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キルケゴールマルクスニーチェ

 19世紀のヨーロッパを背景として、発展する産業社会のための新しい価値のコードを備えたいくつかの野心的な企てが生み出された。それは、人間に、生きるための新たな理由を与え、近代的な生活方法に照応した新しい行動規範を与えるものだった。一言で言えば、そこでは、新しい倫理を生み出す様々な努力がなされたのである。
(略)
彼ら[キルケゴールマルクスニーチェ]の誰もが、自身の思想的な経歴の開始時に、のちの成熟と発展にとって決定的な意味を持つ、ひとつの同じ現象に遭遇していた。ヘーゲルの「体系(システム)」である。(略)かつての師であった思想家に失望し、拒絶したことが、歩むべき大道の発見を彼らに容易にさせた。彼らにとってヘーゲルが必要だったのは、いかに考えるべきではないか、いかに生きるべきではないか、という仕方を彼ら自身が認識するためだった。(略)
ヘーゲルのいわゆる生成の哲学の中に、彼らは容易に、その教義の硬直性と停滞性を感じ取っていた。その教義は、歴史的宿命のくびきにおとなしく自ら従属するように、人間を強いるものだったからである。その神託は「体系」と命名されていた。運命は望む者を導き、欲せぬ者を引きずる、と。しかしながら、この三人の批判者たちは、ヘーゲル的構築がもたらす暗闇、豊かに躍動するわれわれの世界を見る目を妨げるような暗闇を打ち払う能力を備えていた。そして、この世界からあらゆる虚飾を剥ぎ取って、世界の姿を、その壮大さと同時にその悲惨さにおいて直視する能力を備えていた。

マルクス

〔学位論文のための予備]ノートで彼は、抽象的哲学を現実世界と対比させ、この対比が一人の人間の心に残した〔抽象的哲学に対する〕空虚感について述べている。その人間とは、自己実現への願望に心奪われ、彼を強いて「外の世界」へと向かわせる「焼き尽くすような炎」に駆り立てられている人間であった。マルクスが強調するのは、現実の世界と哲学とのあいだにある断絶を取り除く必要性である。そして、成熟期の著作の中にも残されることになるきわめて特徴的な彼自身の定式を、ここで初めて採用する。哲学の実現とは同時にその揚棄である、と。マルクスの思想が成熟するにつれ、このフレーズは、衒学的で閉塞したヘーゲル流のコンテキストから離脱し、より深い倫理的意義を身に帯びるに至るのである。

 マルクス以前には、ヘーゲルが、人間は自已に課された目的に従って行動する、と言明していた。「人間は、彼がそれであるところのもの、及び、彼が欲するところのものに関する精神的イメージによって規定されている」。まさにこの点においてわれわれは、人間の内的自律の源を、そして、人間と動物との差異を見出す。動物は「理念的且つ現実的なものとして現れるこれらの表象を欠いている」のである。さらにまた、「人間は、人間になるためには自分自身を作り出さなければならない」と書いたのもヘーゲルだった。しかし同時に彼は、すぐに次のように付け加えて、それを修正してしまう。「人間は、彼自身が精神[Geist]であるがゆえに、あらゆることを自身で克服しなければならない」と。それゆえにヘーゲルは、目的の自律的選択を通じた自己決定というテーゼを、妄想的ビジョンとしての歴史教義へと変えてしまうのだ。その中では、諸個人は、非物質的な実体、つまり普遍的精神の発現以外の何ものでもなくなってしまうのである。
 にもかかわらずヘーゲルの思想は、マルクスが彼自身の歴史探究の方法を練り上げるにあたって一定の影響を行使したし、マルクスも、その点でのヘーゲルに対する負債を率直に認めていた。師は弟子に、あらゆる道徳性から自由になったものとしての歴史領域を遺し、歴史の出来事が持つ合理性に対する信念を注ぎ込んだ。