近代ドイツ政治思想の起源・その3

(近代ドイツ政治思想の起源・その2 - 本と奇妙な煙)のつづき。
もうグッタリなのでちゃちゃっと終了。

ヤコービ

ヤコービが重要であるのは、彼が自由主義を早くから擁護したという理由からだけではない。彼はまたフランス革命に対する鋭い批判者の一人でもあった。同時代人の中で彼ほど的確で鋭くかつ挑戦的な批判を行なった者はほとんどいなかった。メーストルの反啓蒙主義に陥ることなしに、彼は啓蒙絶対主義と革命的イデオロギーの背後に横たわる理性への信仰を疑問に付した。ヤコービにとって、ヨーゼフ二世の専制ロベスピエール専制との間にはほとんど差がなかった。両者はともに「理性の専制」の見本であった。
(略)
フランス人は人間存在の目的を自分たちの物質的関心を満たすことであると考え、他の人間の関心について顧慮しないようだ。実際、エゴイズムを守るだけでしかない人間の権利とは何なのだ。もしジャコバンの思い通りになれば、彼らは社会のすべてを勝手気ままな競争の修羅場にしてしまうであろう。古い道徳的論価値のすべては雲散霧消してしまうであろう。慈善、名誉、愛、恭順などの余地もなくなってしまうであろう。
(略)
彼がフランス革命を歓迎したのは、フランスがより偉大な政治的自由と立憲政府を必要としていると信じたからであった。
(略)
ヤコービは旧体制への愛着をまったく持っていなかったし、その終焉を不可避的なことと見ていた。彼はあらゆる形態の専制を鋭く批判し、貴族の諸特権も賛成できなかった。彼は最も厳しい言葉で、亡命貴族は「さらなる暗黒を求めて手を伸ばしている」と彼らの反動精神を糾弾した。
(略)
後のフランス革命の受容は、少なからず彼の自由主義的諸原理によって決定されていた。というのも彼はフランスの急進派は理性の名の下に諸自由を破壊するであろうことを恐れていたからである。
(略)
ロマン主義者とは異なって、ヤコービは祖国愛という国家との情緒的な絆にもなんの価値も見出さなかった。真の啓蒙主義者と同様に、彼はコスモポリタンであり、「世界市民主義」の諸価値を信ずる者であった。彼は祖国愛には懐疑的であった。祖国愛は小専制君主たちに都合のよいものになってしまうのではないかと危惧していた。
(略)
彼は国家の真の基礎は、宗教、特に実定宗教、すなわち聖書に見出されるような歴史的救済への信念にあると主張した。あらゆる政治社会は人びとが約束を守ることを要請する。しかし人びとがそうするように動機づけられるのは、人びとが摂理と人格神への信仰を持つ限りにおいてである。しかしながら信仰は理性によって与えられるものではなく、救済によって、すなわち聖書に見出される奇跡の記録によってのみ与えられうる。しかし自分の解答がもはや実現可能なものではないことをヤコービはあまりにもよく知っていた。同時代の理性主義の増大のゆえに古い信仰が廃れつつあることを、彼ははっきりと見ていた。宗教はわれわれの公民的幸福にとっても個人的幸福にとっても必要かもしれないが、それはすでにお伽話のように思われた。こうした困難な状況はヤコービを不機嫌にした。
(略)
あらゆる真の信仰は精神の贈り物を必要とする。しかし精神はどんな法的形式にも規範化されえない。ではどのようにして宗教的信仰は国家の基礎たりうるのか。社会的かつ政治的安定は国家に依拠しているが、宗教的信仰の存在を確保するための手段として法的手段が存するべきではない。まさに神権政治の思想ほどヤコービに嫌悪感を起こさせるものはなかった。ついに、彼は決死の跳躍に訴え、自分の信仰のすべてを機械仕掛けの神に委ねた。ともあれ宗教的信仰はまさに自然的にかつ自発的に信者それぞれの心のうちから湧き出るものであろう。この教義は実際のところユートピア的でありアナーキーでさえある。しかしヤコービはそうした結論を引き出すことにたじろがなかった。

ヘルダー

 ヘルダーの歴史主義の背後にある動機を検討してきたが、これで、なぜヘルダーが見かけに反して保守的思想家どころかはるかに急進的な思想家であったかが明らかになるであろう。歴史主義のあらゆる保守主義的な使用法や含意(略)にもかかわらず、ヘルダーは権威への要求を支えるよりもむしろそれを掘り崩そうとした。彼の歴史主義は本来的に社会的、文化的、政治的批判の武器たることを意味した。
 歴史主義をどのように扱おうと、歴史主義は相対主義に帰着するのではないかという疑問が不可避的に生ずる。道徳的、法的、美的基準が特定の文化の普遍化された価値にすぎないと主張すれば、どのような文化もその文化自身の基準に従う以外に批判できないように思われる。こうした結論は、文化的寛容と差異を擁護しようとするヘルダーにダメージを与えるであろう。彼が不寛容で帝国主義的な文化行為を批判したかっただけだとしても、なんらかの普遍的基準を持たなければならない。
 何年もの間ヘルダーは相対主義の問題を鋭く認識していた。そしてその問題を避けることこそがまさに彼の歴史哲学の中心的課題の一つであった。
(略)
彼は、自分の目的は二つの極端、すなわち自分たちの時代の基準を適用することによってだけ歴史の中に進歩を見ようとする啓蒙主義者と、歴史の中に変化だけを見出し進歩や普遍的価値を見出そうとしない懐疑主義者との間に、中間の道を見出すことであると説明した。
(略)
 ではヘルダーは相対主義の危険をどのようにして避けようとしたのか。(略)彼の戦略の本質は、歴史に有機体論的なものとの類似性を見出すことにあった。
(略)
彼がそれぞれの文化の自律性と個体性を強調したのは、あらゆる価値は相対的であると信じたからではなく、それぞれの文化はその発展のそれぞれの段階の人間性に相応しい価値を持っていると考えたからである
(略)
啓蒙の歴史家たちが道を踏み誤るのは、彼らが一つの文化の基準を他の文化に適用するからというだけでなく、彼らが人間性のはるかに成熟し発展した段階の基準をそれよりもずっと未開で未発達の段階に適用するからである。彼らが理解し損ねているのは、文化的諸価値が共約不可能であるという点ではなく、進んだ時代に相応しいものは初期の時代には相応しくないということである[ちょうど大人にとってよいものが子供にとってはよくないように]。こうした有機体的表現で語ることによって、ヘルダーは、諸文化は互いに共約不可能であるが同時に一つの基準あるいは目的に調和するということを、なんとかして主張しようとしたのである。

ヘルダーのナショナリズム

ヘルダーのナショナリズムには二つの特有な特徴がある。第一に、彼は民族と国家とをはっきりと分けている。近代ナショナリズムとは違って、彼は中央集権的官僚制国家を正当化するどころか民族をそれにとって代えようとした。第二に、ヘルダーは、文化的多元論者であり、あらゆる民族の文化は等しく価値を持つと信じる者であった。(略)彼は、神聖ローマ帝国の下でのドイツの政治的分裂を問題にすることはなかった。そしてドイツのさまざまな地方の固有の文化だけを賞賛した。(略)ドイツ・ショーヴィニストであるどころか、初期の時代を通じて、自らをプロイセン国王の臣民と見なすよりはロシア皇帝の臣民と見なすことのほうを好んだ。
 国家の代わりに民族を政治的結合の基礎にすることを望んで、ヘルダーはその政治理論をアナーキズムの極にまで推し進めた。彼は集権化された主権的権力としての国家が消滅するようになる時代を待望した。こうして彼は『理念』の第八巻で、歴史の目的は完全な国家の実現であるとするカントの言明に鋭く反論した。地上には国家を知らない多くの人びとが存在し、しかもその人びとは近代の統治によって「抑圧された受益者」よりもはるかに幸福である、とヘルダーは述べた。歴史の目的は国家の創出ではなく国家の廃棄である。

初期ロマン主義の政治理論

 1790年代末にロマン主義者たちが直面した一般的問題は、いまや明らかである。啓蒙によって残された空白を、理性を裏切ることなく、どのようにして満たすことができるのか。われわれの自然や社会との統一性を批判主義の自律性を放棄することなしに、どのようにして回復することができるのか。
(略)
このジレンマを脱する方法はあるのか。それは哲学によっては無理である。哲学の批判主義は問題を生み出すだけである。また宗教によってでもない。宗教の信仰は批判主義に弱いことを示した。そしてまたそれは自然科学によっても無理である。自然科学の活動は自然の美と神秘を破壊した。それゆえ唯一の脱出の道は芸術によるものである。哲学と科学の理性は本質的に否定的な力であるが、芸術の創造力は本来的に肯定的な力であり、世界全体を創造する力を持っている。理性によって失われたものは、芸術を通じて再び創出される。芸術家の任務は、自然的かつ社会的世界の魅力、美、神秘を回復することであり、それによって個人は再び自然と自己との一体性を感じることができる。
(略)
ロマン主義芸術の目的は、市場経済における生存競争によってあまりにも負荷が強くなりすぎた近代人の意識に真の共同体の感覚を復活させることである。
(略)
ノヴァーリスが未刊行ノートの中で説いているように、「世界はロマン化されなければならない。そのようにしてのみ人は本来の感覚を再発見できるであろう。(略)……私がありふれたものに高次の意味を与える時、既知のものに未知の尊厳を与える時、そして限定されたものに無限の印象を与える時、私は何かをロマン化する」。以下において見るように、ノヴァーリスはこの美的なものを国家それ自体にまで拡大した。その結果「詩的国家」の創出がロマン主義芸術家の目的となる。
(略)
俗物にとって人生の目的は単に存在し繁殖することである。ロマン主義は俗物を近代の経済の不可避的な結果であると見た。(略)
私利の追求はとどまるところを知らないがゆえに、私利はあらゆる市民的絆の創造に導くどころか破壊に導く。自己利益至上主義者が社会に参入するのは、単に他者をもっと利用するためでしかない。ロマン主義者はさらに、人びとが本来的に利己的であるのかどうかも疑問とした。
(略)
人間は本質的に社会的存在であり、人間に固有の諸能力は他者との関係を通じてのみ発展させうる。人間の本質的特徴は、愛し愛される欲求という点にある。そしてその欲求が満たされうるのは、すべての人に相互の承認と愛着が存するような共同体においてのみである。それゆえ近代社会の自己利益至上主義的倫理の虜になっている人びとは、真の自己から疎外されることになる。ノヴァーリスが劇的に表現しているように、「共同的精神からの飛翔は死である」。

ドイツ保守主義の台頭

大部分の保守主義者たちは、一定の基本権の平等な保護を意味する限りで政治的平等の要求を認めるのにやぶさかではなかった。すなわちそれはまさに農民の生命と財産は貴族のそれと同様に保護されるべきことを意味するものである。だがその一方で、彼らは統治への参加の権利を万人に拡大しようとはしなかった。保守主義者たちは、社会的平等の要求に対しては等しくアンビヴァレントな態度であった。彼らの大部分は、機会の平等をよりいっそう拡大する必要、才能や取り柄があり勤勉な人びとにもっと公職に就きやすくする必要を認めていた。そして、近代国家が効率的な行政のために才能のある人材や専門家を必要としているのに官職の世襲制を続けるのは誤りであることは認めていた。しかし社会的地位における平等という亡霊にはいつも不快感を抱いており、貴族の称号のような身分の区別を廃棄しようという要求には反発した。19世紀末の社会主義に対する多くの批判と同様に、彼らは、そうした要求が最後には道徳的かつ人格的平等に、つまり長所や性格のあらゆる差異をなくしてしまうことになるのではないかと恐れた。社会的平等は、卓越性を奨励するどころか、むしろあらゆる人を庶民の水準にまで下げてしまうのではないかと恐れたのである。
 保守主義者たちは、政治的かつ社会的平等よりも、むしろ経済的平等のほうをはるかに恐れた。彼らは、国益の観点から財産の再分配を認めるどんな教義にも、また古来の権利や契約を無視するいかなる教義にも不賛成であった。
(略)
 1790年代のドイツ保守主義のより重要かつ興味深い主題の一つは、自由主義個人主義に対する批判である。保守主義者たちは、社会を個々別々の個人が理性的規範と抽象的法によって一緒になった集合体と見なすのではなく、むしろ社会を伝統、習慣、感情といった紐帯によって結束した有機体的全体と見なした。個人のアイデンティティと自尊の感覚が育つのは、集団の中で生きることによってであり、集団から離れて自己利益を追求することによってではない。かくして、若きロマン主義者たちと同じく、保守主義者たちは共同体の価値を大いに強調した。異なっていた点があるとすれば、保守主義者は共同体と古い社会秩序とを同一視したことだけであった。

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