英語化する世界その2 綴方地獄変

前日のつづき。

6章 英語綴りという出来損ないの魔術

アンソニー・トロロブは『三人の事務員』(1858)の中で、「blueの綴りは語尾にeをつけないと主張し」、「その結果、もはや世間の信頼を得るに値しないとされる」ひとりの若者を描いている。(略)
1992年、アメリカ副大統領で無駄話好きなダン・クウェールは子どもに黒板の上でpotatoの綴りをpotatoeに直させた。この場面は中継され、「beakon of hope for the world[世界の希望の灯台――beaconが正しい]」と公用のクリスマスカードに書いてすでに引き起こしていたあざけりをここで増幅させてしまった。
 しかし、われわれは皆、ある時点で英語の綴りの矛盾に気づいている。われわれの多くはそれを呪ったことがある。英語をドイツ語のように、綴りから言葉の発音が推測できる言語と比べてみるといい。そうすれば、問題点を把握できる。英語では、見ているものはしばしば聞こえるものと異なっている。(略)たとえば、night、knife、psalm(略)
これまでに述べたように、英語の綴りを形づくるのに影響した鍵となる要素はノルマン征服だ。それに続く時代で、重要な学びの中心(修道院)における筆写人の多くはフランスで修行してきた人たちで、彼らは自分たちが筆写している英語の本文にフランス風の綴り方を取り入れた。いくつかの古英語の文字は捨て去られ――たとえばœ――新しい文字が導入された。k、q、x、zだ。筆写人の仕事にはたいてい個人的な選択というものが含まれるため、取り入れ方も一貫していなかった。古英語の模範的綴りがフランス風にねじ曲げられたため、不規則性が増した。
 さらに、語源がいくつかの異様さの説明となる。ルネサンス以降、借用した言葉の綴りに証拠となる語源を残そうという熱気があふれていた。16世紀には、フランス語から借用された多くの言葉があたかもラテン語から借用されたかのように扱われた。
(略)
英語の綴りを出来る限り借用元のラテン語ギリシア語と見かけを正確に一致させようとする試みがかかわっている
(略)
アングロ・サクソンやスカンディナビア由来の言葉は一般的にそのままだったが、フランス語からの借用語は「学者ぶる人たちによってさんざんな目にあってきた」。
 チョーサーに「parfit完璧な」騎士というところがある。この言葉は1300年以前にフランス語からもたらされた。しかし、シェイクスピアベン・ジョンソンの時代になると、それ以前のラテン語perfectusへの意識――そしてあからさまにラテン語風なperfectionとperfectiveのような言葉の使用によって――perfectと綴るのが普通になるのは当然の成り行きだった。
(略)
名詞のaventureはフランス語から借用され、三百年以上も使われてきた。それが、1570年頃にラテン語のadventuraの形にならって d を発音するadventureに変わった。またdoubtやsalmonのように、ラテン語への語源学的配慮から導入された子音は、変人で学識を大袈裟にみせる人物、たとえば、calfの l やdebtの b を発音すると言い張るシェイクスピアの『恋の骨折り損』に登場するホロファーニーズのような人の語の中でしか発音されない。
 また違った種類の語源学的説明ができる奇妙な例がいくつかある。イタリア語のcolonelloはフランス語経由で英語に入ってきた。それをフランス語が二回借用し、一度目はcolonelとなり、二度目はcoronelとなった。英語では17世紀の半ばまで、この二つの形がまぜこぜに使われてきたが、その後、前者の綴りが一般的になった。しかし、r の発音は残った。そのほうがたやすいのと、この言葉をラテン語の「冠」を意味するcoronaと結びつけるという暗黙の間違った習慣のせいだった。
(略)
1750年までには言葉の綴り方にほとんど疑問の余地はなくなり、その結果として、自信がなさそうに見える人をますます軽蔑するようになった。それでもやはり、公の場でやることと私的な場でやることとの聞の溝は完全には埋まらなかった。ジョンソン博士でさえも一貫していない。『英語辞典』 で彼は正しい形として、chapel、duchess、pamphletを挙げている。しかし、別のところでchappel、dutchess、pamfletとも書いている。ディケンズは手紙ではtrousersよりもtrowsersと書いている。ジョージ・エリオットはsurprize[surprise]と書き、ダーウィンはcruize[cruise]、ヴィクトリア女王はcozy[イギリスではcosy]と書いた。
(略)
1837年に表音速記術を初めて出版したアイザック・ピットマン(略)はよく知られたアルファベットは新しい38の文字に取り替えたほうがいいと提案した。
(略)
 簡略化綴り字協会は1908年に設立された。英語の綴りの不規則性によって引き起こされる問題に注意を喚起するとともに、それらの改善策を進めるためだ。それは現在でも存在する。(略)
アメリカにおける同様の機関である簡略化綴り字連盟は1906年に設立された。[鉄鋼王カーネギーが巨額の援助をしたので](略)
セオドア・ルーズヴェルト大統領はこれを真に受け、連邦印刷局にその新しい綴りのうち三百を取り入れるよう命じた。その中にはinstil、good-by、thorofareがあった。しかし、彼はあざけりを招くことになる。『ボルティモア・サン』誌は、大統領は自ら進んで自分の名前をRuseveltにする気があるのだろうか[とまで書いた]。
(略)
 全体的に見てさらに極端だったのが「ショー・アルファベット」だった。これはジョージ・バーナード・ショーが考案した新しい字体からなる40字の記号システムで、この資金として遺言で豊富な援助が約束されていた。
(略)[彼は]fishという言葉はghotiと綴ることができると指摘して、英語綴りの一貫性のなさを強調したという。結局、ghはenoughの中ではfと発音し、oはwomenではiと発音し、tiはnationではshと発音する。
(略)
彼は、debtという言葉を綴るのにdetと答えた子どもが、ジュリアス・シーザーラテン語の原語をbを入れて綴ったのだからbを抜かしてはならないと罰せられるのは不当だとして、これを不当性と結びつけたのだった。

チョムスキー

 文法的に正しく話したり書いたりしても、魅力的な、またとくに効果的なやり方で意思疎通ができるわけではない。逆に言うと、文法的な規則を守らなくても自分の考えを伝えることができるということだ。きっと、こう言えばわかってもらえるだろう。「I would of loved one of them chicken pies what you done cook.君が作ったチキン・パイが大好き」。次に、多分、今ひとつわかりにくいだろうが、何の意味も通らないことを文法的に正しく書くことができる。ノーム・チョムスキーはこの原則を次の文で示してみせた。「Colourless green ideas sleep furiously色彩のない緑の考えは猛然と眠る」。文法的には十分だ。形もいいし、同じ言葉を逆に使ってみた文「Furiously sleep ideas green colourless」と違って。しかし、それは何も意味しない。直感的に最初の方があとの文よりいいと思う。そこから、ひとつの文の形がいいかどうかを決めるのはある程度まで意味の理解とはかかわりがないのがわかる。

ロバート・ラウス『英文法入門』(1762)

「you was」というのはとくに興味深い。私的書簡集から判断すると、この形は17世紀末から広がり始め、ラウスが書く二、三十年前に最高潮に達していたようだ。多くの教養ある作家たちは「you was」と単数形の「you were」を明確に区別せず、一貫していなかった。男たちが女たちより早く「you was」と書き始めたのはあきらかで、女たちがその形を長く維持したのだった。「you was」を非難したのはラウスが初めてではなかったが、彼の公然たる非難
(略)
 おそらくもっとも影響が大きかったこととして、ラウスはwouldとshouldの区別を普及させている。そして二版では、前者が「何よりも意志の傾向」を示し、後者は「義務」を示すと付け加えてそれを強調している。彼はまた二版に二重否定は避けるべきという規則を入れている。
(略)
 18世紀にはitsにするかit'sにするかが決まっていなかったとは今では驚きだろう。両者を混同するのは、ずさんで大人げない間違いとあまねく見なされているのだから。だが、所有格のitsは16世紀に新たにできたもので、19世紀の初めにおいても多くの教養ある人たちが所有をあらわすのにit'sと書いていた。
(略)
16世紀まで、書かれた英語ではhisがitの所有格だった。そして、このようなhisの使い方は17世紀まで続いた。しかし、16世紀に作家たちは男性形ではないものにhisを使うのは避け始め、それをあらわすのにまわりくどく「of it」とか古英語の「thereof」を使ったりした。欽定訳聖書にはitsはたった一回しか出てこない。レビ記の「That which groweth of its own accord of thy harvest thou shalt not reap. 収穫物の中に自然に生えてきたものは刈ってはならない」で始まる詩文だ。itsはシェイクスピアが生前に出した作品ではどこにもないが、1623年のファーストフォリオには所有格のit'sが九回、itsが一回あらわれている。
(略)
 とても印象的なのは、ラウスが手紙では何度も何度も自分の規則を破っているし、その振る舞いも矛盾だらけなところだ。彼は「you was」と書き、文章を前置詞で終え、'twill[it willの省略形]というような短縮形を使い(略)過去を示すのに「to have」ではなく、「to be」を使って、「a letter is just come 手紙がちょうど来た」としている。この点で彼の振る舞いはごく普通なのだ。つまり、格式張らない通信文と正式な文書とにはそれぞれ別の規範があるのだ。

次回につづく。