は、非常に知的で音楽好きだった。(略)
 よりよい歌を書く助けとなるものとして、ポールはブレネルのテープ・レコーダーを2台持っていた。そのテープ・レコーダーの消去ヘッドを取り外して録音ヘッドだけにすれば、作りたい音は普通に録音されて、次にそのテープを回したときにも消去されないだろうということを、ポールは発見した。その録音された音は再生ヘッドを通過して、再び録音される。これをテープがいっぱいになるまで何度もくり返すのだ。その音を再生したら、録音を始めたときのノイズとは似ても似つかない音が出てくる(もしあなたがビートルズの一員なら、それこそ願ってもない音であるはずだ!)。ポールはこのように、奇妙でひずんだノイズをいっぱい詰めこんで“テープ・ループ”を作り上げたのだ。(略)[それに倣い他のメンバーも]わけのわからないものを録音したループを作りだした。
 彼らはそれらのテープ・ループを、まるで猫がスズメをくわえてくるように、私のところへ持ってきた。(略)
私は気に入ったループを16本選んで――それぞれが6秒ほどの長さだった――〈トゥモロウ・ネヴァー・ノウズ〉で使った。(略)
レコーディング・コンソールをオルガンのように使うんだ。そのとき同時に、ここにあるループを回す、連続的にね。16本は無理だが、8本なら大丈夫だ」スタジオには8トラックのミキシング・デスクがあった――前にも説明したとおり、我々のテープ・レコーダーは一度に4トラックしか扱えないのだから、何とも皮肉なことだ。
 そのとき私がしなければならなかったのはテープ・レコーダーを8台捜してきて、それぞれの台でテープ・ループを回すことだった。

雰囲気と音像を造り出す

ダブル・トラッキングの初期の型を考案したのはケン・タウンゼンドだ。(略)2台のテープ・マシンを使い、どちらも配電線で供給される電力ではなくて、ある特定の周波数を出す発信機で動かす。そうすることによって、マスター・トラックとコピー・トラックはだいたい同じようにロックされるのである。(略)
私はジョンに、録音された彼の声が「ふたつに分けられた派手なフランジで特別に処理されるんだよ」と慎重に説明した。「きみの声が二重になるんだよ、ジョン……」やがて彼は私にからかわれていると気づいたが、あとになっていつもこう言いだしたものだった。「ジョージ、この辺で声をフランジ処理したらどうかな?」
 それから何年もたってアメリカヘ行ったとき、私は地方のレコーディング・エンジニアがこの言葉を使うのを聞いた。「その言葉は?」と彼に尋ねた。「ああ、これは」と彼は答えた。「テープ・リールの縁(フランジ)を親指で押すと得られる効果でね……」彼が何を考えようと、私にはわかる!(略)
 ビートルズがポピュラー音楽の慣習に反抗的になりはじめてから、私もより楽しいことを自由にできるようになった。実験したり音像を造り上げていったり、歌にふさわしい雰囲気を作ったりと、すべて私の好きなことばかりだ。(略)
 雰囲気と音像を造り出す……これは私の得意なことだった。ビートルズが出てくる前から、私はたくさんこれをやってきた。1962年にパーロフォンは〈タイム・ビート/ワルツ・イン・オービット〉というシングルを発売した。これは電子音を編集したもので、作者は“レイ・カソード”という人物だった――私である!(略)
[BBCのレイディオフォニクス・ワークショップという実験音部門のエンジニア達は]自分たちが触れられるものならどんなものでも使って、風変りな音を作ることにすべての時間を費やすような連中だった。彼らは、発振器や変速テープ・マシンといった(彼らにとっては)標準的な機材を持っていたが、さらにはかなり具体的な音楽をも楽しんでいた。牛乳びん、古いパイプ……《ブルー・ピーター》は彼らにとって朝飯前だ。彼らを有名にした最大の功績はロン・グレイナーとの共作で、これは『ドクター・フー』のために驚くべきテーマ音楽を生み出した。
 レイ・カソードが登場したのは、ワークショップが考案した純粋に人工音だけのリズミックなトラックに、生のミュージシャンを少し加えたいと私が思ったからだ。それはまぎれもない失敗作だった。だが、なかなか興味深い失敗作でもあった……とにかくそこから何かを学んだのだから! 私がレコーディングしたピーター・セラーズのトラックも音像を構築する訓練になった。例えばあるトラックでピーターは、批評家集団遊びをした。それはつまり、それぞれ違う声をした5人のピーターを作り出さなければならないということだ。私たちはステレオ・レコーディングの中央にひとつの声を置き、両側にふたつずつ置いて、彼らの“一団”がたがいに話し合っているような錯覚を与えた。

〈フィクシング・ア・ホール〉

 面白いことに、そもそもポールがベースを弾きたがったことは一度もなかった。ほかになり手がいなかったのでビートルズのベーシストになったまでだ。(略)
 ビートルズの中ではポールが一番ミュージシャンとしての才能を持っていた。初めて会った頃、彼はピアノをまったく弾けなかったのだが、それから〈レディ・マドンナ〉までは本当に短時間だった。(略)
また、リンゴを含むほかの誰よりも技術的にうまくドラムを叩くことができた(ただし、リンゴは彼のキットから独自のサウンドを叩き出すが、ポールにはそれができない)。(略)
 〈フィクシング・ア・ホール〉は《サージェント・ペパー》のレコーディング中、初めてアビー・ロードを離れた作品だった。(略)[ポールは]譜面を書けなかったので、歌詞と2、3のコード・チェンジを走り書きする程度で、あとはそれをレコーディングする以外、その歌をしっかりと覚えておく方法がなかったのだ。(略)
[アビー・ロードが空いていなかったので]ポールがやる気になっている間に、大急ぎでスタジオを捜さなければならなかった。我々が見つけたのはトッテンハム・コート・ロードにあるリージェント・サウンドというスタジオだった。そこはポピュラー音楽業界の中心地にあるデモ用のスタジオでしかなく、天井の低い小さな箱のような部屋だった。
(略)
 どのような歌にしていきたいかということでいえば、ジョンも必ずいいアイディアを持っていた。ただ彼の場合、頭の中にイメージするものがあっても、それを具体化するためのいいアイディアを、必ずしも持っていなかったのである。ポールのほうがずっと自分の求めているものが鮮明だったし、具体的だった。ジョンはどういう雰囲気の歌にしたいかを私に話すのだが、ポールはこの場所にチェロを入れたいとかトランペットを入れたいという具合に言ってくるのだ。したがって、結局のところジョンは十分に思いどおりのものが得られず、不幸せな結果に終っていたかもしれない。
 ある意味で《サージェント・ペパー》はユートピアである。ジョンは超現実主義者だが、同時にいつも即席のユートピアを求めている。彼は矛盾を孕んだ男だった。夢の中で聴こえたと思ったものが、現実の世界では決して彼の耳に聴こえてこないのだ。我々が聴いたものは、私やビートルズの残りの3人の解釈によるジョンが求めたものだったのである。だからいつも彼自身が思い描いていた完璧なものには達し得なかった。それはある点で、たぶん私の失敗であった。

ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト〉

収集魔のジョンはセヴンオークスのアンティーク・ショップを漁っているうちに、偶然、古いヴィクトリア時代のポスター[1843年のサーカスの広告]を見つけた。(略)
歌に出てくる名前はすべて、その古い上質皮紙に書かれていたものだ。双子のヘンダースン、パブロ・ファンキス、ミスター・カイト……などなど、詞のほとんどがそうだ。
 「本当にカラフルなサーカスの感じが伝えられるといいんだけどな」とジョンは私に言った。「タイツ姿のアクロバット、動物の臭い、メリーゴーラウンド。おがくずの臭いを出したいんだよ。ジョージ」
(略)
手回しオルガンのような音にするのがよいことだけは、私にもわかっていた。そこで私はジョンに、ほかにアイディアがないかどうか尋ねた。すると彼は、とても風変りな答を返してきた。「『ザ・マジック・ラウンダバウト』っていう子ども番組の音楽があるだろ、あの音が大好きなんだ。すごくシンプルなんだけど、最高だ」それはラッパを吹き鳴らしたような騒々しいサウンドだった。ジョンは子ども番組が好きで、ちょくちょく観ていた。(略)
私はスティーム・オルガンを捜した。1967年にはまだあったのだ。私はそれを手に入れ、伴奏で使うことを考えて、とても興奮した――すごいぞ!(略)
[しかしパンチカードによる自動ピアノのようなもので]
 我々のオリジナル・パンチ・カードを作るのはとても難しそうだった。時間もすごくかかるだろう。ジョンはそれを購入するべきだと考えた。(略)
[現実的になってスティーム・オルガンを使ったレコードを捜せるだけすべて集めてみたが、殆ど軍隊行進曲でイメージには合わない]
「ぼくたちがやるべきことは、オルガンとマウス・オルガンで、どこにもないバック・トラックを作り上げることだよ――上下するような感じの音を」私たちはさっそくハーモニウムだけを使って始めた。ハーモニウムはアビー・ロードの家具の一部になっている獣みたいに大きなオルガンに似た楽器だ。これが始まりだった。それから、ハモンドとロウリー・オルガン、それに最愛のローディ、マル・エヴァンスが吹く大きなバス・ハーモニカを使って特殊効果を重ねていった。ジョンも私も大喜びで、互いに相手を中断させながら、夢中になってオルガンの走句を探った。
 “そしてもちろん、馬のヘンリーがワルツを踊る……”という歌詞の少しあとに来たところで、ジョンは音楽をぐるぐる回して、馬が輪になって踊っているその中に人々を連れていきたいと言い出した。そのためにどうすればいいかはわかった。半音階の装飾音を連続して急ピッチで弾くのだ。それは私が弾かなければならなかった。ジョンはそこまで上手にピアノを弾けなかったからだ。ところが、いざやってみると、私にもできなかった!(略)
[1オクターブ下の演奏を半分のスピードで録音し通常再生で解決]
 ジョンももう1台のオルガンを一緒に弾いた(略)彼は“ウーンパッパッ”をくり返していただけだった。それはとても素敵なサウンドに聴こえた。だがまだ何か足りなかった。何かはわかっている。カリオペ、スティーム・オルガンである。(略)
[二分ほどの録音テープを細切れにし再度つなげる]
この奇妙な方法によって我々は、スティーム・オルガンのレコードのいろいろなパート――それぞれ1秒程度のものだ――で、いわばパッチワーク・キルトを作ったのだ。たくさんのさまざまな部分がぐるぐる回る。それを聴いてみると、混沌とした音のかたまりになっていた。元の曲を特定するのはまったく無理だったが、間違いなくスティーム・オルガンの音だった。完璧だ!我々の求めていた遊園地の雰囲気が出ている。ジョンはわくわくしていた。(略)
ティーム・オルガンの音は潜在意識に印象づけるものでなければならなかった。私はそれらが前面に出てこないように気をつけ、なおかつ聴き取れる程度に保った。

バッド・トリップ

[〈ゲティング・ベター〉のアレンジ打ち合わせ中、ジョンが気分が悪いと言うので、屋上に連れて行くと]
ジョンは深く息を吸い込み、その拍子にからだがふらついて、ビルの端のほうへ2歩踏み出した。私はあわてて彼の腕をつかんだ。下まで優に50フィートはある。ジョンは私の腕に寄りかかるようにして、ふたりで少しそこに立っていた。「気分がよくなってきたよ」と言って、ジョンは星を見上げた。「ワーッ……見てごらんよ! すごいじゃないか!」
 私は彼の視線を追った。星は確かにきれいだし、数え切れないほど空に散りばめられているように見える――だが、そんなに言うほどすごい眺めではなかった。そのように大袈裟なことを言うのは彼らしくなかった。私は彼を見つめた。彼は感覚が鋭くなり、からだを揺らし、人間音叉のように共振していた。(略)ジョージとポールが屋上に駆け上がってきた。ふたりは、我々の居場所を知るや否やスタジオを飛び出してきたのだ。
 ふたりはジョンが気分を悪くした理由を知っていた。ほかのみんなも知っていたのかもしれない――父親のようなこのジョージ・マーティン以外は。
 非常に単純なことだった。ジョンはLSDでトリップしていたのだ。誤って服用してしまった、と彼らは言った――彼はアンフェタミン錠剤を飲んだつもりだった、と。率直に言って、どちらも大して違いはない。
 ジョンは自分が飛べると思っていて、屋上の低い手摺りから今にも身を乗り出しそうだった。ジョージもポールも怯えきっていた。(略)
 それから何年もたって、私はポールとあの晩のことを話した。ジョンと私が屋上にいると知って、ジョージとポールは震え上がったそうだ。ふたりはジョンがいわゆるバッド・トリップしていることに気づいたのだ。

次回に続く。