福田恒存の「大衆」論、インテリ批判

呉智英吉本隆明批判本で「吉本大衆神学」とかいい加減な事を書いているから福田恒存を読んでみた、第二弾。
福田は「大衆」についてどう書いているか。
(入力が大変なので旧漢字を新漢字に、ついでに旧かなも勝手に変換しちゃいました。他意はないので福田ファンの人は怒らないで下さい。)

福田恆存全集〈第2巻〉

福田恆存全集〈第2巻〉

 

「二つの世界のアイロニー」(1950年)

 ただぽかんと口をあけて待っている大衆、あるいはインテリ大衆がいる。いっぽうにその口のなかに解説をほうりこむ啓蒙家――かれは自分だけが知っているとおもっている。
(略)
かれのまえには不可解の壁がない。壁は無智な民衆のまえにある。その壁をとりはらってやるのが自分たちの義務だと考える。もっともらしいうそだ。かれらが理解しているつもりの現実の概念には、ひとつの重大な要素が脱落している。それは、かれらのいう現実に対処し、そのなかにうごめいている、そしてその現実のすがたを理解していない民衆である。この民衆をも含めて、さらに自分自身をも含めて、これを現実と呼ぶならば、現実を真に理解するとはどういう意味をもつであろうか。自分だけがわかっていて、自分のまえに壁がないとおもいこむのはまちがいで、民衆が現実を理解していないとすれば、まさにその事実こそわれわれにとってわれわれの理解を拒み軽蔑する壁なのだとなぜ考えないのであろうか。われわれは自分だけがさきに理解していることを民衆に教えるのではない。民衆も自分とおなじように理解してくれなければ、われわれは真にわれわれの現実を理解しえたとはいえぬのである。
 そういう意味における理解の場に、はじめて表現の世界の自律性がうちたてられる。表現の世界の自律性とは、表現が行動を牽制し、干渉することではなくて、表現自体が行動性を獲得することである。いや、そのときはじめて表現が行動を牽制し、指導しうる。表現自体が行動性を獲得するとは、それがわかった結果の伝達であることをやめて、わかろうとし、わかるための行為になることにほかならない。

「文学者の文学的責任」(1951年)

 誤解しないでください。ぼくは再軍備をすすめているのではありません。知識階級の意図と民衆の心とが、いつもどうしてこう食いちがうのだろうかと反省しているのです。さらにぼくは知識階級のひとりとしてこう考えるのです。なるほど知識階級は西欧派をもって自任しています。が、それは平和のときだけではないでしょうか。平和のときにおいてのみ、かれらは西洋と手をつなぎ、民衆を軽侮するのです。戦争中をごらんなさい。ひとたび西洋と手が切れると、どうしても民衆に合体せずにはいられなくなるのです。もちろん、西洋と断絶し、日本の民衆から離れて、レジスタンスに終始したひとたちもいます。そして、かれらは戦争が終わると、軍閥を攻撃することによって、民衆の代弁者として現れました。共産主義者自由主義者もその点ではおなじです。が、民衆はなかなかかれらについていかない。そのはずです。ひとびとは、かれらの背後に西洋とのつながりを――ソ連、あるいはアメリカとのつながりを――見ていたし、心の底では自分たちにたいする軽蔑をかぎとっていたからです。それはなにも啓蒙家の表現が平易懇切でなかったからではありません。
(略)
西欧派としての知識階級は平和のときでなければ、自己の存在が危うくなるのです。革命も戦争もかれらには向かない。そのいずれにおいても、一見、民衆はその基本的人権を蹂躙され、指導者に利用されるだけのようにみえながら、じつは民衆こそその主体であるからです。かれらは生命の危険にさらされながら、自由であります。というのは、どちらにも適応しうるということです。アメリカの手さきにもなれるし、ソ連の賛美者にもなれるのです。知識階級はそうはいかない。

「知識階級の敗退」(1949年)

ぼくはむしろ戦争からこのことだけを教えられたといってさしつかえない。ファシズムだの、帝国主義だの、コムミュニズムだの、政治的関心の必要だの、その他くさぐさのことはまえからわかっていました。わかっていながらどうにもならなかった。そのどうにもならない自分の本質と、知識階級の性格と、日本の社会的現実とを、戦争を通じてはっきり、まざまざとおもいしらされたのであります。しかも、そういうものは、八月十五日とともにいっぺんに改まるものではない。(略)
 ぼくのできたことといえば、知識階級一般にたいして、自分たちの現実を、日本の知識階級の特殊な立場を、なにものにもとらはれずに直視しようではないかというのがせいぜいでありました。ぼくは自分もそのひとりとして知識階級の心理的現実を変革しようと意図したのです。(略)
いっぽう一般大衆を相手とし、これを教育し指導しようとこころみる啓蒙家たちがおりました。ぼくはそのひとたちに反動と呼ばれたのであります。(略)
とにかく、戦争中にいちばん無力だった知識階級が、ひとたびその無力を反省することばを口にだしさえすれば、その瞬間にたちまち民衆を指導する資格を獲得しうるという妙な現象がおこったのであります。

 日本の知識階級くらい不幸でみじめな人間はありません。精神の自律性という観念も、またその絶望的無内容という観念も、すべてヨーロッパから来たものであります。それが舶来のものだからうそだというのではありません。問題はつぎのことのうちにあります。もともと精神の自律性という課題のうちに知識階級の足場があるわけですが、このことは今日では知識階級の一般大衆からの分離という危機を招来し、精神と肉体との乖離という課題となって手もとに戻ってまいったのであります。それはいい。しかし、この課題が観念の問題として日本に輸入されたとき、精神と肉体との乖離ということそのことさえ、われわれの肉体から遊離しているという事実におもいいたらねばならないのです。知識階級が一般大衆から遊離しているばかりでなく、そういう自覚そのものが日本の風土からはすでに遊離しているのであります。不幸だというのはそのことです。
(略)
民衆は無智であるかもしれないが、かれらにはかれらの知恵があって、それが知識階級の弱点をちゃんとつかんでいるのです。解決してくれなければ、そっぽをむくのは当然です。同時に、民衆にそっぽをむかれても、容易にふたをあけてくれぬ疑問に固執するのが、知識階級の特権でもあります。

「理想人間像について」(1947年)

近代ヨーロッパでは、明確な理想人間像の把握がプロテスタントたちをして現世否定を敢行せしめた。(略)
封建的な悪を否定しようという気なら否定しうるだけの資格をもてという声が、つねに頭上にひびいていたのだ。(略)
が、この根拠を自分のものとするモメントをついにもちえなかった近代日本の作家たちは、自我を確立しえたとおもった瞬間に、その驕慢を、人間の名において、ほかならぬ封建性そのものに否定されねばならぬことになったのである。いいかえれば、私小説を通じて、かれらは封建的な現実に組み伏せられ、のみならず、かれら自身のうちの封建気質に気づいた瞬間、その自我の尊厳はかれらの眼前にがらがらと崩れさっていったのだ。しかも、確立しえたとのみおもいこんでいたかれらの自我を支えていたものこそ、まことに封建的なるものそのものであり、いまはおなじその封建性によって自我を否定されることになったわけである。

「白く塗りたる墓」(1948年)

 ぼくの言辞が、いわゆる進歩的インテリゲンツィアに、ひどくいらだたしい反発感をおこさせるということを、ぼくは最近ようやく知った。
(略)
 インテリゲンツィアばかりはぜったいに存在を許してはならぬ。たとえ暴力を用いてもこれを抹殺しなければならぬ。自分のうちに多少ともそのエレメントがあるとすれば、あくまでこれとたたかわねばならない。インテリゲンツィアとしての自己を完全に払拭してしまうこと――考えてみれば、他人にたいするぼくの攻撃の一切は、この自分のうちのインテリゲンツィアにたいする憎悪と反発とから生じたものにほかならない。

 自分のエゴイズムを信頼するがよい。近代自我の確立などといってはならぬ。それは一種の精神主義でしかない。この精神主義に乗じて日本のファシズムは自己の勢力を伸張した。国民のひとりひとりが自分の肉体的なエゴイズムにめざめ、生命の本能を信じきっていたならば、戦争はけっして起らなかったのだ。民衆の愚劣をいう必要はない。日本のインテリゲンツィアこそ、自分の生命欲を信じきれずに戦争に反対する理由もがなと、つまらぬ論理の助けを探し求めていたのではなかったか。

「民族の自覚について」(1949年)

まさか戦争中の民族主義にもどってしまったわけではありますまい。そういうと、今日の《民族の自覚》はあくまでインタナショナリズムとデモクラティックな社会意識とにもとづいたものであり、またそれに道を通じているものだと答えるにそういない。しかし戦争中の民族主義だって、いちおうはそういう弁解を用意していたのですよ。もちろんデモクラシーなどという英語はつかわなかったが、そのかわり一億一心というりっぱなことばがあり、インタナショナリズムなどとしゃれたことはいわなかったが、やはり八紘一宇なんて面倒くさい漢語をふりまわしていた。
(略)
もしぼくたち日本人に《民族の自覚》が必要であるとすれば、それはぼくたちからロブスンのような人気歌手やツーサンのような英雄をだすためではなく(略)
もっとわかりやすくいえば、法隆寺万葉集や実朝や天皇東条英機やそういうものによってはじめて、自覚される民族主義ではいけないということです。東条英機はもちろん、湯川秀樹古橋廣之進にわが民族の誇りを仮託してもなりません。
(略)
 ぼくたち日本人は、なかまのうちから今後ひとりの世界的なチャンピオンをださなくともよろしい。どんぐりばかりでけっこうです。ただそのさい必要なことは、どんぐりもまたひとりの人間であり、英雄や天才とおなじ権利をもつという個人の自覚であります。独裁者や資本家にたてつくばかりが能ではない――英雄や天才の専制下から普通人を解き放つこともまた革命であります。あやまちばかり犯し、暖衣飽食しか考えていないのが大衆のつねであり、そういうかれらをそのまま肯定してやること、それ以外に個人の自覚はありえません。
 アメリカのデモクラシーがそこから出発していることを見のがして、リンカーンルーズベルトエジソンの存在にのみ眼をうばわれているのは笑止であります。占領軍のオプティミズムに軽蔑の眼をむける、日本のインテリゲンツィアこそ軽蔑されてしかるべき存在なのです。もし、アメリカの民衆が趣味ひくく、教養にかけているとすれば、それをも自己の組織のなかにこなしているという事実のうちにこそ、デモクラシーがあるのです。

「観念的な、あまりに観念的な」(1949年)

というより、しろうとにすぎぬぼくであればこそ、巨視的世界観としてのコムミュニズムはぜったいに疑いえぬ真理として納得できるのであります。ぼくばかりではない、左翼のひとが反動と見なしているインテリゲンツィアも、またかれらが無智とたかをくくっている民衆も、それだけは実感しているのだとおもいます。が、巨視的世界像はあくまで観念的なものであり、ぼくたちはそれをあまりに当然なるものとして、今日の現実を生きる目的とはなしがたいのです。観念は巨視的でありましても、現実は微視的な世界のものであります。そして戦後の日本人の政治的現実は、そしてぼくたち個々人の欲望の生理は、まことに微妙をきわめ、微視的な観察と操作とを必要とするものなのではありますまいか。

 ぼくたちインテリゲンツィアはすぐに資本主義か共産主義か、アメリカかソヴィエトか、国際主義か民族自主か、暴力革命か平和革命か、戦争か平和か等々の二者択一でものを考えたがるくせがあります。それが観念的だというのです。なぜなら、いつでも問題はそういうぐあいにみずから設定しておきながら、いざ抗しがたい現実の力に出あうとまことにたあいなくどっちつかずの遊泳術で切りぬけ、そのあげくあとになると自己批判だの戦争貴任だのと、ふたたびおもいつめたものの考えかたにとりつかれるからであります。観念的だからそうなるのであり、そうなることが観念的なのであります。
(略)
米ソもしたたかわば、その間に処してふたたび浮びあがろうという気もちが動いていることはたしかです。が、民衆とはそういうものなのです。ぼくは民衆を軽蔑しているのではない。軽蔑も尊敬もしておりません。ただ民衆とはそういうものだという事実を述べているだけにすぎないのです。
(略)
日本の民衆にかぎらず、ソヴィエトの民衆だって、あるいはアメリカの、イギリスの、フランスの民衆だって、世界中どこの国の民衆にしても、そのくらいのことは考えるものです。いや、そのくらいのことしか考えはしません。ぼくはそういうかれらを信頼しております。かれらは戦争など欲してはおりません。ナチス・ドイツの民衆にしても戦争を望んではいなかった――かれらはただほかのなにかを望んでいて、それが戦争によってかなえられると教唆されたがゆえに武器をとってたたかったのです。悪いのは独裁者です。そして独裁者の出現を可能にする現実です。