近代ドイツ政治思想の起源・その2

前回のつづき。

カントの革命に対する共感はゆるがなかった

 1792年および1793年の多くの苦難と傷にもかかわらず、カントの革命に対する共感はゆるがなかった。聖職者民事基本法、コミューンの蜂起、そして九月の虐殺は、ベルリンの啓蒙主義者を幻滅させる事件であった。しかしカントはそれらの事件によって動揺することすらなかった。しかし一つの事件がカントに激しい非難の声を上げさせた。それはルイ16世公開処刑であった。(略)にもかかわらず、カントは革命の根本原理に忠誠を誓うことをためらわなかった。ケーニヒスベルクの友人たちや同時代の人びとの間には、カントは筋金入りのジャコバンだという評判が立ち始めた。(略)
[同僚の]メッツガーはさらに「当時ケーニヒスベルクでは、ただフランス革命について語っただけでも要注意人物リストにジャコバンと記録されるような時代だったが、カントは決してそれを怖がることはなかったし、貴賓席においてさえフランス革命の擁護を語ろうとした」と付け加えている。
(略)
 1790年代初期のプロイセン政府の政策は、主にJ・C・ヴェルナーの反動内閣によって決定されていた。(略)これは、当時の誰もが恐れたように、プロイセンにおける出版の自由の終わりを意味した。(略)ヴェルナーの大いなる野心は、フリードリヒ二世の治世にはびこった無信仰による荒廃からプロイセンを救おうというものであった。[聖職者任命統制と検閲を強化]
(略)
革命をめぐるベルリンでの論議は、保守派によって支配されていた。(略)
1790年代初期までにカントは、プロイセンは言うに及ばず、実際のところドイツ全土で最も有名な哲学者になっていた。彼の発言とあればどんなことでも傾聴されたし、なんらかの影響を与えずにおかなかったといえる。哲学者たちは、カントがフランス革命についてどんな立場をとるかを知りたくて、カントの道徳の体系すなわち『人倫の形而上学』の出版を今か今かと待ち望んでいた。ヴェルナーもまたこの件に関しては強い好奇心を抱いていた(略)もし傑出した啓蒙主義者カントがフランス革命に対する支持を表明したならば、決定的なダメージを与えるような帰結を引き出せると確信していたに違いない。
(略)
カントは非常な重圧の下に置かれていた。もしもカントがフランスでの革命に賛成する態度表明を公にしたならば、政府の検閲政策を正当化するだけであったろう。(略)検閲が強化されれば、カント自身の著作のみならず彼の仲間の啓蒙主義者の著作の出版にも影響を与えることになったであろうし(略)啓蒙に対するとどめの一発となったことだろう。(略)
かくしてカントは、ヴェルナー内閣を刺激してさらなる抑圧的行動に移らせることなしにフランス革命への忠誠を捨てない方法を、なんとかして見出さなければならなかった。このジレンマからの脱出口は、フランス革命の方法ではなくフランス革命の理念を肯定すること、革命の権利ではなく人間の権利を擁護する点に見出された。

フィヒテの進歩への信仰

若きフィヒテはカントの弟子であることを主張していたが、フィヒテの政治的見解は、二つの点で師の見解とは明確に異なっていた。第一に、フィヒテはカントよりもはるかに楽観的であった。フィヒテは人間本性に「根源悪」があることを否定したので、「人間は支配者を必要とする動物である」というカントの暗い格言を是認することを拒んだ。フィヒテの進歩への信仰は、いずれ国家をまったく必要としない時代がやってくるであろうと信じるほどに強かった。人間性の至高の理想とは、カントが考えたような完全な国家の創造ではなく、あらゆる法が消滅する完全な共同体の実現だったのである。第二に(略)[フィヒテの理想は]すべての人が共通善のために働く共同体である。人間の自己実現の第一の条件は、カントの非社交的社交性の競争ではなく、共同体の協同だったのである。
 フィヒテの歴史的意義は、しかしながら、カント哲学のラディカルな転換だけにあるのではない。フィヒテはまた同時代の最もラディカルな政治評論家でもあった。
(略)
ヘルダーリンノヴァーリス、シラー、それにフリードリヒ・シュレーゲルたちはいずれも[1794年の]その講義に深い感銘を受けた。これらの講義を通じて多くの若いドイツ人たちは初めてラディカルな理論を知ったのである。講義の中心的なメッセージは、激情的といっていいほどに奮い立たせるものであった。すなわち公衆は理性の要請に従って社会を変える権利を持ち、最高善は地上を超えて天にあるのではなく、地上にこそ公正な社会はつくられる、というのである。抑圧に倦み疲れて育った世代に向かって、フィヒテは変革の必要を説き、「行動だ!行動だ!」と声高らかに呼びかけて講義を閉じた。
(略)
[彼の理想社会は]各人が万人の自己実現のために献身し、万人が各人の自己実現のために献身する共同体である。(略)しかしながらこれは社会主義的な社会モデルではない。なぜならフィヒテは国家にいかなる地位も与えなかった。すべての人の必要は同じように尊重されるのだから、犯罪の動機もなければ、法の必要もないのである。フィヒテはいささか暗示的なくだりで「あらゆる政府の目的は、すべての政府を不必要なものにすることにある」と書いている。このユートピア的な社会概念は、たちまちのうちに若いロマン主義者たちに、そしてついにはマルクスその人にまで、霊感を与えた。
(略)
社会正義についての彼の概念は(略)われわれは、自ら作るもの、すなわち自分の労働を通じて転換したものなら自分のものとする権利を持っている、という所有に関する古典的労働理論に基づくものである。彼はこの理論から「働かざる者は食うべからず」という印象的な結論を引き出した。
(略)
各人は万人の絶対的独立のために働くべきであり、万人は各人の絶対的独立のために働くべきである。しかし人びとが相互の努力を通して自己決定的に、すなわち理性的になればなるほど、彼らはますます互いに似てくる。なぜなら理性はなんぴとにおいても普遍的であり、一にして同一であるからである。人びとは自らの感性的自然によってのみ互いに異なるのであるから、結果として彼らの相違は彼らの感性的自然が理性の統制に服するにつれて消えていく。倫理的共同体の協同的活動の究極的結果は、単一の普遍的主体、すなわち絶対的自我それ自体の創出である。それゆえフィヒテの絶対的自我は、地上における神の王国を象徴するものであり、個人と共回体が一つになる理想的倫理的共同体を象徴するものである。
(略)
彼の目標は実体の自己呪縛から人間を解き放つことである。彼が人びとに求めたのは、最高善(略)は地上を超えた天国などには存在せず、まさに地上の公正な社会に存在するということを認識することであった。最高善は人びとが服従しなければならない神意による秩序ではなく、人間が創ることのできる共和国の理想である。

フィヒテの最初の政治的著作『眠れぬ夜の断想』

この風刺は、モンテスキューの『ペルシャ人の手紙』の例に従って、『マルクィス・フォン・St……からパリの友人ヴィコムテ・Xへの手紙』という題名がつけられた。フィヒテの筋書きによれば、マルクィスは南極に当代ドイツによく似た社会を発見するが、その堕落と悲惨の度は現実のドイツよりもはるかに進んでいた。マルクィスは、南極の専制的統治、その怠惰、虚栄、搾取的な貴族制、不正と腐敗した法制度を嘆く。(略)神学者は正統派以外の宗派を迫害し、むなしい論争に血道をあげ、宗教の道徳的中身には目もくれない。学者は役に立たない事柄について思弁をめぐらし、観念を日々の実生活に適用させられずにいる。道徳家は気高い諸原理を熱心かつ雄弁に弁ずるが、それらを実践に移す同胞は一人としていない。南極での愚行を暴いた後、マルクィスは、それと正反対の原理で統治を実践している別の土地に旅行する。そこでは住民の福祉のために統治が行なわれており、政府は、学問、農業、産業を促進し、その成果が日々の実生活に役立つように学問を奨励している。世襲の特権などというものは存在せず、人びとは各々の長所に従って厳密に価値づけられている。刑罰は残酷なものではなく、追放ではなく復帰を目的にしている。

シラーはいかにして革命の現実を非難するようになったか

1780年代の「革命的戯曲」の著者は、いかにして1790年代には革命の現実を非難するようになったのか。(略)
『群盗』は、18世紀ドイツ社会の不正を糾弾する盗賊団の首領であるカール・モールの性格描写を中心に展開する。(略)盗賊は、勇敢で誠実であり、全員は一人のために一人は全員のためにという原理で生きているが、それに対して社会は、自己中心的で競争的であり、支配者は貧者と悪人を食い物にするために自分の権力を使う。当然、モールは餌食とする対象を念入りに選別する。彼が襲う相手は、最も高く買ってくれる人に官職を売る大臣たち、検閲の緩和を嘆く聖職者たち、悪賢い法律家たちを雇って私腹を肥やす伯爵たちである。そしてもちろんモールの財布の紐は常に貧者のために緩められる。しかし彼は決してロビン・フッドではない。彼は革命家である。英雄を知るのは歴史書からだけという「インキに汚れた」時代の静寂主義と無為を彼は軽蔑する。彼は己の意志を通して、法を無視し正義に適った社会を創ろうと心に決めている。そうして彼は「ドイツを共和政体に変え、ローマやスパルタが女子修道院に見えるようにしよう」と豪語する。
 だがこの戯曲が「革命的」であると記すのが許されるのはモールの野心だけである。芝居が展開するにつれて、彼の野心は悲劇的な傷を負っていることが明らかになる。モールの行動は高邁な道徳的かつ政治的な理想によって鼓舞されているのだが、彼は自分の手下の悪事の責任を取らなければならないことに気づく。手下たちは、しばしば無垢の者たちを殺し、貧者から奪っていたのである。手下たちの罪のゆえに、最も心から望んだことであるにもかかわらず、彼は社会に再び復帰することはできない。社会秩序の中でこの世の幸福の一切を断念した後、モールは自分の致命的な誤りを告白する。「おう、なんという愚か者だろう、この俺は、世界を暴虐の行ないによって洗い清め、無法な行ないによって正義の大義を正そうなどと考えたとは。俺はそれを復讐と呼び、正義と名づけた、だが――おう、なんという幼い虚栄心だろう
(略)
モールの最後の言葉と退場から明らかになることは、シラーはモールがやったような反乱を支持しようとはしなかったということである。実際、シラーは人民を目的のための手段と見なすような革命はどんなものであれ非難しているように見える。
(略)
『フィエスコの反乱』は『群盗』以上により直接的に革命というテーマを扱っている。この戯曲の主題は16世紀イタリアの都市ジェノヴァの革命である。フィエスコは、共和主義的な貴族で、ジャネッティーノ・ドリーアの暴政を覆そうと陰謀をめぐらす。(略)政府の転覆とジャネッティーノの暗殺には成功するが、共和国の再建には失敗する。彼は己の野心に負け、自ら君主になってしまう。ジャネッティーノと同じ運命を辿るかのように、フィエスコは旧友で共和主義者のヴェリーナによってまさに暗殺される。
(略)
シラーが革命をきわめて問題含みの企てであると考えていたということである。自由の理念によって鼓舞された革命でさえ、簡単に自由を掘り崩してしまう危険を孕んでいるのである。(略)人民の激しやすい感情と無知は彼らを容易に煽動家の餌食にしてしまう。かくしてある場面でフィエスコは雄弁をもってして、反乱に傾いた群衆に、彼らの主人に服従すべきことを納得させる。
(略)
 『フィエスコ』の道徳とは、シラーが『公衆を想起して』の中で説明しているように、われわれの国家の善のためには、われわれが掌握してみせることができる権力を放棄することを学ばねばならないということである。換言すれば、われわれが権力を獲得するために闘わなければならないのは、自由のためであるが、しかし決してわれわれ自身の目的のためにその権力を用いて自由を裏切ってはならない。この主題は、後のシラーの公民の徳、すなわち政治的理想が実現されうるとすれば、その理想のために闘う人びとが強靭な道徳的性格を持っている場合だけであるという彼の信念を、完璧に要約するものである。
(略)
しかしながら、彼が上からの漸進的革命のほうを良としていると結論づけるのは早すぎる。というのは1788年にシラーは『オランダ独立史』を出版したが、それは明らかに革命の権利を支持するものであったからである。
(略)
シラーがオランダ人の反乱を賞賛した理由は、反乱が貴族と上層ブルジョアという「賢明で穏健な支配者」によって指導されたという点にあった。彼は民衆革命、すなわち人民による自然発生的な蜂起には賛成していなかったようである。例えばプロテスタントの群衆による教会の破壊を論じて、シラーは「屑ども」の「狂乱」と非難し、「身分のあらゆる区別を破壊してしまおうとする」「荒れ狂う徒党」を激しく罵例した。

フンボルト

ミルもフンボルトもともに国家活動の制限と国家権力からの個人の権利の擁護に関心を持っている。(略)フンボルトの主要な問題関心は家父長主義と闘うことであったが、しかしながら、後にミルを悩ますことになる問題を、うすうすとではあるが、ある程度感づいていた。というのはフンボルトは、民主制は君主制よりもずっとその権力を拡大し個人の自由を侵害するであろうと恐れていたからである。彼は1792年12月7日にシラーにこう打ち明けている。「厳密にいえば、自由な国制は私には重要でも有益であるようにも思われない。穏健な君主のほうがはるかに個人の教育に足枷をはめない」。
(略)
古典古代の国家は第一にその公民の徳すなわち陶冶に関心を払ったが、近代国家は本質的に公民の福祉すなわち所有に関心を払う。近代国家と古代国家とでは、どちらが優れているのであろうか。フンボルトは古代の優越を信じて疑わなかった。(略)
国家の目的は、人民の目的が達成されるように援助し、人民の人間としての本質を実現することにある。しかし人間の目的は幸福ではないし、いわんや財産の蓄積でもない。人間の目的は、むしろ人間に特徴的な諸能力の実現、すべての知的、道徳的、物理的な諸能力を調和的な全体にまで発展させることである。だから国家の目的は、人民がその諸能力を発展させる際の諸条件を整えることである。国家は陶冶のための装置、つまり人間性の発展のための機関でなければならない。これは確固たる古典主義であった。

まだ半分、時間ばかりかかって、あまり面白くないので、続きはそのうちやるということで仮終了。