前日のつづき。
閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義
- 作者:イーライ・パリサー
- 発売日: 2012/02/23
- メディア: 単行本
グーグルとフェイスブックの違い
[他人の目を意識しない検索内容でパーソナライズするグーグルに対し]
フェイスブックでは、基本的に、なにを公開し、誰とやりとりしているかからアイデンティティが導かれる。これはグーグルと大きく異なる。だいたい誰でも、エロいもの、くだらないもの、ちょっと恥ずかしいものなど、ステータスアップデートで友達に公開するのがはばかられるようなものをたくさんクリックしているはずだ。逆もまた真である。わたしは、ときどき、ハイチ再建の詳しいルポルタージュや政治問題など、ほとんど読みもしないリンクを共有する。そういう人物だと友達から見られたいからだ。このように、ケーブルの自分とフェイスブックの自分は人物像が大きく異なる。「クリックしたものがあなた」と「シェアしたものがあなた」はまったく達うのだ。
(略)
フェイスブックの共有を基礎とした自己は上昇志向だ。自己申告を信じ、ほかの人からこう見られたいと思う自分にしてくれる。フェイスブックの自分は演技的な色彩が強くて行動主義に基づくブラックボックスという面は控えめになっており、信号を束ねるグーグルのやり方よりも社会に受けいれられやすいと思われる。そのようなフェイスブックのアプローチにも問題はある。公の自分が前面にでる分、プライベートな興味関心の余地が小さくなるのだ。さきほど例にあげたゲイのティーンエージャーがフェイスブックを使っていれば、その情報環境は、本当の自分とかけはなれたものになるだろう。フェイスブックでは不完全な自分にしかならないのだ。
まず、「アイデンティティはひとつ」というザッカーバーグの言葉が正しくないことを指摘しておこう。
(略)
プライバシーは、もともと、複数の自分を分けて管理・維持するためにも使われるものだからだ。(略)
パーソナライゼーションでは仕事の自分と遊びの自分のバランスが把握されないし、なりたいと思う自分といまの自分という緊張関係がおかしくなってしまう。言動は、未来の自分と現在の自分のバランスを取る活動なのだ。将来的にはスリムな体になりたいが、いまはお菓子が食べたい。将来的には多彩で博識な知識人になりたいが、いまは『マカロニ野郎のニュージャージー・ライフ』を観て笑いたい。
クリック履歴で未来が決まる
高校の同級生が支払いにルーズだからという理由で銀行から低く評価されたり、あるいは、ローンを返済しない人たちが好きなものを自分もたまたま好きだったせいで銀行から低く評価されるのは不公平だと思うかもしれない。そのとおりだ。そしてこれこそ、アルゴリズムでデータから推論する論理的手法、つまり帰納法がもつ根本的な問題である。
(略)
すべてが予測された人生など生きるに値しない。しかしアルゴリズムによる帰納法は情報決定論につながる。過去のクリック履歴が未来を完全に規定してしまう世界だ。ウェブ履歴を消去しなければ、我々はその履歴をくり返し生きる運命にある――そう表現してもいいだろう。
アルゴリズムで国民感情を操作する
ジョン・レンドンは気さくな雰囲気の男で、「情報戦士であり、認知操作者」だと自己紹介した。彼のレンドン・グループはワシントンDCのデュポンサークルに本拠を置き、米国政府機関や各国政府にさまざまなサービスを提供している。第1次イラク戦争でクウェート市に米軍が侵攻した際、何百人ものクウェート人が米国の国旗をうれしそうに振っている光景がテレビに流れた。「7ヶ月ものあいだ占領下にあったクウェート市の人々があの小旗をどこから手に入れたのか、不思議に思ったことはありませんか? 多国籍軍に参加したほかの国の旗もそうです。こう言われればおわかりですよね? あれは我々が手配したのです」
(略)
このような人物が一番の武器だと見せてくれたのがごくありふれたもの――類語辞典――だったので、わたしはとても驚いた。世論を変えるためには同じことをさまざまな形で表現できなければならないからだそうだ。同じことでも激しい表現からごく控えめな言い方まで、幅広い表現方法がある。
(略)
「まず、アルゴリズムのなかにはいりこむ必要があります。陰でひそかに仕事をしているアルゴリズムが自分のコンテンツだけを取りあげるような形でコンテンツを提供できれば、人々が信じるものを変えられる可能性が高くなります」。
クラウドの危険性
政府は、クラウドからなら、自宅のコンピューターに比べてずっと簡単に個人情報を手に入れられる。個人のノートパソコンを調べるには裁判所から令状を敢る必要がある。(略)
「警察にとってこれほど好都合なことはありません。1ヵ所から、多くの人の文書を一度に入手できるのですから」
グーグルはいつでも邪悪になれる
いま我々の周囲で起きていることは「無力者から有力者への情報力の再配分」にあたると、プライバシー保護を推進するビクター・メイヤー=ションバーガーは断言する。隅から隅までお互いに知っているならそれはそれだ。しかし、我々が互いに知っているよりはるかに多くをどこかの組織が知っている
(略)
グーグルには「邪悪になるな」という有名なモットーがあるが(略)
[グーグル検索エンジニアはにやりと笑い]
「そのとおり。我々は邪悪じゃありません。邪悪にならないようにできるかぎりの努力をしています。でもそうなりたいと思えば……いつでもなれますよ」
対話に敵対する場
結局のところ、民主主義が機能するためには、我々国民が狭い自己の利益以外のことまで考えられなければならない。そしてそのためには、我々が共同生活をしているこの世界について全体像を共有している必要がある。ほかの人々の暮らしやニーズ、望みなどに触れる必要がある。しかし、フィルターバブルはこの反対へと向かう。
(略)
インターネットが登場したころは、これでようやく町全体――いや、国全体――が対話を通じて文化を創ってゆける媒体を手に入れられるのではないか、と強く期待されていた。しかし、パーソナライゼーションによって状況は一変した。公はアルゴリズムによって仕分け・操作され、設計に従いばらばらに砕かれ、対話に敵対する場となってしまった。
神となるプログラマー
自分を、頭はよいが底辺高校に通う生徒なのだと考えてみてほしい。(略)あなたは、生徒仲間の権力構造からも疎外されており、孤独感と疎外感に満たされてもいる。(略)
ある日、あなたはコードに出会う。お昼のテーブルで無力なあなたもコードを使えば望むままに世界を改変できる。コードはまた、秩序だった明快な記号体系をもたらしてくれる。地位や居場所を人と争う必要はもうない。がみがみと小うるさい両親ももう気にならない。目の前には真っ白なページがあり、自分の世界を自由に描くことができる。すばらしい世界や自分の居場所を一から作ることができる。
これであなたもりっぱなギークである。
(略)
「ハッキングすると対象システムを深く理解できるだけでなく、病みつきになりそうな支配力が手にはいり、もう少しですべてを支配できるようになるのではないかという幻想を抱く」とスティーブン・レビーも書いている。