吉本隆明「思想的弁護論」執筆理由

呉智英吉本隆明批判本で「思想的弁護論」を例によっていい加減に分析して「おかしな思想を説く人」などと書いている件を後日検証するので、鶴見俊輔による「思想的弁護論」のまとめと、どのような状況で書かれたか竹内好との対談より。二つとも下記本に収録。

(87年刊「吉本隆明全対談集1」(青土社)にも収録されてるのだけど、アマゾンにはない、何故だ。)


まず吉本をどうしても矮小化したいらしい呉のために、1967年の吉本と鶴見俊輔の対談「どこに思想の根拠をおくか」の冒頭、鶴見が「思想的弁護論」を要約したものを引用しておく。鶴見の要約と自分の見解を比較して赤面して欲しいね、呉さんにはw。

鶴見 (略) 吉本さんはここで、六月十五日の全学連の国会突入をどう思想的に理解し、評価するかを単純明快に出しておられる。この事件を国会突入の行動の局面だけに限定してしまえば、そこに行きすぎがあったかなかったかという問題に焦点が移されて、この一点では市民的知識人と検察官側は同一だといわれる。どんな思想でも、それを行為のレベルに還元すれば、非常にこっけいな卑小なものとしてしかわれわれの前に現われてこないものなのだ。思想と行為を分断して、あの小さな突入の行動にだけ焦点を合わせるところに、あの行動の意味をとらえそこなうきっかけがあるのだ、そこから計算が全部はずれてくるという指摘があります。
 では、国会に突入し、構内で抗議集会を開いたという行動そのものには、どういう意味があるか。憲法にはすでに、国家公務員というのは全体の奉仕者であって、一部の者の奉仕者であってはならないという規定があるけれども、そこで公務員がこれを踏み破って、抗議集団を弾圧することに対する抗議の表明、そういうものとして、国会突入という行動には意味があるんだ、これを単なる行きすぎとしてとらえるような市民主義者や左翼の集団というのは、たとえ、国会突入について弁護をするにしてもここで悪しき同伴者に転化しているのだと指摘されています。
 つぎに、ここへ参加した吉本さん自身の対応の仕方ですが、ここでこういう行動に加わることで、自分は命を失うかもしれない、この行動によって達成できる政治的な成果は、実現された革命というものじゃなくて、たかだか岸首相の退陣と、安保批准阻止、その程度のものである。自分の命とひきかえにするだけの値打ちがあるかと考えて、とまどってしまう。このとまどいのなかにすでに安保闘争の敗北があった。敗北は、警官隊が圧倒的な物量で押しよせて、われわれが退いたという、物理的な行為のなかにあるのではなく、自分の命とひきかえにはできないという結果の評価のなかにすでに敗北の姿があった。これを思想的な問題として見据えて、自分はじっとこのなかに立ちつくす、そしてこの問題をかかえて生きることが、あれから七年後の今日でも、日本の状況の中でもっとも本質的な問題なのだ。(略)いまベトナム反戦などということで、人集めのできるような状況に移って闘争をやってゆくというのは、闘争ではないのだ。観客のまったくいない七年前の国会突入の思想が、なぜ思想として敗北したかという問題を自分の問題として、そのまま貫いて前へ進んでゆこうとする姿勢だけが、今日の状況全体に本格的に立ち向かうことができる。これを煮つめていくと、この中に一種のユートピア的な志向があって、その最小単位が自立の思想である。これは、国家の内部にあって国家と対峙する視点である。この思想は、人間とはどういう存在か、人間の精神はどういうものかという考察に根ざし、そこからわれわれに実行可能な生き方の理論を構築していかなければならない。そういうことで、吉本さんはその基礎論を言語表現論と心的現象論で深めていくというふうに理論を展開してこられたと思います。
 どうも、正確に要約できたかどうかわかりませんが……。

1968年の竹内好との対談「思想と状況」から。
「思想的弁護論」が書かれた経過。

吉本 (略)六・一五の裁判について僕が積極的に関与する意志は、まったくなかったわけです。ただ六・一五の被告も、年月を経ているうちに、またばらばらになって、それぞれの考え方に対立も起こってきました。それから環境が違ってきました。自分の組織がなくなって、どういうふうにしていいかわからないとか、あるいはどうやって生活していくか、学校に復帰していくべきか、いろいろなものがからみ合ってばらばらになってきたわけです。そのなかの一人の被告で、この人は共産主義者同盟の幹部だった人ですけれども、六・一五の法定弁護人の弁護の仕方に不満で弁護人を拒絶するという立場をとった人がいて、その人から個人的に依頼されてやったわけです。そのかわり保留条件として、俺の言いたいことは全部言わしてくれ、それがたとえあなたの弁護にとって不利になるかどうかはべつにして、とにかく俺にも言いたいことがあるから、言わせてくれるかと言いますと、それはまったくかまわないということで引き受けたわけです。

竹内 被告団じゃなくて……。

吉本 ええ、一被告人の依頼において、一被告のためにそうしようということで、草案を作ったわけです。それで、これも訂正しなければなりませんが、特別弁護人というのは認めがたいということで、却下するということになったわけです、ただしそれを僕に依頼した被告の法廷陳述として言うのならば、採用するということでした。それが真相です。そして、法廷で被告が自分の意見陳述の第二部という形で、僕の草案を読んだというわけです。だからそういう意味では、六・一五事件全体に対する弁護というものは、最初から僕のほうで放棄しているわけです。なぜ放棄したかといいますと、もう意見が全部ちがってきておりまして、僕がみていても、僕が賛同し得る意見を持っている被告というものは、それほどいなくなったという形でした。六・一五事件の特別弁護人というふうに自分を擬することははじめから放棄して、一被告のためにというふうなことに限定したわけです。その限りでは、できるだけそこに含まれている思想的な問題を出そうと言うわけで草案をかいたわけです。

[同じ反体制なんだし、六・一五は全部いい、でも共産党主導のハガチーデモは全部悪いとするのはどうなのよという竹内に対し]

吉本 (略)政治行動というものは、たとえばある場合にとても批判的である部分と手を結んだり、また離れてみたり、あるいはまたけんかしてみたり、そういうことではその状況に応じたさまざまなやり方といいますか、そういうものはあると思うのです。ただ僕の考えでは、思想というものはとても細々とした絶対それ以外にないのだというような道を作って、そういう道しか通れないので、思想というような次元ではやはり細々とした道のみが、どこかに到達するかもしれないのだというふうに考えていくより、仕方がないんじゃないかということがあるわけです。それは政治的な行動というものの現場で起こる問題とは、次元が違うことであって、思想というのは細い道しか通れない。通る限りは、それを最良のものとみなして通るということでしょうね。その場合は、それ以外のものは、存在しても存在しないかのごとくすすめていく以外に、仕方がないんじゃないかという考え方があるわけです。それでその草案も思想的な弁護論というふうに銘打ったわけなんです。それがたとえば竹内さんの言われるように、実際の法廷技術としてはたして有効なのか、政治的な行動の問題として有効なのかというような問題になりますと、そういう面での批判というものはあるかもしれないのですが。