坂本龍一・全仕事

坂本龍一・全仕事

坂本龍一・全仕事

  • メディア: 大型本

増補版?

坂本龍一の音楽

坂本龍一の音楽

調性感を浮遊させる

 「たとえば分数コードって言われているようなF/Gって書くのがありますよね。これって、ドビュッシーが最初に使ったと思うんですけど、これは、ドビュッシードミナントを避けるために使ったわけ。そして、ドミナントを避けるっていうことは、トニックを避ける、つまりDからTへ行くトニックの支配力を避けるっていうことでしょ。トニックっていうのは、すなわち調性だから、トーナリティーだから、結局ドビュッシーは調性感を浮遊させたかったのね。」
(略)
オーネット・コールマンとはPILのレコーディングの時偶然会ったんだけど、彼の場合のブルースっていうのは、チューニングを低くとるわけ。バイオリンでもサックスでも、あるセンターに対して、いつもずりさがっている。それが、ブルースなんだ、彼の場合はね。
つまり、あるスケールとかあるモードじゃなくて、ずりさがったある聴感上の音程感自体がブルースになってるのね。これは離脱というよりは、一種の発展でしょうけど。もう何個音があるかとか、どういう音を使っているかっていう、そういう<モードとしてのブルース>ではなくて、ブルースを音程感とか音色感とかっていう方向に広げて感じているんでしょうね。」
 (『キーボードスペシャル』1987年8月号)

モード

ただモード吹いてるだけっていう人もいますけれども、それは音楽にはならないわけで。モードの音楽なんてのはないんじゃないかな? これはモードの音楽です、なんてのはないような気がするけどねえ。
それだったら、そのモードをバンッと弾いちゃったら終わりじゃない?
どういう順番でモードの音を並べるかっていうことはさ、モードの中には含まれていないことじゃない?外部的なものじゃない?
それをまた理論的にやる人がいてもいいし、全く感覚的にやってもいいし、それはあんまり違いのないことだと思いますね。」(未発表)

「Thousand Knives」のハービー・ハンコック

鈴木 坂本くんのソロ・アルバム、1曲目のサビって言っていいのかな、あそこのメロディ、最高だね。
坂本(照れながら)あっ、そう。フランシス・レイみたいでしょ。
鈴木 ヨーロッパの感じ、するね。
坂本 実は、あの曲だけ、ネタがあって。メロディーのネタっていうんじゃないんだけど、コード的にね……。ぼく、ハンコックが好きでね、ブルー・ノート時代の。で、あの「サウザンド・ナイヴス」ってのはハンコックの「スピーク・ライク・ア・チャイルド」って曲にインスパイアっていうのかな、そうして出来た曲で。そのサビのとこね。そこの前にもうひとつわかりやすいメロディーが出てくるんだけれど、あれはボニーMに刺激されて。
鈴木慶一坂本龍一『ニューミュージック・マガジン』1978年12月号)

東洋的チューニング

テリー・ライリーははっきり東洋的チューニングを志向している。彼はいっている。「平均律で調律されたピアノで和音を押さえてみると、ワーワーワーとうなりを生じるだろう、非常に不安な感じで。それは、一般の西洋音楽というものが跳躍的だという理由にも依るだろう。そのチューニングによる不安定さのゆえに、それから逃がれようとして、多くの動きを作ったりするのだ。そうすることで、音と音の間に生じるうなりを気にしないですむことになる。」
イーノは明らかに耳でこのことを把握していると思われる。それは東南アジアの透明なうなりの反映を示している。クラウス・シュルツの場合、耳ははるかに西洋的で未だコードの移動の暗い心理的効果に思い入れしすぎている。それは遠くにまばらな星座を配したゲルマンの森のぶきっちょな暗さを反映しているようである。同じくはるかなイメージを抱きながら決定的な (耳の)システムの相違が露わに聴こえてくる。
(『音楽全書』第2号 1976年10月1日発行)

クラフトワーク

クラフトワークが『アウトバーン』で商業的に成功したわけですね。アウトバーン(ハイウェイ)というのは、日本でのフジヤマ、ゲイシャ、あるいはソニーみたいなものですが、それを逆手にとったわけですよね。うまいことに、フジヤマ、ゲイシャよりは現代文明のテクノロジーの結晶みたいなイメージがあるしね、それをシンセサイザーと結びつけて強いインパクトを作り出してますね。
(略)
音楽を対象化して、手術台の上の音をメスで切り裂いて、人工のロボットを作るような、そういうハガネのような意志は感じますね。ぼくらだと、音に対してひとつひとつ感情移入があって、非常にヤワというか、音そのものをポンと投げ出すようなことができない。シンセサイザーの細かなテクニックでも、アタックがあってその後音がどういうふうに減衰していくのかを決める時に、ぼくらだとなかなかぶっきらぼうに投げ出せない。機械的じゃいけないんじゃないかと思ったりしてね(笑)。
(略)
『人間解体』のアルバムでは、ロシアのフォルマリズムを受け継いでやっていこうみたいな、かなりアートぽい指向があるわけね。ロシア革命の頃にフォルマリストが人民のためにシンプルな美術を考えようとしたように、クラフトワークの音楽も人民(レコードを買う大衆)にわかりやすくみたいなことをまじめに考えてやってるんじゃないかな。
(『ニューミュージック・マガジン』1979年11月号)
(略)
ヨーロッパというのは面白い所で、ジャズとは関係なくフリー・ミュージックが形を持っていて、クラフトワークもそういった実験的な側面を持ったグループだったのだが、ある日、アメリカののりに気づいてしまった。そうして生まれたのが『アウトバーン』で、これは当然のようにアメリカで大ヒット。それからというもの、彼らはあたかも、ウォーホルがキャンベル・スープのカンを描くように『放射能』『ヨーロッパ特急』『人間解体』と“POP”なアルバムを制作することになる。これらの音楽は社会的な操作という点では、アメリカ的ポップののりだが、音作りのテクニックやセンスの面では最先端の前衛で、ポップ・アートと漫画の違いを考えてもらえばわかると思う。また『人間解体』のジャケットのかっこうでナチと思われがちだが、あれは1920年代の前衛芸術運動であるロシア・フォルマリズムで、その精神をクラフトワークが受け継いでいるというのも興味深い。
(『キーボード・マガジン』1980年1月号)

フュージョン批判として

 (YMOが出てきた時のメタ・ポップスという概念は、坂本さんの中ではどんなものだったんですか?)
フュージョンとの関連でいえば、その複雑さに対して、過激な単純さと言えばいいのかな。普通ベース・パターンとかラインをでっち上げるわけですけれど、それをやめてただルートをタタタタンとやる。でコーラスが反復するときに行なわれる変化、例えば1コーラス目はボーカルだけ、2コーラス目はコーラスが入るみたいなバリエーションも排して、まったく同じことを繰り返す。コンピューターは繰り返せといったら単純に繰り返しますから。テクノ・ポップという形式を借りることで、一般的に流布している音楽の物語構造をコンピューターで超えることに僕は興味があったんです。
(『宝島』1988年8月号)
いま、ジャズ系のフュージョンなんかはかなり洗練されたコード進行もっててね。ほんとうに印象派の作曲家みたいなコード使ったりね、難しいことやるんだけど、音楽としてそんなに面白くないのね。ああいう音楽の洗練のされ方っていうのは音楽の本質的な面白さとちょっと離れている傾向がある。
(『FMファン』1983年3月23日号)
例えば最近の若いクロスオーバーのグループなんかはさ、すごくうまいのね。だけどそれはほとんど音を操作するテクノロジーなのね。なんか違うんだよねー。おもしろくないってだけじゃなくて、音楽じゃないみたいなところがあるのね。(略)
本当はね、僕なんかもそういう傾向があるんだけれども、音を操るっていうことをしない音楽ってのがあるんじゃないか。そうするとね、ボウイとかね、ロキシーってのはそれをやってるんじゃないか。
(『ニューミュージック・マガジン』1979年2月号)

  • マイルス談

あの頃のオレは、もう少し強力なベース・ラインが欲しかった。ベース・ラインがはっきり聞こえれば、演奏しているサウンドのどんな音符も聞こえてくるからだ。(略)
ハービーにエレクトリック・ピアノを使わせて、ギターと一緒にベース・ラインとコードを弾かせ、さらにロンにも同じ音域で演奏させることで、新鮮でヒップなサウンドができると思ったんだが、実際そのとおりになった。そして、こうしたボイシングでレコーディングをやりはじめた時、オレは、ずっと後になって批評家連中がフュージョンと呼ぶ類いの音楽へと向かっていった。オレはまさに、新鮮なアプローチを試すところだった。
(『マイルス・ディビス自叙伝』)

石の響きと竹の響き

イギリスなんかよく行くでしょ。あれは、石に声がふつかって返ってくるのを聞くのね。自分の声のね。わりとそういう社会なのね、アジアっていうのはね、わりと湿地帯とかね、森林それから平原ですよね、だからこうデッドなのね、ライヴじゃないわけ。だからエコーがあんまりないのね(略)
YMOなんかでも、音の処理とか組み立て方とかね、構成とかすごく西洋的なんだけど、でも、シンセサイザーの選び方の、ボトムっていうか、低音の足し方とかね、抜き方とか、はやっぱり東洋人なのよね、かなり。(略)
ムーグのね、ストリングスの音でさ、コルグのと全然違うのね。コルグのはあんまり下がなくて重たくなくてツヤのある音っていうのが初期のYMOの1つの特徴だったんだけど。コルグ使ってたんだけどね、すごく良かった、なんか合うの、東洋的なメロディーとか、そういうものに。
(『サウンド・ストリート』1982年3月9日放送)

ダブ

ぼくがジャマイカヘ行って見てた時はさ、トラック・ダウンで変えるというより、音を録音する時自体にも、10キロヘルツから上とか下をうんと出して、そして1キロヘルツとか2キロヘルツ位をイコライザーでひっこまして、いわゆるドンシャリの音でベースなんか録るんだよね。そうするとフカフカの音という感じの音で、モコッとしてるんだけど、ハイが上がってる音になる。 50キロヘルツから60キロヘルツなんか12デシベル位上がっているし。全体に音の中域があまり無いから、ギドギドしてない音になるのね。レゲエ特有の霞がかかったような感じってのは、音の中域を抜いた所からきているんだろうと思う。
(略)
ポップ・グループの場合は、プロデューサーというか、ミキサーというか、デニス・ボーヴェルの存在が大きいよね。録った後のトラック・ダウンの時に音を歪ませたりとか、この間ぼくがプロデュースしたフリクションなんかでもそうなんだけど、きれいに録音してある音をわざと歪ませたり、歪ませる為にわざわざそういう機械を使って最初から録ったりとか、そういう手作業が多い気がする。
デビッド・カニンガムとかアンディ・パートリッジとかっていうのは、そういうのと違う気がする。もっと音楽の構造自体が、もしダブと呼ぶならダブ的になっている気がするんだよね。
 (『ニューミューシッグ・マガジン』1980年3月号)
ダブでは音楽の中に音楽はない。音楽は単なるダブ行為のための素材に過ぎなくなる。その素材は音楽である必要もないだろう。デスクの前でのスイッチングと各種のエフェクト処理が音楽の手つきになる。この操作は通常の音楽を破壊することもできるが、また充分音楽でもありうる。どちらでも同じ事だ。ここでは最早ナチュラルに音楽であることはできない。音楽であろうとする意志が必要であり、しかもその意志は操作の内部にはない。外在的な青写真が必要だ。この青写真こそ欲望に違いない。
(『季刊リュミェール12』1988夏号)

「Riot ln Lagos」

[『NEO GEO』の録音で]アフリカ・バンバータに会ったら、日本ではYMOのCD売ってるかって聞くから、売ってるよって答えたら、買ってきてくれって(笑)。今でもバンバータはYMOの大ファン。彼は僕のソロの『B-2 Unit』の「ライオット・イン・ラゴス」がとても好きで、ヒップホップのルーツだ、ということでDJをやっている時あれをよくかけてたみたい。
(『宝島』1988年8月号)

『左うでの夢』

リズム・パート、パッキング・パートをかなりやめてるのね。意識してね。
コードで和音をひくときも、それをなるべく音色感とか、違うように聞こえるように作り変えてるのね。なるべく根音があって、上のテンションがあるって考え方にならないように。
 (カデンツが出ないように。)
そうそう。それともうひとつは、あのリズムにしても、それからメロディー・ラインはもちろんそうだけど、全部口で歌えるものにしたのね。ダッダッとか、カキッとかね。ウンウンとか。西洋的な機能から自由になりたいっていう気がすごくあるのね。気分としてはケージなんかの初期の頃に近いのね。
たとえば、『千のナイフ』のアルバムは完全に西洋音楽だと思うのね。本当は西洋的じゃないところも、失敗してそうなったみたいでさ。でも今度のは全然自由だね。
(『ジャズライフ』1981年11月号)
(略)
いかに西洋から離れるかということが一つのピークになってた。音の機能的な進行をしないとか、起承転結がなるべくないようにとか、コードで感情的なたかまりをもたせるのはやめるとか、いろいろやってたけど、そのピークを過ぎて今になってみたら、コード的な良さを全然ちがったアプローチでできるんじゃないかなと、少しずつ思い始めた。
(『FMレコパル』1982)

次回につづく。