ユリイカ ケラリーノ・サンドロヴィッチ特集

【対談】宮沢章夫+ケラリーノ・サンドロヴィッチ
 

シティボーイズ

宮沢 シティボーイズは基本、もの[ネタ]を考えるのは意外なことにきたろうさん。(略)ああ見えても、本当はきたろうさんがリーダーなんだよね。実はひとり、年齢が一歳上だし。隠してるけど……

ジュネス企画

KERA (略)当時、渋谷の道玄坂のマンションの小さな一室に会社があって、そこにドンと置かれている棚にフィルムがいっぱいあるんですけど、僕は学校帰り、友達とも遊ばずにそこに毎日通ってたんです。社長がひとりでやってる会社だから、彼は黙々と外国にタイプを打ったりしてるんだけど、僕はただじーっと、そこにあるフィルムをひたすらに眺めてました。そのうちに勝手に8mm映写機を持ってきて、部屋の片隅で上映したりするようになった(笑)。きっと、それもぜんぶ僕が子どもだったから許されたんですよ。そうやって、中学生から高校三年生までそこに入り浸ってました。
 あるとき、芦屋雁之助さんや小雁さんが会社に来て――ふたりはそれぞれホラー映画とミュージカル映画のマニアなんです――、社長と話してるのをそばで聞いてたんですけど、たまにこっちに話を振ってくるんですよ。「ところで君はなんだ?」って(笑)。(略)ソーダ水をおごってもらった

小林信彦

宮沢 (略)KERAと僕では小林信彦に対する評価がちょっと違う。単純なことを言うと、KERAは『世界の喜劇人』が好きで、僕は『日本の喜劇人』が好きっていうね。これはけっこうな違いなんですよ。KERAは“ギャグ”っていうものを純粋に好きなんだなと思う。
KERA そうですね。『世界の喜劇人』は、コメディアン論や作品論を通した、おそらく日本初のギャグの分折書ですからね。『日本の喜劇人』は、半分は人間観察ですよね。自分が実際に接した喜劇人を語るわけですからね。それ以上の強みはないでしょう。小林信彦さんにしか書けなかった一冊ですね。
(略)
宮沢 僕は、『日本の喜劇人』は21、2歳のとき、30回は読んだんですよ。それで、ひとりひとりの喜劇人についての年表まで作った。どうかしてんだよね、この段階ですでに(笑)。そこでハタと気がついたのはね、これって、小林信彦青春の挫折の記録なんだってことだった。これは小林信彦私小説なんじゃないか。だから、やっぱり小説家なんです。日本の喜劇は、アメリカの喜劇が当たり前に持っていた“乾いた笑い”を作ることができない。そのことに対する挫折感とか諦念が、小林さんの基本にある。
 あるとき深夜に、アメリカの批評家が選んだ「喜劇映画ベスト100」みたいな番組をテレビでやってたんだよね。それで、さすがだなと思ったのが、チャップリンよりもマルクス・ブラザーズとバスター・キートンが上位にランクされている。ところが、それでも『吾輩はカモである』は二位なんだ。じゃあ、一位はなにかっていうと、ビリー・ワイルダーの『お熱いのがお好き』なんだよね。これはなにを表しているかというと、いまの日本に照らし合わせてみれば、つまり、KERAや松尾君より、三谷幸喜さんが上にくるっていうことでしょ(笑)。(略)
もちろん、作り手としてのビリー・ワイルダーはすごいけど、僕にはできないですよ。要するに、三谷幸喜みたいには書けない。(略)書かないんじゃなくて、書けないとしか言いようがない(笑)。技術的に、あんなにうまくできないと思ってる。
KERA そうですかね? たしかに三谷さんは抜群にうまいけど、仕掛けとしてはわりと簡単なつくりじゃないですか? 伏線の張り方なんて、とんでもない破天荒なひねりのあるものよりもむしろ定石のパターンのほうがしっくりきたりするし。
(略)
[若い演劇人の「笑い」について]
KERA (略)書く方はともかく、演者のスキルは一時期より低下してると感じます。(略)「やり方ひとつでいくらでも笑えるものになるのに」ともどかしく感じることは多いですね。(略)笑いの勘みたいなものについては、きっとそれを下の世代に伝承してゆくシステムが途絶えてしまったんだろうとも想像します。そこには「観客が笑いを求めなくなった」という単純な要因があるのかもしれません。
宮沢 舞台においても、テレビ的な笑いが、むしろ主流になってるところはあるのかもしれない。僕らが始めたころは、テレビの笑いも、ある種類の芸人さんもつまんないっていう前提があったんですよ。それをどうやって壊していくかって気持ちが強かった。
(略)
いまであれば笑いをやりたかったら吉本とか人力舎とか、ああいうところに行くってことになるのかなあ。学校もあるし。それはそれで正しいと思うけど。

ナゴム座談会】大槻ケンヂ+直枝政広+まゆたん

[人選はKERAと聞かされ]
大槻 たぶん、創成期を知ってる人(大槻)と、ファン目線の部分もあった人(まゆたん)と、あとは音楽的にいちばんまっとうな人(直枝)。そういうことですよ。いや、まゆたんはまっとうだけどさ。
(略)
[すきすきスウィッチの「おみやげ」を「勝手に歌った」とKERAが佐藤幸雄に怒られたという話から]
大槻 KERAさんはたしかにそういうところがあって、当時、僕の学校の先輩がローションズっていうバンドをやっていたんですけど、どうも初期有頂天の曲は、かなりの曲がローションズの曲なんですよ。(略)
直枝 気持ちが先走って、好きだとやりたくなっちゃう(笑)。悪気はまったくないんですよね。
(略)
大槻 KERAさんのいいところはね、笑ってくれるところ。KERAさんって、これは酷いっていうことでも、たいがい「アハハ!それおかしいよ!」って笑ってくれるんですよ。そうするとこっちも乗っちゃうでしょ。それで悪乗りの連鎖が始まる。空手バカボンもその延長線上でしたね。(略)KERAさんって、生まれて初めて自分の表現を評価してくれた人だったと思うな。(略)
直枝 僕もそうでしたね。知らない人がいきなり来て、自分のやってることを「それいいね!」って褒めてくれた。「こっちおいでよ」って言ってくれたのがKERA君だった。
(略)
大槻 (略)我々は脇の変なところで売ってるような感じですよ。だから正直に言って、カーネーションナゴムにいちゃダメだよ!って思ってた(笑)。KERAさん、ちゃんとした人たちをそそのかさないで!ナゴムは空バカと木魚でいいじゃん!って思ってましたよ(笑)。(略)
格闘技で例えるとね、佐山聡っていう初代ダイガーマスクがいて、たしかに才能があってすごいんだけど、ありすぎてちょっと先走っちゃうんですよ。まわりが「おいおい、待てよ……」っていう感じになって孤立していくところがあったんだけど、KERAさんにもちょっとそういうところがありましたよね。KERAさんはあっちに面白い人がいる!ってなるとどんどん呼んできちゃうし、こっちで面白いライブがあるって聞くと出るって決めちゃうし。そうやってひとりでどんどん進んでいっちゃうから、まわりがついていけないなってことはありました。だから、その後劇団をあんなに大きくしたのには驚きました。
(略)
[今でも昔の印象と変わらない、行動的なとことか、という話から]
直枝 (略)当時、KERA君と毎週電話で熱く語ってたことはいまでも思い出すし、初めてレコードができて、恵比寿のウェンディーズで待ち合わせをしたときのこともよく憶えてるんです。真夏の暑い日に(略)「直枝さんできたよー!」って、汗だくだくで紙袋に入れた大量のレコードを両手でぶらさげてやってきたの。そこから取り出した何箱かをくれて「あとは自分たちで売ってお金にしてね」って言い残して、KERA君は「新宿の帝都無線にレコードを置いてもらってくる」って去っていった。その姿ばっかり憶えているんですよ。かっこいいなあって思った。そういうのがいまもずっと続いてる感じが伝わってくるんです。Twitterなんか見てると、あの人、ずっと動いてるでしょ。書いたり考えたり、止まることをしないから。
(略)
大槻 これはみなさん同意してくれると思うんだけど、「KERAさんじゃしょうがない」って思わせるところがある。それが面白いところですよね。そこが魅力、っていうのとはちょっと違うんですけどね(笑)。(略)
KERAさんが言うんじゃしょうがない、むしろやってやろうって気持ちにさせてくれるところがあるんです。(略)
[日本ロック界はヤクザ型の縦社会なとこがあるけど、ナゴムは横社会]
誰もKERAさんのために盾になって死のうっていう人はいない感じがあったわけですよ。(略)
いまでも語りぐさなんですけど、ナゴムにほとんど関わっていない、当時電気グループのまりん(砂原良徳)さんが、KERAさんがあるバンドマンにからまれたときに、「KERAさん逃げて!」って盾になったんです。……KERAさんをいちばん守ろうとしてくれた人がナゴムじゃないまりんさんだったっていう(笑)。
(略)
実はKERAさんって、異様にヘビーメタルを嫌うんですよ(笑)。ハードロックが嫌いなんですね。だから有頂天と対バンしたいんだけど、KERAさんは筋肉少女帯が嫌だろうから誘えないなって。(略)
KERAさんの映画では『グミ・チョコレート・パイン』がいちばん良かったな。(略)あれは俗っぽい面が出てていいよね。KERAさんがひとりでどんどん作ると、ウディ・アレンになっちゃうからね。