鈴木敏夫インタビュー『風に吹かれて』

パラっと見たら中公なのにものすごく渋谷陽一テイスト、何者だ聞き手はと思ったら渋谷陽一だったw。
幼少時から学生時代のことも結構細かく尋問して、鈴木の思考法が明確に。

風に吹かれて

風に吹かれて

 

杉浦茂

『少年ジェット』は好きだったですね。『鉄腕アトム』はあんまり好きじゃなかったんですけどね。手塚さんを本当に好きなのは、僕らの上の世代で、僕らは、それとは違うのを好きになろうみたいなことで、杉浦茂なんていうのが出てくるんですよ。で、『未来少年コナン』を見たときに、僕はびっくりするんですよ。なんでかっていったら、そのテレビシリーズの中に杉浦茂ネタがいっぱいあったんです。それで、『この人は杉浦茂が好きに違いない』 って。だから、宮さんと最初に出会ったときに、杉浦茂の話をして盛り上がったなんていうこともありました」

全共闘

[構改派にリクルートされ、慶大二年の時に社会学自治会委員長に、そのうち]
そこで見ちゃうんですよ。非常にシステマティックに運動が組織化されていて、指導しているやつがいるんですよ。それが、三十幾つなんですね。そうすると、学生運動じゃないですよ。あれはショックでしたね。(略)要するに、学生運動のプロなんですね。そういう人たちが指導していることに対して、非常に大きな疑問を持った。それはありましたね」
(略)
最後に、社会学会そのものをなくしちゃうんですよ。『俺をもってここはもうなしだ』と。で、次の世代はなしっていったら、その後、20年ぐらいたってからかな、社会学の現役の学生が僕のところに会いにきたことがあるんです。なんでかっていったら『鈴木さんで途切れている』と。そのときに何があったのかっていう」

就職

[学生運動の先頭に立っていた連中が朝日や読売にあっさり就職するのを尻目に「端っこにある」産経新聞を受ける。合格が確約された最終面接で新聞の社会的責任はと聞かれ敢えて「そういうものはない」と答え、徳間書店へ。『アサヒ芸能』で特集班]
特攻隊と暴走族の記事は印象に残ってるんです。(略)僕が仮説を立てたっていうのは何かっていうと、その当事者だった人たち、もしくはその前後の人たちは偉くなっているか会って確かめたくなったんです。で、当事者だった人たちは見事に全員ブルーカラー。前後の人は中小企業の社長が多かった。(略)
一度死を決意した、しかし戻ってきて戦後を生きざるを得なかった、そういう人のその後の生き方は前向きになれるんだろうか、っていうことに興味があったんですよ。(略)後ろ向きに生きたっていいじゃないの、っていうのがどっかにあって、もしかしたらそっちの人のほうが信用できるっていうのがあったんですわ。
(略)
後に『火垂るの墓』なんてやりたくなるんですけれど。やはり野坂昭如という人は好きだったしね。あれなんかも関係ありますね。
[特撮ヒーローに興味はなかったけど尾形英夫に惹かれ『テレビランド』、そこから『アニメージュ』]

(↑ここらへんの顛末はこちらの→後半部分にkingfish.hatenablog.com

高畑に認められた日

[鈴木に好意的だった大塚康生が宮崎や高畑を紹介してくれ]
いまだに僕は忘れないですけれど、高円寺の大和陸橋というところの角にあったビルの一室で『じゃりン子チエ』も『カリオストロ』もつくっていたんです。(略)大塚さんが『ここで話すのもなんだから、二人であそこの喫茶店へ行ってきたらどうですか』とかいって窓の外を指さすんです。大塚さんって本当に面白い人でね。それで外へ出て、そこの指さしたところへ行ってみたら、そこは喫茶店じゃない。それで『高畑さん、ここ、喫茶店じゃないですね』、『そうですね、僕もここは喫茶店だと思っていなかったけど、大塚さんがああいったから』っていって二人で延々歩いてね、やっと喫茶店を見つけて、それで、三時間しゃべるんですよ。
[高畑は延々と語り「原稿にならないでしょう」と捨て台詞、「まとめます」と啖呵を切る鈴木。それから毎日会って議論。『じゃり〜』完成パーティーに行くと](略)
――高畑さんってそういうところあるんですけれど――いきなりね、僕を見つけて頭を下げたんですよ。『ありがとうございました』って。それで僕もびっくりしちゃって。『あなたといろんな話をすることによって、僕はこの映画をどうやってつくったらいいかが非常に明快になった。そういう意味で、僕はあなたにものすごく感謝します』って。これですね。ちょっとこの仕事をやろうかな、っていうのは」

トップクラフト消滅

[ようやく高畑に「ナウシカ」プロデューサーを承諾させるも、「拠点」もなしに映画ができるかと再度怒られ]
「拠点が必要だ、どこでつくるかだと。そして当然スタッフの問題もある。(略)東映とか、彼らがかつて在籍した日本アニメ、東京ムービー、各社回ることになったんです。ところが、どこも引き受けてくれないんですよね。で、理由をきいたら、ある人が教えてくれましたけれどね、二人は確かにいいものをつくってきた。しかし、二人がいいものをつくったあとは、会社が駄目になっちゃうと。だから、あの二人が一生懸命やると大変なんだと。(略)
[原徹の「トップクラフト」が宮崎の新作ならと引き受けてくれたのに、高畑が宮崎アニメにふさわしい力量があるかスタッフをテストし、ほとんど落第、優秀なスタッフを新たに集めてくることに。いろいろあって完成しヒットもしたが]
トップクラフトに元からいたスタッフが辞表を出すっていう事件が起きるんです。要するに、『ナウシカ』をやったことで、本来の仕事ができなかったわけでしょう。そうすると、ここで続けていくっていうことが非常に難しくなっちゃって、気が付いたらスタッフが誰もいないと。それでトップクラフトは、『ナウシカ』をつくることによって実質的には消滅してしまいました。それもこれも高畑さんがテストをしたいといったこの一言ですね。そういうことでいうと、やっぱり作品づくりっていうのはそういう厳しいものなんだなっていうことを思い知らされました」

火垂るの墓』完成せず

遂に公開日に間に合わないことになり、高畑は会社に出てこなくなる。三日目に今から家に行くと電話すると駅前の喫茶店で待っていてくれと言われ、正午から待つこと8時間、ようやく現れた高畑は『やぶにらみの暴君』の経緯を例に出し

[フランスの裁判所はプロデューサーが]資金の回収のために映画を公開したいというのは考えとしては筋が通っていると。しかし、監督が未完成のものを世の中に出したくない、これも考えとして分かると。だとしたら、そのいきさつを映画の冒頭に全部入れて、このままの状態で公開しよう、といったと。それをやっていただけませんか、っていう。『できません』、『やってください』、『できません』みたいな押し問答をして。それで喫茶店が閉店する時間になって、要するに画面に白地が出ちゃう二ヵ所、それをこういうふうにしようという提案を高畑さんから受けて、それならやりましょうということになって、未完成品の公開に踏み切るんですよ」
(略)
僕は、大塚康生さんに褒められたんですよ。『火垂るの墓』、『おもひでぽろぽろ』、『ぽんぽこ』が終わったころ、『鈴木さんはすごい、自慢していいです。高畑さんの作品を二本立て続けにつくったプロデューサーはいない。それを二本どころか三本やった』 って」

九州男児・原の土下座

[新潮にも説明に行く事に、その前に新潮の専務・新田と相談]
新田さんが、『社長は高畑さんになんていったらいいんですか』っておっしゃったんですよ。それで僕ね、あのときすっとそういう言葉が出たんですけれど、『質を落とさないで間に合わせてくれ』と話したんです。
(略)
[高畑が新潮に出向く当日]
本当なら、ジブリ側のプロデューサーって原さんなんですけど、その日の朝、高畑さんが僕を捕まえて『今日は新潮社に行かなきゃいけない。嫌だなあ。鈴木さん一緒に行ってくださいよ』っていうから、『冗談じゃない。高畑さん、僕はその立場にないんですよ』っていって。そうしたらそこへ原さんが現れて、もう原さんと高畑さんはがたがたの関係になっちゃってたので。原さん、僕を別の部屋に呼んで、いきなり土下座するんですよ」(略)
『鈴木さんも知っちょるように、高畑と俺との関係はもうぐちゃぐちゃだ。本来なら、今日わしが同席せないかん。しかしそれができない関係だ。悪いがわしの名代として高畑に付き合ってくれんか』と。
(略)
[途中の電車の中で]
高畑さんが『今日はどうしたらいいんですかね』っていうから、『高畑さん、申し訳ないけれど、僕は困った監督を持っているプロデューサー、原さんの名代なんで、僕は終始、困った顔をしなきゃいけない、これは理解しておいてください』と。そうしたら『えっ、冷たいな』とかいうんで、『いや、そういうことじゃなくて』とかいって。(略)
[結局、新潮社側と話はついていると明かし]
あとは、高畑さん次第ということで。そのとき、僕は終始うなだれていますから、絶対に僕のほうを見て同意を求めないでくれと。で、実際に社長がおっしゃるんですね。『質を落とさないで間に合わせてもらえませんか、高畑さん』 って。そうしたら、高畑さんが返す刀で『公開を延ばしてください』 って……かっこよかったですね(笑)。
(略)
それで完成したのが公開から一ヵ月半後ぐらいじゃないですかね。その間に第一次興行は終わってね。次は第二次興行っていう話になって、それが完成した暁には、ちゃんとしたかたちで見せようっていうことになっていたんだけれど、東宝が渋ったんですね。要するにそんなことやったら、またプリント代がかかる。それは東宝と話して大もめにもめて、それを実現させたということがあったんですけれどね」

魔女の宅急便

[東宝の配給責任者が]『うちはヤマト運輸のタイアップが決まっていたから配給を決めたんだ。ところがヤマト運輸、全然前売り券を買ってくれないじゃないか。約束が違うぞ。
(略)
宮崎さんもたぶんこの〈魔女〉が最後だろう。だってそうに決まってるじゃん。〈ナウシカ〉〈ラピュタ〉〈トトロ〉とやってきて数字がだんだん下がってきた。そうしたら〈魔女〉はもっと下がるだろう。そうしたらそれで終わりだよ』って。これいわれてほんと頭にきたんですね。それで、僕、その足で[出資を頼みに]日本テレビヘ行くんですよ。

「これ歴史の事実は、本当はね、監督は高畑さんだった」(略)
高畑さんが断るんですよ。それでお金出す側は、特に宮崎・高畑にこだわっていないんですよ。その企画を成立させるほうが先。どうしてかっていったらヤマト運輸があったから。それで宮さんは、高畑さんのところに来たことを実は知らないんですよ。(略)
[『トトロ』からの流れで時間がない宮崎の代わりに鈴木が原作を読んで、都会で暮らす地方出身の若い女性が一人になった時のわびしさを埋めるような何かをやれば、映画になるような気がすると話すと、興味を持った宮崎からシナリオ作りを手伝ってくれと言われ]
『旅立つときってなんだっけ』、『いや、十三歳になったら旅に出なきゃいけないんです』、『ああ、そうか、そうか。あそこの町、なんていうんですか?』、『コリコの町です』とかなんかね。いちいちそうやってつくっていった。『鈴木さんどうしよう、そろそろこれ、森の中へ入っていくと絵描きがいることにしようよ。それを二十七歳の女性にしようか』っていうから、『宮さん、それだけはやめたほうがいいんじゃないですかね
(略)
十三歳の女の子がいいんじゃないかっていったら、宮さんが『分かったよ。じゃあ二十七歳と十三歳の真ん中で十八歳にしよう』って。絵描きのウルスラの誕生秘話です

[「クロネコ」「宅急便」というタイアップ要素より]
むしろ宮さんなんかが悩んだのは、キャラクターをどうしようっていう。(略)
『宮さん、思春期っていうのはどうですかね。宮さん、思春期やっていないですよね』っていったら『思春期かあ』っていってね。それでそこらへんにあったナプキンかなんかにね、いきなり『これだ』といって書き始めたのが、あのリボンでね。それで『これでできる』っていったのをよく覚えている」

明日につづく。

 

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