国連と帝国 マーク・マゾワー

ヤン・スマッツ

 第二次世界大戦も終わろうとする頃、ナチズムに勝利を収めたなかでも三つの強大国の米英ソに率いられた50ヶ国が、恒久的な平和時の機構である国際連合を創立するためにサンフランシスコに集うた。南アフリカの首相ヤン・スマッツ元帥はその会議で最年長の代表の一人だった。出席したなかでも、20数年も前に国際連盟の創立に中心となって関わったという点で、他の代表のなかで異彩を放っていた。(略)
75歳の元帥はいまでもすらりとして姿勢の良い体つきだった。背筋を伸ばばし、タマルパイス山の勾配を颯爽と歩くことで意気軒昂だった。40年前に、イマヌエル・カントを一冊ナップサックに忍ばせ、イギリス軍相手に自らのコマンド部隊を率いていた姿を彷彿とさせるものがあった。
(略)
ブール戦争が終わったときから南アフリカの政界では傑出していたスマッツこそが1909年に南アフリカ連邦の「憲法」にあたるものを起草したのだし、戦火で荒廃した国家をイギリス帝国に新たに編入するのに尽力した。(略)
奇妙な運命のめぐりあわせから、かつてのゲリラはイギリスのエスタブリッシュメントの胸にしかと抱き留められたのだった。スマッツ第一次世界大戦時にはイギリス帝国戦時内閣の信頼すべき一員となり、イギリス空軍の生みの親とされ、なかんずく新たなイギリス連邦のイデオローグとなった。

インターナショナリズム

20世紀初頭のインターナショナリズムの真に知的な意味での将来は、参政権の拡大こそが戦争挑発者の手から権力を奪い、一般大衆の平和愛好的な本能の発言を許すのだと信ずる自称「民主主義者」の手中にあったと言ってよかろう。イギリスとアメリカ合衆国における急進的な平和運動は、ナショナリズムにとって代わり世界平和を保証することになるインターナショナルな「公民主義」を求めていた。今日ならそれをコズモポリタニズムと呼ぶかもしれない。ずっと古くからある福音主義的な考えを焼き直して、社会主義者レオナード・ホブハウスのような人物たちは、人類は国家のような「人工的な忠誠の単位」を超克して「世界連邦」に加わるべきだと主張した。(略)
帝国主義」を強烈に批判していたイギリスの急進派、ジョン・アトキンソン・ホブソンは「民主的ナショナリズム」を「インターナショナリズムに通じる平坦なハイウェイ」とみなしていた。1912年にはホブソンは、「文明国家の連邦」こそ世界の秩序を守るのに足るほど強力なものになりうるのではないか、と論じていた。(略)
ホブハウスはホブソンのこの帝国連邦計画を賞賛した。細部に相違はあるが、イギリス帝国連邦は世界にとっての雛型になるだろうとホブハウスもまた示唆したのだ。「物理的に世界は一つだ」とホブハウスは述べた。「よって、その一体性は最終的には政治制度にまで反映されねばならない」。イギリス帝国のなかの連邦主義は究極的には「世界国家」にゆきつくだろう、と。驚愕すべきは、イギリスのインターナショナリストのなかでも最も過激な人物でさえ、国際政治における帝国主義的枠組をかように筒単に受け容れていることである。
(略)
まずはブール戦争、ついで第一次世界大戦が、イギリス帝国の構造的な脆さを暴露するにつれ、この話題は再浮上した。ブール戦争が終わると、たくさんの新たな連邦主義者が、南部アフリカのいくつもの植民地、ひいてはアフリカ全体の将来をとくと考えた。高等弁務官のサー・アルフレッド・ミルナーは、「ケープタウンからザンベジ河までの、巨大で進歩的な社会」を打ち立てようとして、ある種「明白な使命」の観点から南アフリカの将来について精緻な計画を立てた。
(略)
植民地支配のこの新たな人種偏重は、この当時出現してきた帝国主義インターナショナリズムの基本要素だったということだ。原住のアフリカ人の権利など顧みず、ホワイトホールは白人入植植民地の政治的要求やナショナリズムの意識にばかり関心を特ったが、1907年に白人入植植民地に自治権を持つ自治領の地位を与えた際にホワイトホールはそのナショナリズムの意識を容認したのであった。その三年後、これも新たな「連邦」精神の発露である南アフリカ連邦が形成され、ヤン・スマッツが統合された南アフリカナショナリズムの主唱者として指導的立場に躍り出た。

ヤン・スマッツ

スマッツの見るところでは、ナショナリズム暗黒大陸で白人を糾合し文開化の使命を果たしてゆくというアフリカの状況下では、ナショナリズムは素晴らしいものであった。問題は、南アフリカで次のようなことをどのようにしてやってのけるかだった。ナショナリズムを穏やかなものに止めること、ナショナリズムゆえに不安定な状態、戦争、あるいはスマッツ呼ぶところの「帝国主義」(略)につながるのを避けること、である。答えの一つは、イギリス連邦のような「連邦」という発想に着目することであった。
(略)
スマッツはイギリス帝国を「世界政府の実験として唯一成功したもの」として大いに賞賛し、それが世界規模に拡大されることを求めた。(略)
独立アイルランド共和国をイギリス帝国のもう一つの自治領として迎えるのをスマッツが大喜びした1921年にはっきりした。いわく「今回演じてみせたように、われらがイギリス帝国はまたしても、それぞれの国家の完全な自由と独立とを、地球規模の自由な国家集団での緊密な協調関係とに結びつけるという、素晴らしい力を証明したのである。
(略)
スマッツは当初は、ハプスブルクがドイツ側同盟国の締め付けを逃れて、東ヨーロッパにイギリス連邦と同じような長所を備えた連邦をあっという間に創るのではと願っていたのだが、ハプスブルクの頑迷さがそれを阻んでいた。一方イギリスは、自分たちが「帝国」から自由な国家からなる「連邦」へと転換しうるのを示すことで、順当なことだが優勢を確かなものとしえた。
 スマッツの見解では、提案されている新たな戦後の機構は、イギリス連邦をまとめるのに役立つだけでなく、現代世界で文明を維持する二つだけの強大国であるイギリスとアメリカ合衆国の関係を強固にするものだった。スマッツは、イギリスは生き残るためにはもはやアメリカ合衆国に依存しなければならないのをはっきりと見て取っていた。それゆえ彼は、それなりの決意も込め、技倆も発揮して、イギリス人だけでなくアメリカの読者、とりわけウッドロウ・ウィルソン大統領その人に向けてメッセージを発したのだ。スマッツアメリカの参戦を大歓迎したし、「人道という名の下の平和の連盟」を必要だとし
(略)
仮に国際連盟が、それほど大きな国際的な異議を伴わずに敗れた側の帝国の領土問題を処理し、可能ならばそれをたまたま勝者の側となった帝国の間での領土のぶんどり合戦に見えぬようにしたいのであれば、アメリカ合衆国の存在はきわめて心強いものとなることだろう。

「白色人種の団結」

[ブール戦争で英国に勝利後の演説で、「純血人種」を批判し]南アフリカでは「私どもはさまざまな民族の混合をつくりだしたい、私どもの結びつけた人種的血統から新たな南アフリカ民族をつくりだしたいと願っています[としたスマッツだが、それは](略)「白色人種の団結」だったのである。[黒人に関しては](略)
「二つの肌の色を混ぜ合わせないこと」であります。……白人の血と黒人の血とを混ぜ合わせるのは恥ずべきことであるというのが、私どもが原住民を扱う際の自明の理として現在では受け容れられております。(略)
人種隔離は、南の方からアフリカを文明化してゆくために支払われるべき代償である。また、「南アフリカの白色人種」が権利だけでなく義務も併せ特っていること、よって「有色人種の後見人」として活動せねばならないことを思い出させるものである、と。(略)世界大戦は、原住民を武装させたことにより将来持ち出される可能性のある危険を示したので、そうした原住民の武装といったことが繰り返されないように国際的合意があって然るべきだった。アフリカ自体では数で凌駕されている白人入植者たちは、イギリス帝国の保護を必要としていた。帝国からの脱退は、よってスマッツが激しく反対するところだった。
(略)
 はるか昔に学生時代の論文で、スマッツは予言していた。「人種間闘争はアフリカ大陸で世界に例を見ない巨大さを帯びる宿命にある。……そしてその生存をかけた凄まじい戦いにおいて白人陣営の団結は……小さからぬ条件である
(略)
第一次世界大戦後そうした予測は、世界的人種間戦争と「東洋」と「西洋」の衝突という恐怖に滲みだした。大戦は優生学者とマルサス主義理論家の懸念を強めたし、人口統計学者はだんだんと歴史上の闘争を繁殖力の問題として眺めるようになった。知能程度は低いが繁殖力の高い人種と、優良だが活発でない人種との間の激しい争いである。アメリカ合衆国の人種理論家ローター・ストッタードの1922年刊行のベストセラー『白人世界の優越を脅かす有色人種の上げ潮』(略)
「有色人種」は二対一で白人に数で勝り、いずれにせよ白人はほとんどがヨーロッパに閉じ込められている。事態をいっそう悪くしているのは、白人の文明化の使命が以前は高かった黒人の死亡率を引き下げたのに助けられて、黒人が白人より繁殖していることだ、と。

国連憲章

『タイム』誌が指摘しているように、国連憲章は基本的に世界を「大国の勢力圏」に分かつのを批准するために企図されていたのだ。その点では国連憲章は、1940年に結ばれた日独伊三国同盟の、より実効性があり、イデオロギー上はよりリベラルな翻案と言えたし、スマッツが強力な地域ごとのブロックを戦時下で唱えていたのとみごとなまでに合致していた。
 第一次世界大戦中には黒人ながら将校に任官されたW・E・B・デュボイスは、1919年のパリにもいたが、サンフランシスコ会議には三名からなる全米黒人地位向上協会(NAACP)の代表団に加わっていた。彼はいたく憤慨して、提案されている国際的な「権利の章典」では植民地化された民族への言及は省かれていると指摘した。アメリカ・ユダヤ人委員会が提案した人権宣言が署名のために回されてくると、デュボイスは「これはユダヤ人の権利についてはたいへんわかりやすい宣言だが、どこを見てもニグロ、インディアン、南洋諸島の住民の権利は考えに入っていない。となるとどうしてそれを『人権宣言』と呼ぶのだろうか」と抗議した。かと思えば、サンフランシスコでスマッツの演説があった前後にはもっと辛辣にこう述べている。「われわれはドイツを征服した……けれども彼らの思想は征服していない。ニグロを今の地位に止め、植民地にいる七億五〇〇〇万人の帝国による支配を指して民主主義と嘘をつくのは、依然としてわれわれが白人至上を信じているからである」。
(略)
 よってスマッツの前文が、国際連合は「基本的人権と人間の尊厳および価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念を改めて確認」するよう求めた際には、南アフリカにある人種隔離的な国家を解体しようという決心などしておらず、ましてやイギリス帝国の解体などであったし、また自分の修辞と政策の不一致にも気づいていなかった。

ルフレッド・ジマーン

 ジマーンとスマッツが見解がまったく一致するのは新たな国際機構を実現する必要についてであった。(略)
ジマーンは、H・G・ウエルズのような人物が要求している強力な世界国家という考えを毛嫌いした。ジマーンの見るところ、それははなはだしく機構中心的だし、実際的でなさ過ぎた。さらに、本物の国際的共同体は個々人に共通の道義的な目的を感じるよう求めるものだが、世界国家はたんに抑圧につながる恐れがあった。
(略)
ジマーンが講和会議の交渉者たちに考慮するように提案したのは、ときおり会議を開くのでなくもっと永続的であり、しかも「世界国家」よりはかなり小さなものであった。国際連盟は公的で永続的な存在感を持ちつつ、基本的には強大国のフォーラムになるはずであった。(略)それは「おのおのの政府が独立性を保ち、かつ自国民に責任を有しながら、政府同士が接する」機会を与えることになる。一方で、イギリス人の視点からは、国際連盟はより特定された目的をも持っていた。すなわち、第一次世界大戦によりイギリス帝国そのものが永らえるために必須であるとわかったアメリカ合衆国との絆を固め、アメリカ人にとりわけて平和時の「世界政府という重荷」を分け特つようさせることである。
(略)
第二次世界大戦は、ジマーンの信じていたヨーロッパ復活の可能性を損ない、ついには彼にとってヨーロッパ復活よりさらに貴重だったものを徐々に衰退させていった――イギリス帝国への信奉の念である。1940年代初めまでには、ジマーンは、世界の将来にとっての唯一の希望は、アメリカ合衆国に以前はイギリスのものであった指導的役割を演じるよう説得できるかどうかにかかっている、そう信じるに至っていた。
(略)
トルーマン・ドクトリンとマーシャル・プランの年だったので、68歳のジマーンは若々しい超大国が国際舞台に躍り出るのを大歓迎していた。(略)
ローマ帝国は畢竟するところギリシャの原理の腐敗したものに過ぎぬことが露見した。アメリカの連邦主義こそがギリシャ民主政治を真に後継するものであり、よって国際平和を維持するうえで世界で唯一の希望なのだ、と。ジマーンは半世紀以上にわたって永久の権力としてイギリス帝国を信奉していたのだったが、言及はもはや見られなかった。(略)
「ヨーロッパの時代」は終わり、「世界精神」はますます先へと進み、現在では国連憲章を「アテナイの法がアテナイ市民にとってそうであったように、全人類にとっての真の規約」になすという最良の機会を担うのは、イギリス連邦ではなくアメリカ合衆国だった。その歴史において「法による支配」が活発な社会道徳意識によって人口規模も大きく多様な国民に広まる様を示してきたアメリカ合衆国のみが、地球規模で「法と自由」とを然るべく王位に就けさせうる、というわけだった。

[解説=渡邊啓貴:まとめ]

 マゾワーが本書で主張したかったのは、19世紀的なヨーロッパ植民地帝国のリベラルなインターナショナリズムの試みが、国際連盟国際連合に代表される国際平和機構の発展に貢献したはずであり、イギリスはその大いなる貢献者であるという点である。決してアメリカだけがその功労者ではない。
 しかもそのアメリカが、数で圧倒する第三世界諸国の壁に阻まれて自由が利かない。国連は機能不全を起こしている。そうした現状において、実現しなかったが、かつてのイギリス連邦が理想としてめざした真の意昧でのリベラルな「帝国」についてもう一度冷静になって再考してみたらどうなのか。それはあえて言えば「国際共同体」という道義的意識を前提にする。実はそうした高度の共有意識こそ、今日の国際平和機構の礎として欠如している部分だ、というのがマゾワーの真意である。