劣化国家 ニーアル・ファーガソン

アダム・スミスの定常状態

 アダム・スミスは、『国富論』のめったに引用されない2つの節で、彼が「定常状態」と呼んだもの、つまりかつて豊かだったが成長を止めた国の状態を説明している。


 たとえ国富が莫大であっても、国が長期にわたって定常的であるなら、高い労働賃金は望めない。……人口の大きな割合を占める労働貧民が、最も幸せで快適な暮らしができるように思われるのは、社会が最大限の富を獲得したときではなく、さらなる獲得を目指して前進を続ける、進歩的な状態にあるときだ。社会が定常状態にあるときの労働者は苦しく、衰退状態では惨めである。社会が進歩的状態にあるときは、どの階級も晴れやかで元気だ。定常状態では生気がなく、衰退状態で憂鬱である。


 スミスは定常状態の第2の特徴として、腐敗した独占的なエリートが、法・行政制度を自分の利益になるように利用できることを挙げる。


 また金持ちや大資本の所有者が、大きな安全を手に入れているのに、貧乏人や小資本の所有者は、安全をほとんど確保できないばかりか、下級官僚によって正義の名のもとにいつ略奪され、強奪されるかわからないような国では、国内のどの業種に投じられる資本も、その業種の性質と規模から見て最大限の量になることはけっしてない。どんな業種でも、貧乏人が抑圧されれば、必然的に金持ちが富を独占し、あらゆる事業をほしいままにして、莫大な利益をあげることができる。


西洋人の読者が、この2節を読みながら、きまり悪さを感じないことを祈ろう。
スミスの時代に「長期にわたって定常状態」にあった国といえばもちろん、中国だ。成長を完全に止めてしまった、かつての「豊かな」国だ。この停滞の原因は、欠陥のある「法と制度」――官僚主義を含む――にあると、スミスは考えた。自由貿易を促し、中小事業への支援を増やし、官僚主義や縁故資本主義を減らすこと、それが中国の停滞に対するスミスの処方箋だった。

規制緩和は悪くない

 アメリカはともかく、とくにイギリスの読者にとっては、金融市場の規制が急成長をもたらし、規制緩和が危機を招いたという説は、どうにも腑に落ちないだろう。(略)
こうした金融規制の時代には、「めざましい経済発展」と呼べるようなものは何も見られなかった。それどころか1970年代は、1820年代以降で、イギリスが最も深刻な金融破綻に見舞われた10年間だったといえる。
(略)
 わたしにいわせれば1970年代から学ぶべき教訓は、規制緩和が悪いということではない。まずい規制が――まずい金融政策と財政政策という背景で行われた場合にはとくに――悪いのだ。そしてこれは、現代の危機にもそっくりそのままあてはまる。
(略)
 わたしが問いたいのは、金融市場が規制されるべきかどうかではない。だいいち、規制されない金融市場などというものは存在しない。そんなことは古代メソポタミアの研究者でも知っている。アダム・スミス時代のスコットランドでは、兌換紙幣制度にふさわしい規制について、活発な議論が行われた。実際、1772年のエア銀行の破綻危機を受けて、自由市場経済の父たるスミス自身が、かなり厳格な銀行規制をいくつか提案しているほどだ。債務返済を強制し、詐欺を罰する規則がなければ、金融という活動はありえない。(略)したがって真に問うべきは、「最も有効に機能するのはどのような金融規制か」という点なのだ。
 最近では単純さより複雑さを、裁量より規則を、個人と企業の責任よりコンプライアンス行動規範を好む方向に、世論が傾いているようだ。こうした姿勢の根底には、金融市場のしくみに関する誤った理解がある。この手の意見に接すると、ウィーンの偉大な風刺作家カール・クラウスが、精神分析について述べた有名な皮肉が思い出される。精神分析は、心の病を治すと謳いながら、実はそれ自体が病を引き起こしているのだと。複雑すぎる規制は、治療法を装った病そのものだというのが、わたしの持論だ。
(略)
 前にも示唆したとおり、金融システムのなかで最も危機に陥りやすかったのは、実は最も厳しく規制された金融機関だった。欧米のヘッジファンドではなく、大手銀行だ。規制緩和とそれが招いた銀行家の不品行が、危機の原因としてとりざたされるのは、アメリカの政治階級にとって少々都合がよいどころではない。ちゃっかり責任を転嫁できるうえ、規制を増やす口実まで与えてくれるのだから。
(略)
金融危機後の世界に、危機のないグローバル金融システムをつくろうとする規制当局の取り組みも、失敗を運命づけられている。これほど複雑なシステムを管理する能力は、とても身につけられるものではない。(略)
 ほかに道はないのか? あるはずだ。しかしそれを探すには、ダーウィンの時代にまでさかのぼらなくてはなるまい。ウォルター・バジョットは1873年に発表した『ロンバード街――ロンドンの金融市場』のなかで、ロンドンのシティが当時どのように発達していったかを、巧みに説明している。バジョットはイギリスの金融システムが、弱肉強食的な活力を備えているにもかかわらず、複雑で脆弱であることを見抜いていた。
(略)
 バジョットは半世紀にわたる金融危機をふり返ることで、国家の準備金の管理者としてのイングランド銀行の役割が、法によって定められた役割や、実際に同行を動かしていた人たちによって理解されていた役割から、大きくかけ離れていることを鮮やかに説明した。1825年のパ二ック時に、イングランド銀行は適切な措置をとりはしたが、行動を起こしたのはその日遅くになってからで、しかもなぜそれが適切なのかを理解しないまま行った。

ロンバード街 金融市場の解説 (日経BPクラシックス)

ロンバード街 金融市場の解説 (日経BPクラシックス)

 

正しいウォルター・バジョット解釈

 バジョットの示した対応措置は明快だが、誤って解釈されることがとても多いように思われる。彼の有名な勧告は、中央銀行は危機時には懲罰金利で無制限に流動性を供給すべし、というものだ。「きわめて高い金利で、きわめて多額の資金を貸し付けることが、最善の救済策だ」。しかしこの勧告のうちでいま実践されているのは、後半部分だけだ。それは、現代の金融システムはレバレッジが高すぎて、高金利に耐えられないと考えられているためだ。バジョットが高金利を勧めたねらいは、「貸付を必要としない大勢の者たちからの申請を防ぐ」ことにあった。今日、健全な銀行も弱体化した銀行も一様に、事実上のゼロ金利の貸付金を、まるで無尽蔵であるかのようにしこたま詰めこんでいるのを見ると、彼のいいたかったことがよくわかる。
 それに最近では、バジョットの教えのそれ以外の部分、とくに、規則ではなく自由裁量を重視すべし、という勧告までもが疎かにされている。彼はまず何よりも、中央銀行が豊富な市場経験を積んだ理事を持つことの重要性を強調した。「信頼できる商人は」と彼は書いている、「危険な者たちのいかがわしい評判をつねに把握しており、不正取引のほんのわずかな兆候も見逃すことがない」。
(略)
 また中央銀行公定歩合、つまり中央銀行が優良な商業手形を割り引く形で行う貸出の金利も、予測可能であってはいけないと彼はいう。「イングランド銀行が市場金利に目を配り、それに合わせて自らの金利を決定すべきである」という規則は、バジョットにいわせれば「つねに誤っていた」。中央銀行の「第一の務め」は、公定歩合を利用して「国の最終的な現金準備を保護することだった」。これも当然ながら、自由裁量権を示唆している。望ましい準備金の規模は、いかなる規則によっても指定されていなかった。
(略)
バジョットの第一原則に立ち戻ることは、よい出発点になりそうだ。第一に、通貨制度と監督制度の両方において、中央銀行を最高権威として強化すること。第二に、中央銀行の責任者に、過剰な信用増加と資産価格インフレを察知したときに行動できるような、「懸念」と経験を兼ね備えた者を人選すること。第三に、預金準備率という中央銀行の主要手段を用いるうえで、責任者にかなりの自由裁量を与えること。第四に、バジョットが読者に教えたように、彼らにも金融史をいくらか教えることだ。
 そして最後に――これはバジョットの時代には当たり前で、ことさら強調する必要もなかったことだが――規制当局に楯突く者たちには、罪の報いをきっちり受けてもらうこと。今回の危機が規制緩和によって引き起こされたと信じる人たちは、いろいろな意味で問題を誤解している。危機の主な原因は、まずい規制だった。だがそれだけではなく、何をしても罰せられないという風潮も、その一因だった。そしてその風潮をもたらしたのは、規制緩和ではなく、処罰が行われなかったという事実なのだ。
(略)
アメリカでは、住宅バブルとそれに端を発したもろもろの問題に荷担して刑務所送りになった人たちのリストは、笑ってしまうほど短い。イギリスで銀行家に与えられた最も厳しい処罰は、ロイヤル・スコットランド銀行の前CEOフレッド・グッドウィンが受けた、ナイトの爵位の「とり消しと剥奪」たった。
(略)
 ヴォルテールは、イギリス人はほかの者たちに活を入れるために、時おり提督を銃殺する、という名言を残した。世界中のすべての細かい規制をもって、将来の金融危機を回避しようとするより、今日の銀行家にいまそこにある危機を意識させる方が、ずっと効果が高い。つまり彼らに、生殺与奪の権限を持つ当局の意に背けば、刑務所行きになるかもしれないという危機感をもたせるのだ。「マクロ健全性」のある規制や「景気循環抑制型」規制といった、無駄に複雑な規定を起草して疲れ果てるより、バジョットの世界に立ち戻ろう。そこでは規則をただ遵守するより、個人が分別を持って行動することが望ましい道とされたが、それは当局が強力で、重要な規則が成文化されていなかったからこそだ。

トクヴィル

 市民社会の空洞化をもたらしたのは、技術ではない。その原因は、トクヴィル自身が『アメリカのデモクラシー』のなかの最も強烈な一節で予言したことにある。彼は協同的活動が廃れた未来の社会の姿を、生々しく描き出している。


 無数の似通った、平等な人々の集団が、魂を満たすためにささやかで粗野な楽しみを手に入れようとして、それぞれあくせくしている様子が見える。一人ひとりが互いから離れて引きこもり、ほかの人たちの運命にはわれ関せずだ。彼らにとっては、わが子と特定の友人たちが、全人類である。仲間の市民たちとの生活では、そばにはいても、彼らの存在は目に入らない。彼らに触れはしても、感じることはない。自分のなかにだけ、自分のためにだけ、存在しているのだから。
(略)
 そんなわけで統治者は、個人をひとりずつ次から次へとその強力な手中に収め、思うままにこねくり回したあげく、今度はその腕を社会全体に伸ばす。そして社会の表面を、ささいで、手のこんだ、ややこしい、統一的な規則の網で覆ってしまう。そのため、どんなに独創的な精神やたくましい魂であっても、頭角を現すための道を開くことはできない。統治者は市民の意思をくじくことはないが、それを弱め、ねじ曲げ、方向づける。行動を強いることはまずないが、つねに反対する。ものごとを葬り去りはしないが、生まれないようにする。暴政を行いはしないが、市民を妨げ、骨抜きにし、気力を奪い、情熱を失わせ、当惑させる。そしてついには、一人ひとりの国民を、政府によって注意深く見張られる、臆病で勤勉な動物の群れにおとしめるのだ。


 トクヴィルはたしかに正しかった。市民社会の真の敵は科学技術などではなく、国家――と「ゆりかごから墓場までの生活保障」という魅惑的な約束――だったのだ。彼はこう書きながらも、「アメリカの最も偉大な団体のいくつかの代わりをなす政府」を持とうとする初期の試みについて記し、これを非難した。


 しかしアメリカ市民が、団体の助けを借りて日常的に行っている、無数の小さな企てを行ううえで、どんな政治権力が十分な状態にあるというのか? ……政治権力が団体の代わりをすればするほど、個々人は協力し合おうとは思わなくなり、権力の助けを必要とするようになる。……
 もしも政府がいたるところで団体にとって代わろうとするなら、民主的人民の事業や産業だけでなく、道徳性と知性までもが、大きな危険にさらされるだろう。
 人々が互いに働きかけることではじめて、感情と思想は自らを刷新し、心は広がり、人間の精神は発展するのだ。


わが意を得たりだ。