第一ポップ時代・その2 ウォーホール

前回のつづき。

「死と惨事シリーズ」
https://uk.phaidon.com/resource/andy-warhol-green-disaster-green-disaster-twice-620x346.jpg

「みんな機械になるべきだ」(略)「ぼくも機械だ、ぼくもイメージをシリーズ量産(あるいは消費)する、ぼくは自分が受けた恩(または仇)はそっくりそのままお返しする」。(略)
「誰かが、ぼくは自分の人生に支配されていると言った。それっていいなあと思った」。(略)
[この発言が]示すのは、シリーズ量産・消費の資本主義社会が押しつけてくる反復という強迫的習慣を気軽に、かつ計算された仕方で受け入れ自分のものとする態度である。この体制に勝てないなら、体制に加わればいい、とウォーホールはほのめかす。しかも、全身そのなかに入り込んだら、ひょっとすると真相をすっぱ抜くこともできるかもしれない。この反復の強迫を自ら手本として過剰にやってみせ、それがわたしたちにとって自動行為になってしまっていることを暴くのである。
(略)
ショックと自動行為というこのふたつの記号は、ウォーホールにおける反復の役割に新たな位置を与える。「退屈なものが好きだ」(略)
「何度くりかえしても、いつもまったく同じっていうのが好きだ」(略)
「基本的に同じっていうのではだめだ――まったく同じであってほしい。だって、まったく同じものをずうっと見ていると、意味がどんどん出ていって、どんどんいい気分、からっぽな気分がしてくるんだから」
(略)
あるときは自分の墓碑銘として「絵空ごと」を提案し、またあるときは、「消えることができるというのはアメリカの発明、最良の発明」なのではないかと示唆した。

近代美学が理想としていたのはたいていのばあい、構成されている=平静沈着であるcomposedという自己感覚をもっている(対象の観想=熟視という行為をつうじて自分自身が完全性を獲得する)主体だが、ウォーホールの観者はそうではない(略)[かといって溶解もしていない]
「ぼくは決してバラバラにならない」(略)「そもそもひとつにまとまっていることがないからだ」。

第四章 ゲアハルト・リヒター

[ウォーホールの死後から二年たった89年の私記で]
「彼の功績とは、いかなる「芸術」も作らなかったこと、つまり伝統的にほかの芸術家たちを縛っている方法やテーマに、まったく手をつけなかったことである(それによって彼は、ほかの作家の絵でお目にかかるような、多くの「芸術的」ナンセンスから我々を免れさせてくれた)。しかしながら自作をめぐる2002年の対話では、リヒターはこう言っている。「私はウォーホールに恩があります。彼は機械的なものを正当化してくれました。どうやるかをみせてくれた。…ウォーホールは細部を消す現代的な方法を私にみせてくれた、少なくともその可能性が有効であると確認させてくれたのです」
(略)
「アマチュア写真には最良のセザンヌ作品よりすぐれたものが多いとわたしは考えている」(1966)
(略)
「様式をもたないものはなんでも好きだ。辞書、写真、自然、私、そして私の絵画」
(略)
「私はこれみよがしの技倆というのが嫌いだ」(1964)(略)
写真を元にして絵を描くのは「およそ人ができることでもっともばかげていて、非芸術的」だった。(略)
「一時期写真のラボで働いていたこともある。毎日現像液槽をくぐりぬけていった大量の写真は、私のなかに持続的な影響を与える衝撃を残したかもしれない」(略)
リヒターにとって写真のトラウマは、写真の純然たる数的増殖(「大量の写真」)と、写真全般に見られる様相の変化(「現像液槽」の通過)、その両方に存しているように思われる。(略)
ウォーホールに似てリヒターも、現代世界が呈するこの「写真むけの顔」を、つまり、この世界の布置が写真イメージを中心にして組み替えられ、写真イメージに順応していくさまを探求する。

  • 脚注から

2002年、ストアとの対話でリヒターは<悪の陳腐さ>というアーレントの命題にふれ、ついでこうコメントする。「シャンデリアの作品(《フランドルの冠》)は怪物です。私はわざわざ本当の怪物を描く必要などない。この物体、このダサくてちっぽけで陳腐なシャンデリアを描くだけで十分です。この物体は恐ろしい。フランシス・べーコンと自分のちがいをいうために、かつてのべたことがありますが、私なら顔を歪める必要などない。人々の顔を写真に写っているそのままに陳腐に描くことのほうがずっと恐ろしいですよ。そうすることで、陳腐なものはたんなる陳腐以上のものになるのです」

ブレについて

「私がブラすのは、すべてを均等にするため、すべてを等しく重要で、あるいは等しく重要でなくするためである」