「小沢事件」の真実

メンツも色々なので、チラ見。

三井環(検察裏金を内部告発しようとしてでっちあげ逮捕)

けもの道

 検察の組織的な裏金作りの犯罪は、内部では「公知の事実」だった。それゆえ、原田検事総長は自ら国民に謝罪し、ある程度の処分者を出して、使った金を国に返還する、それ以外の選択肢はないと私は考えていた。そうすれば、検察の信用は一時的に失墜するが、さすが他の省庁とは違うと評価されただろう。私はそれを期待していたのだ。
 ところが法務検察は世紀最大の汚点、「けもの道」という最悪の選択をした。
 元法務大臣後藤田正晴に近い筋からの情報では、10月末、原田検事総長松尾邦弘法務事務次官、古田祐紀刑事局長が麹町の後藤田事務所を訪ね、加納人事が承認されないと、裏金問題で、検察がつぶれると、泣きを入れたといわれる。これを後藤田が後に、「けもの道」と名づけたといわれる。
 検察が時の政権に擦り寄り、貸し借りを作る。これは検察が政権に対してとるべき道ではない。人がとる道ではなく、けものがとる道。

「風を吹かせ」て、大悪人に仕立てる

 検察が捜査情報をリークするのは、捜査が「戦争」だからだ。戦争は、あらゆる戦略、謀略を駆使する。そのため、まず、捜査に世論の追い風を吹かせる必要がある。追い風が吹けば捜査がやりやすく、被疑者以外の参考人の事情聴取も調書がとりやすい。
 こうしたリークを検察用語で「風を吹かす」という。検察はリークでマスコミを通じ、国民を味方につける。(略)
 一つのリークが泡のように膨らみ、バブルになり、情報が一人歩き。バブル記事を国民が見て、その内容を信用し疑わない。逮捕時には「大悪人」に仕立て上げられるのだ。こうした惰報の一人歩きを、検察に不利となる報道でない限り反応しない。(略)
 政府がリークを認めれば、国家公務員法守秘義務違反になるから、いくら問い質しても、「リークはない」と、言う。(略)
[捜査が進展しない場合]徐々に情報を出していくなどして、私も風を吹かすことをやった。
 私個人の経験では、被疑者が容疑を否認している時に、「曖昧な供述をしている」と情報を流す。「否認している」とは言わない。
 否認していることが報道されれば、被疑者以外の事件関係者も、つられて否認に転じる場合がある。新聞で「容疑者は曖昧な供述をしている」と、書かれている場合、被疑者は否認していると考えたほうがいい。
(略)
 特捜事件は、初めにストーリーを作り、そのストーリーに事件関係者の供述を押し詰めて、固めてしまう。ストーリーが一度作られると、修正されることはまずない。そのまま突っ走る。ストーリーが真実であればいいが、虚構でも、がんじがらめに固めるので、弁護人がそれを切り崩すのは極めて困難。

石川知裕

 なかでも私がいちばん憤ったのは、「私が今回の虚偽記載について、小沢先生への報告と了承を受けて進めたことを認めた」という報道がされたことである。
 さも私が、小沢さんの指示を仰ぎながら虚偽記載を行ったかのように新聞に書かれたが、私が取り調べで認めたのは、「年末に今年の収入はこれだけありました。パーティー券はこれだけありました」といった程度の報告を小沢さんにしたというだけの話だ。
 これは取り調べた田代検事もわかっていて、彼はメディアでのこの報道を見て私に、「新聞が書いている報告・了承と、調書の報告・了承は違うんだよな」と言っていた。
 しかしその調書は検察の上層部に上がっていき、恣意的にメディアにリークされ、「小沢さんが虚偽記載にかかわっていた」といった間違った情報として流れるのだ。
 これこそがまさに、検察のリークによる間違った世論づくりの手法である。

 例えば、本村匡良主任検事の捜査報告書には、私が水谷建設から5000万円を受け取ったという疑惑について、「我々の捜査では、石川が5000万円を受け取ったのは間違いない」などと書かれていた。
 そんな捜査報告書を見れば、検察審査員は、「そうか、石川はもらってないと言っているが、本当はもらっていたんだな」と判断するのは当然だ。検察は自分たち法律のプロ集団が調べて起訴できなかった人物について、素人たちが集まる検察審査会で、「なぜ起訴できなかったのか」を説明するのではなく、「起訴できなかったが、やはりクロである」と説明しているのだ。これもおかしな話である。

郷原信郎

[5000万円を渡したと証言した]水谷建設関係者が、その証言が検察官の誘導によるもので、実際には渡した日時も相手も記憶にないことを認める陳述書など、5000万円の授受がなかったことを明らかにする証拠を請求したのに、証拠請求を却下したとのことである。飯田裁判長には、事実に向き合う姿勢自体が全くなかったと言わざるを得ない。

村木厚子元局長冤罪事件

冤罪と法務省は認めるかと問われ

法務省西川刑事局長(当時)「お答え申し上げます。まず、冤罪についてでございますが、冤罪についてはさまざまな意味で用いられる、こういうふうに承知しております。村木さんの事件については、最高検で検証中ということもありますので、現段階の認識を申し上げますと、検察当局においては、村木さんの無罪判決を検討した結果、判決結果を受け入れるべきだと判断して上訴権を放棄したものであって、この点にかんがみますと、結果として無実の人を起訴したという、あってはならないことであったというふうに認識をしているということでございます。次に、これが冤罪に当たるかどうかということでございますが、現段階までの調査によりますと、無実であると知りながら起訴ということならば、検察当局においては現段階ではそのようなことはなかったと考えているものと承知をしております。ただ他方、冤罪の意義の中で、結果として無実の人を起訴した場合も含まれるということであれば、村木さんの事件はこれに当たるものというふうに考えております。」

二木啓孝

魚住昭さんが共同通信社を退社後、こんなことを言っていた。
 「会社を辞めて気が付いたことがある。司法記者クラブ時代は検察と同じバスに乗っていたんだなあ、と。記者と取行先は立場が違うはずなのに、同じバスに乗っていれば、同じ行き先に走るしかない。そして、いつしか同じ考え方になる。それは停留所で一人降りて、バスを見送った時に初めて気が付くことかもしれない」

山口一臣(元週刊朝日編集長)

 政治資金規正法に詳しい日本大学法学部の岩井幸信教授に聞いてみると、
 「スピード違反で手錠をかけられて、その日のうちに牢屋に入れられたようなイメージ」
 だと言う。後に検察批判の急先鋒となる元検事の郷原信郎弁護士も、当初は慎重に言葉を選びながらこう語っていた。
 「果たして小沢氏側の会計処理は本当に政治資金規正法違反と言えるのかどうか疑問があります。形式的な違反だけで摘発できるということになると、検察はどの政治家でも恣意的に捜査の網にかけることができてしまう。現在までの報道を見る限り、この事件が特別に悪質には見えません。私の経験から見ても、今回の捜査は不可解な印象を拭えません」
 そして、最大の疑問はなぜあの時期にあわてて逮捕しなければならなかったのか、ということだ。検察捜査にかかわった経験のある誰に聞いても同じ答えが返ってきた。
 「少なくともあと半年以内に確実に選挙があるという時期に、政治資金収支報告書の記載ミスという軽微な形式犯で、野党第一党の党首の秘書を逮捕するというのは考えられない。なぜ、検察上層部が止めなかったのかわからない……」

[記者クラブに入っていない週刊誌は検察庁舎に日常的に入れない、検事も会ってくれない]
私たちは当局から直接、捜査情報を取ることができないので、被疑者やその周辺に話を聞いて回ることになる。そうすると、「今回の逮捕はおかしい」、「村木さんは不正をするような人では絶対にない」といった話が山のように出てくる。そもそも村木さんのような経歴の人に、新聞に書いてあるような不正を働く動機があるのか?いろんな人に聞いてみたが、「ありえない」という答えしか返ってこない。さらに取材を進めると、村木さん自身が逮捕直前、
 「心配しないで、荒唐無稽な話だし、ちゃんと説明すれば誰でもすぐわかる話ですから」
 と、知人に話していることもわかった。検察が頭の中で描いていたストーリーは役人の常識からすると、絶対にありえない荒唐無稽なものだったのだ。
(略)
「とにかく民主党の議員の不正を何か知らないかって、そればかり繰り返し聞いてくるんだ。何か事実があって動いているというより、何でもいいから何かないかという感じだった……」
 しかし、それ以上に驚いたのが、被疑者として取り調べを受け、後に逮捕された人たちの証言だった。
 「(調書に)まったく事実に反することが書いてあるのに、検事は『これでいいんだ』と机を叩いてサインを迫ってくる。最後は、『お前は逮捕しないから、協力してくれ』と言うので、そのことを信じて署名したんです」

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