ジミー・ペイジ自伝 「奇跡」

セッション・ミュージシャン時代、ストーンズのライヴを観て

すごく感心した。まさにマディ・ウォーターズのグルーヴを的確に押さえてた。とりわけブライアン・ジョーンズの演奏は正統派だった。

ファズ

[60年代前半ロジャー・メイヤーが]
僕のところにやってきてね。自分は海軍本部の実験局で働いていると言い、おそらく僕が欲しいエレクトロニックな装置ならどんなものでも作れると付け加えた。それで僕は、ベンチャーズの“2000パウンド・ビー”で聞けるディストーションをもっといいものにできるようなやつを作ったらいいよ、と言ったんだ。彼はそうかと言って帰り、やがて最初の本当にまともなファズボックスを作りあげたんだ。

The 2,000 Pound Bee

The 2,000 Pound Bee

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ジミー・ペイジジェフ・ベック

[ペイジ、ベック、クラプトンは]ロンドン南西部のわずか数キロずつしか離れていない3つの町で育った。(略)
特に驚くのは、子供のときにはお互いのことは知らなかったのに、3人とも実にそっくりな物語を辿ってきてるってことでね。僕達は変り種だったんだ、全校400人のうち一人だけエレクトリックギターを弾いてるという」
「でも結局は知り合った。というのも妙なギターを弾く奴が一人二人いると風の噂で耳にしたからさ」とベック。「隣町のほうから光が射してきたってわけだ」(略)
 「姉はアートスクールに行っていて、僕のと同じような“変てこりんなギター”を弾く男が自分の学校にもいると教えてくれてね。それで『どんな変なギター?』と尋ねると姉は、『あら、わかんないわ。ほら、変な形をしたギターよ』と言う。それで決まりだった。僕はその足でバスに乗り、ジミーの家を訪ねた。たしか二人とも16、17歳だったんじゃないか」
 当然のことながら二人のプレイヤーはあっというまに友情を築くことになった。お互い情報に飢えていたから、よく何時間も一緒にジミーの家でジャムって、リックを聞かせ合ったり、50年代のロックやブルースのヒーロー達について得た、なけなしの情報を教え合ったりした。


Rick Nelson - My Babe

It's Late

It's Late

  • Rick Nelson
  • ポップ
  • ¥250
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ベック「よく、リッキー・ネルソンの“マイ・ベイブ”とか“イッツ・レイト”なんていう曲を弾いたもんだよ。彼のバンドのギタリストのジェイムス・バートンは素晴らしかった。(略)
ジムはよく、テープレコーダーに付いてきたマイクをソファのクッションの下に突っ込んでね。で、僕がそれを叩いて。最高のバスドラ・サウンドが出たよ!」
◆当時はどんなギターをお持ちだったんですか?
ペイジ「あの頃は、グレッチのカントリー・ジェントルマンを弾いてたと思う」
(略)
[アンプ作りのノウハウは]
ベック「ただ電気屋に行ってシャーシと真空管を何本か買い、スピーカーを選んで、そのまわりにキャビネットをこしらえただけさ。(略)トレブルをもっと大きくするにはどうしたらいいのか訊いた。すると店主は『どういう意味だい?こいつには充分に必要なトレブルはある。つまりな、ベースを取っ払っちまえばいいんだよ』と言う。そりゃいかしたアイデアだなと僕は思ったよ。

  • ここからしばらく『クリス・ドレヤ談』になります

ビートルズのクリスマス・ショウに出演

 我々は10分か15分かそこらのスポットをもらって、シングルとして出した“アイ・ウィッシュ・ユー・ウッド”や“グッド・モーニング・リトル・スクールガール”などを演った。(略)
女の子達は彼らに向けていろんなものを投げつけ、それも柔らかいものばかりじゃないんだよ。あるコンサートのあとでジョン・レノンが自分にぶつけられた、包装紙にくるまれたでかい石炭の塊を手に、僕のところにやってきて言うんだ。『なあクリス、俺はもう出るのはごめんだ』って。あと、彼女達はコインも投げつけた。それもでかいコイン、昔のイギリスの貨幣だよ。ありゃあ重かったな。彼らの仕事はなかなか命がけで、おまけにどっちみち何を演っても聞こえなかったんだ、娘っ子達が最初から最後まで金切り声を上げっぱなしなんだから」

サニー・ボーイ・ウィリアムソン

と何度かコンサートをやったんだが、彼は当時まずまちがいなく50代で、実におっかない形相をしたならず者でさ。陰険な奴だったよ。すごく背がでかくて団子鼻をしていて、いや驚異的なプレイヤーだったな! クロームのハーモニカを口にくわえて、それを飲み込むみたいにしてプレイしてた。いやいや! あのショウマンぶりは只者じゃなかったね。でも同時に彼は酒飲みで、残念なことにあそこでキース・レルフは酒癖がついたんじゃないかと思うんだが、とにかくブリーフケースはウィスキーの瓶でいっぱいだったよ。(略)
英国から戻ってロビー・ロバートソンに言ったらしい。『あっちで英国のバンドとプレイしたんだけどな、いやあいつら、そりゃもうひどくブルースを演りたがってたぜ……そして連中のプレイときたら、そりゃもうひどいもんだったぜ!』って」

加入を断ったペイジの紹介でやってきたベック

ジェフは我々とは違って、やや乱暴な雰囲気があった。彼は機械工だったんだ。(略)誰かがムカつくことをしたんで、そいつの車に塗料の剥離剤をぶちまけてやったと言う。(略)
エリックのような伝統派ではなく、素晴らしい実験肌だった。パトカーみたいな音が欲しければ、ジェフはそういうのを作り出した。何でもやってのけたよ。めんどりの鳴き声。シタール。なんでもござれさ!
(略)
[ペイジの加入]
ジミーがあの才能とエネルギーを持ち込んできたとき、ジェフは脅威を感じたんだ。(略)それに、ツアーの条件にうんざりしていた。マネージャーのサイモン・ネイピア=ベルが我々をおぞましいディック・クラーク・ツアーに入れたんだが、古いグレイハウンドのバスでの行脚で、あれはどんな人間でも参るよ。(略)そしてジェフは途中でキレて、楽屋で僕の目の前でギターを叩き壊して、ロサンゼルスに戻っていった。

ヤードバーズ消滅

ジミーは残念がっていたが、18ヶ月の間にため込んだアイデアをポケットいっぱいに詰めて歩み出ていった。(略)
ジミーはバンドをこしらえてその日程をやりたがっていた。僕はピーター・グラントとジミーと一緒にバーミンガムまでロバート・プラントを見に行ったよ。プラントは偉大なるジョン・ボーナムと一緒にプレイしていて、僕らは全員言ったんだ、『ジミー、あいつだよ必要なドラマーは』 って。可笑しいんだが、誰もロバート・プラントについては確信が持てなかったんだ。というのもあの頃の彼はいささか金切り声ぎみだったからね。
 ジョン・ポール・ジョーンズは優秀なベーシストで、おまけに素晴らしいサウンドを鳴らしていた。当時の初期のアンペグとフェンダージャズベースを使っていて(略)いかした、カチカチした完璧なサウンドで、レッド・ツェッペリンにはあれ以上ふさわしいベーシストはあり得なかった。

と『クリス・ドレヤ談』が終了したところで、なんか疲れたので終了。肝心のジミー・ペイジ談はまた明日。

 

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