エロティック・アメリカ

副題「ヴィクトリアニズムの神話と現実」

クレリア・モウシャーという女性医師が1892〜1920にかけて高学歴白人女性に行ったインタビューが1973年に発見され、ヴィクトリアン・アメリカの女性達の性的欲望、性交回数、オーガズム体験が明らかに。

オーガズムという言葉さえ知らないと思われていた時代の女性たちが

「生理の直後」や「ときには生理の直前」にセックスをしたくなり、「自分からしたいときはいつも」オーガズムを経験するが、「多くの場合、経験しない」ことを認め、避妊方法は「ときどきの膣外射精」で、「理想的な性習慣」については「週一回か、十日に一回。夫婦双方が望むときに」と回答している。
(略)
ある女性はセックスでの反応が遅いためにオーガズムが起こりにくいが、時間をかければ感じることができる、と率直に答えたり、また別の女性はセックスを楽しめないのは、「男性が十分な訓練を受けていない」からだ、と不平をこぼしたりしている。

第一章、エミリー・ディキンソンの判読しにくい手書きの詩をタイプした人妻メイベル・ルーミス・トッド(エミリーの死後に彼女の詩を共同編集出版する)は、父より一つ下の年齢のエミリーの兄オースティンと不倫しオーガズム初体験、さら60歳になったオースティンと子作りも試みる。しかも第二章ではエミリーの兄の妻スーザンとエミリーがある種の同性愛であったという話に。

第二章 ボストン・マリッジとは何だったか

[ヘンリー・ジェイムズ『ボストンの人々』に由来する、と言われているが定かではない]

評論家リリアン・フェイダーマンは、「『ボストン・マリッジ』という表現は、ふたりの未婚の女性同士の長期間に及ぶ単婚的な関係を表わすために、19世紀末のニューイングランドで使われた。この女性たちは、遺産や専門職などの理由で、経済的に男性に依存していないのが一般的だった」と説明している。(略)
「何の抵抗もなく受け入れられていた」理由として、本書の冒頭で指摘したように、女性には情熱もなければセクシュアリティもないという抜きがたい誤解が、19世紀アメリカでは深く根を下ろしていたという事実を挙げることができる。「こうしたロマンティックな友情は、恐らくは性的な意味以外のあらゆる意味で恋愛関係だった」と論じるフェイダーマンは、そのような関係にある女性たちは「したがって、キスしたり、愛撫し合ったり、一緒に寝たり、熱烈な愛の言葉や永遠の貞節の誓いを口にしたりしても、その情熱を単に精神の発露と見なすに過ぎなかった」と述べている。
(略)
[歴史家スーザン・ウェアはボストン・マリッジが]「結婚と子どもという伝統的なルートに代わる、社会的に容認された別のルートをエリートの女性たちに提供した」[と考察]
(略)
[しかしフロイトらの登場で、この関係は]
アブノーマルで危険極まりない同性愛者と見なされるようになっていった。
(略)
伝記作家ジョーヤー・ディリベルトも「何世代もの女性に、許容できる結婚の代替物を提供してきたロマンティックな友情が、初めて疑いの目で見られるようになった」と論じている。

スーザンの娘ビアンキが編集の際に叔母エミリーの手紙から削除した部分

「以前と同じようにキスをしてくれるのね?」に続けて、「わたしはあなたのことを待ちわび、あなたのことを思いつめているので、もう待つことなんかできない、いますぐにあなたが欲しい、という気持ちです――もう一度あなたのお顔が見られるという期待で、わたしは興奮して、熱っぽくなり、わたしの心臓は激しく脈打っています――夜になって、寝床に入っても、ふと気がつくと、すっかり目を覚ましたわたしが、そこに座っていて、両手をしっかり組み合わせたまま、こんどの土曜日のことばかりを考え、あなたのことはこれっぽっちも考えていません」

「女性同士の親密な関係は無意識のセクシュアリティを伴っていた」

ハルハウスを設立した社会福祉事業家ジェイン・アダムズは男性に一切興味を示さず、共同設立者のエレン・ゲイツ・スターと「愛し合うカップルのようにベッドを共有」。
ハルハウスに住み9歳年上のジェインに熱を上げたアリス・ハミルトンは94歳の時アレン・デイヴィスのインタビューに答え

ハルハウスの居住者たちの間に「オープンな形の同性愛行為」はなかった、と主張している。同時にまた、彼女は「女性同士の親密な関係は無意識のセクシュアリティを伴っていた」ことを認めながら、「それは無意識だったから、問題にはならなかった」とデイヴィスに伝えている。
(略)
「この話題を私が持ち出したという事実そのものが、私の世代と彼女の世代とのギャップを示している、と彼女は笑いながら付け加えた」とデイヴィスは記録している。古い世代のアメリカ人たちに日常的で、安全な女性同士の関係として受け入れられていたボストン・マリッジを、新しい世代のアメリカ人たちがきわめて異常な性的倒錯として非難したり、少なくとも好奇の目で眺めたりするようになったことを、このささやかなエピソードは暗示している。「レズビアニズムを性的倒錯や無法行為と同一視する同性愛恐怖症の社会」(リリアン・フェイダーマンの言葉)の到来とともに、ボストン・マリッジは完全な死語と化してしまい、その関係を結んでいた女性たちは、例外なしに同性愛者と見なされるようになった、と言ってよいだろう。

第三章、1862年上流階級に生まれた女性作家イーディス・ウォートン、

結婚数日前に「一体私はどうなるの」と母親に尋ね、「そんなばかげた質問は聞いたこともない」と一笑に付されたのがトラウマで結婚当初からほぼセックスレスに、だが46歳の時43歳のバイセクシャル・プレイボーイ、モートン・フラートンと恋に落ち翻弄される。フラートンはイギリス上流階級の男女と親しい関係にあり、ヘンリー・ジェイムズのお気に入りで『鳩の翼』のマートン・デンシャーのモデルとされている。

この「終着駅」という詩は、淑女然としたウォートンのイメージを一変させることになったが、それ以上に大きなショックを彼女の愛読者たちに与えたのは(略)「ベアトリーチェパルマート」と題するわずか二頁の断片的作品で(略)「ポルノグラフィに分類しなければならない」[とされるのは]
(略)パルマート氏とその娘ベアトリーチェとの性行為の場面にほかならない。(略)
[娘は]拒否反応を示すどころか、積極的に父親を受け入れてさえいる。ふたりはかなり以前から近親相姦の関係にあったことが随所に暗示され、ベアトリーチェがオースティンという男性と一週間前に結婚して、処女を喪失したのをきっかけに、オーラルセックスだけだった父親との関係を性交という形で完結させるというのだから、作中にかなりきわどい露骨な表現が頻出することになる。
 たとえば、パルマート氏の舌がベアトリーチェの「燃えるような唇」を押し開いて、「娘の口の奥」にまで入り込み、父親の「微妙な人差し指」(この「微妙な」という形容詞は後で鉛筆で書き加えられている)が娘の「体の秘所のつぼみ」をまさぐると、娘は「いつもの気が遠くなるような甘い感覚が全身に忍び寄る」のを感じ、父親の舌が娘の「ひくひくと震える、秘密の場所のつぼみ」に触れると、娘は声を上げて「両脚を大きく広げる」などといった描写は、現代の読者にはいささか陳腐に思われるかもしれないが、作者があの虫も殺さぬ風情のウォートンとなると、やはり特別の感情を抱かざるを得ないのではないか。
 さらに、父親のペニスを「以前からふたりは戯れに第三の手と呼んでいた」が、その「力強い、炎のような筋肉の塊」を初めて明るい日差しのなかで直視して、娘は胸がいっぱいになるだけでなく、父親のいつもの「マイ・リトル・ガール」という言葉に促されると、「怒張した局所に身を投げ掛け」、激しくフェラチオを始める。やがて、その「第三の手」が「深紅の閃光」のように「秘密の扉を押し開き、渇いた体の奥の奥まで突き抜ける」のをベアトリーチェは感じる。「先週は……こんな風だった……のか?」とパルマート氏は小声で問いかけ、それに応じる娘の「おお」という声は、原稿では抹消されている。
(略)
[ウォートンはこの作品を「発表不可能な断片」と呼んでいたが]
同時に発見された「プロット・サマリー」と題する原稿は、近親相姦がもたらす悲劇を扱った作品をウォートンが構想していたことを示しているので、そのような関係が実生活においても彼女と父親との間に存在していたのではないか、と多くの批評家が指摘するようになった。だが、ウォートンとフラートンとの関係にこだわる読者としては、それを「ベアトリーチェパルマート」のなかに読み取らざるを得ない。

なんかだるいので次回につづく。