晩年のジェイムズ・ブラウン JB論4

前回のつづき。

ジェイムズ・ブラウンでありつづけること」

2006年 ローリング・ストーン誌

実年齢75歳のJB

[JB登場まですることがないので、ボツにされるであろうベーシック・トラックをほのぼののんびり録音するメンバー達]
この瞬間空気が変化した。「ミスター・ブラウンが到着しました」とボビット氏が全員に告げる。
(略)
[自称72歳、実年齢75歳の]ジェイムズ・ブラウンはステージ用の正装だ。紫の三つぞろいのスーツと赤いシャツをまとい、ピカピカに磨かれた靴を履き、カフスリンクを付け、髪は完璧にセットされている。(略)
彼は明らかに、老若男女を含めこれまで私が会った誰よりもエネルギーに満ちており、激しい速度で体を動かす。私は万全の準備で取材に臨んだが、それでも恐怖感を覚えた。
ジェイムズ・ブラウンは腰を下ろし、手で合図をする。録ったものをプレイバックしてみよう。ミスター・ブラウンとミスター・ボビットは、座り心地のいい皮の椅子に座り、バンドのメンバーは、部屋に集まり、金属製の折りたたみ椅子に座るか、もしくは立ったままだ。
 私たちは、録音した「ホールド・オン・アイム・カミング」を二回聴く。ジェイムズ・ブラウンは頭を垂れ目を閉じる。誰もひと言も発しない。ついに彼が小さな声で賞賛する。「かなりよかったぞ。かなりよかったぞ」。それから、レコーディング・ルームに入っていく。
(略)
ブラウンはマイクがしっくりこないと言う。「フェルトで覆われてないやつがいいな。安いマイクを持ってきてくれ。ヒット曲はみんな安いマイクで歌ったんだ」マイクが交換された。彼はまだいらついて、尊大で、内向的になったままだ。「俺たちはこれを録音しているのか?」。彼は訊ねる。答えはイエスだ。「俺たちがいらないと思うテイクが一番いいんだ」。彼ははっきりしない声で説教をはじめる。
 彼は今バンドに対し、自分が着く前に録音したトラックはもう放っておいていいと言う。何てことだ。ホリーが正しかったのだ。「いい音ではあるんだ」。ジェイムズ・ブラウンは言う。「でも、録音されたように聞こえるんだ。ジェイムズ・ブラウンが入ってなければならないんだ」。これが物事の核心なのだ。彼はレコーディング・ルームにいなかった。その事実によって、これはもはやジェイムズ・ブラウンの音楽ではないのだ。(略)
 彼は、一昨日ラマダ・インで行ったリハーサルのことを考え始めた。ホテルが提供してくれた部屋は、ブラウン好みのサウンドを提供してくれた。それを彼は今バンドで再現しようとしているのだ。「あの部屋をここに持ってくるぞ」
 エンジンがかかってきたところで、ブラウンの口からは意見や独り言が絶え間なく発せられてくる。話すことのほとんどは、ジェイムズ・ブラウンという存在であることに関する基本的なポリシーについてだ――「嫌がられてもいい、ベストであれ」。こういう発言の背後には、才能をひきだす激励の言葉を投げかけることで、「奴ら」とか「俺の家族」などと呼ぶ男たちに対する酷使を正当化したいという気持ちが見え隠れする。
(略)
ボツにした曲がまだ心に引っかかっているようだ。「誰かをおとしめようなんて思ってないんだ。みんなよかれと思ってやるんだけれど、聴けば違いはすぐにわかる。あのハードなサウンドが欲しいんだ」。
彼は自分が永遠に求め続けるサウンドについてしばしば力説する。「ハードで、フラットで、フラットだ」。ジェイムズ・ブラウンは永遠に何かを追い求めているようだ。それは、夢の中で聴いた、純粋な「ハード・フラット・ジャズ・ファンク」であり、それに向かって様々な労力が払われてきた。このことは、逆にグローヴァー・ワシントン・ジュニアのことを思い出させる。彼は最近ブラウンが歌いたくない曲を世に出してきた。「あいつはスムーズ・ジャズを演ってりゃいいんだ。俺たちが演ってるのは違うものだ。ジェイムズ・ブラウン・ジャズなんだ。何もスムーズなものなんてないんだ。もしスムーズになったら、そうならないように戻すくらいだ」。グローヴァー・ワシントン・ジュニアの問題点を考えながら口走る。「くだらない音楽なんだ」。それから私を見ながら言い換える。「あいつの音楽は結局モノなんだ。人間ではなくて。わかるかな」
 こんなように思いをめぐらせている間に、バンドのメンバーは準備ができている。指は弦の上にのり、唇はリードとマウスピースからほんの少し離れているだけだ。完全な沈黙の中、特別に強く弾く部分に関する指示があればうなずくだけだ。時には独り言が一時間続くかもしれないが関係ない。合図の手がさっと振り下ろされたとき、バンドはいつでも反応できるように準備している。何も新しいことはない。

「俺がいちばんサンプルや盗作をされているんだ。俺のものは俺のもの、お前のものも俺のものなんだ」

[午後に入ってもJBの精神は始終揺れ動き禅問答はつづく]
「ジャズなんだ」。彼はぼそっと言う。また、あるときには自分とヒップホップとの関係についての論考に移っていく。「俺がいちばんサンプルや盗作をされているんだ。俺のものは俺のもの、お前のものも俺のものなんだ」。これにはバンドのメンバーも笑い出す。「このことについて書いた曲もあるんだ。でもリリースはしないよ。ラッパーたちと争いたくないからな。いいものでなかったら、そもそも盗みはしないんだから」。最近の音楽への自分の影響について考えながら、彼は怪しいリフが聞こえるアリシア・キーズの曲を持ち出す。「ときどき自分の曲に出会うときがあるんだ」。しかし、彼はキーズのことを攻撃しているわけではないことを強調する。「他人をこき下ろしたくはない」。しばらくして、自分のパフォーマンスに不満を覚え、不安を感じてか、「銅像が立ってからというもの、トラブル続きなんだ」とはき出す。
(略)
自らの声でギターの音を真似る。もちろん、専門的な指示も出す。「ディミニッシュ・コードだ。それからナインスの音を上げる。そして半音下げろ」。デイモンがソロをとるときには、「サイケデリックっぽく行け」と要求する。
(略)
 大柄で少し猟犬をほうふつさせるサックス奏者ジェフ・ワトキンスが口を挟む。学校の生徒のように手を挙げながら、「音は外してないでしょうが、演奏に説得力がないと思います」。ジェフは三人のギタリストに対し、ものすごく丁寧に「気を入れて弾いてください」と言う。
 本気で弾いているはず、とブラウンは思ったが、聴き直してみるとジェフが正しいことがわかった。「俺が間違っていた」。ゴッドファーザーは驚いた様子で言う。「気を入れて弾くか。いいセリフだな、ジェフ」。ジェイムズ・ブラウンのさりげない態度は完璧だ。
(略)
 突然、ジェイムズ・ブラウンは大きな不安にかられ、歌舞伎役者のように大げさにそれを表す。「俺はバンドから外れて、ひとりで録音しているような気がしてきた」。これに対しバンドの何人かが自発的に反応し、同情と忠誠心を示す。いちばん声高だったのはサックスのジェフで、「俺たちはどこにも行きませんよ」とブラウンをなだめる。
(略)
そして、突然すべてがうまく回転し始める。「ソウル・パワー」はブラウンが歌うと、とてつもなくファンキーなグルーヴをもつ。(略)
「すごくよかっただろ、ミスター・ローリング・ストーン!」。彼はそう叫ぶと部屋から勢いよく出て行く。彼の姿が見えなくなるとバンドのメンバーはこらえていた笑いをいっせいに破裂させる。「フード・スタンプだってよ!」何人かが叫ぶ。「あんなのは聞いたことがない。危なくギターを落とすところだったぜ」。ブラウンの息子のダリルが言う。彼らは今、私が立ち会うことで生まれる効果に心底喜んでいるようだ。彼らははしゃぎながらスタジオを出て、ブラウンのもとに向かう。ブラウンはいつも通りせっかちにプレイバックを聴く準備をしている。
(略)
 ハワードがテープを回すように命じられ、笑いと会話が止む。テープを半分くらい聴いたところで、ジェイムズ・ブラウンは、疲労と不満をたたえながら頭をたれる。何かがおかしい。テープが終わったとき、一瞬の静寂のあと、彼は神妙に言う。「もう一度やろう。もう少しスローに」。陰気で従順な沈黙をたたえながら、バンドは重い足取りで持ち場に戻る。
 テープを再生している間、ギタリストのキースは私のところにきて体を乗り出し、ささやく。「何が起こっているのか本当のことを書いてくれよ。誰もよくわかってないんだ」。
(略)
[別の日、JBがトランペッターでアレンジャーのホリーの書いたバラード採用を衝動的に決定]
15分足らずでセカンド・テイク用のヴォーカルを録音してしまう。聴いている限りでは、ブラウンは歌いながら同時にヴォーカルのメロディを自分で創り上げ、そのメロディからどのくらい逸脱するかについての決定を下す(つまり、強調する音節を決め、ささやいたり、うなったり、叫んだりする歌詞を決め、どの母音を繰り返したり伸ばしたりするか決めるのだ)。尋常ではない本能が異常なほどせっかちな性格と一緒になっているが、それでも出来上がったのは聴くにたえないというものではない。しかし、わかってほしいのは、ジェイムズ・ブラウンは天才なのだが、その才能を無駄に消費しているということだ。
 彼が向こうに行ってしまったとき、ホリーとキースはこう考えた。もし、ブラウンが今録音したばかりのこのトラックを始まりだと思ってくれれば――後のヴォーカル・テイクを磨くための研究用のガイド・ヴォーカルだと考えてくれれば――すばらしいものができるのだが。しかし、同時に二人はブラウンがその曲のヴォーカルはもう完璧だと思っているはずだと観念もしている。
 それから、ブラウンは「メッセージ・トゥ・ザ・ワールド」という長くまとまりのないブルース・ファンク曲の歌詞を書き始める。彼がどうやって歌詞を書くのか知りたい方には、答えのようなものを教えてあげよう。まず、ボビット氏の遠近両用眼鏡を借りる。彼は自分の眼鏡を持っていないか、家に忘れたというところだ。次に、鉛筆を借りる。三番目にすることは、座って約15分間書くことだ。それから、マイクの後ろに行く。生み出されるのは流れ出すような言葉の数々で、独り言に似ていなくもない。要点をまとめるのは無理なのでそのまま書くが、歌われるテーマは非常に多岐にわたる。四度に及ぶ結婚、チャールズ・バークレイ、アル・ジャロウジョージア州とカロライナ州の出身者のことをまとめて表す「ジョージアリーナ」について、メイシオ・パーカーとはまだ付き合いがあること、フレッド・ウェズリーの家はそれほど遠くないこと[以下延々と続く](略)
[プレイバック中、ブースに飛び込み「ブラザー」と「ビリーブ」の間に「シャローム」を挟み込む。記者をユダヤ人だと思っているJB。パワーブックに文章入力中の記者の横で「パパ・ワズ・ア・ローリング・ストーン」をアカペラで歌いだす]
「ああ」。私は顔を真っ赤にして彼の方を見た。「すみません。せっかくつけてもらった新しい名前のこと忘れていました」
「気にしないでくれ、ミスター・ローリング・ストーン。君に気付いてほしかったんだ」
(略)
[メンバーの部屋に誘われ、作曲アレンジに参加できないフラストレーション解消のために、秘かに録音されたものを聴かされる。バレれば解雇されかねないので、JBには秘密]
音楽的なものに限らず、活動的なそぶりを見せたものには底意地の悪い手の込んだやり方で屈辱を与えるのだ。「これは捨てられたことに関係があるんだ」とキースが言う。「両親に捨てられたことにね」。ブラウンは、結婚式や葬式があるときに、わざと強制的なリハーサルのスケジュールを組むという。キースが言う。「俺の妻がアポロに最初に見に来たときだ。俺を舞台から降ろしてしまうんだぜ。プレイを止めさせられるんだ」

フレッド・ウェズリー登場

[昔のよしみでフレッド・ウェズリーが一日参加、みな興奮]
 目に見える矛盾を抱えた普通とは一風変わったこの「家族」は、混雑したスタジオでお互いに敬意を払いながら、礼儀正しく交わっている。ジェイムズ・ブラウンとフレッド・ウェズリーはこの部屋の中で、革の椅子に一緒に座っている。ウェズリーは、太鼓腹の上に赤いTシャツをまとい、しまりのないカリスマか愛すべき道化という風体だ。彼は上機嫌で、子供たちや声をかけてくるミュージシャンたちをからかう。彼の目からは、用心深く当惑している様子がうかがえる。まるで何が起こっているのか検討もつかず、罠にかけられたように少し怖がっているようでもある。
(略)
[「アンセスターズ(祖先)」というシャッフルの曲を聴かされたウェズリー]
「この場にふさわしい曲です。ありがとう」と言う。彼はトロンボーンをとり、曲に合わせて長いソロを取り始める。目の前でノリのいい最高の演奏が繰り広げられるのだ。
 バンドのメンバーたちは、同席するたくさんの家族と一緒に、サウンド・ルームの横長のウィンドウからウェズリーがプレイするのを見ている。彼ははしゃぎまわり、赤いシャツとトロンボーンが、いつもは薄暗いスタジオでスポットライトを浴びて輝いている。(略)
 ウェズリーは演奏を止め、プレイバック・ルームに入ってくる。それから、ジェイムズ・ブラウンが入ってきて曲に自分の「ラップ」を重ねる。ボスが防音のスタジオに向かうやいなや、バンドのメンバーたちは感心した様子で笑い出す。「フレッド、吹けって言われてすぐ吹けるなんて、すごいな!」。ウェズリーの即座の柔軟性に感心している様子だ。「あんな展開についていけるなんて。半オクターブ上がったと思ったら、ブァーと吹きまくるんだからな」
 ウェズリーは笑って答える。「他にどうすればいいんだ。Fのキーのシャッフルなんだからな」。そして、自身が「ラップ」と呼ぶ、ブラウンの即興ヴォーカルが聴こえてくる。それはウェズリーのソロの邪魔をしているのだが、誰もそうとは言えない。自然発生的な歌詞はこういう感じだ。「フレッド・ウェズリー。神からの授かりものだ。恵みだ、ちくしょう。立ち上がって、体を後ろにそらして、テンポを上げて、尻を揺らして、そうだ。
(略)
[穏やかにお開きになりかけた午後7時]
「今日は、サックスをケースから取り出しもしなかったな。eメールをチェックして、葉っぱを吸って、ケンタッキー・フライド・チキンを食べて」と不思議そうに言う。しかし、このジェフの言葉に、反乱の萌芽を見て取ったように、ブラウンはビター・スウィーツを家に帰し、バンドを招集する――メンバー全員を。
 ブラウンのムードはまた高揚する。彼は決然として怒りをたたえているようにも見える。「早く準備しろ」。みんなが集まっている間、そう言って叱り飛ばす。彼はオルガンを弾くことにするが、アンプのコードがもつれて音がとぎれると、ハワードとジェフを叱り飛ばす。また、キューを見逃したと言って、フレッド・トーマスに激怒する。「ベースをプレイしたいんじゃないのか? だったらちゃんと弾け!」。次に怒りの矛先はマウシーに向かう。隣の部屋にいるため、ブラウンのハンド・シグナルが見えなかったのだ。ブラウンは、マウシーのところに行き、ドラムを叩きはじめる。どう叩くか手本を見せるのだ――それは、ナット・ケンドリックのエピソードを彷彿させるものだった。この説教の間、部屋にただよう沈黙には息が詰まる思いだった。私は、フレッド・ウェズリーを目の前にしたバンドのメンバーのばつの悪さ、バンドを目の前にしたフレッド・ウェズリーのばつの悪さを考えずにはいられなかった。これが、みんなが私に聞いてもらいたかった不満の元凶だった。
(略)
[10日後の公演前、うまく行く事を祈っている自分に気付く記者。JBの圧倒的ステージの描写]
ブラウンは年老いてしまったが、可能な限りショウを続けてほしいとみな願っている。こんなことは考えたくもないのだが、ジェイムズ・ブラウン・ショウはいつかこの世から消え去ってしまう貴重なものなのだ。
(略)
自分の左にいる人に向かって「愛してる」と言えというのだ。観客はその通りにするが、それはジェイムズ・ブラウンのたっての願いだからだ。彼は左を向く動作を実演する。感情を込め、ほとんどひざまずいてホリーや他のホーン・セクションのメンバーの方を向いたとき、彼は舞台袖に突っ立っている私に気付いた。彼は私に笑いかけたが、それはフレッド・ウェズリーに見せたものと同じように自然な笑みだった。あの銅像の笑みとは似ても似つかない。もしこれでジェイムズ・ブラウンにもう二度と会えなくなっても、とてもいい思い出になる。最高の気分だ(アイ・フィール・グッド)。

追悼文中のプリンスこぼれ話

ジェイムズ・ブラウンと、彼が率いたソウルのファースト・ファミリー」
2007年 アラン・リーズ ワックスポエティックス誌

1969年に私を雇い入れる前、彼はこう説明した。「もちろん、俺たちの業界は、俺たちが主導権を握るべきだ。白人であれ黒人であれ、古い流儀のヤツらはお払い箱にすべきなのさ。しかし、じきに俺たちがきっちり主導権を握れば、態度も軟化していく。その時、黒人たちは気づくだろう。俺たちの音楽をゲットーの外に広めるためには、君のような白人が必要だということを」
(略)
 厳しい親方というブラウンの評判は、広く知られるようになり、皮肉なことに、私がブラウンのもとを去った後ですら、この評判が私の有利に働いた。1983年、プリンスは私に会うこともなく、私を雇い入れた。彼は、私の履歴書の中にジェイムズ・ブラウン・プロダクションズの名前を見つけただけで、「ジェイムズ・ブラウンのあいつを雇え」とマネージャーのスティーヴ・ファーグノリに指示したのだ。既に二人のツアー・マネージャーが、プリンスのもとを去っていた。プリンスは、JBに対処できた者ならば、この仕事も務まるだろう、と考えたのだろう。もしくは、オールドスクールジェイムズ・ブラウンの規律から、自分のファミリーも学ぶところがあると考えたのかもしれない。プリンスが心を許す素振りを見せない限り、近づいてはいけないと警告されていたため、気詰まりな沈黙が二週間ほど続いた。そして、私達が交わした初めての会話は、プリンスのこの言葉から始まった。「ジェイムズ・ブラウンの話をしてくれ」
 それから一年後、ジェイムズはミネアポリスのファースト・アヴェニューで公演すると、私たちが一週間後に同じ会場でショウをやることに同意するのなら、プリンスの「パープル・レイン」ツアーを自身の公演中に宣伝してもよいと申し出た。ブラウンがロック・クラブのサーキットに留まっている一方で、プリンスは既にアリーナのチケットを売り切っている。私はこの事実をあえて指摘しなかった。しかし、弟分が自分よりも売れていることについて、MTVから感想を求められると、ジェイムズはプリンスの成功について「彼が私の元スタッフ、つまりアラン・リーズを擁しているのが理由かもしれない」と豪語した。プリンスのマネージャーだったファーグノリは、このインタヴューを快く思わなかっただろうが、私もゴッドファーザーの誇りを踏みにじる気は毛頭なかった。
 率直な話、ジェイムズ・ブラウンとプリンスを比較しようという考え自体が、私にはおかしなことに思えた。(略)1980年代のツアーは非常に重労働で骨が折れた。一方、JBのプロダクションは、楽器、マイクスタンド数台、小さなオーディオ・システム、会場の照明、二つのスポットライトのみで構成されていた。ジェイムズが特殊効果として閃光灯を導入しただけで、我々は凄いと大騒ぎしていたのである。
 一方、メディア関連の仕事は多いものの、1980年代のツアー・スケジュールは楽なものだった。プリンスの公演は一週間に四回。(略)
[60年代のJBツアーは11日で5都市を巡り37公演]
バンドの機材が運び込まれる間、私はフェイマス・フレイムズのボビー・バード、ボビー・ベネットとシュートを打っていた。「なあ、君たちが立っているだけでも信じられないよ」と私は言った。
 するとバードは、「たいしたことないさ」と肩をすくめて笑った。「もう慣れっこなんだ。一度座ってしまったら最後、次のショウに寝坊してしまうかもしれないし」
(略)[JB葬儀でのライヴ描写]
私もみなと同様に、ジェイムズ・ブラウンがいなかったら、自分の人生はまったく違ったものになっていただろう、ということに気づいた。彼は、私が愛する音楽の聴き方と理解の仕方を教えてくれた。彼はこの国と、この国のもつ多彩な顔について教えてくれた。彼は人種について教えてくれた。希望がない時に、いかに希望を持つかについても教えてくれた。
(略)
私たちは、大家族を構成しているのだ。そして私は、自分がその一員であることを誇りに思っている。

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「JB論 ジェイムズ・ブラウン闘論集1959-2007」その1
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