吉本隆明〈未収録〉第9巻 物語とメタファー

  • 荒地派について

[四季派の立原道造三好達治とかの抒情詩みたいなものが詩だと考えて育った年代だったので]
荒地の詩が出てきたときにびっくりしたわけです。(略)
現実に対するさまざまな体験というのをだんだん重層化して重ねていって、現実の体験に対する内面的な反応、あるいは内的体験を積み重ねていくということ自体が詩の言葉になってしまうということがものすごい驚きであって、このように詩というのは書けるものかというのをとても新鮮な驚きとして感じたわけです。
(略)
[鮎川信夫の「アメリカ」は]

それは一九四二年の秋であった
「御機嫌よう!
僕らはもう会うこともないだろう
生きているにしても 倒れているにしても
僕らの行手は暗いのだ」
そして銃を担ったおたがいの姿を嘲けりながら
ひとりずつ夜の街から消えていった

というようにして始まります。こういう言葉が詩になるのか、それからこういう体験が詩になるのかということは、三好達治の詩からも立原道造の詩からも想像することができないわけです。
(略)
[もうひとつは]一種のコラージュの手法というのが詩でできるのだということがやはりたいへんな驚きだったのです。(略)「御機嫌よう!(略)僕らの行手は暗いのだ」という、詩の中ではかぎ括弧になっていますけれども、つまりこれはトーマス・マンの小説の中の言葉です。これを鮎川さんが、云ってみればはめ込んでいるわけです。(略)所在不明なコラージュの文句がみんなかぎ括弧でたくさん引用してあります。
 それで、全部それが長編詩の中の一こまになっています。こういうことが詩でできるのかということがたいへんな驚きでした。
(略)
もうひとつ、詩というのは意識と無意識のひとつの流れであって、流れから始まって流れが終わったときには終わってしまいます。もっと違う言い方をしますと、内面的な持続というものが終わったときには一編の詩が終わってしまう。それで内面的な持続というのをある言葉を契機にして始められたら詩が始まる、あるいは詩が作れる。これは四季派の三好達治の詩でも立原道造の詩でも、中原中也の詩でもそうです。半ば無意識的に最初の言葉さえぶつけられれば、つまり出てくれば、そこから意識の持続といいましょうか、内面的な持続というのがあるかぎり、言葉で表現できるかぎり詩は成り立っていく。そして持続が終わったときに詩が終わる。
 そういうものが一般的に詩と考えられるとすれば、もうひとつ荒地の詩人たちが日本の詩の中にもたらした方法というのは何か。どう云ったらいいのでしょう、推敲可能な詩が書けるということです。
(略)
 もちろんこれは立原道造もやっています。立原道造の詩をすっと読んでみるとそんなことはやっていないように見えます。半ば無意識のように見えるわけです。一種の意識の持続の流れというものが詩なのです。
 ところで、そうではなくて流れを止めるということ。止めて考え込む、あるいは立ち止まること、立ち止まって自分が書いた詩の一行を自分でじっと見てみるとか検討してみるという詩の書き方が可能だということを初めて、少なくとも僕にとっては初めて教えてくれたのが荒地派の詩の特徴だと思いました。(略)
[自分が四季派の叙情詩を]模倣しながら書いてきた詩というのは、いずれもそういう半ば無意識というか、流れだけが問題であって、流れが尽きたときはだめだと、流れの最初の一行が出てきたらそこで続くかもしれないという詩ばかり書いていました。
 そうではないのだ。詩というのは一行一行立ち止まって考えたり、次の行は何にして、こうしたらいいか、ああしたらいいかということを考え込むことが可能だという方法を教えてくれたといいますか、展開して見せてくれたということがまた新鮮な驚きであるし、たいへんびっくりしたことなんです。つまりこれだったらやれる。散文と同じように詩というのはいろいろなことができると考えさせた問題です。

[荒地派後期に]僕らが加わっていったときには、多分、今から考えると行き詰ったと内部で感じられていたので、どこか新しい血を入れようと考えたのではないでしょうか。(略)
言葉が現実を引っかく、引っかいてえぐり取るみたいな感じで言葉を使うことができなくなってしまったのです。
(略)
荒地派の詩人のような言葉の使い方をして、それから共通の感性を持ち、初期のころだったら共通の語彙を持っている。例えば墓場とか死者・死の影・雨・遺言とか。戦争体験の影だと思いますけど、割合いに死というような体験、これはちょっと暗い体験の言葉なのですけど、そういう共通の語彙があるというのは、そういう現実の引っかき方、言葉の使い方を長年やってくることはたいへんなことなのです。
 何がたいへんなのか。現実を引っかく度合いに応じて自分自身の内面の崩壊というのを一種犠牲にしなければ、現実を引っかく言葉を持続することができないということがあります。
(略)
荒地派の詩人のように非日常的な現実体験の累積を内面化するというようなことばかり長い間やっていると、やはり一種の自己破壊という犠牲なしにはどうしても不可能となります。(略)
多分、精神的に晩節を全うしたのは、主たる荒地の詩人で鮎川さんだけではないかと思われます。あとは大なり小なり「アルコール飲まずにはいられねえよ」、要するに「ちょっとこれはかなわねえよ」というぐらいに、ものすごく精神崩壊の危機がいつでもあった。これが荒地の詩人たちの晩節だと思います。

  • 「物語性の中のメタファー」(寺山修司について)

メタファーであって同時に物語であるということは従来の近代短歌の概念では不可能であるとされていたことです。寺山さんはそれを『田園に死す』でやってしまったとおもいます。これは近代以降も日本の歌人がだれもやれなかったことですし、いまもやられていないことだとおもいます。メタファーの短歌は素材としては現実的ですが、寺山さんの『田園に死す』はメタファーであり同時に物語性である短歌を成立させてしまったとおもいます。『田園に死す』はその意味で隔絶した類例のない達成だとおもいます。

たった一つの嫁入道具仏壇を義眼のうつるまで磨くなり
老木の脳天裂きて来し斧をかくまふ如く抱き寝るべし

 これはフィクションだと思います。そしてフィクションだけかというとそうではなく、この全体がなにかの暗喩になっているわけです。この何かというのが寺山さんが言葉ではなく本質的に表現したいことなのでしょう。全部フィクションであり、何かのメタファーになっているという作品です。(略)
物語の短歌だけなら啄木の系譜の人は、現在の俵万智にいたるまでたくさん作られています。しかし物語の短歌で、それが何かのメタファーになっているというのはだれにも作られていないのです。いってみれば物語性とメタファーというのは短歌のなかでは少なくとも二律背反で、どららかをやろうとすればどちらかが捨てられるという関係にあります。寺山さんは何かの比喩であり同時に物語であるという短歌を、それは虚構の真実をあらわす短歌なのですが、なしとげたのだと私は考えます。
(略)
比喩と物語性を二重にさせている表現の背後にある「何か」とはひと口にいってしまえば「生まれ」ということ、具体的にいえば「母親」と「家」ということに対する寺山さん独特の思い入れで
(略)
[寺山さんは]既視感の体験を語りながら「これは自分が生まれる前に見た光景なのではないかと思った」という解釈をしています。(略)
[恐山の郷土史研究家に聞かされた話:ある男が自分は隣り村で生まれた気がすると言うと両親は]
「そんな馬鹿なことがあるか、おまえは私が生んだんだ」と言うんだけれども、隣村にいったら子供が言ったとおりのうちがあって、そこには十年くらい前に死んだ子供がいて、生きていたらちょうど自分と同じくらいになっているという。そういう話を寺山さんは聞いたと書いています。これもまたいまの既視感の話とつながってくるわけです。生まれ代わりの話になります。
 この話に寺山さんがたいへんな興味を抱いたということがあります。そういう理解の仕方をもう少し先まで引き伸ばしてみます。(略)
人の母親というのはたくさんいていいはずなんだ、自分を生んでくれた母親が母親だと思う必要はないということに結びつけています。要するに母親はたくさんいる、あるいは他人の母親をみてこの人は自分の母親だったことがあるような気がすると考えたって、既視感からはいいはずだということだとおもいます。
(略)
自分が少なくとも恋しくなるような母親のイメージというのは自分の実際の母親に得られなかった。そこで母親と同世代の人にそれを得たいとおもったり、自分と同世代の恋愛関係のある女の人にそれを得たいとおもったりという形で、寺山さんにはいつでも母親とか家とかいうものに対する憎悪と同時に、憎悪を裏返すと過剰な愛着がありました。この二つが寺山さんをあまり悪魔的にしなかったところでしょう。

偽感情

純文学とか現代詩とかそういうところに寺山さんは愛想をつかして、サブカルチャーの人と場面をいつも自分のなかに繰り入れてきた人です。寺山さんを否定的に評価する観点を見つけようとすると、たぶん寺山さんの作品の表現には偽感情があるということだとおもいます。つまり文学というのはフィクションであってもプシュードじゃないんだ、あるいは偽感情じゃないんだという言い方をすれば寺山さんを否定的に評価したい場合には、できないことはないとおもいます。だけどこれは言ってみれば純文学が至上であって最も進んだものだという観点にもとづいた言い方になります。
 寺山さんの作品にある偽感情が寺山さんのサブカルチャーに対する関心の大きかった理由だとして、それは寺山さんの本領なんだということができます。この偽感情がどう処理されているかということは、とても大きな寺山さんの特徴になるとおもいます。純文学の人にも偽感情はあります。ただ、自分には偽感情はなくて、真実の感情だけを表現しているとおもっているわけです。少なくともいま日本に流布されている純文学の作家だとか詩人はみなそうです。偽感情はあるんですけれども偽感情はもたないとおもっているわけです。
 純文学の人には自己欺轍という形で偽感情はあらわれます。寺山さんの場合にはプシュードな感情は真実を表現すればみなが白けてしまうだろう、言葉が凍ってしまうだろうという思い込みをもたらします。本来的にいえばそれがあるということが文学ですが、それは物凄く恐いんです。純文学の人は自己欺瞞としてそれがあるからあまり恐怖は感じないで、やっていられるのです。サルトルは一所懸命に自己欺瞞の質を哲学的に考えたわけですが、そういう追い詰め方ををするものは純文学とか純哲学には避けがたくあるとおもいます。これを言葉に表現したら読者はいなくなってしまうという「思い込み」が寺山さんにあって、それは俺はあまりに不幸に生まれたという思い込みと同じなのですが、どこかで偽感情を入れなければ、うまく人に提供できないということが寺山さんの文学の本質だとおもいます。
 寺山さんには思い込みの過剰がありました。その思い込みの過剰こそが寺山さんの資質の本来的な姿をあらわしていました。寺山さんを新しい古典として取り上げるのなら、この問題をよく突いてほしい気がします。  

俵万智

もちろん力量からして、ちょっと天才的なところがあるとおもいます。(略)短歌を物語にしちゃったということ。それから、挫傷感、屈折が少ないということ。すぐにいまの大勢の読者にうけそうな要素は数えられます。短歌だけに限らないんですが、文学の表現はいつも否定性ということを特徴とします。(略)
俵さんの歌はある意味で否定性を打ち消してしまったところに成立っています。それはとても大きな特徴だとおもうんです。そして、もしかするとこの特徴は短歌だけでなく文学全般が、現在当面している問題であるかもしれないのです。つまり否定性を打ち消すことが文学芸術の否定性の課題として成り立ちうるかどうかという情況が出現していることが現在の大きな問題なんじゃないかなという気がします。