「自然主義」と呼ばれた・その3 橋本治

前日のつづき。

『破戒』

本家フランスの自然主義は「宗教の支配に抗する考え方」でもある。(略)「自然は自然だよ、神とは関係ない」という考え方を前提にするから、「神の思し召しはともかくとして、現実にはこういうものがちゃんとあるじゃないか」と言って、世間常識からすれば「あまり芳しからぬもの」ばかりを題材に取り上げる。それをそのまんま実践してしまったものが、[主人公の「先天的不具がかれの一生の上に非常に悲劇の材料と為った]田山花袋の『重右衛門の最後』である。
(略)
『蒲団』で田山花袋が「呆れ驚くほど恥知らずにも見事な告白」をして、「自分の中にも不幸がある」という発見をするまで、必要なのは「先天的な悲劇を背負った人物」なのである。考えてみればその点で、自然主義というのは差別的なものでもある。(略)
自然主義が「先天的な悲劇や不幸を背負った人物」を主人公とするものなら、江戸時代の制度的な賎民を由来とする新平民は、「先天的な悲劇を背負って生まれついた自然主義の主人公にふさわしいもの」になる。その点で『破戒』は「自然主義の小説」なのだ。

国木田独歩の怒り

 国木田独歩がこんな発言をしたのは、明治四十年のこの頃に忽然と「自然主義」を排撃する風潮が起こって、「お前もその一人だ」ということになってしまったからで(略)
彼が怒る最大の理由は、自然主義を攻撃する側――ここでは後藤宙外が代表的存在になっている――が、攻撃することだけを明白にして、「何を以って自然主義とするか、自然主義のどこがどういけないのか」を平気で曖昧にしていることである。
(略)
 後藤宙外について触れておくと、彼は少しばかり不思議な人である。というのは、田山花袋の『蒲団』を掲載した『新小説』という雑誌の編集主任が彼だったのである。島村抱月とは東京専門学校(後の早稲田大学)の文学科の同期で、仲がよかった。しかし後藤宙外は妙に政治的な動きをする人でもあって、やがて尾崎紅葉に接近。当時文壇の主流であった春陽堂発行の『新小説』にポストを得られたのはそのためである。
(略)
 国木田独歩の怒りは、その自覚のないまま自分が「自然主義の作家」として組み込まれていることにあるのではなくて、攻撃する規準を曖昧にしたまま平気で攻撃を続けられる人間達の愚かさに向けられている

 国木田独歩作品の最大の特徴は、作中人物を見つめる国木田独歩の視線の適確さと、「やさしさ」である。だから、悪く言えば「面白味のない文章で書かれたどうということのない話」であるにもかかわらず、彼の小説を読んだ後で、なんとも言いようのない「美しさ」を感じる――それが、国木田独歩が与える「感動」の正体である。人生の、社会の、人の、我が身の醜穢、陋劣を書かんとするような自然主義とは、その態度からして正反対である。
 国木田独歩の中に「あえて現実を直視してやろう」などという態度はない。あるものはある通りにあるだけで、だからこそ《独歩は独歩である。》と言えてしまえるのだろう。

田山花袋は「どうして自分にはそれが出来ないか」を考えるよりも、《露骨なる描写、大胆なる描写》を推し進めれば道が開けるのではないかと考えている。(略)
田山花袋の前に立ちふさがる状況を打開する方法としては、知らぬ間に国木田独歩によって進められていた「言文一致体で完成度の高い作品を書く」という道筋もあったのである。

《『武蔵野』なども文章はまずいか知らぬが、感じた事をそのまゝ直叙したという事は事実である。あれは武蔵野に居て、常に頭の中に自然が充ち満ちて、自分で消しにかゝっても消されぬ程に、明かに写った自然をそのまゝ叙したのである。自然より感得したところそのまゝであるから一面から言えば、自分の心をうちつけに自然に托して書いたものとも言える、自然をかりて、自然より享けた感じを書いた叙情詩である。》


考えて読めば分かるが、これは『露骨なる描写』を書く田山花袋のぶつかっていた状況をあっさりと通り技けてしまった人の文章である。
(略)
 国木田独歩の言うことの重要性を理解するためには、いくつかの註釈がいる。まず、《自然を写すには文体はなんでも可かろう》と言うが、この発言があるということは、他方に「自然を写す文体はなんでも可くない」という考えがまだあったのである。だから、《文章に上手な人》《多くの紀行文を読み、大くの漢字を使用し得る人》が、反面教師として登場する。(略)
彼の前、その時代にある紀行文は、濃厚に漢文的な文語体なのだ。だから、長野県の風景を書いて古代中国の蜀の景色になってしまうと言う。そういうものを書ける技術や知識を持った人が「文筆家」であったりする当時だから、人はうっかりすると行かなくてもいい方向に傾いてしまう。

渋谷村の「ロシアの秋」

 渋谷村の秋の中にいて[二葉亭四迷ツルゲーネフ]『あひびき』を読んだ国木田独歩は、自分がそれまで知らなかった「まったく新しい秋」の中にいることを知った。その秋は、伝統的な日本の美学の中にある秋ではなくて、遠いロシアの地の秋なのだ。十九歳の田山花袋は『あひびき』の中にまったく知らなかった「新しい恋愛感情の形」が書かれているのを発見して興奮したが、二十六歳を過ぎた国木田独歩は、『あひびき』の中にではなく、日本の秋の中にそのまま「ロシアの秋」を見たのだ