田山花袋・26歳・童貞 橋本治

前日の続き。

技巧ばかりを問題にする文壇は自然主義の重要性を理解していないと怒る田山花袋

[文語使いのテクニシャン]尾崎紅葉は結局文語体に戻り、若くて新しい老成の文学の時代に登場した最大の新人は、ついに文語体を捨てぬまま二十五歳で世を去った樋口一葉なのだ。(略)
文体、文章のあり方ばかりを問題にする既成の文壇批判をする田山花袋だって、「ただ説明に汲々とするロクな技巧を持たない言文一致体の書き手」として、批判の口を開いているわけではない。「もう言文一致体は完成した文体になっている。だからこそその文体で、更なる先の自然主義を目指している。それなのに、相変わらず技巧ばかりを問題にする文壇は、(私のやる)自然主義の重要性を理解していない」という流れで怒っているのである。
(略)
 田山花袋はその初め、文語体の《美文的小説》の書き手だった。二葉亭四迷の『あひびき』に衝撃を受けても、文語体の小説の方が書きやすく、読者に受け入れられやすくもあるだろうということを、田山花袋は知っていたはずである。それが悪いというのではない。明治の初めに於いては、文語体の文章に手を出す方が、誰にとっても楽で自然なのだ。言文一致体にお手本はないが、伝統ある文語体はお手本だらけだ。

 田山花袋の訴える論調はとても日本人的である。「西洋の自然主義は不健全になってしまうところがあるから、そこはよろしくない」と言い、「しかし、些細な主観を捨てれば悟りが開けて、あってしかるべき真実がそのままの形で見えて来る」になる。(略)これはもう宗教的な「心構えの問題」に近くて、「どうすれば些細な主観を捨てられるのでしょうか?」と尋ねたいようなものである。

 我々――あるいはこの私は、「(略)国木田独歩島崎藤村には“私は自然主義文学者だ”という自覚がない」ということを知っている。しかし、翻って田山花袋はどうなのか?(略)
 西洋の自然主義に触れて「すごい!」と思い、大きな影響を受けて「俺もやりたい」と思いはしても、田山花袋はさすがに「西洋の自然主義をそのままコピーすればよい」とは思わない。自然主義にインスパイアされた彼は、自分のやりたい創作の方向性を、どう名付けたらよいかが分からないのである。

「まだ口語文体によるろくな作品があまりない日本で、自分なりの独自性を持った作品を書く」

[西洋の自然主義]とは微妙な距離を置いた「自分なりの作品を書こう」という方向へ進んだ。あえて「不出来なコピー製品」を作ることによって、「手本」となるものを自分の方に引き寄せたのである。田山花袋の『蒲団』は、その方向の先にある作品で、文学的価値から言えば、「日本に自然主義文学を確立する」より、「まだ口語文体によるろくな作品があまりない日本で、自分なりの独自性を持った作品を書く」ということの方が重要だろう。
(略)
《技巧》という言葉、あるいは《描写》という言葉に田山花袋が反応するのは、かつては《美文的小説》の書き手でもあった田山花袋が、根本のところで技巧の才がなく、描写が下手だからであるからかもしれない。
(略)
『露骨なる描写』の田山花袋は、まだ旧文体の呪縛に引きずられている。旧文体に引きずられることによって「小説が下手」になっているのだが、それを克服する方法は、もちろん「文体を新しくする」などということではない。従来的な文体に引きずられている「自分」にメスを入れることで、その田山花袋によって、日本の自然主義は「我が内なる放置されたままの自然」を発見する、独特なものになって行くのである。
 「お手本のないところから創造を始める」というのは大変なことで、その試行錯誤のプロセスそのものが、「創造の歴史」と言うべきものである。近代日本の文学史を、主義や理論で解明しても仕方がない。それは、主義でもなく理論でもなく、ある時期に書き手達が「自分」というものを発見してしまったことから始まるようなものなのだ。

情熱の田山花袋が訴える「この恋が実らぬ理由」はとりあえず「貧富の差」

「恋する自分の正当性を求めて、堂々たる論陣を我が身に張る――それをしなければ、恋をしがたい人間は恋に近寄ることさえも出来ない」ということが忘れられたために、「ストーカー」とか「つきまとい」というような「沈黙の恋」が生まれてしまったのかもしれない。
(略) 
「ああ、自分はだめだ。自分には恋する資格なんかないんだ」と思い込んでしまえば、そう思い込んだ人間は、思いつくままに「自分の欠陥」を掻き集める。それは、「貧富の差」でもあるし、「満足出来ない自分の容姿」でもあるし、「自分の小心さ」でもある。なんであれ、「自分はこの恋の当事者になる資格がない」と思い込んでしまえば、それまでである。ないのは「恋愛の当事者になる資格」ではなくて、ただ「恋愛をする能力」なのかもしれないのに――。

田山花袋のこの頃のテーマは、「恋をしたい、恋を得たい」ではなく、「自分の胸に宿る恋への思いを正当化したい」なのだ。

『わすれ水』の主人公は令嬢に片思いし、その地を離れ二十年、バツイチとなって戻ってきて零落した令嬢と再会、なんと女は男を家に誘い一夜を明かす。片思いじゃなかった!

いい年をした男と女で、結婚もしているから性体験もあって、二十年も思いつめていた二人が再会して、「あなたも私のことを思っていて下さったのですか!」ということになれば、泣くだけではすまなかろうとも思うが、この二人はどうもそうではないのである。(略)
[翌朝、二人はなにごともなく別れる]
「二十年間、私はあなたのことを思い続けていました」「私もです」という告白は、なんのためにされたんだろうかと、現代人の私は思ってしまうが、田山花袋はそう考えない。そう考えないのは、この小説が「相手のことをひたすら激しく純粋に思い続けていた青年が、ずっと後になって、その相手も自分と同じように思っていたということを知る、恋愛小説」だからだ。田山花袋のこの頃のテーマは、「恋をしたい、恋を得たい」ではなく、「自分の胸に宿る恋への思いを正当化したい」なのだ。
 明治二十九年、『わすれ水』を書いた二十六歳の田山花袋は、まだ独身だった。田山花袋が友人の妹と結婚したのは二十九歳の時で、真面目な彼は遊廓通いなどということはせず、結婚のその時まで童貞だった。『わすれ水』を、恋に憧れて悶々とする二十六歳の童貞の男が書いたものと理解すれば、謎は解けてしまう。

 主人公が去って行く理由は一つしかない。「ああ、私の青春の日のつらい思いは無駄ではなかった。しかし、その青春の日はもう終わってしまった」である。明からさまには言わないが、鐘一と彼を書く田山花袋は、中年女になってしまった礼子には関心がないのである。二十年たって中年女になった礼子が登場して来るのは、「昔の鐘一の思いは、一人よがりのものではなかった」ということを証明するためだけなのだ。だから、鐘一を見つけた礼子は積極的になるが、鐘一の方はそれほどでもない。どうやら何事もなく一夜は終わって、鐘一は泣きながら去って行く。この涙はどうあっても、「私の青春は終わってしまった」の涙である。二十六歳の田山花袋は、原稿用紙の中で、「私の青春はそうして終わったのだ」と思って泣いている。

うわー、もう疲れた。明日につづく。