憲法改正のオモテとウラ 舛添要一

冒頭、「第一次草案」取りまとめの責任者だった舛添が

「第二次草案」をバッサリ。

右か左かというイデオロギーの問題以前に、憲法というものについて基本的なことを理解していない人々が書いたとしか思えなかった
(略)
[自分の時は三分の二獲得のために左右バランスに注意した]
 私は、憲法改正の眼目は、9条2項だと思っている。たしかに、現行憲法は国民の権利・義務などをはじめ、完成度が高くよくできた内容だと思う。しかし、変化する国際情勢に対応して、日本の平和と独立、国民の安全を守るために軍隊を持つ(現実に自衛隊が存在している)ことを明記すべきである。その改正こそが急がれている。また、環境権や犯罪被害者の権利など、新たな権利を憲法に加える必要もあり、多くの国民がこれらの点では賛成であろう。ところが、そのような国民も、立憲主義の原理に背反するような憲法改正案を提示されたのでは、拒否せざるをえなくなる。今の自民党は、本当に憲法改正を実現させたいのであろうか。皮肉に言えば、護憲勢力の後押しをしているとしか思えないのである。

そして本題の「第一次草案」取りまとめ時の苦労話に。

保岡興治の失敗から学ぶ

 保岡衆院議員は裁判官出身の二世議員で、2000年に第二次森内閣法務大臣として初入閣したが、党務でも憲法調査会など法務関係の地味な仕事に終始しており(略)私も彼と議論するときは、東大に戻って研究室で同僚教授と談笑しているような気分になったものである。それと対極的で武闘派的な雰囲気を漂わせているのが、青木幹雄氏や片山虎之肋氏で、たとえは悪いが、気の小さい普通人には、煮ても焼いても食えないヤクザに立ち向かうことなど、想定外のことであった。保岡氏が独自の憲法草案を書くときに、法律専門家としての配慮はあっても、参議院に戦いを挑むなどという大それた考えなどなかった(略)
私も学者出身であるが、青木組に入った以上は、組の掟に従うしか生きていく道はない。(略)
[大綱原案では]首相指名権限を取り上げられ、大臣にもなれないというのでは、参院議員が黙っているはずはない。
(略)
片山幹事長は起草委員に対して「こんなふざけた案は絶対に認めない。論外だと、あんたたちが憲法調査会で言ってきなさい」と、怒りに震えて怒鳴りつけた。
 当時、大きな政治的発言力を持つ青木氏や片山氏を敵に回せば、もはや勝負はついたも同然であった。大綱原案は、参議院の猛反対を前にして潰え去る運命にあった。
(略)
 保岡氏は山崎派に属しており、大綱原案が山崎派を中心にまとめられたことも、他派閥の反感を買った。(略)
小泉首相山崎拓氏の盟友関係からか、内閣や党役員の人事で山崎派が優遇されているという不満が他派閥にあり、これも保岡氏の「独断」への批判を強めることにつながった。もちろん森派は、加藤の乱の怨みから、山崎派に対しては好感情を抱いていなかったことは確かである。
(略)
 保岡氏の準備した大綱原案が猛反発を買ったのは、参議院という聖域に無謀にも踏み込んだからであるが、同時に、背景に諸派閥間の微妙な関係があったからでもある。保岡氏が清和会(森派)や平成研(旧橋本派)に属していたら、事態はまた違った展開をしていたであろう。露骨に参議院の力を殺ごうとしたこの大綱原案は、小泉首相山崎派による青木・片山つぶしの意味もあったと勘ぐる向きがあるかもしれないが、保岡氏は衆議院法制局のスタッフに協力させて一人で案を書いており、山崎氏や小泉氏と内容について事前に相談した様子はない。そもそも、憲法改正を権力闘争の道具に使うなどという発想は、保岡氏には無縁であり、本当に青木・片山つぶしが目的なら、このような稚拙な手は使わない。
 保岡氏が意識していなくても、高邁なはずの憲法改正論議が、熾烈な権力闘争の道具となるのである。そのことは、後述するように、翌年に発足する憲法改正のための新組織においてもまた、より先鋭な形で繰り返されることになる。

[2005年新憲法起草委員会の構成は森&与謝野主導で]
小委員会にどの参院議員を配置するかも、[青木の片腕]景山俊太郎氏と私で決めていった。私はどの派閥にも属していなかったが、青木氏との関係は良好であり、青木氏の威光を背に二人で人事を仕切ったのである。ちなみに、森氏も青木氏も早稲田大学の出身であり、関係が深い。この二人のうち、一人からでも忌避されると、人事は動かなくなる。

自然描写盛り込んじゃう中曽根に苦笑の舛添

[中曽根の考えを色濃く反映した「憲法改正試案」前文「我ら日本国民はアジアの東、太平洋の波洗う美しい北東アジアの島々に歴代相承け……」]
という表現については、「日本海はどうした」と日本海側から選出された議員が文句をつけるし、沖縄の議員は東シナ海、北海道の議員はオホーツク海をあげてくる。結局、小委員会案としては、日本海のみを追加することになったが、地理的な描写でさえ、こんな些末な議論となるので、この珍問答を聞きながら、私は、憲法の前文にこのような地理の描写を盛り込むべきではないと思った次第である。
(略)
[「美しい北東アジアの島々に」という表現も]
美醜は個人の価値判断であるから、このような価値観の入った自然の描写は憲法前文にはふさわしくない。
(略)
復古調が強すぎても、特定の価値観が色濃く出ていても、それが反発を呼んで、野党や広汎な国民の支持を得ることができなくなれば、憲法改正ができなくなる。(略)
本当に一日も早く憲法を改正しようとするのなら、どうすれば、三分の二の国会議員の賛成を得られるか、過半数の国民に支持されるかを考えるべきである。

森を猛烈に……する舛添の巻

この議員は文教族で、自ら学校法人の経営にも関わっていた。文部科学省がバックにいたかどうかは定かではないが、中学校3年も義務教育であることを憲法に明確に記すことによって、補助金削減を阻止するのが彼の目的であった。(略)
ところが、文教族の大ボス、森喜朗・新憲法起草委員会委員長の対応は全く違った。私が、「森総理、こんなことを書いてよこした者がいますよ」と、その議員が私に出したペーパーを見せると、せせら笑って、「こんな案は潰してしまえ」と一蹴。これで一安心である。森氏と、先の議員とでは、政治家としてのスケールがまるで違う。
 私は、森元首相を、尊敬の念を込めて「偉大なる真空」と呼んできた。30年近いおつきあいの中で、大所高所から日本の行く末を案じ、右から左まで、あらゆる意見を聞き取り、最適の落としどころを考える。それは、自分を無にして「真空」状態にならなければ、できることではない。そのときに、森さんは、相手に細かい気を遺いすぎるために、かえって誤解を生み、損な役回りをさせられてしまう。首相時代の「神の国」発言などは、その典型例である。
(略)
 私はその後、安倍内閣厚生労働大臣に就任したが、森氏は、私に対していつも「君は法務大臣にはなってはいかん。君のように憲法とか法律とかに細かい男が大臣になったら、法務省の役人は仕事がしづらいからな」と言っていた。要するに、自分の知識が邪魔をして「真空」になれず、部下の意見に耳を貸さないという問題を指摘したものである。
「偉大なる真空」にして、はじめて発することのできる警告であった。
 実際に厚労大臣になったとき、医者でも薬剤師でもなく、厚労族でもないことが、様々な意見に虚心坦懐に耳を傾けるきっかけとなった。私が東大法学部ではなく、医学部を卒業していたら、自分の学説と違うような意見は排除していたかもしれない。森氏は、国を統治するということの重要さを教えてくれた私の師だと思っている。

郵政民営化騒動で前文が中曽根味になってたかもの巻

[与謝野と二人で文章を練るも、それどころではなくなる]
 実は、郵政民営化法案採決の票読みのときに、[中曽根弘文が会長の]志帥会の動向が鍵となったのである。(略)
[森が中曽根・父に息子を説得してくれと頼むも中曽根は応じず]
与謝野氏は中曽根元首相のかつての秘書であるので、父・中曽根の説得、私は同じ参院議員であるので、子・中曽根の説得を試みるという役割分担にした。(略)
[与謝野氏は]条文・第一次素案を持っていき、「このように条文化もできつつあります。ただ、解散になれば、憲法改正も吹き飛んでしまいます。息子さんの説得を含めて、郵政民営化法案の成立にお力添えして頂けませんか」と頼んだのである。中曽根氏が担当する前文はまだ書いていなかったので、与謝野氏は、“息子の弘文氏が賛成してくれれば、中曽根委員長の意に沿った前文にしますよ”と遠回しに言ったと思われる。しかし、中曽根元首相は色よい返事をしなかったようだ。
(略)
 実は、この裏には、参議院の中での青木氏と村上正邦元労相(志帥会初代会長)との確執がある。村上氏は、「参議院の法王」、「村上天皇」と呼ばれるくらいに権勢を誇った政治家である。(略)
[KSD事件で失脚した]村上氏の後に「参議院のドン」となったのが青木氏であるが、村上氏は、青木氏に追い落とされたと思っているようであるし、青木氏は、村上氏がいつまた反撃してくるかと構えているようであった。
[村上は中曽根弘文、亀井、平沼を招集、民営化に反対するよう説得]
(略)
このように、憲法条文を書くという崇高であるべき作業も、政治の荒波に翻弄されてしまったのである。自民党にとって、そして政治家にとって、権力を手放すことは絶対に避けなければならない。その至上命令の前には、不本意でも条文の変更はせざるをえないという厳しい現実に直面したのだ。
(略)
 仮に中曽根弘文氏が賛成に回り、法案が可決されていたら、私がどう主張しようと、中曽根元首相の書いた前文が、自民党「第一次草案」の前文となっていたであろう。

アベちゃんが折衷案の巻

[舛添から中曽根私案の利点と問題点をレクチャーされた小泉首相]
「総理が前文から中曽根カラーを一掃せよと指示した」などと面白く脚色されて伝えられたので、安倍、岡田直樹両氏が驚いて対応策を考えたのである。中曽根・小泉の間に立って、彼らも苦労し、中曽根私案を温和な形に変えた「安倍修正案」をこしらえて、持ってきた。
 その内容は、たとえば中曽根私案の「天皇を国民統合の象徴として戴き」を「国民統合の象徴たる天皇と共に歴史を刻んできた」に変え、「国を愛する国民の努力によって国の独立を守る」を「日本国民は自由、民主、人権、平和、国際協調を基本理念とする国を愛し、その独立を堅持する」としたものである。さらには、「大日本帝国憲法及び日本国憲法の果たした歴史的意味」も「大日本帝国憲法の歴史的意義、及び日本国憲法の普遍的理念」と変更してあった。
 安倍氏から修正案を受け取った与謝野氏は「ご苦労さんです。うまく直しますね」とその労をねぎらったが、14日の首相官邸での会談で自民党総裁である小泉首相が決めた方向[中曽根色排除]を変える気はなかった。

まとめ

 憲法起草といっても、研究室の中で学者が行うものではなく、政治の現場で、権力闘争を繰り広げながら、権謀術数の限りを尽くして行う血みどろの戦いなのである。そのことは、本書で記述したような自民党一党の中での議論を見ても、よく分かるであろう。
 それにしても、「第二次草案」の出来映えは芳しくない。政権を担っている党が、人類が長年の努力を重ねて国家権力から勝ち取った基本的人権を、「西欧の天賦人権説」として否定するような愚は許されることではない。私は、主権者である国民の一人として、立憲主義の原則に反するような憲法を書くつもりはない。
 自民党が、「第二次草案」をそのままの形で提案するのならば、私は国民投票で反対票を投じる。
(略)
特定秘密保護法が成立した。(略)問題の多い「第二次草案」を取りまとめた議員たちが、またこの法案作りでも中心になっていた。立憲主義など教わったことのない議員に、これほど重要な法案を任せてよいのであろうか。