吉本隆明が語る戦後55年・第二回

「日本の歴史ブームをめぐって」(2000年)

 最近はいわゆる進歩的な人たちにも、「日本」に対する関心が強いらしくて、「このままでは日本が滅びる」みたいな発言がけっこう目立つようになってきました。これはとても興味深いことで、実は似たような状況が戦前にもあったんです。(略)
 ちょうど日本国が太平洋戦争に入るか入らないかという時期です。当時の進歩的な人たち、つまりロシアのマルクス主義の影響を受けている人たちが、いつの間にか、今と同じように「日本の問題」を盛んにいい出したんです。
(略)
 その当時、労働組合は統合され、労働者はみんな産業報国会に編成されて生産現場で働いたわけです。左翼系の文学では、労働者文学といった形で主題に重きが置かれていた時代ですから、そこで彼らは生産文学ということをいい出したんです。ようするに、労働者が生産している現場を、主題として労働者を扱うんだというわけです。それは労働者文学の延長だからいいんじゃないか、みたいな感じで生産文学というのをやっているうちに、だんだん戦争に入り込んでおかしくなっていったんです。それがはじまりです。
 そこから、軍需品を生産している現場の労働者を肯定的に描かなくちゃならない、といった感じになっていくんです。そうなると、これはもう同時に戦争を肯定的に描くことになりますね。軍需品の生産も現場の労働者の生産に変わりはない、だから軍需品の生産だって、それは労働者の生産行為として否定すべきではない。ロシアのマルクス主義的な人たちや共産党員たちはそう考えていったわけです。
 こうしていつの間にか、右から左まで戦争一色になっていきました。僕らの年代はそんなふうに戦争一色になったあとに、青春期の自我の目覚めを体験していくわけです。
(略)
[シモーヌ・ヴェイユが]共産党員がどんどんナチの党員になっていくのをつぶさにみていて、そのことを書いています。日本にも同じ現象が起きていたわけです。
 それじゃあ、日本ではいったいどういうことでそうなっちゃったんだろうかということです。
 まず日本では、貧困な農民たち、とくに東北農村の疲弊をどうやって救済するかということが、右翼や軍国主義にとっては重大なテーマだったんです。(略)
 ここだけを取り出せば、左翼も右翼も区別ができないんです。
(略)
 たぶん共産党員から右傾化していった人たちも、そこでやられたんですよ。文学でいえば、労働現場の人々を描くことで戦争を肯定的に捉えていったのと同じです。そういうことをやっているうちに、いつの間にか、左だったのが右になっていったんです。なぜかといえば共通だからです。ラジカルな軍国主義とラジカルな左翼は同じなんです。
 その共通なところをテコにすれば、すぐ左から右へ移れるわけです。実際にその通りになりましたけど、戦後になって顧みると、その状態はヨーロッパよりひどいと思います。
(略)
 ヨーロッパはそんな時でも、市民社会はかなり強固に成立しています。文学でいえば、トーマス・マンのような市民的な文学がちゃんとあるわけです。右でも左でもない社会人としての生活感覚、恋愛や人間関係の葛藤といった問題がとても成熟していましたから、社会のそういう部分が緩衝地帯になっていました。
 日本では、緩衝地帯があっても少ないんです。戦争中は誰もが軍国主義的な主題に移っていきました。

歴史の進歩

 マルクスは、歴史の進歩は経済的な制度が中心にあって、そこが一番わかりやすくて、そこを見ていけば歴史はだいたいわかるんだと考えたと思います。それじゃあ進歩の証は何かといえば、マルクスは生産手段だといっていると思います。生産手段の発達史が、文明の発達史だという考えですね。
 ヘーゲル歴史観は違っていて、結局、人類はどう発展していくのか、どう進歩してくのかという問題を詰めていけば、人間には各時代に生きている現在形のところで、誰もが描ける理想世界のイメージがある。そのイメージにどんどん近づいていくのが、人類の進歩、歴史の進歩だと考えているように思います。言葉でそうはいってなくても、そういうふうに理解できると思います。
 そうすると僕には、ヘーゲルのほうがまともじゃないかと思えるところがあるんです。つまり、制度や体制を非常に重く考え、人類が理想としている体制や制度に近づくことが、歴史の進歩を表す目安なんだという考え方は、僕には捨てがたいんです。

  • [第二回]戦後文学と言語表現(1995年)

『言語にとって美とはなにか』

はお読みになればわかるように、主題主義を徹底的に否定しています。主題が倫理的であるとか、道徳的であるとか政治的であるといったことは、文学としてはまったく問題にならない。そんなことは評価の基準にならないと、明瞭に言い切っちゃっています。

[大江健三郎ノーベル賞受賞講演での川端康成批判は]
僕らの文学論からいうと、「大江さんの文体と主題主義では、川端康成の作品はわかりませんよ」ということになります。どうしてかというと、大江さんは「川端康成は主題主義的に伝統主義で駄目だ」と思っているわけです。でも、そういう評価はナンセンスです。もう一つ、大江さんの作品の文体の問題があります。大江さんの文体は、日本語を欧語文脈で使う文体だと思いますが、この文体をもとにして文学作品を評価しています。それだと、川端康成の言葉は本当はわからないと思うんです。川端康成の作品は一見すると、感傷的で、ロマンチックな保守作品だという評価で済んでしまいそうですけれど、よくよく読めばわかります。この人の文体には日本語の伝統的な無意識がちゃんと働いています。
(略)
[『古都』は]新聞小説のスタイルをとった通俗的な作品ですけれど、ちゃんと読みますと、我々の無意識にまで届くような一種の文体の粘着力が読み取れます。そうなると「これはいい作品だ」といわざるを得ません。今の段階では、これは印欧語への翻訳では伝わりません。ですから、大江さんのような文体で小説を書く人には評価できるはずがないんです。

「記録芸術の会」のもつ政治的意味の重要性

 理論的に言いますと、花田清輝は「記録芸術というのは社会主義リアリズムに至る前段階だ」という観点をもっていましたから、花田清輝にとっては意味をもっていたのでしょう。けれど、僕らは「こんなもの駄目だ」と思っていましたから、そういう意味ではちっとも重要だと思っていませんでした。
 でも、「記録芸術の会」のもつ政治的意味はすごく重要だったと思っています。つまりこれは、花田清輝日本共産党と強いて対立したり、分裂したりしないで、しかし、最大限、日本共産党文化政策、文学理論を否定し、自分の文学論を主体にした上で、大同団結を図ろうとした初めての試みです。(略)
日本共産党的な文化理論や文学理論がたとえ壊滅しても、自分たちが受皿として全部包括してやれると、花田清輝はたぶんそう考えていたんだろうと思います。相当大きなモチーフをもっていて、それが成り立っていたら、とても重要な政治的意味をもったのではないかと思います。