吉本隆明、死後の評価

呉智英は、なーんだ「関係の絶対性」は「関係の客観性」てことかと、書いてるけど、それでいいのかねという話を後日やるけど、その前に、他の人はどう評価してるかザクっと引用。

エス親鸞安藤礼二

 吉本隆明は「マチウ書試論」の最終章で、「人間と人間との関係の絶対性」と書き残している。しかし、この一節は、「相対性」のなかでしか生きられない人間が、それでも「絶対性」を希求したときに一体どのような激烈な矛盾が生じてしまうのか、さらにはその矛盾をどのように引き受け、どのように生き抜いていけばよいのか、つまり「相対性と絶対性との矛盾のなかで生きつづける」人間の生の条件を模索した言葉として理解する必要がある。吉本隆明にとって、「関係の絶対性」と「絶対との関係性」は一つに重ね合わされなければならない概念だった。『最後の親鸞』に至っても、吉本隆明は、親鸞が解体すべく立ち向かった浄土教のラディカリズムを、「いかにして相対的な関係としてしか存在しえない人間に、絶対的な自己抹殺の観念が宿りうるのか?」と定式化している。
(略)
 真如にして法身、あらゆるものを消滅させる空無にしてあらゆるものを生成させる自然。人間を深く蝕む幻想が消滅する地平であり、永遠の絶対的な世界の実現に向けて現実の相対的な世界を転覆してゆこうとする革命のラディカリズムが消滅する地平でもある。しかし、吉本隆明は、「信」の解釈者としての親鸞が可能にした知の場所にとどまっているわけではない。そこから「信」の実践者としての親鸞が晩年に到達した〈非知〉の場所にまで降りていこうとする。

「関係の絶対性」に殉じた思想/大澤真幸

 ここで吉本が提起しているのは、「思想の相対性」の問題である。思想の正しさ、思想の普遍的な妥当性に対して、いかにその思想を唱える当人が強い信を覚えていたとしても、そのこと自体は、妥当性をいささかも保証するものではない、というわけだ。
(略)
敗戦時、20歳だった吉本は皇国思想の妥当性に確信をもっていた。それが、戦後、誤りであるとして退けられるのだが、それならば、新たに与えられた思想の妥当性はどのように保証されるのか。もはや、それは、内的な確信ではありえない。かつては、「誤った思想」に関してこそ、確信を抱いていたのだから。
 この思想の相対性に抗するものとして吉本が提起した概念が、「関係の絶対性」である。
(略)
 第ニのタイプの転向者も[引用者注:これについてはこっちに→(kingfish.hatenablog.com)]、つまり一見思想を一貫して保持したかのように見える人々もまた転向したとされる根拠、それこそ「関係の絶対性」という視点の欠落にほかならない。彼らもまた、日本の現実という社会的な関係性の中に内在していて、そこから逃れられるはずがない。ほんとうは、関係は絶対的に彼らに取り憑いているはずだ。にもかかわらず、彼らは、その外部に超然としているかのように思想を語り、書いたのである。彼らがその「思想」を貫くことができたのは、その「思想」が、自分自身が内在している関係から遊離していたからである。そのような思想は「思想」に値しない。これが、吉本の考えではなかったか。
(略)
  思想の普遍的な妥当性は、もちろん、思想が、それが生まれる関係の特殊性を超えることを要請している。しかし、そうした超越は、関係の内側から、関係の絶対性を全面的に引き受ける形式でしか可能ではない。これが吉本隆明の認識ではなかっただろうか。

大衆の玄像/最首悟

 「関係の絶対性」とは、「関係のみ」ということである。「関係の絶対性」が「人間と人間が強いる動かしがたい関係」の言い換えであるはずがない。まして「観念の絶対性」でもなければ「関係の客観性」でもない。言った本人が後になってそういう注釈をしたとこちらが受け取って、「関係の絶対性」という異様なショックを与える概念を、言った本人から切り離したいということを「「関係の絶対性」についての網想」で書いた。「関係のみ」とは「関係ということの絶対性」である。さらに言いかえると「つながりがあるということの動かし難さの究極」ということになる。

共同幻想論』はどういう書物か/橋爪大三郎

日本思想史のなかにこれを位置づければどうか。(略)
[小林秀雄本居宣長』の雑誌『新潮』への連載開始は一九六五年六月。一九六五年十一月から雑誌『文藝』に連載が開始された『共同幻想論』と、同時期を並走する仕事である。(略)
その仕事[『本居宣長』]は、皇国史観がカバーする、神話的古代から幕末維新にいたる歴史の流れに重なるものとなっている。(略)
共同幻想論』はこれに対して、古事記に加えて遠野物語を配置する。遠野物語は、古事記よりも古い時代の共同幻想と相同であり、しかも天皇が出てこない点に特徴がある。すなわち、『共同幻想論』は、神話的古代から現行権力にいたる歴史の流れを想定するのであるが、天皇制はその源泉にさかのぼるまえに途絶する。なぜならば、権力をになう共同幻想は個人幻想と逆立するから、もっとも古い時代の社会では天皇が不在であると結論できるからだ。遠野物語を配することは、吉本氏の構想にとってこのように必然なのだ。
 敵対仮説としてまた、丸山眞男を置いてみる。(略)江戸儒学については『日本政治思想史研究』、それをさかのぼる時期については『歴史意識の「古層」』を著した。丸山眞男の問題点は、皇国史観と正面から向き合っていない点にある。
(略)
 『共同幻想論』は、思想史研究に対して、民俗学を配置する。(略)民俗学には、日本社会の基層は天皇制に依存しない恒常的な民族同一性をもつ、という含意がある。この含意があれば、かりに敗戦その他の理由によって天皇制が廃絶されるとしても、日本の同一性は揺るがない。
(略)
共同幻想論』の後半の主眼は、『遠野物語』の世界(天皇のいない共同社会)を『古事記』の世界(天皇のいる政治社会)に接合し、前者から後者に、継ぎ目が見えないように、なだらかな移行の経路を描き出すことにある。ここでその接着剤となるのが、対幻想である。
(略)
歴史的古代から流れ下る天皇の政権の正統性は、天皇のいない原初共同体の幻想領域の力学から生成され、根拠づけられる。そして、出発点に想定される原初共同体には天皇はおらず、ただ人間の幻想領域に普遍的に妥当する命題(鼎立テーゼや逆立テーゼ)だけが成立している。この原初的な社会空間は、それ以上根拠づけられない、理論的な仮設構成体だ。こうして、皇国史観の時空間がそなえていた呪縛力は、幻想領域に関する科学的な命題群に解消されるのである。

[再録テキスト]情況とはなにか(抄)/吉本隆明

 現在にいたるまで、知識人あるいはその政治的集団である前衛によって大衆の名が語られるとき(略)現に存在しているもの自体ではなく、かくあらねばならぬという当為か、かくなりうるはずだという可能性としての水準にすべりこむ。大衆は平和を愛好するはずだ、大衆は戦争に反対しているはずだ、大衆は未来の担い手であるはずだ、大衆は権力に抗するはずだ、そして最後にはずである大衆は、まだ真に覚醒をしめしていない存在であるということになるのだ。
(略)
 しかし、わたしが大衆という名について語るとき、倫理的なあるいは政治的な拠りどころとして語っているのでもなければ、啓蒙的な思考法によって語っているのでもない。あるがままに現に存在する大衆を、あるがままとしてとらえるために、幻想として大衆の名を語るのである。
(略)