ボディ&ソウル: ある社会学者のボクシング・エスノグラフィー

フランスからシカゴ大学に来て、黒人ゲットー調査の拠点の窓口としてボクシングジムに入会した社会学者が書いた本。

ボディ&ソウル: ある社会学者のボクシング・エスノグラフィー

ボディ&ソウル: ある社会学者のボクシング・エスノグラフィー

 

最年少は13歳で、最年長は57歳、中央値で、22歳あたりである。メンバーの全員が男性である。ジムは、典型的な男性的な空間であり、そのなかに女性が立ち入るのが許容されるのは、偶発的な場合にかぎられる。「ボクシングは、男のためのもんで、男に関わるもんで、男そのものなんだ……
(略)
 大一番の試合が差し迫っているときや、リング上で決定的な勝利を収めた翌日などの、特別な状況においてのみ、ボクサーのガールフレンドや妻に、彼女たちの男のトレーニング・セッションに立ち会う許可があたえられる。そういうときは、彼女たちはリング脇に並べてある椅子に静かにじっと座っていることが求められる。彼女たちは通常、誰もいないときにさえ、トレーニングが行なわれる「フロア」を邪魔しないよう、慎重に壁に沿って移動する。これは言うまでもなくトレーニングに一切干渉しないためであり、例外は、家庭でトレーニングの効果を強化するよう助けることで、そのため家庭の維持と子供のことをすべて引き受け、求められる食事をつくり、精神面、さらには経済面にも及ぶサポートを怠らない。女性がウッドローン・ボーイズクラブに来ているときは、ボクサーは、「オフィス」にある秤で体重を計るために、更衣室から上半身裸で出てくることは許されない。それはまるで、男たちの上半身裸の身体を、リング上のパブリックな「仕事中」の場面で見ることは構わないが、舞台裏の「休憩中」には見ることができない、とでも言うかのようだ。(略)
[ヘッドコーチ]は、ボクサーたちに、「彼女」をジムに連れてこないようにと強く忠告する。もし、ボクサーたちが彼の忠告に従わないなら、彼は、彼女を連れてきたボクサーを、はるかに強いパートナーとスパーリングさせるためにリングにあげる。そのボクサーは、ガールフレンドの前で叩きのめされ、面目を失うことになる。

プロとアマの区分

マチュアのランクで戦って数年経過したボクサーであっても、「プロ」の同僚のキャリアを形成するしきたりや要因についてはほとんど何も知らないかもしれない(とくに、プロの財政的な部分に関しては、みなで共謀して秘密にしている)
(略)
マチュアボクサーの場合、目的は、すばやく動いて可能な限り数多く相手にパンチし、ポイントを重ねることである。
(略)
「プロボクサーは、おふざけでやってるんじゃない。知ってのとおり、相手が気を失うほど叩きのめすんだ。過酷なゲームさ。(略)アマチュアには楽しさがある。プロフェッショナルでは(警告するようにささやき声で)、相手は殺そうとしてくるんだ」。

ゲットーとジムは

切れ目なく連続した関係にある。しかしながら、いったん、ジムの内側に入ると、この関係は、ボクサーが従わなければならないスパルタ的な規律によって切断され逆転される。ストリートの資質は、この規律によって、異なる、もっと厳しく組織化された、遠くにある目標を追求するために生かされるのである。だからトレーナーがいつも第一に強調するのは、ジムでしてはいけないことについである。(略)
「悪態をつくこと、喫煙、大声での会話。女性の蔑視、コーチヘの無礼、仲間の軽蔑。敵意をもたないこと、自慢なし」。この一覧に、もっと細かな、多くの場合暗黙のたくさんのルールを加えることができる。これらの決まりが集まって、ジムのメンバーの行ないを平定しているのである。
(略)
慣習に従わない設備の使い方、物にパンチすること、完全な防具をつけずにスパーリングするること、さらに悪いのは、リングの外で対戦するふりや、取っ組み合いをすること、これらも禁じられている。(略)
シャワールームから出てくるときには、必ずタオルの下にスパッツを身に着け、ジムを出るときには汗で濡れていない服に着替えなければならない。(略)
ディーディーにしろ、ジムの常連たちにしろ、ジムのなかで卑劣な言葉やののしりの言葉を使うことはない。
(略)
この成文化されていない振舞い方の掟を守れない者たちは、ディーディーによって即座退会させられるか、他のジムに移るよう強くアドバイスされる。

ジムの掟

――トレーナーのミッキー・ロザリオによる新人レクチャー

(略)私はタバコを吸わないし、酒も飲まない。女性に言い寄ることもしない。もちろん、綺麗な女性は好きだが、ただ、見るだけだ。家には立派な家具がある。私は妻をどこかディナーに連れて行ってやれる。私は、仕事に就いている。病院で働いている。病院で働くことができなければ、車の整備士として働く。私は、二種と三種の免許をもっているからな。どんな種類のトラックでも運転することができる。ドラッグストアで働くこともできるぞ。いいな、わかったか?」
 「私が伝えたいのは、君のために、妻や子供、それに私自身を犠牲にしているということだ。もちろん、君は、自分のために君自身を犠牲にしていくことになる。規則は、規則だ。文句はなしだ。わかったか?」
「君が正しかろうが正しくなかろうが、君が私に賛成できなくても、だぞ」
 「縄跳び六ラウンドといったら、四ラウンドのことじゃない。『ジャンプ』といったら、私は君がジャンプすることをのぞんでいるんだ」
 「私が言うまで、練習をやめてはいけない。もし、私がそのように言った場合には、すぐさま練習をやめるんだ」
「ここのボスは、私だ」
「ボスの言うことを聞かなければならない」
(略)
「君は、私を憎むことになるだろう」とミッキーは言い、そして最後に調子を和らげた。「それが最初さ。そのうち、君は私を好きになるさ」

ディーディーとカーティス

1978年から85年の間に、彼は12人ものボクサーを国際ランキングのトップ10入りさせた。ディーディーの生徒のうち二人は、世界タイトルを勝ち取った。ウェルター級のロベルト・クルーズとライトヘビー級のアルフォンソ・ラトリフだ。彼は、日本とフィリピンでアジアのえり抜きのファイターたちをトレーニングすることに費やした六年間と、西海岸の大物プロモーターにそそのかされて少しの間ロサンゼルスに滞在したことを除いて、常にシカゴで才能を発揮してきた。アメリカボクシング史で最高のコーチのひとりとして同年代のコーチたちに認められているディーディーは、1997年にケンタッキー州ルイビルにあるボクシングの栄誉の殿堂に選ばれた。しかし、彼は旅行代を払うことができなかったため、自分の経歴の頂点を飾るはずの式典に参加することはできなかった。
 現在、ディーディーは、サプリメンタル・セキュリティ・インカム(障害に苦しむ生活手段のない高齢者に対する連邦政府の援助プログラム)から毎月受け取る364ドルでなんとか生活している。彼は何も財産を所有せず、合計二年半の間しか賃金労働者として働いていなかったため、退職手当を受け取っていない。「俺はいろんな仕事をしたさ。レストラン、ホテル、料理人、ウェイター、何でも屋、それに、ストリートで生活したこともある。
(略)
クラブの数人のボクサーから「個人的な税金」を時々徴収することで、通常の収入を補っている。時には、隣に住んでいるデイケアセンターの所長が、子どもたちのティーパーティーの残りの食べ物を持ってくる。
(略)
 ディーディーとしては、ボクシングのほかはすることがなく、ほとんど毎日をジムで過ごしている。とてつもなく寒い冬の日で、ほとんど誰も顔を見せないときもそうなのだ。彼の時間は、トレーニングを監督することと、終わりのない長電話と、ジムの常連客との会話にあてられている。(略)
 ディーディーはウッドローン・ボクシングクラブが1977年に設立されて以来の責任者であるが、自分がそこで「働いている」とは考えていない。第一に、彼は報酬をもらっていないからだ――「やつらは俺にダイム〔10セント硬貨〕も払わない、全部ボランティアでやってるのさ。毎年、やつらは、このクラブの運営に感謝するための小さな飾り額を俺に手渡して、それだけだ。(略)
これは仕事じゃねえ。俺はただジムでうろついてるだけだ。ただそれだけだ。(略)
残りの時間は、彼がトレーニングするボクサーの試合の準備のために費やされる。彼は自分がトレーニングしたボクサーの「セコンド」としてのサービスも、わずかな料金で提供している[ファイトマネーの10%か40ドル](略)
 ほとんどのコーチと同様に、ディーディーは、彼の生徒との複雑で曖昧な関係を維持している。彼は生徒に対して、同時にトレーナーであり、指導者であり、お目付役であり、生活アドバイザーであり、相談相手である。彼らはディーディーをプロとして尊敬しているが、それ以上に、子供としての孝行心を抱いている。昔、アルフォンソと一緒にいた頃は、彼が必ず正しく食事するために、ディーディーは毎日午後にジムで料理さえしたのだ。最近は、カーティスと同じような関係をもっている。彼はカーティスに対して、見せかけの無関心と荒っぼい愛情が混ざり合った態度をとり、これはときに権威主義に変化する。この数年、彼は力ーティスと擬似父親的な関係を深めている。カーティスの前では、ディーディーはジムの外での彼の振舞いについては無関心なふりをするが、実際は絶えず心配しているのだ。(略)
カーティスの妻シェリーと毎日電話で話して、リングでのパフォーマンスに影響を与えると考えられている生活の諸局面――食物、家族関係、セックス――でカーティスがちゃんと言われたことを守っているかどうか確かめているのだ。
(略)
俺はおっさんの言うことは全部信じる。なんでかってえと、結局、(敬意を強調するために声を下げて)おっさんが70年生きて来れたのは、それなりの理由があってのことだろう? おっさんは生まれたときから70歳だったわけじゃねえ、だから俺よりもずっと多くのことを知ってるのさ。俺はおっさんに追いつくことさえできねえのさ。でもまあ、おっさんと俺は時々ちょっとした口論もしなきゃならねえ。おっさんを喜ばせるためにな。そうしたら、俺がジムを出るとき、おっさんはひとり微笑んだり、首を振ったりできるだろう……」
(略)
 カーティスのマネージャーであるジェブ・ガーニーは、イリノイ州サウスカロライナ州にいくつかの農場と厩舎を所有する、裕福な白人のドッグ・ブリーダーで、ウッドローン・ボーイズクラブの理事に名を連ねている。
(略)
やつの兄弟はみんなストリート・ファイターだ。やつらはみんな、戦い方を知っている。でも、誰もジムヘは来ない。来るのはカーティスだけだ やつには、やつより背は低いが、やつに輪をかけて性悪な兄がいる。ほんとに性悪だ。(気の毒そうな口調で)。やつがジムに来ないのはまったく残念なことだ。やつはほんとうにタフで、生まれつきのファイターなんだ。だが、やつは頭があまりよくねえんだ。頭を使うことにあまり慣れてねえんだよ。まあ、カーティスと似たようなもんだな。

アルフォンソ・ラトリフ

 われわれはアルフォンソ・ラトリフのキャリアに胸を痛めている。彼の約束された将来は実現しなかった。1983年にウッドローンでWBCライトヘビー級チャンピオンになった彼は、にもかかわらず巨額のファイトマネーを稼ぐことができなかった。そして一瞬の栄光の後、どこまでも転がり落ち、負け続けた。1985年、ドラッグに溺れていた彼はラスベガスの試合で2ラウンドでノックアウトされた。相手は彗足のごとく現われ一気にヘビー級チャンピオンヘと駆け上ったマイク・タイソンだった。ディーディーの声と視線には、うっすらと懐旧の念が滲み出ていた。「絶頂期のフォンソは別格だった」。アルフォンソは、窃盗罪でアメリカ南部の刑務所に六年間入っていたことがある。そこで彼はすでに隆々としていた筋肉をさらに鍛え上げ、ボクサーになるという決意を固めたのだった。刑期を終えてシカゴに戻ってから、彼はボーイズ・クラブに入会した。けれども五ヵ月後、ディーディーは彼をジムから追い出した。スパーリングでボコボコにされたためにロッカー・ルームで激昂し暴れまわったからである。その後、このウッドローン・ジムの巨漢児は改心し、ベテランコーチ・ディーディーは彼の世話をするようになった。そのときから、アルフォンソはリングで負け知らずとなった。