遺産 カーヴァー評伝その5

前回のつづき。
ようやく売れて苦労をかけた妻子を幸せにしましたという結末だとナットクー!なんだけど、横からテス・ギャラガー、なんかスッキリしなーい。

レイモンド・カーヴァー - 作家としての人生

レイモンド・カーヴァー - 作家としての人生

リッシュへの懇願

なかでも『ささやかだけれど、役にたつこと』は徹底的に切り刻まれ、タイトルも『風呂』に変更されていた。(略)
カーヴァーは衝撃を受けた。彼はリッシュに、作品に赤鉛筆を入れるように言ってはいたが、肉切り包丁でめった切りにされるとは思っていなかったのだ。(略)
「混乱とパラノイアで頭がいっぱいになった」(略)
「親愛なるゴードン、僕はこの話から降りなくてはならない。どうか僕の話を聞いてくれ」。手紙はこうしめくくられている。「どうかこの本の刊行を中止するのに必要な処置をとってもらいたい。勝手なことを言うようだが、どうか許してもらいたい」
 カーヴァーは、このように「どうか(please)」という言葉をたびたび使い、二千語にもおよぶ嘆願の手紙を書いた。(略)彼はリッシュを称賛し(略)
自分の二十年にわたる葛藤と、その間に支えてくれた二人の驚くべき女性の存在を忘れたかのように、彼はリッシュに、「僕が今手にしているこの新しい人生のすべても〈中略〉『頼むから静かにしてくれ』も、君あってのものだ」と言っている。(略)
さらにカーヴァーは、リッシュの「愛や好意」をこれによって失うことを恐れ、「それは僕自身の一部が死ぬのと同じことだ。精神的な一部が」と書いている。
(略)
「もしこのままのかたちで本が出版されたなら、僕はもうこの先小説なんて、ひとつも書けなくなってしまうかもしれない。これらの作品のうちのいくつかは、それくらい密接に、健康と精神の安定を回復しようとする僕の意識に結びついているんだ」と不安な思いをつづっている。
(略)
[二千語書きつらねても、リッシュへの怒りの言葉はひとこともなく]
無駄になってしまった原稿にリッシュが費やした時間について報酬を支払うと申し出て、最終的な編集を確認せずに契約書にサインしたことを謝罪している。このようにカーヴァーは、涙ぐましいまでの努力をしている。
[結局、カーヴァーは考えを変え、出版を認めた]

離婚

メアリアンは、「私が離婚の訴えを起こして、レイがまたお酒を飲み始めたら、彼は死んでしまう」という結論に達し(略)再びレイに、彼のほうから離婚の訴えを起こすことを提案した。(略)
レイがテス・ギャラガーと暮らし始めてからの三年半、メアリアンは、自分は「カーヴァーのキャリアのために亡命生活を送っている文芸界のシンデレラ」のようだと思っていた。彼女はギャラガーが、レイが執筆に集中するために必要な経済的安定を彼に与えていると気づいていた。(略)
[レイの方は共通の友人に]
離婚をためらっているのは、「ほかの男が『メアリアンのトーストにバターを塗る』と考えるとつらい」からだと話した。
[問題は結婚中の著作物への権利]
(略)
カーヴァーが彼の未来を思い描き始めたとき、メアリアンは彼のそばにいた。彼女が助けを必要としたときには、彼も力になってくれると彼女は信じた。メアリアンは忠告を無視することにした。「レイは毎月お金を送ってくれると言っているし、私はその言葉を信じる」と彼女はアンガーに言った。
(略)
レイの成功に対する権利を主張しないのは愚かなことだとほかの者たちは忠告したが、メアリアンは自分の信念を貫いた。そして彼女は、自主的な援助を約束するレイの条件に同意する書類に署名した。
1982年10月18日[離婚成立]

ベンツ

[寝室用スリッパで販売店に立ち寄りベンツを現金購入。浪費が過ぎると言われると]
「なぜ貯める?貯蓄なんかくそくらえ。使いまくれ」と言い返した。(略)
シートが革製ではなくビニールだとフォードに言われたレイは怒りを爆発させ、「つぎに会うときには、革製のシートにしているか、べつの車に乗っている。(略)レザー・シートの金を払ったんだから、必ず手に入れる」と断言した。

父と息子

[ヴァンスは]『コンパートメント』という作品に父が息子との関係について書いているのを知った。ヴァンスは涙をこらえながら、腹立たしい思いで首を振った。「最終的には僕たちの和解をたしかなものにしたあの経験を、どうしてこんなに暗くて人を動揺させるような話にしたんだろう」と彼は思った。(略)
[父に問うと]いい物語にしようと思っただけのことだから(略)もちろんあの旅行では、二人で最高の時間を過ごしたよ」と言って、ヴァンスをなだめた。ヴァンスは、父の言い分に納得したものの、気持ちを傷つけられたことに変わりはなかった。

リッシュとの決別

[83年]11月に、カーヴァーとリッシュは挟を分かつことになった。(略)「1980年代初めのレイとゴードンを見ていると、まるでだめになってしまった夫婦を見ているようだった」とフィスケットジョンは振り返る。「ゴードン・リッシュだけは、レイの成功を喜べないみたいだった。いっしょに楽しむことができなくて、批判しないと気がすまないようだった。(略)
リッシュはニューヨークの知人たちに、カーヴァーの短編小説の一部は自分が大幅に改変したため、カーヴァー作品というよりは自分の作品なのだ、と言いふらすようになった。

カーヴァーの遺産をめぐる争いを見てると、なんとなくテス・ギャラガーに悪印象。レイは援助打ち切り宣言した後も結局援助を続けてるので、やっぱりテスに尻叩かれたとしか思えない。メアリアンは潔く身を引いたのに、レイ死後のテスのえげつないやり方ときたら。

[84年12月、レイは怒りにまかせた手紙を義妹エイミーに送った]
手紙の要旨は、もはや自分はメアリアン・カーヴァーに対して経済的な責任を負っているとは思っていない、ということだった。「もはや僕の責任ではない」という言葉を彼は繰り返し、下線を引いている。そして、メアリアンとの感情的な関係は終わったと主張している。(略)
 メアリアンは、財産分与を積極的に要求することはしなかったものの、二人が結婚しているあいだに書かれ、今でもレイに成功と収入をもたらしている作品については、収益の一部をうけとる権利があると思っていた。彼の仕事は「家業(ファミリー・ビジネス)」だと彼女は考えていたのだ。
(略)
「来月から、いや、今月から、全員に対する援助を打ち切る」
(略)
エイミーは、レイの非難がましい手紙を読んで悲しみに打ちひしがれた。エイミーが自分の気持ちを伝えると、レイは謝罪のために電話をかけてきたが、彼がいつになく強硬な態度で手紙を書いたのは、ギャラガーの指示があったからではないかとエイミーは疑った。

[離婚後もクリスマスプレゼントを交換していたが、86年末]
メアリアンの夫が11月にカナダに帰っていたからか、レイが新たに書いていた家族の物語が彼にとっては感情を浄化し、超越するようなものだったからか、彼はメアリアンを昼食に招待した。(略)車の中で二人は抱き合い、プレゼントを交換した。48歳になったレイを見てメアリアンは同じ年だったときの自分の父親を思い出した――どちらも彼女の目には「成熟したハンサムな男」に映った。(略)
緊張したレイは、メアリアンがつけていた布製のベルトの端を手にとってもてあそんでいた。やがて彼がベルトをひっぱってはずし、自分のスポーツコートのポケットに入れたとき、二人ともそれについて何も言わなかった。(略)
二人はからだをふれあわせなかったが、メアリアンが靴を脱いで脚を伸ばしたとき、「彼はテーブルの下に腕を伸ばし、私の両足を自分の両手にのせた」とメアリアンは回想している。
(略)
「彼の仕事は、私たちが二人で営む家業だった。(略)心にたくさんの傷を負っても、私たちがくぐり抜けた試練は彼の仕事によって報われた」
(略)
二人は長い恋愛関係の良かったとき、悪かったときをくぐり彼けて、友人としてつきあう方法を見つけた。

[88年4月テスが町を数日離れた時に元妻、娘、孫をランチに招待。頭蓋内圧と薬の副作用で]
「彼の顔はものすごく膨らんでいて、その真ん中あたりに見慣れた彼の顔が、その目鼻立ちがかろうじて認められるだけでした。大きなコートを着て、首にスカーフを巻いて、放射線治療のために髪が失われたことを帽子で隠していました」と語る。だが、メアリアンたちの前では、レイは明るくふるまった。「レイは事もなげに帽子をとって、私たちに見せてくれました。彼は堂々としていました。そして、子供たちのために陽気に盛り上げていました」とメアリアンは回想する。

フランクリン・ライブラリー版の『ぼくが電話をかけている場所』には(略)
 メアリアンへ――僕のいちばん古い友達であり、若いころの僕の勇敢な相捧であり、中年のころの僕の大胆な伴侶であり、長年の妻であり、協力者であり、僕の子供たちの母親である君に贈るこの本は、愛の証である。執念の証だと言う者もいる。いずれにしろ、いつも変わらぬ愛をこめてこれを君に捧げる。この思いは、ほかの誰も知らない  誰ひとりとして。心をこめて、レイ。1988年5月。
 レイの元妻に対する気持ちは、彼女と会ったことのない友人たちのあいだでも知られていた。「レイがいつまでも変わらずメアリアンを愛していたことは、みんな知っている」とフィスケットジョンは言う。(略)
キトリッジは、レイがメアリアンに対して罪悪感と悲しみを感じていると知っていた。彼は「派手な成功を収めて立ち去り」、彼女は「どしゃ降りの中に取り残された」からだ。そしてカーヴァーは、彼と生活をともにしたことによって彼女は狂気に追いやられてしまったのではないかと思うことがときどきあると『不埓な鰻』に書いている。

最終的に遺言は元妻と子に五千ドルずつ、母に千五百ドル、それ以外の遺産はすべてテス・ギャラガーのものとする内容に。レイが離婚後も面倒をみると約束していたと裁判沙汰に、結局、元妻と子はそれぞれテスからの五千ドルで遺産を放棄することに、その金は殆ど裁判費用に消えた。その後、映画化を考えるアルトマン側の指摘で、1978年以前の著作物の著作権更新権は遺言状の指示には関係なく配偶者と子供が相続することになっていることをテスは知る。クリスティンとヴァンスはそれぞれ25%を相続。

ギャラガーはクリスティンとヴァンスに、1989年の権利放棄証書にあった「法的な不備」を補正するための新たな書類に署名するよう要請し、その謝礼として二人にそれぞれ二千ドルを提示した。この手続きを完了しなければカーヴァー作品は「公有財産」になるとギャラガーが言ったことを二人とも記憶している。ギャラガーの態度に切迫したものを感じたクリスティンは、疑念を抱いた。(略)
クリスティンは、ギャラガーが著作物に対する権利をすでに所有しているのだったら、なぜこの書類が緊急に必要なのかと彼女に尋ねた。(略)
アルトマンがオファーを撤回することを恐れたか、ギャラガーはさらに圧力をかけた(略)権利を譲渡すれば、さらに一千ドル支払うと申し出た。

アルトマンが「ショート・カッツ」のために、ギャラガーに22万5千ドル払ったことを知ったクリスティンは不正な方法で説得されて権利放棄したと訴訟、「状態のいい中古車」分の額で和解(カーヴァー死後6年で78年以前作品が生んだ利益額に基づいて決定)。
レイが死の一ヶ月前に送った250ドルの小切手が死後遺産凍結で換金できなくなったけど、ギャラガーは代わりの小切手を送らなかった、みたいな話も色々ありつつ、77年家族解散前の下記のようなメアリアンの頑張りようを読むと、ああもう少しだったのに、最後の最後でテス・ギャラガーに油揚げさらわれた感全開。まあテスからすれば、私がいなければレイはどうなっていたかわからない、どん底のレイに賭けるというギャンブルに勝ったんだから遺産総取りで当然だ、と言いたいんだろうけど。
高校の終身在職権を手にしてたのに、酒乱の夫に翻弄されて、家族のために37歳ミニスカ稼業ですよ、切ないわー。もう少しでその苦労も報われたはずだったのに。

メアリアンはユリイカのレッドライオン・ホテルでカクテル・ウエイトレスとして働き始めた。37歳になっても彼女は制服のミニスカートと胸元が大きく開いたブラウスを着てかなりのチップを稼ぐことができたが、それはロスアルトス高校に長期の休職願いを出したときに彼女が望んでいた暮らしとは違っていた。レイは履歴書をタイプで打ち、大学の仕事につけないかと、あちこちに当たった。