善意で貧困はなくせるのか?

善意で貧困はなくせるのか?―― 貧乏人の行動経済学

善意で貧困はなくせるのか?―― 貧乏人の行動経済学

 

初めてマイクロクレジット

の「影響評価」を見たときは、胃が痛くなった。ドナー向けのパンフレットに載せる見栄えのよい数字をはじき出す狙いで作られているのは明らかだった。プロジェクトが本当に有効かどうかを判定することが目的ではなかった。ローン顧客への質問はこんな調子だ。「FINCAに参加する前に比べて、あなたの食生活は良くなりましたね」

大学院に入ると、開発の世界には二種類の人がいることがはっきりと分かった。考える人と行動する人だ。行動する人は現実の世界に出ていき、ベストを尽くしていた。ただし、彼らにはものが見えていなかった。一方、考える人は象牙の塔の中で、興味深い分析的な研究をしていた。ところが彼らは行動する人と話をする段になると、言葉を持たないことが多かった。研究の多くは、一度も現実の世界に出ていくことがなかった。

「ビフォー-アフター」分析

影響を測定するとは、(少なくとも)一つのシンプルな質問、つまり「プログラムに参加した人々の生活はどう変化したか。プログラムがなかった場合の変化と比べてどうか」という問いに答えることを意味する。
 開発プログラムに対する評価は、質問の前半の「プログラムに参加した人々の生活はどう変化したか」という問いにしか答えていないことが多い。つまり、人々の以前の状態(「ビフォー」)はどうだったかを測り、その後の状態(「アフター」)と比べるのだ。これはそのものずばり、「ビフォー-アフター」評価と呼ばれている。
 「ビフォー-アフター」分析はたいていあまり役に立たない。あまりにも役に立たないから、多くの場合、「ビフォー-アフター」をやるくらいなら、評価なんかやめてしまって、もっと多くのサービスをひたすら提供した方がいいと言いたいくらいだ。

マイクロファイナンスを行う銀行が、新しい起業ローンのパイロット試験として、何人かの顧客にローンを提供して評価しようとしているとする。大勢の人を集めた会合で銀行のマネジャーがローンについて説明し、パイロットグループに参加したい人を20人募る。それから、観察する対照群として、残りの顧客(志願しなかった人)から20人を選ぶ。確かに、パイロットは成功する。新しいローンの提供を受けた人の方が、期日通りに全額返済する率が高かった。
[ので実際に新ローン商品を売り出すと、返済不能率が増えた。
対照群を志願者よりやる気に欠ける非志願者から選んだせいだった]
(略)
 じゃあ、目に見えない特徴に基づいて均等に人を振り分けるにはどうするか。
 一人ひとりについてコインを投げて、プログラムをオファーするかどうかを決める。表が出たら治療群、裏なら対照群に入れる。
 それだけだ。それが大きな秘密だ。コインが僕たちの代わりにうまくやってくれる。

フィールドワークの現実

(ちょっと長いけど、そのとりとめのなさを伝えるために)

「アーネスト。君のうちには何人いるの。つまりこういうこと。一つの家に住んで一緒に食事をするのは何人?」
アーネストはすかさず答えた。
「ああ、それなら僕だけだよ」
「そう。ひとり住まいなんだね」
「そうじゃない。かみさんと、子どもが三人いるよ。でも僕はみなと一緒には食事をしない。かみさんが食事を持ってきて、僕ひとりで食べるんだ」
「なるほど。でも奥さんは普通、家族全員の食事を作るんだろう」
「そうだよ。みなにシチューとフーフーを作ってくれる」
「じゃあ、奥さんは毎晩、何人分の食事を作るの?」
「そうだな」
アーネストは黙って指を折った。
「八人だ」
「八人ね。すると、君と奥さんと子どもが三人。その他に三人だね。その三人はどういう人?」
「ふむ。僕のおばあさんとかみさんの妹だよ」
そう言って彼は首をかしげて次の質問を待った。
「というと、二人のようだけど」
「そう」
「すると、全部で七人になるね。君、奥さん、三人の子ども、おばあさん、奥さんの妹さん」
「そうだよ、七人家族だ。それからかみさんの妹の子どももいる。二人だよ」
「なるほど。つまり七人プラス子ども二人。全部で九人だね」
「その通り」
「で、奥さんの妹さんは、結婚しているの?」
「そうだ。だんながいる」
「じゃあ、その人もたいてい一緒に食事するの?」
「いや、中部の実家で暮らしている」
「なるほど。でもさっき言ってたその人の奥さんと二人の子どもはどうなの? 君の家にいるの?」
「いや、だんなと暮らしている」
「ああ、そう。さっきは、たいてい君の家族と一緒にごはんを食べると言ってたような気が……」
「そうだよ。一緒にごはんを食べてる」
「ちょっとよく分からないなあ。君の奥さんの妹さんと二人の子ども。中部に住んでいて、同時にたいてい君たちと一緒に食事をする。どうしてそんなことができるの?」
「違うよ、ジェイク!うちに泊まっているんだよ」
アーネストはほほ笑んでいた。賑やかな我が家を思い浮かべていたのかもしれない。
「訪ねてきているだけなの?それとも、君の家に住んでいるの?」
「いや、住んでるわけじゃない。ちょっと泊まっているだけなんだ」
「分かった。じゃあ、いつから泊まっているの?」
「クリスマスのころからかな」
 そのときは七月だった。

貧困の実態

 無秩序に増殖する混沌とした都心の密集地や、急な傾斜地を這うように広がる恐ろしいほど人口が密集したスラム、崖の縁に危うく踏みとどまっているような寒村。錆だらけのおんぼろバスか、床が抜けてシートは板を渡しただけのバンか、徒歩でしか行けないようなところ。そんなところでしばらくの間こういうフィールドワークをしてみれば、すぐに「貧困と闘う」ことをお手軽なたとえで語ったりしなくなる。貧困は壊すことのできる足枷でも、摘出できる腫瘍でも、粉々に打ち砕くことのできる石臼でも、切って取り除ける絡みついた蔓でもない。少なくとも、貧困をそういう風にとらえてみても、何ひとつ達成することはできない。
 これについて国連はこう言っている。「基本的に貧困とは、選択と機会の否定、人間の尊厳の侵害である。社会に効果的に参加する基礎的能力の欠如を意味する」。(略)
 こういう言葉で貧困の問題を語ると、同じ言葉で語られる解決法に行きつくことになる。(略)最初は外部から資金を得て監督を受けるけど、その後自立できるようになり、自ら成長するようにだってなる、という触れ込みのプログラムだ。
(略)
 ドナーや社会意識が強い投資家は、これに興奮する。(略)貧しい人たちに魚を与えるかわりに、釣りざおとリールを与えて、キャスティングの仕方を教えよう。そうすれば、いつまでも魚を与え続ける必要はなくなる。
(略)
問題は、釣り針に餌をうまくつけられない人がいるということだ。まともにキャスティングができない人もいる。
(略)
 「選択」「機会」「尊厳」「釣り」。はるか雲の上のこういう崇高な概念と比喩の世界は、空気が薄く、現実の貧しい人たちは見当たらない。開発が行われるべきところはここではない。地上でなくてはならない。貧困を解決したいなら、それがどういうことなのかを、抽象的な言葉ではなく現実として知る必要がある。どんな匂い、どんな味、どんな手触りかを知る必要がある。
(略)
貧しいということは、いちばん身近なとらえ方では、いろんなものを持っていないことだからだ。十分な食べ物がない。住まいがない。きれいな水が利用できない。病気になっても基本的な薬さえ手に入らない。貧しいということは、日々の生活に必要なものがないことが日常になっているという意味だ。必要なものを手に入れることができないということだ。

なんか引用が長くなったので次回につづく。