前日のつづき。
ユダヤ人の陰謀
新聞記事の大部分は、ユダヤ人が連合国の重大決定に影響をあたえていると力説し(略)ユダヤ人が戦争に責任があり、裏でヒトラー打倒の動きをしていると執拗に非難をくり返したのだ。新聞と演説はユダヤ人が国際的陰謀を企んで、ドイツと戦う国に武器を取るよう、いかに説得したかをさかんに説いた。何百もの新聞記事は、敵国でユダヤ人が果たしている影響を証明しようと懸命だった。(略)
新聞は対ソ戦準備の宣伝キャンペーン中とそのあとも、ユダヤ人がボルシェヴィズムと共産主義、ひいてはスターリン共産政権、なかでもスターリン粛清に関係しているとの見方を広めた。同時にヒトラーの対米宣戦前後には、ローズヴェルト大統領にたいするユダヤ人の影響がさかんに書きたてられた。事実、ドイツ人とその同盟者に不都合だったほとんどすべてのことは、たとえば一九四三年七月のムソリーニ打倒とイタリアの戦争離脱でさえ、ユダヤ人のせいにされた。ドイツ爆撃と欧州占領地域の抵抗運動もユダヤ人のせいにされた。(略)
ヒトラーは、もしも「国際金融資本のユダヤ人」が第一次大戦のようにふたたび戦争を起こすならば(略)欧州ユダヤ人種の破壊が結果となるだろうとのべたのである。(略)
すべての交戦国の「最大の敵」がユダヤ人であることをドイツの敵国が認識するよう期待するとのべた。ヒトラーは、交戦国がおたがいに戦う代わりに、共同戦線を結成すべきだと主張した。(略)
当時の公式世論調査を信じるならば、ドイツで多くの人びとは明らかに、ユダヤ人が戦争をはじめたと思っていた。(略)
一九四二年三月、ユダヤ人が、自分たちは「秘密の沼沢地帯に送られて最悪の運命に脅かされている」といって、ドイツで一般の同情を得ようとしているとする新聞記事が出た。この地帯とはアウシュヴィッツを指しているようだった。記事の筆者は、噂だと否定し、「ユダヤ人はそんな危険に脅かされてはいない」し、ユダヤ人はたんに「働けば」よいのだと締めくくった。ときどき新聞はユダヤ人の写真を載せ、「パルチザンの首領」、あるいは前線背後で「人を背中から撃つ戦争の煽動者」である「ユダヤ人犯罪者」と説明した。
「囁き声の宣伝」
ゲシュタポは、収容所送りになった人たちの友人、親類のあいだで恐怖感が漂うように「囁き声の宣伝」と称する手段を使った。一九三九年一〇月二六日、ゲシュタポ長官は地方ゲシュタポの責任者にたいして、今後囚人に収容期限を告げることを禁じ、「追って通知のあるまで」拘禁すると告げるように命じた。(略)
地元農民は囚人を、「申し込んで」「借り出し」、低賃金で使い、搾取した。(略)収容所は、町政にみごとに統合されて、「明らかに一般市民も、自分たちのために囚人を強制して働かせることをなんとも思ってはいなかった。政権が、囚人を「人間以下の人間」、国家の敵、犯罪者として烙印を押していたからだ」
(略)
ケルンのような大都市の通りで働く強制収容所の囚人たちは、ひどい履物と惨めな縞模様の強制収容所の囚人服を身につけ、国籍と「犯罪」を意味する周知のバッジをつけていた。彼らの光景は、ドイツ日常生活の新しい現実となった。全ドイツで、各種収容所の囚人が収容所から出入りし、それを市民は目の当たりにして、彼らが虐待を受け、悲惨な条件下にあったことに気づかなかったはずはない。
(略)
民間企業こそが、強制収容所囚人の最大の搾取者で、それは囚人を建設現場で使うことからはじまった。
まとめ
ナチの宣伝は、ドイツ国民に露骨に押し付けられたものではなかった(略)
忘れてならないことは、国民啓蒙・宣伝省の管轄下でつくられた第三帝国の賛歌が、非常に早くから労働創出計画、アウトバーンの建設、ファミリー・カーの約束、安い休暇、それにオリンピックの開催といった成功した政策をともなっていた事実だ。政権は、見せかけではなく、こうした行動によって、いち早く熱狂者を結集した。(略)
一九三〇年代にヒトラーが喝采を博したのは、なによりも大恐慌を打ち負かし、ドイツの大失業を癒やしたからだ。(略)
ほとんどのドイツ人にとっては、大事なことは、数百万の人びとがふたたび職に就きはじめ、生活費は上がらないのに所得が着実に増えたことだった。(略)だから、なぜ多くの人びとがヒトラーによくぞ「古き良き時代」を再現してくれたと感謝したのかが理解できる。(略)
ヒトラーが権力につくと、ただちに一九一九年のヴェルサイユ条約を一節ごとに破棄、英仏は新しい宥和政策を採用した。(略)ドイツ国民は、ヒトラーが欧州大陸でドイツの「合法的な」地位を一発の弾丸も撃たずに回復し、不可能を可能にしたと理解した。(略)
だから戦争は、革命を徹底させたのだ。そのことは、強制収容所制度の大拡張、非社会的分子の迫害、「安楽死」計画、さらに人種主義のあらゆる面で明瞭にみることができる。それまでは、潜伏していたか片鱗しか表われなかったナチズムの急進的傾向が、ヒトラーの激励を受けてあからさまに出てきた。自由主義的「法治国家」の残滓のような最後の重石は取り除かれ、警察特権が法廷とすべての市民の権利に優先した。(略)
ナチは、自分たちが「民族共同体」を達成するために献身していると称した。「共同体」は、同一性、純粋性、等質性という狂気の論理を基礎にしていた。この共同体を築くために、ナチとドイツ国民は、望まざる社会「分子」と「人種の敵」を晒し者にし、排除し、ついには殺害する残忍なゲームの虜になってしまった。その過程がはじまったのは、多くの普通の市民が、だれが「民族共同体」のなかにいるのか、だれが外にいるのかについての概念を(時として利己的な目的で)利用する方法を学んだときだった。
(略)
ソ連への侵攻は、残忍性を加速し、ホロコーストが起きる脈絡を提供した。東欧への「絶滅戦争」は、先例のない未曾有の規模の系統的大量殺人の機会として利用された。集団殺戮の対象は東欧のユダヤ人だった。(略)
メディアで広められた牧歌的でユートピア的な収容所の虚像は、その存在の正当化とともに、ドイツ人の脳裏に刻まれていた。それが、目前で起こっていることについての彼らの考え方を形づくるのを助けた。(略)
善良な市民は、新制度下で苦しむ人たちが「別の人たち」、つまり共産党員、さまざまな社会的アウトサイダー、ユダヤ人なのだと新聞で知った。「善良な市民」は、常習犯罪者、慢性失業者、乞食、アルコール中毒者、同性愛者、性犯罪累犯者など「社会の屑」とされる人びとに「矯正と警告」をあたえる教育施設としての強制収容所の見学に招待された。