まんが学特講・その2 「くそリアル」不要論

前回の続き。

さいとう・たかをは元祖BL?」といった話や 

まんが学特講  目からウロコの戦後まんが史

まんが学特講 目からウロコの戦後まんが史

 

現物を描くことに対する拒否反応

『ホモホモ』で任天堂のロゴの入った花札を描いた時の話に戻るんだけど(略)あの時に編集者がクレームをつけたのは、著作権云々ではないと思うのです。(略)要するに写真の通りに描いたので、ものすごくリアルだったんです。一枚一枚が。それに対する恐怖……と言うとわかりにくいかもしれないけど、まんがでそこまで現物を描くことに対する拒否反応。そっちの方が強かったと思う。
(略)
それが今は自販機からコトンと出てきたのがくそリアルな缶ジュースという。(略)
絵でもビールのラベルやガラスの質感まで出してね。缶ビールだったらトーン削ってアルミの質感を出して、メーカーから何から全部わからせて、ロゴまでしっかり入れて、そんなもん何でまんがに必要なんだと俺は思うわけですわね。俺は美術高校でしたが、空き缶を描いた時でも、そういうロゴを入れると先生が叱るわけです。
――ロゴを写し取ることは、ものの形や質感、光の当たり方を捉えるのとは根本的に次元の違う……。
 そう。で、それらしく、文字があるように仕上げていけと。
(略)
 だから俺はリアル缶ビール、リアル缶コーヒーが雑誌まんがに出た時に、気色悪いという思いがあった。それと同じものを当時の『ホモホモ』の編集者は感じたんだと思うね。だから「現実ではないものに替えろ」という台詞になるんだろうと。
――まんがの中に「現実」があったらおかしいんだっていう……。
 あの時代では、あの『ホモホモ7』の扉絵の花札でもそれまでのまんがにないくらいリアルだったのよ。今見たらたいしたものじゃないけど。もちろんその後の時代のまんが家は、麻雀牌も花札もよりすさまじくリアルになっていくけど。
(略)
――本来、絵におけるリアルっていうのは、コップの質感をどう表現するかっていうリアルですよね。それはコーヒー缶を描くんだったらラベルとか商標とかロゴを全部描かなきゃいけないリアルとは違う種類のリアルですね。(略)
[大塚原作の]まんが担当田島昭宇が勝手にキャラクターにつけさせているアクセサリーが特定のブランドのやつらしくて、「そのアクセサリーをしてるからこのまんがが好きなんだ」っていう読者が、かなりの数でいますもん。(略)
そういう正確さが、今はまんがの中の「リアル」を作っているところがあるわけですね。「記号」としての「らしさ」からくるリアルじゃなく、「情報」として正確か、どういう「情報」を持ってくるかっていうリアル。
(略)
 まんが家がそんなものを一生懸命に描くなんていう発想が、そもそもまんが家の側になかったわけ。俺らの時代まではね。(略)
平田弘史は大工と喧嘩するくらい細かいところまで入れるから、確かに作品の中で建物が生きてるよね。
――でも、そうやって写実的に描く、いわば絵画的にリアルという水準と、今度はロゴまで描き込むリアルとの間には、やっぱり一線があるわけですよね。
(略)
 最初に劇画が追求してたのはそっちじゃなかったんだよ。
――ええ。だから今のまんがは劇画の求めたリアリティとは全然違うわけですね。
 なんで商標まで描かなきゃいけないんだろう?
――うーん、一つには単純に間違ったものを描いちゃいけない、っていう意識がすごく強いみたいです。何か「正解を描かなきゃいけない」っていう意識が、まんが家の中にありますね。「正解」イコール「正確」イコール「リアル」みたいな。
 まんがにそんなものを求めるべきではないのにね。いちばん求めちゃいけないジャンル。

さいとう・たかをは元祖BL?

さいとう・たかをに妙なホモっぽさがあるって話はしたよね?(略)[初期の代表作の『天国でオハヨウ』]を読むと今は別れた嫁さんに当時どれほど惚れてたかってことがわかります。
――(略)奥様であられたセツコ・山田さんが描いた美青年キャラクターを、さいとう先生がそのテイストを生かして自作のハードボイルドもののキャラクターにうまく描きかえています。つまり、さいとう先生の男性キャラには少女まんがのベースが実はあるってことですよね。そこまではわかります。でも言っちゃったら、この美青年の「男と男」の世界は(略)[BL同人誌の]美青年同士の台詞のやりとりに似たものを感じたんですけど。っていうか、「俺は……いつも一人で居たいんだ……孤独……」とか何だよって。(略)「好きになりかけてたぜ、おめえの事……」(笑)。心と心でBLをやってる。
 コミティアセツコ・山田さんに会った時に聞いたんですけど、やっぱり昔は少女まんがをやりたがってたと。
――えー、さいとう先生がですか?
(略)
[さいとう自身が]前から言ってますけどね。こういう気分を描くことは当時の少年まんがでは不可能です。(略)少年まんがには主人公の内面とか生活感、喜怒哀楽を描くコマは存在しないんです。それは少女まんがにしかなかったんですよ。(略)女々しい詩もたくさん書いていたと奥さん言ってたし(笑)。自分の劇画でまんが家になっていくとしたら、少年まんがは閉ざされている、少女まんがしか私が行く道はないんだ、とさいとう・たかをはなかば本気で考えていた。
(略)[女性目線の入った男性キャラが]入ってさいとう・たかをはまた一皮むけたんです。(略)とにかく、劇画は少女まんがから発生しているという事実は、日本のまんが史を語るうえで絶対に落としちゃいけないことです。

岩田専太郎の影響、モノクロ美

まだまんががポンチ絵扱いの時代はみんな挿絵画家にあこがれたわけ。特にリアルで当時新しい挿絵は岩田専太郎が最初だったから、みんな真似した。それはまんが史において欠かせない。(略)
 岩田専太郎が何の影響を受けたかというと、オーブリー・ビアズレーですから。で、ビアズレーが何の影響を受けたかというと、日本の絵画なのです。(略)
[岩田]以前は、読者や子供を引き付けるには色がついてる方が当然いいわけです。ところが岩田専太郎から白黒でもつ時代になるんです。で、印刷に金がかからない白黒の方に全部行ってしまった(略)
今のまんがの白黒文化はビアズレーから岩田専太郎経由で来てるの。ビアズレーが輸入されていなければ、浮世絵のようなカラーまんがの時代が来てたかもしれない……。カラーじゃないと絵ってもたないからね。

白土三平に影響を与えた「格好いい」決闘シーン

「格好いい」の生みの親は?

[「冒険王」付録『マンガの書き方』を見せ]貝塚ひろし望月三起也の作品で劇画の雰囲気を一生懸命出してるけど、劇画作家をここに持ってくるわけにはまだいかない時代です。(略)本家のさいとう劇画はきつすぎて使えない。それで少年まんがをさいとう・たかをふうにやらせているという、微妙な時代です。(略)さいとう・たかをにしてみればむかむかする時代ですね。(略)ここで「主人公は、かっこよくかきましょう」という台詞が出てくる。さいとう・たかをが出る以前は「かっこよく」という言葉はまんがにありません。(略)「かっこよく」という言い草になるのは、貸本劇画でのさいとう・たかを等が築いたものです。
――じゃあ手塚先生の主人公は「かっこよく」ではなかったんですか?
 そういうことですね。ただ手塚治虫の『週間探偵登場』に冷酷な殺し屋が出てくる。あれが日本最初のハードボイルド・タッチのまんがでしょう。(略)あの時代はまだ手塚治虫に貸本劇画の匂いはないと思う。でも、兆しとしては手塚治虫が全部先にやってるんだわな、さいとう・たかをよりも。(略)白土三平にも100%影響を与えた『複眼魔神』の決闘シーンね。誰もいない中でシーンとしながら格闘を表現している。あれは明らかに格好いい。「格好いい」という言葉は一切出てこない(略)けれども、すでに手塚治虫の世界では格好いいニュアンスがガンガン出てるわね。(略)白土三平にしかわからないわけ。極端に言うとね。まず、ヒーローという概念が無くて、それを「格好いい」まで昇華させたのが手塚治虫。それこそが王道だとなったのがさいとう・たかを。それで日本の独特のストーリーまんがができあがっていく。

姿三四郎からデヴィッド・ボウイ、そしてフェラチオ

 男主人公は姿三四郎を踏襲していくしかないわけです。(略)それは少女まんがも全部そうなのです。男の登場人物はみんなそう。一本気でスカッとしてて、清潔で、少し単純で。だから『あしたのジョー』が始まる以前に何があったのかということを、今言わなければいけないんです。昭和四十年の切り替わりを。映画で言うと、「ウエスト・サイド物語」の主人公のトニーですらも、姿三四郎タイプを持ってきたわけです。つまりハリウッドですらそうだった。(略)そうしたら大コケにコケる。で、脇役のジョージ・チャキリスとタッカー・スミスに女の子の人気がガーッと集まって、その時のショックがそれ以降に変わるわけでしょ。1961年です。で、これまでの加山雄三的な二枚目はもう通じないのか、と頭を抱える。
(略)
本当は第二、第三の姿三四郎が出るはずだったわけ。ところが、それが[戦争で]「忠君愛国」でなければならないという軍閥の方針によって、方向を閉ざされる。(略)
 いちばんかわいそうなのが山本有三路傍の石』の吾一少年ですね。人間形成小説を書いている途中で、どんどん軍部の検閲が入ってきて、ペンを折る。戦後なんとか書き直そうとしたんだけど、今度はニヒリズムシニシズムが入ってくる。もう主役は「眠狂四郎」とか「座頭市」。眠狂四郎なんて第二次大戦の悪夢でどうしていいかわからなくなった人たちだよね。それを何とか福井英一が『イガグリくん』で姿三四郎を取り戻して、それを引きずったのが梶原一騎ですね。人間形成小説をそのまま引っ張ってきた。だから『あしたのジョー』もそうなりかけてたんです。特別少年院にいる間は。
(略)
「地球に落ちてきた男」のデヴィッド・ボウイ。それから「アラビアのロレンス」のピーター・オトゥール。この二人のホモっぽいヒーローが出てきて初めて日本の少女まんが家たちは、「姿三四郎はいらないんだわ」になる。(略)
 その流れの中で萩尾望都さんも目覚めていくわけです。それをさらに一般向けにエスカレートさせたのが竹宮恵子。彼女も『風と木の詩』以前の『スーパーお嬢さん』なんかでは姿三四郎が恋人です。
(略)
[72年封切りの『ディープ・スロート』以前に]松本零士が「まんがゴラク」の『聖凡人伝』でフェラチオという素晴らしい性技を導入して、性風俗が変わりますから。(略)あれで「まんがに載せていいんだ」となったわけで。(略)
[『花と蛇』では責めとして出てきたフェラチオが]あっけらかんとテクニックとして日の目を見たのは松本零士先生のおかげ。まあ松本零士は「佐土魔造」のペンネームで「SMファン」なんかにも巻頭イラストを描いてるからね。
(略)
[『ホモホモ』連載終了前後、飲み会で山上たつひこと遭遇]
俺を見るなり『ホモホモ』をべたぼめしてさ、「僕はもうシリアスまんが、描きません。『ホモホモ』みたいなギャグをやりますから見て下さい」って言うの。それから一年ほどして『喜劇新思想大系』が始まり、あとは皆さんご存知の通り。『がきデカ』ブームが吹き荒れてギャグまんがの流れが変わったでしょ。

下段右がフェラチオシーン

植木等

『ナマちゃん』や『ひみつのアッコちゃん』の生活まんがから、『おそ松くん』に一転するまでの間に『スーダラおじさん』があるんですよ。(略)
滝田ゆうにも影響を与えます。滝田ゆうは「スーダラ気分」と最悪の暗い「ガロ」路線をビシッと一人の人間の中に凝縮したんです。

西谷祥子

「ちょっと泥臭い日本文学」ふうというのは、西谷祥子からスタートするわけだね。(略)[初めて越境したため]文学からの排撃も受けるわけです。(略)少女まんが家で文学側からがちゃがちゃと言われたのは西谷が初めですよ。
(略)
 山田詠美については、高信太郎が「SMモデルであった過去は明かしても、元まんが家であったことは明かさない。そのくらいまんが家の社会的地位は低いんだ」と言ってた(笑)。(略)
西谷祥子の評価の低さは可哀想すぎるかなと思うけどね。でも水野英子ら御三家の存在を知っている俺らの世代にとっては、西谷祥子は異質なものが入ってきたという気がないことはない。これが少女まんがに入ってきたら少女まんがが大変なことになる、ということはわかった。それはだけど、少年まんがの中に梶原一騎が入ってきた時、「これが主流になるの、困るな」と、俺が思ったのと同じことであって。(略)
それまでは、脱ぐなら脱ぐだけの大変な決意というのがあったわけだけど、いわゆるお色気のモンキー・パンチのように足をぴゅーっと描いても平気、ということを少女まんがでガンガンやり出しだのは西谷祥子ですから。それに対しての先輩作家の憤りっていうのは、それはよくわかる。

あの時代(1950年代後半から60年代前半)

[水野英子が「BSまんが夜話」で]「当時の少年まんがはレベルの低いものだった。人間の喜怒哀楽を描こうとするのは少女まんがしかなかった。あの時代は少年ものと少女もののレベルは違う」と言ってる。ところがその一方で(略)[水野も含め]女性作家が「少女まんがなんかつまらなくて、少年まんがばかり読んでました」と言ってたんですね。相反することを同時代の作家が語っていて、それを何の不思議もなく受け止められます、この私の世代は。
(略)
 アクションとかで女の子がワクワクするものは、確かに少年まんがにはあったということですね。少年であるということに対するある種のあこがれというか。

おわりに

(略)[松本正彦]が『劇画バカたち!!』で見せた、乗客の少ない電車内での、揺れに合わせた昭和三十年代の吊り革の描写や、真夜中の踏み切りでの「ちんちんちんちん…」という書き文字だけのドップラー効果、老残の漫画家のあたる火鉢に吸殻が林立しているリアルさなどは、対談で述べた現代まんがの、アルミ缶や紙幣のリアルさの追求とはまた違った、オルタナティブな「劇画表現」の追求なのであった。また、両氏[辰巳ヨシヒロ、松本]やさいとう・たかを等の草創期劇画もやはり『新寶島』を起点に持つ「手塚の子供たち」だった事も確認できた。ただ驚いたのは、私は対談の中で再三「手塚まんがの、僅か数ページに凝縮されたドラマ性、名人芸」を評価しているのに対し、辰巳ヨシヒロ氏は「雑誌に移ってからの手塚作品は、少ないページに無理やり話を詰め込むため、赤本単行本時代のゆったりしたコマ割りが無くなってしまい、読む気がしなくなった」と述べている点である。世代時代によるファースト・コンタクトの違いはこのように180度の価値観の差を生み出すもので、まんがを論じる人間は常に「自分の年代、立ち位置」を明確にしておかないと、不毛の争いや、誤解を招く事もあるのだと、肝に銘じておくべきなのであった。(略)