忘れがたき日々 ジョン・レノン・インタビュー

歌詞の一節をこうやって日本語で読むと、やっぱりネイティブみたいには理解できてないんだなあと実感。

忘れがたき日々 ジョン・レノン、オノ・ヨーコと過ごして

忘れがたき日々 ジョン・レノン、オノ・ヨーコと過ごして

 

僕の話を聞いてくれる人、誰かいるかな?

 「僕の話を聞いてくれる人、誰かいるかな?/ふらりとやってきて僕の心に居着いてしまった女の子の話を」(「ガール」)
(略)
「人はいつもほんの一部しか見ないけど、僕は全体が見たい……自分の人生だけじゃなくて、宇宙全体、このゲーム全体をね」。
(略)
[「マザー」の]一行目「かあさん、かあさんには僕がいた/でも僕にかあさんがいたことは一度もなかった」は、力みがなくてひょうきんな「ノルウェーの森」のオープニング「あるとき僕には一人の女の子がいた/いや、彼女には僕がいた、というべきか」とみごとに共振する。
(略)
「卓球が好きな人もいれば、墓を暴くのが好きな人もいる……今ここにいなくて済むならなんだってやる人もいる……僕は昨日なんてものは信じない」
(略)
「僕は王様になりたいわけじゃない。リアルになりたいんだ」
(略)
「孤独」でジョンがヨーコとの関係を歌ったとおり――「ただの男の子と女の子が/世界をまるごと変えようとしている」。その旅に、彼はいっしょに行こうとみんなを誘った。

「インスタント・カーマ」

でも僕はたしかにあの夢を見た。(略)
ジョンが最初に口にしたのは、ダコタ・ハウスの一室での最後のインタビューと同じ、「急がなくていいよ、時間はいくらでもあるんだから」。夢の中のその一瞬で、僕はジョンの「労働階級の英雄」の最初の二行を思い出した。(略)
「おまえは取るに足らないちっぽけな存在、生まれたときから奴らはおまえにそう思い込ませる/時間をまったく与えないことで。時間ならいくらでもあるのに」(略)
ジョンが僕にこう言った。「今ここで、なにを僕に歌ってほしい? 最初にぱっとなにが浮かぶ?」。そこで僕はこう応えた。「「インスタント・カーマ」」。すると彼は僕のために歌い出した。そして「どうして僕たちはこの世界に存在してるのか?/痛みや恐れを抱きながら生きるためではないはずだ」と歌ったところで、彼は僕をじっと見つめた。僕がちゃんと聞いていることを確認するかのように。その瞬間、僕は目が覚めた。

「カム・トゥゲザー」

1960年代のサンフラシスコ・ベイエリアでは、僕だけでなく多くの人の人生が、真の意味でドラマティックに展開しようとしていた。ボブ・ディランの「ブルーにこんがらがって」にならえば、どこへ行っても「夜のカフェでは音楽が鳴り/革命の空気が流れていた」(略)
 とにかく誰もが互いのことを、こいつはすごいんじゃないか、と思っていられる時代だった。(略)「きっとかっこいいに違いない、その姿はなかなか見えないんだから」(「カム・トゥゲザー」)と。

Give Me Love

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I've Been Good To You

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スモーキー・ロビンソン

[床に座り込んだジョン、床に散らばるむきだしのEP]
 「じゃあこれも聞いてみて」と言ってジョンは次の曲をかけた。ロージー&ジ・オリジナルズの「ギヴ・ミー・ラヴ」、1960年ヴァージョン。「ヘンな曲としては一、二を争うよね」と彼。「ビートがことごとくはずれてて、みんなズレてる。A面はヒットした「エンジェル・ベイビー」、僕はこの曲も大好きだけど、B面は十分くらいで作りあげたんじゃないかな。こんなようにヨーコにもいつも聞いてもらってるんだ。
(略)
 「おっと、これも聞いてもらわなきゃ」とジョンが高揚気味に言う。「これで最後だからさ」。スピーカーから流れてきたのは1961年スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズの「アイヴ・ビン・グッド・トゥ・ユー」のとろけるようなサウンドだった。ビートルズの「ディス・ボーイ」のメロディやコードはこの曲に多くを負っているし、官能的な苦しみを歌ったオープニングの歌詞――「ほらごらん、なんてことしたんだ/君は誰かさんをだましたね」――は明らかに「セクシー・セディ」のインスピレーションになっている(「セクシー・セディ、なんてことしたんだ/君はみんなをだましたね」)。「スモーキー・ロビンソンの声はほんとに完璧だよ」とジョンは言い切り、スモーキーといっしょに、あるいは真似をするように歌い始めた。恍惚と、ゴスペルを思わせる渦巻くような華麗な装飾音をつけながら(ジョンがファルセットで)「「僕を傷つけていることは知ってるんだろ、オゥー オゥー オゥー オゥ オゥー オゥゥゥ……」。ここはノー・ブレスだ! 最高だよね」

「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」「レイン」

すごく時聞かかかった。細切れに少しずつ書いていたんだけど、今、僕たちがしゃべっているような、そんな歌詞にしたかった。たまたま歌ってるんだけど、しゃべってるのと同じような感じにね。一部は大きなスペインのお屋敷で書いて、仕上げたのはビーチだった。とてもロマンティックだったよ。歌って聞かせたりして……そこに誰がいたか、もう忘れたけど
(略)
 たしかにあれは一つの転機だったな。「レイン」がそうだったのと同じように。だって、あのときは偶然逆さまを発見したから
(略)
(歌いながら)リサリングンサワシン――こんな感じかな。だいたいのところをEMIスタジオで録音して……あの頃は録音したものを持ち帰って(略)思い切りハイになって、よるよろしながらテープレコーダーに近づいてイヤホンをつけたわけだ。ところがテープをへんなふうに入れちまって曲が巻き戻しで流れ始めた。僕はイヤホンを聞きながらトランス状態さ。なんだこれは? なんだこれは? 一線を越えたっていうか、分かるかな、もうぶっ飛んだっていうか。とにかくすばらしかった。インドの音楽かなにかのように聞こえたんだ。僕は最初から最後まで、曲全体を逆さまにしたかったんだけど、最後の方だけにしといたよ」
(略)
[「ストロベリー〜」は] 「名前だよ」とジョン。「すてきな名前さ。「イン・マイ・ライフ」ではリバプールのことを書こうと思って、リバプール関係の名前で響きがいいのを、適当に並べてみた(略)
うちの近くにあって、救世軍の孤児院だった。(略)僕にはストロベリー・フィールズのイメージがあって。ほかにもペニー・レインや、新曲の「グラス・オ二オン」で使ったキャスト・アイアン・ショアもそう。いい名前、かっこいい名前っていうだけだよ(略)
「グッド・モーニング・グッド・モーニング」は胸を張れるような作品じゃないと思ってる。やっつけ仕事だったから。でも子どもと結びつくところはあるよ。あれを書いていたのは確かに学校に通っている頃の僕だった。「ペニー・レイン」も同じだよ。ペニー・レインを想像しながらずいぶん盛り上がったものさ。銀行はここ、電車の待合所はそこ、みんなが待っていて、切符の係がいて、消防車があっちで待機していて。子どもの頃を生き直しているみたいだった」

リンゴと「オクトパス・ガーデン」

[『ホワイト・アルバム』のレコーディング中、「もうたくさんだ」と思った]
「ほかの三人はとても楽しそうなのに、僕一人がよそ者のように思えた。それでジョンに会いに行ってこう告げた。「バンドを辞めようと思う。演奏もうまくないし、みんなに愛されなくて、仲間に加われない。君たち三人はすごく仲がいいのに」って。するとジョンはこう言ったんだ。「仲がいいのは君たち三人だろ!」。それで次にポールのところへ行ってドアをノックして同じことを言った。(略)するとポールはこう言った。「仲がいいのは君たち三人だろ!」。その時点でジョージのところへ行くのはやめにした。そのかわりにこう言った。「僕は休暇をもらうよ」。そして子ども達をつれてサルディニアヘ行ったのさ」
 リンゴは俳優のピーター・セラーズのヨットで二週間を過ごした。ある日、船長のセラーズがタラのかわりにイカ(略)を使ったフィッシュ・アンド・チップスを彼に出し、そのまま話はタコに及んだ。「ピーターの話によるとタコは洞窟で暮らすんだけど、外へ出ると海の底を這って、キラキラ輝く石やブリキ缶を探すらしい。そういうのをまるで庭みたいに洞窟の前に並べるそうだ。その頃の僕は海に潜ってみたいと思っていたから、なおさらこの話にぐっときたわけだ。それでギターを何度かいじって、「オクトパス・ガーデン」が出来上がったのさ!
(略)
ほどなくして、リンゴの元にかつてのバンド仲間から電報が届く。そこにはこう書かれていた。「きみは世界一のロックンロール・ドラマーだ。帰ってきてくれ。みんな君を愛してる」。リンゴがアビー・ロード・スタジオヘ戻ってみると、彼のドラム・セットは花に埋もれていた。

ベッド・イン

けっきょくのところ隠すべきものはなにもない、と。ジョンがつけたタイトル(略)(みんななにかを隠してる、僕と僕のモンキー以外は)」そのままだ。「最大の秘密はなにかって?(略)それはね、秘密なんかないってことさ」

ルーフトップ・コンサート

「どこでもいいから言ってくれ。パキスタンでも月面でも――僕はとこへでも行くよ。みんなが僕をがっかりさせない限りはね。これをやってのければすごいことになる。僕たち自身びっくりするような」。
(略)
 代案がないまま、結局は急場しのぎの案となった。五階建てのアップル・コア社屋上で即興のコンサートを開くことにしたのだ。(略)だがそのコンサートでさえ、実現が危ぶまれた。
「始まる十分くらい前まで]とリンゼイ=ホッグは回想する。「ビートルズは階段を登り切ったところにある小部屋で待機していた。でもそのときでさえ、やるかどうかは定かじゃなかった。ジョージは乗り気じゃなかったし、リンゴはこんなことをやる意味が分からないと言い出した。それでジョンがこう言ったんだ。「ったく、いいからやろうぜ」ってね」
 気温が低く、風が強い午後の、吹きさらしの屋根の上。それは、船の上甲板で演奏しているも同然だった。
(略)
ジョンとポールは、再び強い絆で結ばれた兄弟さながらだった。二人がまだ十代で、チャック・ベリーバディ・ホリーに夢中だった頃に作った「ワン・アフター・909」に僕は思わずドキッとして、時間が止まったかのような錯覚に陥った。

正仁親王とヨーコ

ヨーコについてもかなりの分量がさかれている。

正仁親王はどうやらヨーコに幼いながらも恋心を抱いていたらしい。ほかの同窓生としては(略)三島由紀夫がいる。(略)
文章もすばらしくてオスカー・ワイルドを彷彿とさせるところがあった。華やかな男。帰国していた私はあるとき、たくさんの有名人が出席する大きなディナー・パーティに呼ばれたの。私の席は彼の真ん前。なのに彼は私を無視し続けた。私の片側にはジョン・ケージ、もう片側にはペギー・グッゲンハイムが座っていて、三島は二人には話しかけたのよ。とても流ちょうな英語でね。でも私とはディナーの間中一言も言葉を交わさなかった。彼は天井を見上げるばかりで、ひどく不自然な態度だった。その後、彼が私のことを、西洋かぶれの身持ちの悪い女に過ぎないって噂を流したおかげで、私のハプニング・イベントは大きなダメージを受けた。彼の影響力は絶大だったから。でも彼があそこまで狂っているとは思わなかったわ。あんなにすばらしい作家が自殺するなんてほんとうに残念ね」
(略)
[NYに行くことになったヨーコ]
学習院のクラスメートだった常陸宮正仁親王は別れを惜しみ、署名入りの自分の写真とともに、彼女のために書いた和歌を添えて渡した。遠い高波に尋ねてみよう、夢の人は無事でいるか、というような意味の和歌だった。後にヨーコはこう語ってくれた。「彼は信じられないくらい純粋な心の持ち主だった。私たちの心が通い合っていることはみんな知ってたわ。毎朝毎晩、彼は私の幸せを祈ってくれたそうよ」