『正戦と内戦』その4 権力の前室、統治の機密

 

前回のつづき。

モンロー主義の道徳的犯罪化

[孤立から普遍主義的干渉への]反転が起こるのは、モンロー宣言が単なる孤立線ではなく、ある種の「検疫隔離線」であったからである。つまり、それは専制と腐敗の領域たる旧大陸ヨーロッパから、平和と自由の領域であるアメリカ新大陸を守るという、ひとつの道徳的な含意を有した分割線だったのである。
(略)
[問題なのは]この線がもつ道徳的性格は、アメリカ以外の世界の他の地域を道徳的に差別化することに通じている。それゆえ、1900年前後に生じたアメリカの帝国主義的転換は、単に経済的ではなく、道徳的な要求をも伴った普遍主義を帰結するのである。シュミットが経済支配にもまして恐れるのは、こうした道徳的犯罪化である。
(略)
シュミットは、こうした正戦思想を取っているという点において、ソ連もまたアメリカと同類であるとみなすのである。(略)
「ここに、一見したところ信じ難いような、西欧資本主義と東方ボルシェヴィズムとの同盟の秘密がある。どちらの側にとっても、この戦争は、全地球的で全面的である以上、これまでのヨーロッパ国際法の国家間戦争から世界−内戦へと変化する。ここでは、レーニンが総力戦の問題について表明したことのより深い意味も明らかとなる。彼は、今日の地上の状況にあっては、ある種の正戦、すなわち内戦しかありえないと強調したのだった」

「権力の前室」

秘密にとどまる不可視の領域は、ここでは国家の公共性を脅かす間接権力が生成する場とみなされている。つまり、場所喪失をひき起こすようなもう一つの「秘奥」が存在するのである。これを問題にしている戦後シュミットの理論的モチーフが、いわゆる「権力の前室」である。彼は、法と主権に不確実性をもたらすような不可視の権力執行の領野を発見するのである。(略)これによって、1920年代の『政治神学』での主権理論は、事実上放棄されるまでに根本的な変更を迫られるだろう。というのも、主権者が例外状態について決定するというシュミットの定式とは裏腹に、そもそも主権と例外状態とのあいだには本質的な齟齬が存在していたからである。
 法に本質的に備わる解釈と運用の余地、すなわち、法の「政治的剰余価値」こそが、秘密の権力領野を不可避的に生み出すことになる。シュミットにすれば、このことに盲目である者は、法が政治的な道具として恣意的に利用される「合法的革命」の危険に無防備となってしまう。こうした「合法的革命」に対する彼の懸念は、すでに戦前の「憲法の番人」という問題設定に見て取ることができるが、まさにこの問題が、戦後のドイツ連邦共和国の法的・政治的実践を強く規定することになる。

[ナチス体制の問題点はヒトラー独裁ではなく]

一個人への権力集中がかえって、その者でさえもコントロールできない権力闘争の場を開くことになったという点にほかならない。その場とはつまり、権力者に「アクセス」するための通路である。「政治権力が一つの地位に集中し、一個人の手に集中するほど、この地位と個人へのアクセスがもっとも重要な政治上、組織上、憲法律上の問題になっていく。絶対君主へのアクセスをめぐる闘争、彼への助言、情報提供、直接の上奏などをめぐる闘争が、絶対主義の憲法史における本来の内容である」。
(略)
ヒトラーの名目上の全権と人間個人としての彼の能力の限界との間隙を埋めるものとして、ヒトラーの側近たちが非公式の権力者として登場してくる。権力者にアクセスする者たちの活動の場がこうして広がることは、権力者の地位の実質的な浸食をもたらすだろう。彼はその権力が増すほど、一個の人間としての自らの無力に直面するという逆説があるのだ。これがいわゆる、「権力と無力の弁証法」である。権力者の決断はつねに、彼にアクセスする通路と、そこに集う廷臣や側近たちに依存せざるをえないのだ。
(略)
『政治神学』では、例外状態において法秩序を確立する主権者は「究極的な決定の独占」を手にしており、国家主権の本質は「決断の独占」にあるとされていたが、いまやシュミットは、こうした全能の決断が不可能であることを否応なしに認めざるをえなくなる。つまり重要なのは、もはや主権者の決断ではなく、むしろ、主権者への取次ぎが行なわれる「前室」もしくは「控えの間」でなされる権力闘争のほうであるとみなされるようになるのだ。
(略)
シュミットの思考の中心は、国家主権の理論から、主権者の前室における「権力の社会学」へと移行するのである。すなわち、「「権力者へのアクセス」を独占することのほうが、「決断の独占」よりも重要である」。
(略)
「権力は何か悪しきものではなく、何かまったく見知らぬものである。権力に従う者にとってと同じく、権力を担う者にとってさえ見知らぬものなのである」。

肥大化する行政への不信

シュミットは、1952年にヘッセン州で州憲法第41条(いわゆる「社会化条項」)に基づいた鉱山・鉄鋼業の社会化(すなわち国有化) の是非が問題になったとき、ある製鉄所からの依頼で作成した法鑑定書のなかで、この憲法条項を文字通りそのまま直接的に適用することに反対していた。執行府によるそうした「直接的憲法執行」は、「法治国家から行政国家へというそれ自体すでに危険を孕んだ発展」をもたらすのであり、こうした行政権の肥大化を防ぐためには、「憲法と国家の執行府による憲法執行とのあいだに法律規則を中間挿入すること」が不可欠だというのである。
(略)
 このように行政権による直接的執行を非難するこれら戦後の著作から見て取れるのは、シュミットが戦前の立場を撤回しているということである。すなわち、ヴァイマール期の彼は、立法府の制定する法律よりも執行府の下す措置のほうに重要性を認めていたが、いまやこうした立場は放棄されるのである。1920年代には、例外状態におけるライヒ大統領の(略)措置は憲法を「侵犯する」が、これは憲法を「改正」するのでも、「無効化する」のでも、「撤廃する」のでもなく、「憲法諸規定の例外を通じて全体としての憲法そのものを救うという、独裁の典型的手段である」、と。そして30年代前半には、世界恐慌以後の激しく変動する社会状況に柔軟に対応するために、「法律と措置との無差別」を「措置のレベルで実現する」ような行政国家が要求されていた。これに対して、戦後の著作を特徴付けているのはまったく逆に、法律の媒介を経ることのない執行府の措置に対する不信なのである。

機密理論、警察暴力による法の退廃

近代初期の国家論においては、法についての理論とともに、統治の実地技術に関わる教説が大々的に発達することになった。ドイツの機密理論家アルノルト・クラプマリウスの著作では、秘密の領域で遂行される権力技法としての「機密」の理論が「法」のそれと並ぶ位置価を与えられている。こうした「機密」としての統治技術こそ、絶対主義における官房政治の基礎を成していたのである。
 シュミットにしてみれば、このような「国家と政治を権力の維持および拡大の技術としてのみ扱う学説」は到底許容しえないものであった。彼にとって、ボダンやホッブズが打ち立てた近代国家主権の偉大さは、一方では、神学的な自然法的正義に基づいた中世的な暴君放伐論を退けることで、教会の間接権力を排除した点にある。だが他方で、この主権理論家は、もう一方の敵として、近代初期の国家理性学派や官房学派の技術主義的な国家観に対峙してもいたのである。
(略)
シュミットは戦後になってから、今日の法学は神学と技術とのはざまで窮状に直面しているということを繰り返し主張している。
(略)
生成しつつあった国家主権は、神学に抵抗すると同時に政治の技術主義的な還元をも批判するという、二方面の戦線を闘わねばならなかったのである。したがってシュミットは、単なる統治技術としての執行権力を法秩序の規範根拠である主権に繋ぎ留めることをも、自らの重要な課題とした。例外状態や独裁についての彼の理論構築は、まさにそのための努力にほかならなかった。
(略)
絶対王政期には「官房学」や「内務行政学」といった、行政による統治技術の学が練り上げられていく。集権化された近代国家の本質は、国家の公開性を現示する主権者そのものよりも、そのもとで機能する巨大な執行機関にあるのだ。かくしてベンヤミンは、シュミットの主権理論への批判的応答として、バロック王権の特質をむしろ官僚機構と執行権のうちに見ようとした。
(略)
近代国家は、統治の公開性を保証する法の支配のみならず、さまざまな統治の「機密」を発展させたのであり、警察の実践はその典型となる。そこにはいわば、執行活動が法を超えて拡大するという現象が顕著に現れるのである。
 ベンヤミンにとって、警察活動の肥大化は単に絶対主義国家のみを特徴付けるものではなかった。彼がバロック王権下での警察について述べていることは、すでに1921年の『暴力批判論』のなかで、民主主義体制のもとでも変わることのない(否むしろいっそう悪化する)近代警察の特徴として指摘されていた。
(略)
ここで問題となっているのは、単に絶対君主が警察機構を通じてその支配権を社会全体に広げていくということではない。むしろ、この執行機関が、主権者の制定する法律の単なる執行機関に甘んじることがないということこそが問題なのである。警察暴力が無定形なのは、それが単に「法維持的」ではない「法措定的」な性格を持っているからである。つまり、警察は少しでも法に不確定な部分があるや、それを自由に解釈・運用することで、事実上新たに法を作り出す。これは名目上は主権者によって制定された法の執行であるにもかかわらず、当のこの法は執行活動がそのような恣意に陥るのを完全に防ぐことはできない。法は具体的状況において自分自身がいかに解釈・適用・執行されるかを命じることができないという、法が原理的に抱えている欠落こそが、警察暴力による法の退廃をひき起こすのである。

再び「統治の機密」へと変容

シュミットの好む言葉で言えば、法を手にする者は同時に、法を超えた「余得」あるいは「剰余価値」をも得るからである。それゆえ執行権力は、例外状態では一つの逆説的な性格を帯びる、つまりそれは、もはや単なる適用であることをやめた法適用、「適用を停止することによって適用する」ような自立的な力として現れるのだ。「自分自身を停止する法の弁証法」がその極限に至る地点では、法の維持とその侵犯とが区別できなくなる。例外状態では、法の執行者はあたかも犯罪者となるかのようだ。
(略)
法適用の実践が法規範に対して自立的な位置価をもつことを主張した初期の『法律と判決』は、法適用が適用されるべき当の法を踏み超えてしまう例外状態を発見した1920年代の独裁論へと繋がっていった。(略)
「権力の前室」についての後期の議論では、シュミットは、執行権力を特定の主権的審級(君主であれ人民であれ)によって統御することが原理的に不可能であることを意識せざるをえなくなっている。(略)
そこには、伝統的に民主主義的な代表機能や法秩序の正統化機能を担ってきた主権概念の危機が現れている。そのように統治の公開性の基礎となってきた主権は、警察を始めとする執行権力の秘密めいた活動に取って代わられつつあるのだ。政治はいまや再び、シュミットが近代初期に主権概念によって克服されたと考えたような権力技術へと、タキトゥスに由来し、クラプマリウスによって人口に膾炙した語で言うところの「統治の機密」へと変容しつつあるのだ。
シュミット的な口吻で言えば、神学と技術のはざまで自らの存立を保ってきた法学は、今日、近代初期にそうだったように神学の側からではなく、むしろ技術の側から脅かされつつある。

サッチャリズム

1979年に誕生したサッチャー政権は、イギリスのマルクス主義者にとって大きな挑戦であった。それは70年代の危機に対する右からの応答であり、しかもそれは大衆の広範な支持を獲得することに成功した一つのポピュリズム的な政治現象となったのである。(略)
 致命的だったのは、社会民主主義における「国家主義」の立場が、サッチャー新自由主義的な言説の格好の標的になったことである。(略)社会民主主義的なコーポラティズムと福祉国家政策は、国家に寄生する既得権者を生み出して「統治不能」をひき起こしている元凶とみなされるようになる。福祉国家を通じた物質的な再配分という社会民主主義的な政策は、その説得力を失っていくのである。こうして誕生したサッチャー政権は、その新自由主義政策が失業率の回復等の点でほとんど成果を挙げなかったにもかかわらず、労働者階級を含む大衆的な支持を維持することに成功し、80年代を通じて政権を担当し続けることになる。ホールを始めとするマルクス主義理論家は、そうした「サッチャリズム」のうちに、これまでのような社会民主主義的な政治を無力化してしまうような根本的に新しい政治実践の一表現を見たのである。すなわち、経済政策を通じた物質的な利害の調整ではなく、大衆の同意を獲得するためのイデオロギー実践を主要な手段とするヘゲモニーの政治である。(略)
[ホール、ラクラウ、ムフ]の見るところ、左翼の実践は多かれ少なかれ、文化やイデオロギーは下部構造の物質的・経済的利害に規定されるという古典的な唯物論をいまだに引きずっている。福祉国家政策の推進によって、イデオロギー的なレベルでの人々の支持もおのずから獲得できると見込んでいるわけである。しかし、そうして労働党などの左派勢力が「国家主義」に固執している間に、サッチャリズムのほうは「反国家主義」を強力な「ポピュリスト的なスローガン」にすることで、大規模な支持を動員することができた。サッチャーが「人民とともに」ある一方、社会民主主義のほうは国家やその官僚制と癒着しているというキャンペーンが奏功するのである。

結語

 東西冷戦が終結した1990年代以降、シュミットの国際秩序思想は再度脚光を浴びることになった。(略)
[湾岸戦争ソマリア介入、]コソボ紛争に伴うユーゴ空爆など、いわば国際的な治安警察行動として行なわれたこれらの戦争は、人権原理主義を批判する新右翼のみならず、左派理論家たちにとっても、かつてのシュミットの正戦批判を想起させるものであった。
(略)
また、少なからぬ国際的な人道法規の侵害が問題となったイラク戦争とともに、シュミットの理論の別の契機も注目を集めるようになる。すなわち、法を守るために法を停止するという例外状態である。9.11以後のアメリカの「新世界秩序」は、グローバルな規模での例外の日常化もしくは「永続的な例外状態」として捉えら警察力による治安の維持・管理よってますます浸食され、空洞化されるというわけである。
(略)
例外状態は規範に対する技術の優位によって特徴付けられる空間であり、シュミットが恐れたその否定的な側面から見た帰結は、法の規範的拘束力がその技術的性格によって完全に取って代わられるという事態である。そのとき法は、単純に廃棄されてしまうというよりも、不可視の権力関係に従属し、それを領有すべく争われる一種の技術的な装置となるのである。
(略)
シュミットの洞察の一つは、政治的なものは直接的な主張対立のうちに現れるだけでなく、こうした対立が起こり調停される舞台そのものの決定という、より根本的なレベルで作用しているということである。それゆえ、政治は国際的か国内的かを問わず、ルールの掌握によってヘゲモニーを獲得するための闘争であることを止めたことはない。
(略)
 現在進行中のグローバル化も、まさにこうした観点から見なければならない。(略)
たとえ純粋に経済的な現象であるように見えたとしても、そこにはグローバル・スタンダードとなるようなルールや法規範をめぐる政治闘争の力学が不可避的に働いている。そして、そのような闘争を通じてヘゲモニーを獲得した一定のルールを諸国家が受け入れていくことが、グローバル化という出来事の内実であると言える。
 グローバル化の時代にあっても国家が決して消滅しない理由はここにある。国家は、仮に1970年代以降の福祉国家の危機によって財政政策に基づく再配分機能を縮小してきたとしても、なお法とルールを決定し貫徹するための最重要のアクターであり続ける。したがって、国家は市場と経済のルールをめぐる争いの主戦場となってきた。グローバル化を通じて国家がなくなるというよりも、国家を通じてグローバル化は進展してきたのである。
(略)
 ムフは正当にもこのことを、「政治の終焉」が到来したようにも思えた90年代になって、シュミット援用しつつ繰り返し指摘していた。
(略)
 したがって国家はそれ自体、むしろグローバル化の担い手としての機能を果たしていると言える。とはいえこのことは、今日のグローバル化のなかで、国家の性格が従来のそれとはまったく変わらぬままであり続けることを意味するわけではない。むしろ90年代以降、国家は自ら世界市場の新自由主義的な構造を内面化するようなかたちで、国内の法的・制度的な転換を遂行してきた。国家はいわば、自らをグローバルな資本の運動の一部に組み込むような一種の自己植民地化を行なってきたのである。このようなグローバル化によって危機に晒されているのは、国家そのものではない。むしろ、いまや存立の危機にあるのは、民主主義的決定という近代の政治的正統性の基礎となってきた「主権」国家あるいは「国民」国家なのである。
(略)
あまりに過大な要求を国家に課す民主主義の過重負荷ゆえに、国家が市場経済の求める統治要求に応えられていないとみなされるのである。かくして統治能力の回復のために規制緩和と民営化による「小さな政府」が志向され
(略)
国家の役割が、直接的な公共支出を通じた再配分から、人々が最大限の自由をもって活動するインセンティヴを作り出すような制度的枠組の構築へとその位相を移した
(略)
70年代以降に企てられたのは、経済構造の世界的変動に対応した国家の新たな法制度的な統治体制の確立にほかならない。
 だが、民間の行為主体の自己統治と自己責任に焦点を合わせたこの構造転換によって、従来の国家の立法の正統化源泉は掘り崩されていく。
(略)
法に求められる機能は、国民の主権的意志を体現することよりも、新自由主義的に構築された世界経済に国内体制を適合させることへと移行していく。国家とその立法は、いわばグローバルな市場経済の局所的な執行機関になるのである。
(略)
国家は、主権と国民を置き去りにし、グローバルな経済布置のなかで機能を果す一つのテクノロジー装置になることで生き延びを図ろうとする。いまや国家の存立に正統性を与えるのは、新自由主義的な市場システムの統治要求に適った経済合理性となるのである。
(略)
 シュミットが「国家の終焉」を診断したときに念頭にあったのも、国家そのものの消滅ではなく、むしろ経済とテクノロジーによって近代的な国家主権、さらには国民主権の原理が空洞化されているという事態にほかならない。
(略)
生き残るのは国家であり、必ずしも国民(ネイション)ではない。国家の統治能力のために必要とされるのは、法権利主体としての国民よりも、資本主義生産の変動にフレキシブルに適合しうる「自由な」個人となる。
(略)
「ガヴァメントからガヴァナンスヘ」の移行によって、国家は自らの内部に従来のような形態での民主主義的な公開性が及ばない領域を広げつつある。
(略)
限りなく自由でフレキシブルな活動を要求する世界市場に対応した国家の構造転換とともに、主権・代表・法権利といった従来の政治的公開性の基礎を浸食するような秘密の領野が拡大するのである。近代の政治的な公共空間は、その彼岸にある秘密の統治力学によって簒奪される。
(略)
今日における政治的なものの思考は、近代的な主権や法権利の彼岸にあるこの例外状態から新たな政治的公共空間を創出する可能性に賭けられているのである。