マイクロクレジットの現実

前日のつづき。
雑に引用してるので、著者の意図がうまく伝わってないかも。

善意で貧困はなくせるのか?―― 貧乏人の行動経済学

善意で貧困はなくせるのか?―― 貧乏人の行動経済学

 

意外な二つの要素

ローン選択の際、利率が一番の要素だが、意外な二つの要素が宣伝効果があった。きれいな女性の写真と融資例の数。

お金を借りる決め手になったのは、早い話がパンフレットの片すみの写真だったなどと認める顧客がいるはずはない。でもデータがはっきりとそう語っている。融資の申し込み数を増やすという点では、パンフレットに魅力的な女性の写真を載せると、男性に対しては利率をなんと40%下げるのと同じ効果があった!(略)
パンフレットに四つの融資例の表を載せた場合、一つしか例を示さなかったときより申請数がはるかに少なかった。たくさんの選択肢を示すとかえって顧客を遠ざけるようなのだ。これは標準的な経済理論と真っ向から対立する。どんなときでも選択肢は多いほど選ぶ側にとって良いということになっている。(略)
例が四つある場合に比べると、一つだけの場合、利率を約三分の一引き下げるのと同じくらい申請数を増やす効果があった。
 開発途上世界でマーケティングが効くなんてあり得るだろうかと思わないでもなかったけど、そんな疑いは南アフリカでの調査ですっかり消えた。

[降雨保険を宣伝するために]
雨量の測定方法や、雨量と土壌水分と最適な栽培法との関係について、数分間のプレゼンテーションを行ったりした。でも、それでも同じだった。教育的な説明を受けた後でも、保険の購入率は上がらなかった(下がりもしなかった)。
 大きな反応を生んだのは、個人的な接触だった。(略)自宅に訪問を受けて勧誘されると加入を申し込む割合が三分の二も上がった。しかも、ほとんどの人(訪問を受けない人も含めて)がこういう保険に加入できると知っていたのに、だ。でもそれだけじゃない。戸別訪問で直接顔を合わせてのマーケティングは、地元のマイクロファイナンス銀行の信頼できる顔なじみの代理人から紹介された保険のセールスマンが行うと、三分の一も効果が上がった。
 戸別訪問によるセールスと、信頼されている組織から紹介してもらって足がかりを作るという二つのちょっとした手法を組み合わせると、申し込みの確率はまるまる二倍になった。
(略)
[こういう話をすると学者はあきれるが]
だけどよく聞いてほしい。こういうものも本当に売り込む必要があるんだって!
 僕たちが援助や開発のマーケティングについてあまり考えないのは、何かの行商でもしているような気分になりたくないからかもしれない

フィリピンでは

誰もが成功していたわけではなかったのだ。まず、スリランカの場合と同じように、男性の方が女性よりはるかに成功していた。事業の利益は、男性の方が女性の三倍も増えていた。次に、もともと余裕がある借り手ほどローンを上手に使っていることが分かった。全申請者のうち、(比較的)豊かな半数は、融資を受けたことによってビジネスの利益が25%急増していたけど、貧しい方の半数では、ローンが利益に何らかの影響を与えたと断言することはできなかった。世界中のマイクロクレジット物語に必ず登場するヒロインの貧しい女性は、マニラでは主役の座をさらうことはできなかった。
(略)
僕たちは、マイクロクレジットというと必ず出てくるあのお決まりの話、融資を受けた事業が成長し、大輪のアジサイの花のように外に向かって広がるとか、早春のマグノリアの花のような生命力と鮮やかな色彩があふれ出るとか、そういう類の話を再登場させる口実が見つかるかもしれないと考えていた。おあいにくさま。事業成績が実際に伸びていたのは、伸び放題にさせたからではなく、刈り込んだからだった。
 そう、利益が増えたのはほとんどが事業を縮小した結果で、拡大したからではなかった。(ランダムに)融資を受けた申請者は、業務を一本化したりスリム化したりした。全体として事業の数が減り、残った事業に有給で雇われている人も減った。コストが下がり、利益が増えた。こんなに簡単なことだった。

インドでは

スパンダナの融資基準を満たしている人のうち、勧誘されて乗り気になり融資を受けた人は五人に一人以下だった。借りたお金をマイクロ事業に投資した人はもっと少なかった。むしろお金を借りた理由で最も多かったのは、ほかの借金を返すためだった。たいていは高利の貸金業者からの借金だ。(略)
 ビジネス意識の高い人は良い結果を出していた。すでに起業している人は、その事業にお金を注ぎ込むことが多かった。(略)「誘惑商品」の消費を切り詰め、耐久財への支出を増やしていた。それも、まさに起業に必要なものを買っていた。裁縫師ならミシン、パン屋ならオーブン、食料品屋なら冷蔵庫という具合に。(略)
ここまでは、古典的なマイクロクレジット物語は安泰だ。
 ところが、起業しそうにない人たちがすべてをぶち壊しにしていた。彼らは耐久財を買うわけでも、事業に投資するわけでもなかった。ただ消費を増やしただけだった。衣類から食品、たばこ、一杯のお茶まで、あらゆるものにもっとお金を使うようになっていた。そして結局は、調査が始まったときに比べてもちっとも豊かになっていなかった。残ったのはスパンダナヘの返済義務だけだ。つまり彼らは、マイクロクレジット関連の文献に出てくる感動的な人物というより、クレジットカードの借金を戒める話に登場する人物のようになっていた。

 途上国だけでなく他のどこでもそうだけど、誰もが事業を経営する――または、起業のための借金をしょい込む――のに向いているわけではない。専門知識がないからとか、適性がないからという人もいるけど、たいていはもっと簡単な理由からだろう。彼らが偉大な起業家じゃないのは、偉大な起業家になるというのが彼らの人生のいちばんの目標じゃないからだ。人が幸福を追求する仕方は他にもある。もっと楽しめる仕事をするとか、家族と時間を過ごすとか、昼下がりにガールフレンドといっしょに映画を見るとか。
(略)
借りたお金で事業を始めようとした気配さえない人もいる。貸し手は理由があってお金を渡したのに、それがまったく別のことに使われているのを見ると、たいていイライラする。

グループローン

 彼女たちが受けていたのはグループローンなので、銀行に対して同じグループのメンバーと共同で義務を負っていた。(略)返済期限に払えない人、全額を支払えない人、何が何でも借金を踏み倒そうとする厄介な借り手、突然姿を消すメンバー。こういう人が出てくると、他のメンバーが後始末をしなければならない。(略)
 いったんトラブルに見舞われたら、借入グループは不安定なドミノの連鎖になる。返済をしないで姿を消すメンバーが増えるほど、残された人たちは借金の泥沼に深く沈んでいく。誰だって最後の一人のお人よしになんかなりたくない。(略)
仲間の借り手から困った状況に陥らされるまで何もしないで待っている代わりに、ローンはもうこれっきりにして、完済したらグループを抜けるのだ。マーシーはそうしようとしていた。もう一歩先を行って、最初からマイクロクレジットに手を出さない人もいる。
 皮肉なことだけど、グループの中の腐ったリンゴによってひどい目にあわされるのが怖くてお金を借りない人たちこそ、本当はマイクロローンを受けるべき人たちなのだ。
(略)
 マイクロレンダーにやり方を変えるよう言ってみるといい。彼らは当然、反撃するだろう。「どうしてうまくいっているものをいじくらなくちゃならないんだ?」
 いじくらなくちゃならないのは、マーシーのような顧客を失っているのなら、そんなにうまくいっているとはいえないからだ。マイクロクレジットの世界は、自分でもゆっくりとこの結論に向かっている。(略)
グループ方式のマイクロクレジットの生みの親、ムハマド・ユヌスその人が、手直しをしはじめたことだ。
[不安視された個人責任の貸付けのみのグラミン2(ローマ数字表示できず)は成功]

まだまだあるけど、どうもうまく引用できないし、やる気もなくなったので終了。