「陰鬱な部屋」のホーソーン

 

セイレムの若き文人

セイレムの若き文人

『空想の箱めがね』("Fancy's Show Box")

Twice Told Tales (English Edition)
 

犯罪の計画は実行に移されるまでは、物語の構想のなかの一連の事件とよく似ている。物語の場合は、読者の心に現実感をあたえるために、まったくの作り事ではなくて、空想の光に照らしながら、過去、現在、未来の真実であるように見せようと、作者がそれなりの説得力をもって考えなければならない。これから犯罪をやるかもしれない罪人のほうは、犯罪の筋書きをいろいろと念入りに組み立てるが、実行すると完全に確信しているわけではないし、またそんなことは考えてもいないのだ。自分の考えたことの周囲には夢のようなものが取り巻いていて、彼は夢のなかで被害者の心臓に、いわば死の一撃をあたえ、消すことのできない血の跡が自分の手についているのを見て、びっくりしてしまうのだ。だから、ロマンスのなかで悪漢をつくりだし、その悪漢に悪い行為をあてがう小説家や劇作家と、犯そうとする罪をくわだてる実生活における悪漢は、現実と空想のちょうど中間あたりで互いに顔を合わすということになるのかもしれない。


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A scheme of guilt, till it be put in execution, greatly resembles a train of incidents in a projected tale. The latter, in order to produce a sense of reality in the reader's mind, must be conceived with such proportionate strength by the author as to seem, in the glow of fancy, more like truth, past, present, or to come, than purely fiction. The prospective sinner, on the other hand, weaves his plot of crime, but seldom or never feels a perfect certainty that it will be executed. There is a dreaminess diffused about his thoughts; in a dream, as it were, he strikes the death-blow into his victim's heart, and starts to find an indelible blood-stain on his hand. Thus a novel-writer, or a dramatist, in creating a villain of romance, and fitting him with evil deeds, and the villain of actual life, in projecting crimes that will be perpetrated, may almost meet each other, half-way between reality and fancy.

 これは「空想の箱めがね」の語り手が、筋のほとんどを語り終えたあとの締めくくりのところで述べている感想である。いや副題には「教訓」とあるのだから、読者に説いて聞かせているのかもしれないが、ここには「ロマンスのなかで悪漢をつくりだし」、「その悪漢に悪い行為をあてがう小説家や劇作家」と、「犯そうとする罪をくわだてる実生活における悪漢」という奇妙な際立った構図がある。

「ぼくの親戚、モリヌー少佐」

と「トーマス・ハッチンソン」

目的は親戚のモリヌー氏をたずねることだった。若者はモリヌー氏の住所を知らない。(略)高名なはずのモリヌー氏のことだから、だれもがすぐに教えてくれるはずだと思うのに、どうも答えがはっきりしない。いや、はっきりしないだけではなくて、どうも人びとの様子が変なのである。
(略)
やがて若者は目のまえに暴徒が行進していくのを見る。そこに見るのは、暴徒に捕らえられ、はずかしめられ、ぶざまな姿をさらしているモリヌー氏の姿である。血のつながっている二人はたがいに見つめ合う。若者は酩酊状態になり、いくつかの笑い声を聞く。暴徒の列はモリヌー氏をつれて、なおも進んでいき、やがて視界から消えていく。都会に疲れた若者は、ふたたび船便で地方に帰ろうとする。

 「総督官邸の伝説」シリーズの四編は、「ぼく」という語り手がボストンの中心にあって、しかも、かつての栄華が忘れられてしまっている旧総督官邸の建物をおとずれて、酒場の客に語ってもらうという物語を統括する一貫した語り手をもつ枠組のある物語となっている。
(略)
シリーズ二番目の「エドワード・ランドルフ肖像画」は、独立革命につながっていく一連のボストンを中心とする騒乱の発端をなす歴史的に重要な政治的決定がなされたところが舞台として描かれている。主人公はトーマス・ハッチンソンである。(略)
1771年から1774年までマサチューセッツ植民地総督を務めることになる。やがて英国本国と植民地の関係が戦乱状態になると、彼は亡命を余儀なくされてロンドンにわたり、そこで生涯を終えるのである。土地っ子の行政官として人気が高かったはずの彼は、権力の頂点に立つにつれて親戚縁者を要職につかせ、司法界にまで勢力をのばし、政策的にも政敵をつくり、やがて植民地の憎悪の対象になっていく。彼はボストンのノース・エンドに祖父が建てた豪華な邸宅をもっていた。1765年の8月26日の夕方に群衆が襲った。自分の娘に手を引かれて難を逃れたものの、暴徒の破壊は夜遅くまでつづき、邸宅は一夜のうちにほぼ完全に破壊されてしまった。ボストンに生まれながら、つねに英国国王の臣下として義務を守りつづけた彼に向かって、あらゆる嫌がらせが横行し、彼の人形が焼かれた。(略)
 ボストンの税関を辞めたあとの1841年3月に出版され、のちに『おじいさんの椅子』に合冊された「自由の木」のなかに、ハッチンソン邸宅が暴徒に襲われた様子が描かれている。
(略)
「陰鬱な部屋」で瞑想し、原稿料も満足に払ってもらえないながらも作品をつづっていくうちに、歴史のなかに意味を探すことが創作そのものであり、創作することが歴史に意味を見出すことになっていった経緯があったと考えるならば、セイレムからボストンヘという場所の移行は、たんなる場所の移行にとどまらず、求める素材をも巻きこんだ創作そのものの環境の変化をもたらしたことになる。
(略)
ハッチンソンを総督官邸で活動させる作者には、「自由の木」のなかで描かれる暴徒に襲われるハッチンソン邸宅が、すでに用意されていたかもしれない。これはまたホーソーン独立革命に「暴徒の暴力」Mob violenceを見ようとしたことと深く関係する。

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