やり残したこと 北野武

やり残したこと

やり残したこと

 

 『THE MANZAI』の審査員をやらない理由

[番組側は]ほんとは審査委員長やってほしいんだけど、俺はそういうの全部断るから。「今の奴らの漫才のほうが俺より全然うまいのに、俺が審査できるか」って言ったんだけど。
 でもそれを公式に言うと、あそこに並んでる本当の審査員をバカにしてることになるから。「よく審査なんかしてられんな。おまえらより全然うまいじゃん、出てる奴らのほうが」っていうことなんだよね、実は。でも番組としては、看板がほしいっていうかさ[それで最高顧問に]。だから「普通に出るのヤだ」っつってんの。
(略)
 でも、あそこで今の漫才観てるとさ、今のネタってけっこう高級になってて、もうそろそろ煮詰まったって感じはするけどね。(略)
 でもやっぱり、ほんとに新しくなるまでは、10年ぐらいかかるんじゃないの? 10年周期だから、漫才って。おいらの前に、やすきよさんやコント55号がいて、漫才ブームでオイラたちが出て、そのあとダウンタウンまで10年かかってるし。ダウンタウンのあとは、また10年くらいでしょ? 10年ないと、進化しないよ。

漫才ブーム

最初、B&B観て、「うわ、うめえ!」と思ってねえ。のりお・よしおは、最初狂ってると思ってた頃はおもしろかったんだけど。(略)
 とにかくみんな関西弁でさ、もう出順でまいったもん。関西弁で3組やられたあとに出ていったってダメだしさあ。ただ、その5組で漫才ブームって言われて、その中に入ってたんで、そこからはじかれなくてよかったな、とは思ってたけど。したら、あいつらどんどん新ネタやらなくなってきて、それで漫才ブームも落ちてきた。(略)
そのちょっと前の頃から、おいらは毎回新しいネタを増やしていったんで。だから、漫才ブームが始まったときはビリだったツービートが、ブームが終わったときにはいちばん前に出ちゃったんだよ。あとから追い込んじゃった。だからそのあとひとりでバラエティの仕事やるようになったとき、ラクだったね。自分の企画、みんな通っちゃうし。

ダウンタウンの漫才は新しかった

 おいらよりあとの、新しいなと思った漫才は……やっぱダウンタウンは、松本って頭いいから、あいつらワアワアワアワアしゃべる漫才やんなかったからね。それまでとははっきり違う、ちょっと考えて笑うようなネタをわざとやってたし。あいつらのネタで覚えてんのは、「あ」だけでやってたやつ。
(略)
あれはやっぱり新しい、独自なものを作ったんじゃないの?
爆笑とかキッドを観ると、俺と似てると思うけど、ダウンタウンは違うもんね。

漫才は、10年同じ相方とやらないとわからない

 おいらがきよしさんと組んだのは……まあ、最初は、ほかにいなかったの。で、俺、ときどきいなくなるんだよ、あいつとやるのヤんなっちゃって。でもじっと耐えちゃうんだ、あいつ。女房だったら最高だね、ありゃあ(笑)。で、逃げちゃって、他の奴とちょっと遊びでコントやってみるんだよ。ところがねえ、あとで考えたら、「やっぱきよしさんしかいねえんだ、きよしさんよりうまい奴なんかあり得ねえぞ」ってなるんだよね。
 それは、俺と組む相手としてはだよ? 横山やすし、天才かもしれないけど(略)[西川]きよしさんと組んで初めて売れたじゃない。(略)
 俺と洋七で漫才やったことあんの。漫才になんないんだもん、お互いがしゃべっちゃって。
(略)
だから漫才は、同じ奴と10年続けないとね、わかんないの。(略)
だから絶対ね、売れたい奴は、今の相方がいいんだよ。(略)
 だからまあ、俺の相手としちゃあ、きよしさんがいちばんうまいんじゃない?(略)
[漫才ブーム前、もっとマニアックなネタをやりたいと思っていたが]
漫才ブームになって、もうそれ無理だなと思って。だから洋七もそうだけど、俺もひとりでしゃべるようになっちゃった。相方に期待しなくなって。
 ところが相方ってのは、やってればやってるほど、いいタイミングでつっこんでくるんだよね。覚えちゃうから。言葉数は少ないけど。だからやんなきゃダメだね、漫才は。
 だから、俺がやりたかったようなマニアックなネタをツービートでやってたら、漫才ブームでああいうようには売れなかったかもわかんないね。俺の好きなネタなんかやりだしたら、そうだね、俺の売れない映画みてえになってたろうな(笑)。(略)
 まあだから、きよしさんがいたってのは運がいいんだろうね、おいらにとっては。

着ぐるみ

 でもやっぱり・・・・仕事ってのはほら、増えれば増えるほどね、顔とか身を削っていくもんでしょ? 削るってか、切られていくもんだから。どうせ削れるんだったら、違うような顔をいっぱい見せといたほうがいいって感じもあるね。で、そっちの方向でなんか新しいものが見っかったりなんかすると、そっちに乗り換えちゃえばいいんで。
(略)
 やっぱり着ぐるみによって、個人をなくすっていうのがあってね。うちの師匠の深見さんてのは、化粧しなきゃ絶対舞台に出なかったね。「素の顔で出るなんて信じられない」っつって。(略)「舞台役者ってそういうもんだろう!すっぴんで出る奴なんているか!」とか言われた。俺もやっぱり、漫才があがるってのは、素の顔でやるからじゃないかなあ。あれ、ぬいぐるみ着て漫才やったら、全然ウケなくても平気かもわかんない。「俺じゃねえと思えばいいんだから」って。着ぐるみがウケなかっただけで、俺が失敗したわけじゃないよ、みたいなとこ、あるかもわかんないね。

神経を使ったのは5年間

基本的にラクなのは、浅草にいたときだよね。(略)
漫才ブームのときはつらかったね、勝ち抜きだから。おもしろかったとかつまんねえとか言われるじゃない? あのへんがね、いちばん神経張ったしね。充実してることは間違いないのよ、ラジオとか。だけど、疲れたよね。やっぱり「よくぞやりました」だよね、その頃は。5年ぐらいじゃないかな、いちばん神経使ったのは。あとはこうなっちゃった。
(略)
[全てが手に入ったが]そんなに舞い上がってはなかったと思うけど。舞い上がってたのは洋七たちだと思うよ(笑)。だってネタ作ってないから、あいつら。俺はもう、ちょっと病気みたいになって、「ネタを作んないと落ち目になる」って。なぜかこう、前進していかなきゃダメだと思うの。ひどいときにゃあ女とやりながらネタ書いてたことあるもん(笑)。枕元にノート置いて、「あ、そうだ!」って書いてたら、「あんた何してんの?」って。

リアクション芸

基本的に俺と若い人、下の芸人とでお笑いを作るんだけど。それはチームワークで、これが意外に俺、きつく怒るんだよね。全体のために動かない奴はダメっていうか。うちの軍団じゃなくても、それはけっこう怒るの。『お笑いウルトラクイズ』で、松村が最初に入ってきたとき、みんなのコンビネーションを壊しちゃって、全然笑いになんなくて、楽屋に呼んでボロクソ言ったことあるもん。「あれだけみんながおまえのために助けて笑わせようと思ってるのに、何考えてんだバカヤロー!」
(略)
最後のオチがそいつに来るために、そこまでいかに流れを作るかっていう、そのためにうちの軍団って作ったんだから。
(略)
[ダチョウ倶楽部も出川も]みんなこの番組からだもんね。だから時間かかってるよね、ウケ方がうまくなるまでに。
 要するに、生の感じを出してるんだけど。でも、生なら生なほど、実は守るべきルールがちゃんとあって。生で好きなことをやってるように見えてるんだけど、実はあれ、芸だよ、っていうね。芸を見せないけども、ほんとは芸なんだっていう。だからいちばん困るのは、「あんな熱いお湯に入れていいの?」とかよく言われたけど、そんな熱いわけないじゃない(笑)。「うわっ、あちい!」なんていうのは芸じゃない? でもそれは手品の種明かしだから、言えないじゃない。だから「熱いですよ」って言うしかない。「あんな熱いお湯に入れていいんですか!」「本人がいいって言ってんだから、いいんじゃないですか?イヤだったら訴えればいいんだから」って言ったら、「ひどい人だ!」って言いだす人いるよね。「バカヤロー!おまえみたいな頭の悪い奴と話したくねえ!」って思ってたけど。
 お湯に落っこちるときも、「押すんじゃねえぞ!」っていうのは押してくれってことだとか、サインがあるわけよ。「待て待て!」っつって手が滑るとかさ、サインがいっぱいあんの。それをみんな全部知ってるから。ちょっと押し方が下手だったら、上にかぶさって自分も落っこったり、みんな瞬発的に、笑わせるためにいろんなことやるわけ。いつの間にかパンツ脱いでたり。それはもう何回も何回もやってきて、番組終わったあとにダメ出しするんで、みんな臨機応変にできるようになってるよね。それをほかの番組に出てもやるから、リアクション芸なんて言われるようになったんじゃないの?

ロケハン

その男、凶暴につき』の最初の、刑事がタイコ橋を上がってくる、あの画(略)「頭とケツはあのタイコ橋だろう」っていうのがあって。そういうのはなるたけ外さない。脚本書くまでのイメージの段階で、そういう映像は浮かんでるんで、逆に言えば、そこに持ってくるように脚本を変えたりするっていうかね。
(略)
[『ソナチネ』の石垣島は、風土病で1回やられていて]太陽と砂と、全部きれいなのに、なぜかあんまり観光地になってねえっていうか、なんか妙な感じがすんの。怨念みたいな。
 そこにこう、問題を抱えたヤクザが来てさ。ヤクザが派手なシャツ着て太陽燦々のとこをビーチサンダルで歩く、海もきれいで……だから、ヤクザって設定だと非常におもしろいっていうか。(略)
 やっぱりあの砂浜の白さと、水と太陽の光はすごかったなと思うね。あそこは『ソナチネ』では正解だと思うよね。あそこの海で歩くのがベストショットだと思うんだよ。
(略)
あの夏、いちばん静かな海。』の海、ああいうようなところを選んだのは……やっぱ、あれはね、きれいな海じゃ成り立たないような気がするの。主人公は聾者であって(略)その人たちにとっての色は、健常者が耳と目と、いろんな三半規管みたいなのを使って見る映像とは違う映像にしたいの。(略)ドヨンとした、東京とか都会に近い、たいしてきれいじゃない海でも、このふたりにとってはきれいな海にならなきゃいけない、って感じで撮ったんだけど。
 あと、画面になるったけ色を出さないようにして、コンクリートとどす黒い海があって、たまーにパラソルとかシャツの色がパッと出るといいな、っていうのがね……ブルーとかグレーを基調にして。ロケハンに行くスタッフには、「海のコンクリートの壁んとこを、延々歩いていくんだ」って言っといて。そしたら向こうで探したのは、プール。プールの中をグルグル回るっていうね。「ダメだよ角があって」っていう(笑)。延々歩いたもん、カメラ回しながら。みんなでプールの中に入って回ってんだから、ハタから見りゃマンガだよね。
(略)
『Dolls』は、これはもう桜前線との勝負で。「春日部で咲いた、明日は来るぞ、ダメだ……」っていう。モミジと雪とも同じようなことがあったし。基本的にこの映画、息切れしてんのはね、ロケで息切れしてんのよ。撮影日にはもう本人たちの芝居、どうでもよくなっちゃってんの。「ああ、桜咲いてた、よかったな、じゃあはい、横歩いて」っていう感じでね、もう演技考えてないの。「桜撮れた、はいOK」って、本人が歩いてるだけでよかったの。だからもう、ふたりじゃないからね。「桜はすばらしい、ふたりで歩くのもすばらしい」じゃないの。桜がよけりゃいいの。悪いことしたなと思った。
(略)
菊次郎の夏』はもう、富士五湖のあの感じなんだろうな。季節によっちゃ観光地でもあるんだけど、普段は閑散とした、生きてんだか死んでんだかわかんないような、砂利だらけの、湖も魚がいるんだかいないんだかわかんないようなとこで、そこにポツンといるという映像が頭にあって、ああいうとこを探したんだけど。なかなかうまくいってんな、っていう。
(略)
[『アウトレイジ』の風車]
 照明さんたち、あれをカットしようとしたらしいんだよね、ちょっと余計なもんに見えたらしいんだよ。「いやいや、入れるんだよ」って言って。あれあると妙でしょ? ヤクザの抗争で、人気のないとこでも、あっちに機械的なものが回ってたりなんかすると……異様に人間的な殺し合いなのに、向こうに自然を利用した発電機が回ってるって、妙な画だな、って。(略)
 で、殺し方がアナログの最たるものじゃん。首にロープ結んでひっぱって……でも、ひっぱってるのは自動車であって、なんか妙な雰囲気じゃない。だから、アナログと機械的なこと、両方あって、ロケ的にはおもしろい場所だよね。
普段クルマとかで通ってて、「ここ、映画に使わせてくれたらいいな」って思うとこ、けっこうあるよ。京都とかね。でも、絶対使わせてくんないから。裏千家とかああいうとこ、中に入るじゃん。やっぱりいいもんね。うまくできてんなと思う。「どこから映像撮ってもすばらしいな、これ」っていうか。やっぱり茶室でもね、千利休の考えたようなのは、うまくできてるなと思うし。
 ただ、街中では……仕事現場行く途中のトンネルとか、「ここ、いいな」って思うときもあるけど、許可が下りるかどうかはまた別でね、うるさいんだな、東京都も。
(略)
 それから、羽田へ行くモノレールと、高速を走ってるクルマ、同時に映したいと思うんだけど、「それのためにどんなシーン考えんのかな?」っていうのあるから……必要ならどうにかそういうシーンを考えるけど、それが考えられないシーンだったらいらないってことだから、撮ってもしょうがないしね。

大島渚

『御法度』んときは、すんごいイラついてたみたい。そんなときに俺がカンヌ行ってんだよね。『菊次郎の夏』がグランプリ穫るんじゃないかって噂が出て、そのニュースが流れたらもっと荒れたっつってた(笑)。たまんなかったつってた、スタッフが。で、獲らなくて戻ってきたらホッとしたみたい。