マルクスとフランス革命・その3

前回のつづき
後半部はマルクスのテクスト抜粋集。

テクスト4

ユダヤ人問題について』

 今まさに自己を解放し始めた国民、さまざまの成員の間の障壁をとりはずし、政治的共同体の基礎を築こうとし始めた国民、そういう国民が、利己的な人間、隣人からも共同体からも切り離された人間の正当化を堂々と宣言し(1791年の憲法)、いやそれどころか、もっとも英雄的な献身のみが国民を救うことができ、しかもそうした献身がぜひとも必要とされる瞬間に、市民社会のあらゆる利害をその犠牲にささげることが日程に乗り、エゴイズムが一つの罪として罰されねばならない瞬間に、こういう宣言が繰り返されたということ(1793年の人間およびなどなどの権利宣言)、これがすでに謎めいたことである。だが、以下のことを見ると、それ以上に不可解である。つまり、国家公民であることの本質、すなわち政治的共同存在が、政治的解放を志向する者たちの手によって、いわゆる人権の保持のためのたんなる手段に引き下げられてしまっていることである。だからそこでは、公民は利己的な人間の召し使いだと宣言され、共同存在として人間が振る舞う[国家公民としての]領域が、限られた部分的なものに格下げされ、ついには公民としての人間ではなく、ブルジョアとしての人間が、本来の真の人間だとされる。こういう事態を見るのは、なんとも不可思議としか言いようがない。

「あらゆる政治的結合の目的は、人間の自然から与えられた不滅の諸権利を保全することにある」(1791年の人権宣言)
「政府は人間に、自然から与えられたその不滅の諸権利の享受を保証するために制定される」(1793年の宣言)

 こうして政治的生活は、それがまだ若々しい熱狂に燃え、その熱狂が事態の急迫によって頂点に達した瞬間においてさえ、自らを、市民社会の存続を目的とするたんなる手段だと宣言していることになる。たしかにその革命的実践は、その理論とは明白に矛盾している。たとえば、安全が人権の一つだと宣言されている一方で、信書の秘密の侵害が毎日のように公然となされている。「報道の無制限な自由」(1793年憲法)が、人権の、そして個人的自由の帰結として保証される一方で、報道の自由は完全に否認されている。なぜなら、「報道の自由は、それが公共の自由を侵す場合には、許されるべきではない」(ロベスピエールの弟の言葉『フランス革命議会史』)とされているからである。したがって、自由という人権は、政治的生活と衝突するや否や、権利であることを止めるし、他方、理論上、政治的生活は、個人としての人間の権利である人権を保証するためにのみ存在しているのであって、その目的である人権と矛盾するや否や廃棄されねばならないはずなのだが。しかし実践はあくまで例外であって、理論の方が、原則なのである。もちろん、革命的実践を、この関係に対する正しい立場だと見ようとすることもあろう。とはいえその場合でも、なぜ政治的解放をめざす人たちの意識のうちではこの関係がさかさまになり、目的が手段に、手段が目的のようになるのか、という謎はいぜんとして、解き残されている。

現実的な国家として建て直した政治革命は、共同存在という在り方から人民を引き離してきた、すべての身分、職業団体、同業組合、さまざまの特権といったその分離の表現形態を粉砕した。それによって政治革命は、市民社会の政治的性格を廃棄したのである。(略)
政治革命は、いわば封建社会のときにはその各種の袋小路へと分割解体され、散らばっていた政治的精神を鎖から解き放った。つまりそれは、散らばっていた政治的精神を結集し、市民的生活との混交から解放し、共同存在の領域として確立した。そこでは政治的精神は、市民生活のあのさまざまな特殊な要素からは理念上独立した普遍的な、人民の仕事となっている。特定の生活活動や特定の生活状況は、たんに個人的な意味しか持たないものに格下げされてしまった。それらはもう国家全体に対する個人の普遍的関係を規定するものではない。
(略)
 封建社会はその基盤へ、人間へと解体された。ただしその場合の人間とは、現実にその基盤をなしていた人間、つまり利己的な人間にほかならない。
 こういう人間、市民社会の成員である人間が、今や政治的国家の基礎であり前提である。そういう人間が、政治的国家によって、各種の人権に関して承認されているのだ。
 しかしながら、利己的人間の自由とこの自由の承認とは、むしろ彼らの生活内容をなしている精神的、物質的諸要素のとどまるところを知らぬ運動を承認することを意味する。
 だから人間は宗教から解放されたのではない。彼はただ宗教の自由を得ただけである。人間は所有から解放されたのではない。所有の自由を得ただけである。
(略)
市民社会の成員としての人間、つまり非政治的人間は、必然的に自然的人間として現れる。人間の権利は自然権として現れる。なぜなら自覚的な活動は、政治的行動へと集中するからである。利己的人間は、解体した社会の、受動的な結果、所与の結果にすぎず、直接的な確実性の対象、つまりは自然的な対象となる。政治革命は市民生活をその構成部分に解体しはするが、それらの構成部分そのものを革命し批判にさらそうとはしない。政治革命は市民社会、つまり欲求と労働、私利、私権の世界に対しては、それらが自らの存立基盤、それ以上基礎づけられない前提、つまりはその自然的土台であるかのような態度をとる。つまるところ、市民社会の成員のような人間が、本来の人間であり、公民とは区別された人間と見なされることになる。それというのも、そういう人間は、感性を持った個人的なもっとも身近な存在だからであり、それに対して政治的人間は、抽象化された人工的人間であり、比喩的で、道徳的な人格としての人間だからである。現実の人間は利己的な人間の姿において、真の人間は抽象的公民という姿において、初めてそれとして認められることになる。
(略)
 あらゆる解放は、人間の世界を、そのさまざまの関係を、人間自身へと復帰させることである。
 政治的解放は、人間を一方では市民社会の成員つまり利己的に独立した個人へ、他方では国家公民、つまり道徳的人格へと還元するだけである。
 現実の一人一人の個人が、抽象的な公民を自分のうちにとりもどし、個人としての人間がその経験的生活、その個人的労働、その個人的諸関係の中で、類的存在となった時、つまり人間がその「固有の力」を社会的力として認識し、組織し、それゆえに社会的力を政治的力という形でもはや自分から切り離すことがなくなる時、はじめて人間的解放が成就されるだろう。

テクスト5

ヘーゲル法哲学批判 序説』

プロレタリアートは、工業化の動きが始まってはじめてドイツに現れる。(略)自然的に発生した貧困ではなく、人為的に作り出された貧困、社会の重力によって機械的に押しつぶされた集団ではなく、社会の現実の解体、特に中産階級の解体によって生まれた人間集団がプロレタリアートなのである。(略)
 プロレタリアートは、これまでの世界秩序の解体を告げる。だが、それは、プロレタリアート自身の存在の秘密を明らかに述べているだけのことである。というのも、プロレタリアートは、この世界秩序の事実上の解体だからである。プロレタリアートは、私有財産の否定を要求する。だが、それは、社会がプロレタリアートの原理にしてしまったことを、つまり、プロレタリアートがなにもしないのに社会の否定的結末としてプロレタリアートのうちに体現されていることを、プロレタリアートが社会の原理に高めるだけのことである。既存の世界ではドイツの王たちは馬をさしてわが馬と呼び、民をさしてわが民と呼んだ。来るべき世界では、プロレタリアがその同じ権利を行使するのだ。王は、国民を自己の私有財産であると宣言するなら、それによって彼は、私有財産の保侍者こそは王であると、明言しているにすぎないのだ。
(略)
解放の頭脳は哲学であり、解放の心臓はプロレタリアートである。哲学は、プロレタリアートの廃止なくしては、現実化され得ないし、プロレタリアートは、哲学の現実化なしには自己自身を廃止できない。

テクスト9

『ドイツイデオロギー……』

 「現存秩序から脱出する」(略)
それは古くからある幻想なのだ。この幻想によれば、国家のメンバーが全員逃げ出せば国家はあえなく崩壊するとか、すべての労働者が受け取りを拒否すれば貨幣の価値は消滅する、というものである。この文句の仮説的形式はそれだけでもう、この恭しい願望が幻想的で無力なものであることを如実に示している。この古い幻想によると現存条件は観念であるのだから、これらの条件が変わるかどうかは人々の善意だけに左右されるという。(略)
このようにこの世の上方にある観念へと自分を高めることは、世界に直面した哲学者たちの無力さのイデオロギー的表現である。哲学者たちのイデオロギー的な空話は日々実践によって否定されている。
(略)
彼は新しい制度を作りだそうとするのが革命なのだと言えば、それで革命にとどめの一撃を与えたと思い込んでいる。ところが、反逆はわれわれを諸制度のなかに編入させないようにするし、編入どころか反対にわれわれ自身を組織するに至るのだ。けれども、「われわれ」が「われわれ」を組織するのだ、反逆者とは「われわれ」のことなのだ、という事実のなかにはすでに、サンチョが「われわれ」をどれほど「嫌おう」と個人が「われわれ」によって「組織され」ざるをえないことが含まれている。したがって、革命と反逆との違いがあるとすれば、それは一方[革命]がこの事実を自覚しており、他方[反逆]が幻想を抱いていることにある。つぎにサンチョは、反逆が「成功する」のかどうかという問題を宙づりにしたままにする。たしかに、どうして反逆が「成功」しないのかはわからないし、どうして反逆が成功するのかはもっとわからない。というのは、反逆者たちの一人一人が自分なりの道だけを進むからである。
(略)
さらにサンチョは現存秩序の「転覆」とこの秩序を「越え出ていく」ことのあいだに「なげかわしい区別」――またもや混乱した区別だが――を立てる。サンチョのやり方は、あたかも秩序をひっくり返しながらも秩序を越え出ることができないかのようであり、また自分自身がこの秩序の構成要素であるという理由から誰でも秩序を越え出て秩序をひっくり返すことができないかのようである。
(略)
 フランス革命がいくつかの「制度」に行き着いたという事実について語りながら、サンチョはそこから革命なるものがそれを「命じる」のだという結論にもっていく。政治革命が実際に政治的であったこと、またその革命のなかで社会的変動が憲法闘争の姿をとって公式に表現されたことから、サンチョは彼の歴史仲買人[バウアー]に忠実に従って、闘争の目標が最良の憲法を選ぶことであったと結論した。
(略)
分業を廃棄するコミューン型共同社会をめざす革命は結局のところ政治制度の消滅に行き着くのである。最後に、コミューン型共同社会をめざす革命は「才知ある改革者たちの社会的構想力」に導かれるのではなく、生産能力の状態によって導かれることも明らかになる。
 ところが、「反逆は憲法なしで生きることを願う」というのだ!「自由に生まれた」彼、あらゆる足枷をはじめから打ち砕いたその彼が、あげくのはてに憲法なしですませたいと願うのだ。

テクスト13

 ブルジョワジーが政治的に、すなわちその国家権力によって、「所有関係のなかの不正」を「維持している」とはいえ、ブルジョワジーがこの不正を創造するのではない。「所有関係のなかの不正」は、近代的分業、交換の近代的形態、競争、集中、等々から生じるのであって、けっしてブルジョワ階級の政治的支配の結果ではない。むしろ、反対に、ブルジョワ階級の政治的支配は、ブルジョワエコノミストたちが永遠の必然的法則と宣言した近代生産関係の結果なのである。したがって、ブロレタリアートがブルジョワジーの政治的支配をひっくり返すとしても、その勝利は一時的にすぎず、1794年の場合と同様に、ブルジョワ革命に奉仕する一要因にすぎないだろう。歴史の進展にそって、歴史の「運動」のなかで、ブルジョワ的生産様式の廃棄、したがってブルジョワの政治的支配の決定的没落を必然にする物的条件が創造されないかぎり、そうなるだろう。したがって、恐怖政治体制はフランスでは封建制の廃墟をフランスの大地からハンマーの一撃のもとに魔術のように消滅させることに役立っただけである。実際のブルジョワジーは臆病で妥協的であるから、たとえ数十年をかけてもこのつらい仕事をなしとげることはできなかっただろう。だからこそ、人民の流血の行為が、ブルジョワジーのために道を用意してやったのである。同様に、絶対君主制の没落は、ブルジョワ階級の支配のために必要な経済条件がまだ熟していないかぎりは、一時的なものにすぎないであろう。人々はたしかに新しい世界を建設するが、それはがさつな迷信が信じているような「現世の善行」によるのではなくて、沈没しつつある人間界が作りだした歴史的成果のおかげなのである。人間は近代化するなかで、まずは自力で新しい社会の物的条件を生産しなければならない。精神や意志がどれほど努力したところで、それは人間をこの運命から解放することはできない。
(略)
ブルジョワジーが一国のなかで経済的に発展し、したがって国家権力がますますブルジョワ的表情をみせるにつれて、それだけますます社会問題も鋭い相貌をみせるようになる――フランスではドイツよりも鋭く、イギリスではフランスよりも鋭く、立憲君主制では絶対君主制よりも鋭く、現れる。同様にたとえば、信用制度や投機等々から生じる数々の衝突が北アメリカ以上に現れるところはどこにもない。さらに、社会的不平等が最も残虐な仕方で現れるところは北アメリカの東部諸州である。なぜかといえば、そこでは社会的不平等が政治的不平等によって粉飾されることが最も少ないからである。アメリカ東部諧州では極貧層がまだイギリスほど発展していない。その理由は経済事情にあるのだが、ここではこれ以上語る必要はあるまい