塀の中のジェイムズ・ブラウン JB論その3

前日のつづき。

「転向者とゴッドファーザー

84年 ニュー・ミュージカル・エクスプレス誌

 ジェイムズ・ブラウンを思い浮かべたとき、考えることは何だろう?
(略)
「ソウルのゴッドファーザー」か? 人種暴動を鎮めた男? 光る汗が顔にしたたり落ちるオールバックの髪か? ラバーで保護した膝から床に倒れ込み、全力で飛びはね、かかとを旋回させる姿か?
(略)
 バスローブに身を包み、ベッドルームの鏡の前で、髪にピンクのカーラーを巻いて冷静に容姿をチェックしているジェイムズ・ブラウンの姿を想像できるか? そんなことが信じられるか?
(略)
ホテルのスイートでの偉そうな足取りや、尻をくねくねさせ、カウボーイ気取り全開という感じで、ニューヨークのダウンタウンを闊歩するのを見ると少し気恥ずかしくはなる。それにも増してピンクのカーラーだ! あれだけは忘れようにも忘れられない。本当に驚かされた。
(略)
このインタビューをブラウンが受けることになった理由は、メガミックスの「ユニティ」をアフリカ・バンバータとコラボレーションするというトミー・ボーイ・レコードとの契約の中に含まれているからというだけだ(噂では、彼はレコーディングに参加することにより無条件で三万ドルを受け取ったらしい)。
(略)
 突然、彼が階段を下りてくる。幅の広いカジノのハスラーが身につけるようなスーツ、飛行操縦士用のサングラス、しわくちゃの赤いシャツを身につけて。エナメル靴をカチカチいわせながら、ピアノの前に向かい一曲弾き始める。曲の名前は「ハニードリッピング」でなかなかいい感じだ。ブラウンはこの曲を録音したことはない。
 「ブギウギだぞ!」。そう叫びながら彼は、ヴォーカル・パートの間に長々とアドリブを挟む。(略)
 彼は私の方を向く。「こんな曲知らないだろう。君が生まれるずっと前に録音された曲だ」。彼はそう言いながらサングラスを外し私の横に座る。アフリカ・バンバータは私の反対側に座るが、ブラウンが話している間は黙ったままだ。「ユニティ」をやるためにブラウンにコンタクトしたのは何年もJBのファンだったバンバータだ。
(略)
――過去には新しいファンク・グループに批判的だったこともありますが、どうしてアフリカ・バンバータと共演する気になったのですか?
 「違う。俺は批判的ではない。これは我々がやってきたことの延長だし、目的に行き着くためのもうひとつの方法なんだ。俺は他人に対して批判的になったことなんてない。バンバータと俺が批判的になるのは唯一、殺し合いをしている人間に対してだ。
(略)
――インナー・シティのヒップホップは、アメリカ全土のサウンドを拡大したものです。あなたが音楽を始めたときには、様々な地域に明確な「サウンド」がありました。こういう要素を統合したいという意識はありますか?
 「それは旅行みたいなものさ。高速道路を行く者もあれば、地べたを走る者もいる。列車に乗る者、飛行機に乗る者もいる。みんな同じ場所に行くんだ。サバイバルだな」
――この答えに驚いた私は、もう一度同じ質問をしてみた。
 「そんなことは意識していない。食べることと寝ることを考えていた。俺は生きたかったんだ。そうことはすべて後からやってくる。でもいったん求めていたものを手に入れたら、自分のことにかまけすぎてはいけない。他の者を助ける時間がなくなるから。だから俺はバンバータのことが好きなんだ。
(略)
 しばらくして、ジェイムズ・ブラウンは質問に答えるというより、会話の隙間に意味のない使い古しの決まり文句を挟み込んでいるだけということが明らかになって来た。
(略)
 私は、エンターテイメントの「神様」が用意する新神秘主義的で難解な詩文に対応するのには慣れていない。
(略)
ホテルからテレビ局へ向かう車中での短い時間、ブラウンはバンバータにテレビ出演についてのアドバイスをし続けた。
 「ちょっと低い声で話すんだ、バム。お前の勢いを削ぎたくはないんだが、『ラブ』『ピース』『ユニティ』なんて言葉を言うとき声を大きくすればいいんだ。DJのようにな」
 彼らが出演する少し前、ちょっとした問題が持ち上がった(略)
ジェイムズは、MTVがチャンネルに出演することを許可する、という言葉遣いに抵抗した。
 「こんなもんにサインするもんか。こんなショウに出たいなんて言ってねえよ。どっかのガキで出たい、出たいって言う奴はいるだろうが、俺はそんなんじゃないんだ。ジェイムズ・ブラウンはそんなことはしない。リック・ジェイムズはどうしても出たいって言うかもしれないから呼んでこい! 俺が出たら、視聴率はぐっと上がって何百万人も見るんだ。俺は好意で出てやってるんだ……」

ジェイムズ・ブラウンが帰ってきた、すごい勢いで」

86年 ベイ・エリア・ミュージシャン誌

先月その貢献をたたえ、ロックの殿堂に迎え入れられる最初の十人に選ばれた。
 今月、一枚目のレコードから30年を経て、彼はトップに返り咲いた。映画『ロッキー4』の中での前座出演、そして、映画の挿入歌「リヴィング・イン・アメリカ」の大ヒット……。
(略)
 ブラウンにとって今が絶頂期だ。殿堂入りは別にして、ヒット・レコードとカバー・ストーリーが書かれ、コマーシャル出演の依頼も来ている。「コカ・コーラペプシジェイムズ・ブラウンを巡って争っている」と彼は言う。「自動車会社もみんな俺に出てほしがっているんだ」
(略)
ブラウンはここに金儲けのためには来ていないらしい。しかし、一年前には金を必要としていた。昨年の一月、彼はボルティモアの裁判所で、債権者への17万ドルの支払いができず、マクドナルドで食事をしているという証言をした(1984年には税金滞納分として、アメリ国税局はブラウンの家具や三台の自家用車を売り払った)。(略)
私が不愉快な話を持ち出すと首を振った。「誰かがウソの情報を持ち込んだんだ。俺は1952年以来貧乏じゃない。(略)
誰かが俺を陥れようとしているんだ」
 誰かが――ブラウンは特定しない「奴ら」を糾弾する――彼のラジオ局を奪ってしまった。「なぜって、俺は革命家だからだ……奴らは俺が戻ってきて60年代を再現するのが怖いんだ。体制は俺が少し力を持ちすぎたと思っている。コミュニティを立て直して、子供たちに教育をして、俺の経験から導いてやったりしたことを見てな」
(略)
 ブラウンは自己陶酔的かもしれないが先人の功績は忘れていない。彼に影響を与えたのはルイ・ジョーダンだという。「プリーズ・プリーズ・プリーズ」で見せる恒例のマント・ショウは教会、そして50年代の派手なプロレスラーのゴージャス・ジョージにそのルーツがある。「以前はスーツケースを引きずってステージに上がったものだ。そうすると観客はタオルを投げてよこし、俺はそれを払う。そのとき俺はゴージャス・ジョージのことを思い出した。彼はど派手なガウンを身につけていたのだが、俺はそれを自分のショウに取り入れたんだ」。それはそのままショウの一部となっている。
(略)
 彼は寛大でもある。プリンスが彼の70年代を再現しヒットを飛ばしていることに関して、「とてもいいことだと思うよ。プリンスやマイケル・ジャクソンデヴィッド・ボウイミック・ジャガーティナ・ターナーたちが、ジェイムズ・ブラウン風のステージをやってくれるのはうれしい」。ここで彼は、明らかに自分の影響を受けていると自身が考えている者たちを挙げたのだ。付け加えると、「ラップの被害は受けてないよ。だってラップはずっと前に俺が始めたんだから(1970年の「ブラザー・ラップ」で)」
 「パパのニューバッグ」以来どのように彼の音楽は変わったのかと問われ、ブラウンは答える。「特に変わったことはない。みんな少しずつ追いついてきたね。俺は時代より二十年先に行っていたんだ」

ジェイムズ・ブラウンの苦難と裁判」

89年 ヴィレッジ・ヴォイス紙

[ステート・パーク刑務所へのタクシーの運転手談]
ここのみんなはジェイムズ・ブラウンは裁判でうまくやりおおせたって言っているよ。彼が立ち直ったと思えば、奥さんが何かやらかす。せっかく放免してやったのにまた発砲する。そんなことを何度も何度も繰り返しているんだ。ピストル、ドラッグ、ショットガンなんかで捕まったら、俺とかあんただったら三十年は覚悟しなけりゃならないはずだよ」(略)
車は、彼が言うところの「老人ホーム」で止まった。(略)
「彼にはまだ同情してるんだ」。車から出ようとする私にガスが言う。「みんなあの奥さんのせいなんだ。暴行で訴えたり、離婚訴訟を起こしたり、PCPで逮捕されるとドラッグを忍ばせたのはダンナの仲間だって言ったり、北部のほうでホテルの部屋に火をつけたり。みんなあの女の仕業なんだ。間違いない」
(略)
 「再婚するまで、ジェイムズ・ブラウンには一度もドラッグの問題なんかなかったよ」。60年代と70年代後半を過してツアーとブッキングのマネージャーだったボブ・パットンが言う。「だが今は違う。彼はPCPを一、二本吸っている。おそらくここ一年ずっとだろう」。(略)パットンは、彼は暴力的な人間ではないし短気でもないと主張する。「妄想癖(パラノイア)は多少あるさ」とパットンは言う。「ドラッグを使ってなくてもその気はあったが、ドラッグのせいでいっそうひどくなったんだ。パラノイアのせいで警察とのカーチェイスが始まってしまったんだ。
(略)
[77〜81年JBレビュー参加シンガーのアン・ウェストン]「[三番目の妻]エイドリアンと結婚してから、ドラッグの問題がひどくなったのよ。最近ほんとうにひどいものに手を出していると思うの。(略)
81年ころ、彼のレヴューが落ち目になってきたとき、明らかにあの人はおかしくなっていたわ。
(略)
 オーガスタの保険セミナーでショットガンを振り回した例の事件について訊ねられ、ブラウンはこう答えた。「俺は神聖なオフィスに入っていったんだ。あの俺が所有しているやつだ(実際は賃貸しているオフィスなのだが)。俺が中に入っていくと、鍵が開いていてみんなで俺のトイレを使っているんだ……『使ってもよろしいでしょうか』と断りもせずに……。だから俺は知りたいんだ、俺は何か所有しているのか、それとも自分をごまかしているのか? つまり、俺はここで何を所有しているのか、何をコントロールしているのか? つまり、何かをコントロールしているのか? こんな状態には耐えられない。俺の名字はブラウンだ……思うようにならないなら、存在していたくはない。俺の問題は……お前だって問題はあるだろう、誰だって問題はあるだろうが。安息日をとって自分たちの問題や罪について神の許しを請うように聖書に書いてあるのは、俺たちが人間だからだ。俺たちは神じゃない。人間なんだ。[引用者注:延々この調子が続く]
(略)
俺が親父に言うとおりにするよって言ったら、親父は怒っちまった。なぜって、俺はお前の父親だ。お前は自分の考えがあるだろう。お前がトイレに行っている間は、俺はお前が終わるまで待っている。俺がトイレに行くときは、お前は待っている。お前が食べているときは俺はそれを味わうことはない。お前が食べたって俺は太りも痩せもしない。俺が求めているのは自立っていうことだ。それはF-R-E-E-D-O-Mとも綴るんだ。他に何も言うことはない。陳述はこれでおしまいだ……悪魔のせいでこんなことをしでかしたなんて言わない。ストレスのせいなんだ。S-T-R-E-S-Sだ!三回繰り返すぞ、S-T-R-E-S-S!S-T-R-E-S-S!もう一度、S-T-R-E-S-S!」

ジェイムズ・ブラウンと対話する」

2002年 ザ・サンデイ・テレグラフ・マガジン

 サウス・カロライナの田園地帯の奥深くにある彼の邸宅には十台ほどの自動車が控えている。邸宅の主「ソウル・ブラザー・ナンバー・ワン」は、ベンツ、ジャガージープ、キャデラック、リン力ーン、そして紺青のロールスロイス(略)
豪奢な生活に見えるが、十年前には国税局に九百万ドル以上の借金を負っていた。しかし、二年前、ブラウンはウォール・ストリートから三千万ドル調達することに成功した。(略)[かつてのヒット曲の]今後の著作権料の見通しが評価されたもので、保証金は「A」ランクを付与され、出資者はブラウンの財産を抵当に入れる必要もないとみている。
(略)
アメリカはおかしな国さ」。彼はため息をつきながら言う。「誰でもなんでも許される。でも成功だけはダメなんだ。エルヴィスもその犠牲者だ。成功者は同じ仕打ちを受けるんだ」(略)
[四番目の現在の妻は32歳の白人。七ヶ月の息子がいる。認知した二人の婚外子の一人ダリルはブラウンのバンドでリズム・ギター]
(略)
保険セミナーに乗り込んでいき、ショットガンを振り回して、自分のトイレを使ったの誰なんだ、とわめき散らした。警察が呼ばれ、カーチェイスが始まった。23発の銃弾がブラウンの車両に撃ち込まれ、前輪のタイヤ二本が撃ち抜かれたが、外輪のまま十キロほど走り続け、排水溝に落ち停止した。警察が車から引きずり出したとき、ブラウンは「我が心のジョージア」を歌い、“グッド・フット”ダンスを踊り始めたという。
 「天使の埃」として知られる、強い幻覚作用を誘発する動物用安定剤であるPCPが、ブラウンの血液から採取された。彼はそれは仕組まれたことだと主張した。罪を認めれば90日の刑にするという司法取引を断り、六年の刑を宣告された。
(略)
[91年仮釈放]彼はツアーを続け、レコーディングをし、トラブルに巻き込まれる。94年と95年には、夫婦の諍いが再び警察に通報され、96年には八時間に及ぶ脂肪吸引手術の二日後、エイドリアンが死去する。ブラウンは99年に、警察に精神異常者として病院に移送されたあと、武器とマリファナの所持により告発された。
現在ブラウンは幸せそうに見える。皮膚着色はうまくいかなかったが、眉毛がまた生えてきたと言う。「これってすごいことじゃないか?」。大切な髪型については、幸いにもお手伝いが何とか対応している。「昔は髪を高く高くまとめていたんだ。なぜって、みんなには『奴はとこにいるんだ』ではなく、『ここにいるぞ』っと言わせたかったんだ」と彼は言う。ジョエル・ウィットバーンの『レコード・リサーチ1955-72』というよく読み込まれた本を引っ張り出し、自分の名前で出されたヒット曲を指でなぞる。「わかるか? わかるか? わかるだろ? この歌だ。ヒット曲の数は今はこの頃の三倍になった。俺には、誰よりもヒット曲があるんだ。モーツァルトシューベルト、ベートーベン、バッハ、シュトラウスの作った音楽は俺によって変えられたんだ。
(略)
俺の問題っていうのは、俺はこの国で大変な天才であることがわかったんだが、みんな俺の独創的なアイデアを使うどころか、盗んでしまったんだ。俺のおかげで成功した奴が何人いると思う? 誰がマイケル・ジャクソンを生み出したんだ?」(略)

残りわずかだけど、疲れたので、明日につづく。