吉本隆明、オウムを語る

後日取り上げる呉智英吉本隆明批判本に「麻原を擁護して批判を浴びた吉本が腰砕けになって無差別大量殺人はよくないと言い出した」てなことが書かれているのだが、そうでしょうかということで下記本から引用。

「より普遍的倫理へ」

(1995年講演に加筆)

[ヨーガの瞑想法で]死を人工的に修錬によって作れるようになりますと、あらゆる仏教がそうであるように、死後の世界は在るという理屈になります。ちゃんとイメージできるんだから実在するという理屈になります。(略)つまり生であっても死であっても、同じように同じイメージで同じ手触りで同じ見え方で見えるし、体験できるんだから、生と死は同じじゃないかという観点になります。それは、やっぱりある意味で死を軽んじることになりそうです。ヒューマニズムと違ってアンチヒューマニズムと言いますか、死は何でもないことなんだと思いやすい傾向が出来あがります。これは仏教の全部がそうで、仏教の修錬は全部そんなもんだと僕は思います。ですからオウム真理教サリン事件と関係があるとすれば、この行為でもって少なくとも鎌倉時代以前までの日本における仏教の修錬の仕方が全部否定される要素と結びつきうることがはっきりしたと思います。いつだって殺戮と結びつけられるんだよ。それくらい死は軽いものなんだよっていう、その意味ではあらゆる仏教における僧侶の修行は、全部「無化」されたと解釈できると思います。(略)
[その中で、浄土系だけが壊滅を逃れていると何故言えるかといえば]
こういうことなんです。われわれ凡人には修行によって涅槃を人工的に作るところに到達するのは大変難しい。だから、その種の修行はしないでよろしい。ただ念仏を真心をこめて唱えれば浄土へ必ず行けるという教義です。(略)裏をとれば、こういうヨーガに類する修行は要するに幻覚を作ることにほかならない。幻覚でもっていくら浄土が見えたって、だからどうしたんだ。それだけじゃないかということになったと思います。そこで、その手の難しい修行は止めにして、ただ真心から念仏を唱えれば浄土、つまり極楽往生できるという教義に直したわけです。それはとても重要なことで、鎌倉期まで行われてきた日本の仏教の修錬は、ぜんぶ法然親鸞によって否定されてしまったと思います。
(略)
親鸞なんか特にそうですけど、修行なんかしたら絶対浄土へ行けないと言い切ってます。だから念仏だけでいい。(略)
日本の浄土教は、仏教を解体して人間の社会倫理に変えちゃったのかということになるんですが、僕はそうだと思わないんです。つまり法然親鸞とくに親鸞の言い方をとってみますと、人間がやる善悪の規模なんてのは、たいしたものじゃないんだという言い方をします。(略)念仏を唱えて向う浄土の善悪の規模は、はるかに人間の考えられる倫理的な善悪より大きい。だから、これに包括されれば、例えば親鸞の言い方ですと「善人だって往生する。いわんや悪人はなおさら往生する」ということになります。(略)人間は機縁がなければつまり、いきなり前にいる人を、「おまえ殺してみろ」と言われたって、それは誰にも殺せない、殺せるわけがない。ただしかし、たとえ殺したくなくても、例えば戦争が機縁になって百人千人殺すことだってありうる。(略)
[共同体社会の倫理による善悪より]もっと大きな規模の善悪ということです。そこに包括されていくものを普遍的倫理というふうにいえば、人間的に悪であることが善であるかもしれないし、善であることが悪であるかもしれないことがありうるということが「善人なおもて」の意味だと思います。

麻原

僕は麻原さんはヨーガの修行者としては大変よくやった人だと思って高く評価してきました。(略)
ヨーガ以外のことになると、とにかく素人のバカ話の次元を信じて裏づけにして自分の第三次世界大戦は不可避だという論理と結びつけてしまっています。(略)
これは、かつて大江健三郎みたいな反核文士が、どこそこには、核弾頭ミサイルの何型がいくつ並んで(略)[と自衛隊下っ端将校以下の情報で反核を唱えていたのと同様で]
アホらしくて聞いちゃいられないと、その時も思っていました。麻原さんの予言と第三次世界大戦不可避論は、それと同じレベルのものですよ。(略)僕は修行者としての麻原さんを考えると、とても残念な気がします。

産経新聞は間違っている」(1995)

「国家」という「宗教」やそれ以外の宗教は、その超越的な部分で、市民社会の規範を超えた部分を必ず形成している。別の言い方をすれば、市民社会の善悪の慣行に違反する可能性をいつでももっているものだ。たとえば市民社会の市民が、誰も生命を失いたいとも思わず、戦争をしたいともかんがえないのに、国法を介して市民を戦争に介入させ、生命を殺害させるような悪をなすことができる。
(略)
 わたしは市民主義にたいし終始批判的だが、市民一般に批判的であったことはない。新聞に投書などする人たちはどんな人たちか測り難いが、たぶん、市民から市民主義に移行する過程にある人のように受けとめている。だから市民主義に移行している部分の理念にだけ批判的にならざるをえないが、きみたちの仲良くしていて立派な市民だと思っている隣人や隣人の子が、家庭内暴力を苦にして子どもを殺害したり、逆に親が子どもから殺されてしまったとする。そうなったとき、きみたちはその隣人を手の平を返すように殺人者呼ばわりし、その家族にたいし隣に住んでもらいたくない、出てゆけとデモでもするのだろうか。わたしならそんな馬鹿な振舞いはできない。あの隣人もその子どももいい人だったが、そこまで追い詰められてしまった。気の毒だと言うとおもう。なぜかといえば、善なる人が情況によって悪を犯すこともあれば、他人や近親を殺害することも、ありうるからだ。わたしの人間認識ではこの可能性は人間性のなかに包括されるもので、例外などあり得ないとおもう。オウム真理教の教祖の宗教家としての力量を評価するということは、仲良くしていた隣人が家庭内暴力の息子を殺しても、あの人はいい立派な人だったというのとおなじだ。
(略)
わたしはオウム真理教の信者どうしの殺傷や外にむかっての殺傷に情状を酌量せよなどと一度も言ったことも書いたこともない。ただオウム真理教の殺傷の責任者であり、当事者(?)であるかもしれない教祖麻原彰晃を殺傷の故をもって宗教家としての力量を無視してただの殺人鬼に仕立て、オウム―サリン事件をたんなる異常な殺人鬼集団の殺傷事件であるかのように扱って済まそうとするマス・コミ、新聞、テレビの態度は、事件の本質を誤るばかりか、途方もない見当外れの方向に世論を誘導するスターリニズムやファッシズムにつながる危険なものだと思う。
(略)
たまたま地下鉄線で遭遇しただけで、何の関係もなく殺傷された人々の遺族や家族は、わたしを非難するだろうな、そのときは甘受して受けようと、はじめから心に決めてオウム―サリン事件に触れてきた。だがオウム―サリン事件の真の重大さにまったく触れようとせず、ネーム・バリューの周辺をうろちょろしているだけのマス・コミ、新聞や、それに便乗してしたり顔に正義派ぶった言辞を振りまいている知識人、ジャーナリスト、半市民主義の投書家の批判など受けつける余地はないのだ。
(略)
連合赤軍の殺傷行為がどんなに不当で法的に指弾されるものであっても、個々のメンバーの精神の動かし方は人間性の範囲内に真っ当にあるものだ。オウム―サリン事件もおなじだ。この事件がこれとちがうのは、規模の大きさと、無関係の民衆の殺傷行為という点だとおもう。これは連合赤軍事件を超えた衝撃をわたしに与えた。なぜなら特異な宗教理念なしには無関係な民衆を無関係と知りながら殺傷する行為はありえないとかんがえるからだ。

全共闘おじさんオウム・サリン事件を語る」に応えて

わたしは宗教や理念のもつ超越性を無意識のうちに〈善〉の方向にしか考えてきていなかった。またこの〈善〉を現存する市民社会に局限された意味では使ってこなかった。しかし麻原彰晃を教祖とするオウム真理教の宗教思想は、もしかすると〈悪〉の超越性がありうることを提起したのではないか。そこがまだわたしには麻原彰晃の宗教世界観の不明な部分だ。きみたちのいう〈善〉なる超越性は、おれの〈悪〉の超越性に包括されてしまうものだと彼が主張し、実行したのだとすればどういうことなのだ? そこが知りたいものだと、しきりに感じている。(略)
[人間は機縁がなければ一人のひとでさえ殺せないが、機縁があれば〜]
という人間性の問題をとらえた親鸞の言葉を、人類最高の言葉だと思ってきた。これは国家「間」戦争、国家「内」戦争、宗教や理念が組織として惹きおこす殺傷それから巷のどろどろした人間、近親関係の殺傷事件などすべてに、現在でも当てはまる生きている言葉だ。こういう機縁にまきこまれても、おれはそんなことしないと言いきれるものがあったら、他者を鞭うつがいい。
(略)
[浄土真宗学僧山崎龍明の批判は]
善悪の理解を源信の『往生要集』のところまで後退させてしまったのは明瞭だ。いいかえれば助業としてこの世の苦行に務めながら、称名念仏し、臨終のさいに仏像に五色の紐をかけ、臨終の念仏を称えさせるという、現今のホスピスまがいの宗儀を行った源信とおなじように、マス・コミと市民社会の無責任な〈善悪〉感にお辞儀をするために、教祖がせっかく発展させて人間性の真に迫ろうとした〈善悪〉観を退化させてしまったのだ。親鸞の〈善悪〉観を発展させてもっと普遍性のあるところまでつきつめていかなければ、これから先の社会の問題に耐えないという親鸞とおなじ課題を自分につきつけられないのなら、さっさと僧侶などやめてしまえばいいとおもう。

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