片山善博の自治体自立塾

片山善博の自治体自立塾

片山善博の自治体自立塾

  • 作者:片山 善博
  • 発売日: 2015/05/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

地方交付税「先食い」

 自治体に「考える力」が不足していたことを象徴するのが、地方交付税の「先食い」である。筆者自身が名付けた「先食い」とは、ハード事業の財源をまずは自治体が地方債で調達し、後年度の元利償還金の相当部分を地方交付税の上乗せによって国が補填する仕組みをいう。
 もとよりこの仕組みには大きな落し穴がある。もし将来の元利償還財源を国が別枠で用意しなければ、国が補填するといっても、結局は全国の自治体の共有財源である地方交付税の中で始末するしかない。元利償還に回される額だけ将来の地方交付税は実質的に目減りする。
 ともあれ、多くの自治体はこの仕組みを歓迎し、「自前の財源を要しない有利な制度」だとして公共事業や箱モノ建設に勤しんだ。後に残されたのは巨額の地方債である。案の定、大量の地方債の償還時期を迎えても地方交付税の実質的上乗せなどなく、「手取り」はむしろ減らされる始末だった。慌てた首長たちは「国に騙された」と声高に言い募ったが、既に後の祭り。先行きに自信を失い、夜逃げ同然に合併に追い込まれる自治体が後を絶たなかった。
 この顛末を顧みるに、厳しく責められるべきは国である。調子のいいことを言って自治体に借金三昧させておきながら、肝心な時に梯子を外した罪は大きい。ただ、自治体にも落ち度はあった。そもそも世の中にそんなにうまい話などあるわけがない。「自前の財源を要しない有利な制度」などあり得るはずがないことぐらい容易にわかりそうなものだからだ。
 筆者は1999年鳥取県知事に就任早々、前任知事の時代にこの「有利な制度」を前提に計画していたいくつかの事業を中止ないし大幅に縮小した。併せて欠陥だらけのこの仕組みを即刻やめるべきだと全国知事会議などの場で訴え続けた。しかし、筆者の主張に賛同した知事は、田中康夫長野県知事(当時)ただ一人。全国市長会全国町村会もほぼ似たり寄ったりだった。
 地方議会もこれには無力だった。首長が「先食い」の仕組みを「有利だ」「得だ」とはしゃいでいたとしても、予算の決定権は議会にある。賢明なる議員が愚かな「先食い」を阻止してくれていれば、その後の自治体財政はかくも危機的な状況に陥ることはなかっただろう。
(略)
[なぜ議会はチェックできないか。議員は資料や情報を執行部職員から入手する。しかしそこには偏りや意図が潜んでいる]
 執行部の職員がせっせと資料を持ってくるのは、議案を無傷で通してもらいたいからである。その際、議案の欠陥や、より優れた代替案に関する資料などを期待しても「木に縁りて魚を求むるが如し」である。

教育委員会人選の実態

[鳥取県前任知事は任命を事実上、県議会多数派に丸投げ、その結果]
県会議員選挙の際の候補者調整で出馬見送りを余儀なくされた者とか、引退した町村長で在任中にはその県議たちを支持していた者などが目立っていた。

縦割り

[知事に就任し]土木部が作成した「県内道路地図」を携えて視察に出かけたところ、その地図にない道路を「発見」した。土木部に質すと、それは農林水産部所管の農道なので、土木部の道路地図には載せていないとの説明だった。
(略)
 そこで、思い切って農林水産部の農道担当部門を、県道を所管する土木部道路課に統合することとした。県道と農道とを一元化することで、両者の間に生じるムダや重複を避け、合理的な道路ネットワークを形成するのがねらいだった。
(略)
[当然強い反発が]
 県庁職員よりも業界団体よりも、最も執拗に反対したのは農水省だった。それまで自分の手下のようにみなしていた農道担当部門が、建設省の影響下に組み入れられるなどもってのほかと言わんばかりだった。霞が関の縄張り争いをそのまま県に投影する思考から抜け出せない官僚たちを哀れに思いつつも、「土木部の中に新しい植民地ができたようなものじゃないか」と論したら、意外にも素直に納得したのが可笑しかった。
 中央官庁の縦割りがそのまま持ち込まれている組織は他にもある。例えば港の建設業務がそうで、海運用の港は土木部港湾課が、漁船用の港は農林水産部漁港課がそれぞれ中央官庁対応型の組織として設けられていた。
(略)
 港湾課と漁港課を統合する方針を発表したところ、直ちに水産庁の幹部が県庁に乗りこんできた。「鳥取県のためにならない」と言うのである。そこで、「ご親切には感謝するが、全国で一番小さい鳥取県庁の課の編制にまで関心を持ち、あれこれ注文をつけるあなた方はよほど暇だと見える。そんなつまらない役所はリストラ対象になってしかるべきだ」と皮肉ったら、そそくさと帰っていった。

無意味な「質問」

役所全体の業務が停滞するほど職員たちは答弁への対応に追われている。では、議会は質問を通じてそれに見合うだけの目覚ましい成果を自治体や住民にもたらしているだろうか。
 率直に言って、ほとんどの議会の「質問」は、そのために費やす時間や執行部職員の労力に比べて成果は乏しい。もちろん[中には必要性の高い施策提案もあるが](略)議会全体として見た場合には、その「生産性」はどうみても低い。(略)
例えばある議員は市長に対して市民の胃がん検診受診率などを尋ね、市長に答えさせている。関連の施策を論ずるに当たって大切な指標だとは思うが、わざわざ本会議場で市長が答えることではない。担当者に直接電話ででも尋ねた方がよほど早いし、正確である。受診率を聞いた後、胃がん検診のあり方などについて技術的な質問が続くのだが、それは担当部長との間のやりとりとなる。こうしたやりとりは本会議よりも常任委員会などの場でじっくり交わした方が断然意義深いと思うのだが。
 別の議員は過疎問題に絡めて「自分は安倍総理は好きではないけれども、『農村は宝の山』と発言した総理夫人は好きだ。市長はどう思うか」と質問し、市長が「甲乙つけがたい夫婦の仲ではないか」などと総理に気を使いながら答弁するくだりがある。このやりとりにどんな意味があるのだろう。

自治体「後援」の不承認が増えたわけ

 例えば、毎年憲法記念日の頃に開かれる憲法擁護の集会である。例年のように市が後援名義の使用を承認しようとすると、一部の市民から「憲法改正には賛成の市民も大勢いるというのに、なぜ反対の人たちの集会だけを後援するのか。政治的中立性に悖る」と詰め寄られる。
 過去何年も後援を続けてきた職員にしてみれば、そんな質問に自信を持って応じるだけの準備はない。(略)
 そこで職員が最終決定権者である市長にこの案件を持ち上げたとしても、総じて明快な結論は得られない。例年どおり承認せよと指示したとすると、次の議会で先のクレームと同趣旨の質問をぶつけられて、市長自身が矢面に立たされる。逆に不承認にせよと指示すると、護憲派の多くの市民の支持を失いかねないので、次の選挙のことが気になる市長にはそれも憚られる。
 かくして、職員は市長に迷惑が及ばないよう、自分たちで処理せざるを得ない。そうなると、どうしても穏便な方を選択しがちで、おそらく承認しない方に落ち着くのだろう。もとより承認の場合にも不承認の場合にもクレームは出てくるが、昨今どちらの側の声が大きいかといえば、不承認に対する苦情ではなく、承認することに対する抗議の方だからである。
 声が大きいだけでなく、抗議は往々にして執拗で、担当職員が激しい個人攻撃に晒されることすらある。職員にしてみれば、最終判断権者は市長なのだから、「文句があるなら市長に言ってくれ」と言いたくもなるが、先の事情からしてグッと飲み込むほかない。
 マスコミ報道では、自治体が承認しない事例が増えた傾向について、お役所が「尻込み」しているとか「ことなかれ主義」に陥っているなどの批判も見られ、それはそれで当たっていないこともないのだが、批判するだけでは問題は解決しない。この際、自治体のおかれた事情やその職員たちの窮状を察することも肝要である。
 では、今後これをどう取り扱えばよいか。一つには、首長がしっかりすることである。

条例の管理

[知人弁護士が]ある市の土地利用規制に関する条例について、その制定経緯などを調べるため議会事務局に出向いたところ、「事務局ではわかりかねるので、市の担当課に聞いてくれ」と言われた。議会図書室に立法資料を保管しているのではないのかと尋ねても、とんと要領を得なかったという。市議会は立法機関としての自覚に欠けているのではないかと、弁護士は呆れていた。
 本来立法機関としての議会は自らが成立させた条例とそれに基づく規則などを体系的に管理しておかねばならない。この場合の管理とは、条例などのデータベースを作成し、住民の照会に応じられる体制を整えておくことを意味する。
 データベースには条例の内容はもとより、これまでの改正の経緯、条例を制定ないし改正した時に提出された資料も含まれていなければならない。条例は制定時の住民だけでなく後世の住民をも拘束するのだから、どういう事情や背景のもとに制定ないし改正されたかについて、後々の住民に対しても説明する責任を負っているからである。(略)
[だが地方議会はこうした管理を適切に行っていない]
 最近はどこの自治体でも条例などのデータベースは「例規集」として首長部局が作成している。それを誰でも自治体のホームページを通じて読むことができるので実に便利である。便利なのはいいのだが、本当はこのデータベースは首長部局ではなく、議会事務局で整えておくべきものだと筆者はかねがね考えている。
 そもそも二元代表制のもとでは、議会が条例を制定し、それを首長が執行する。この仕組みのもとでは、条例は首長に対する議会からの指示書のようなものだ。その指示書を議会は自分で管理していないから、これまでの指示の内容を確認するには、指示した相手方である首長のもとで整理した「例規集」に頼らなければならない。なんとも不甲斐ないではないか。さらに、万が一首長部局が条例をうっかり、ないし意図的に改ざんしていたとしても、議会が「例規集」からそれを直ちに見破ることは無理だろうと思う。
(略)
[ある都議会議員が時代に合わない条例を見直す「棚卸し」を提案していた]
着眼は評価すべきなのだが、残念なことに「棚卸」をやるよう指示する相手方を間違えている。それをやらせるべきは首長部局ではなく、議会事務局のはずだ。条例を作ったのは議会なのだから、そのアフターケアも議会がしなければならないということだ。(略)
 しかも、条例の見直し作業を首長部局でやると、どうしても自分たちに都合の悪い見直しは避けたがるという「組織の論理」とお役人の習性を弁えておく必要がある。
(略)
[2014年定例都議会が決定した条例をネットで確認しようとすると、都総務局が議会提出案としてマスコミに発表した資料しかない。これが議会で一部でも修正されていたらどうなるのか]