大蔵省の組織防衛による金融ビッグバン
[江田] 実は山一証券の経営陣が自主廃業を決意する過程というのが、いまでも不透明で、「あれは橋本政権を潰すための大蔵省の陰謀だったんじゃないか」という説も根強くあるんですね。(略)
1997年11月14日金曜日の夕方、野澤社長は大蔵省に出向いて、当時の長野庬士証券局長に再建策を報告に行っているんですが(略)長野証券局長は「山一は三洋証券とは規模が違う。バックアップしましょう」と明言したというんです。(略)
[ところが週明けの水曜にいきなり「自主廃業を選択してください」と通告された]
そこで私の日記を見ると、14日の金曜日、野澤さんが大蔵省に行ったその日の昼過ぎに、橋本総理は当時の小村武事務次官を官邸に呼んで、大蔵省の財政と金融の分離について最後の決断を伝えているんです。すなわち「財政と金融は完全分離する」と。まさに11月14日は、橋本総理が大蔵省にそれを通告した日だったんです。それから土日を挟んで、大蔵省の山一に対する態度が一変したわけです。(略)
この時系列的な符合があるために、「山一の自主廃業は大蔵省が仕掛けたクーデターではないか」という説が当時流れました。なるほど、山一を潰して金融恐慌を起こせば、財政出動と一体じゃないと金融行政はできないんだと世の中に身をもって示すことができる。
しかもこうした事態が起きる前の時点で、行革会議のある委員が大蔵省の幹部から言われているんですよ。「財政と金融が分離されるのならわれわれはテロをも起こす」と。(略)
もう一つ言えば、11月21日の金曜日というのは、行革会議の最終報告に向けた集中審議の最終日ですよ。終わったのが深夜2時半ごろ。それから総理会見が始まったわけです。その途中のことです。午前3時20分に日経が電子ニュースの速報で「山一証券、自主廃業」と流したのは。
[大蔵省記者クラブを通じて大蔵省が流したとしか考えられない]
(略)
[渡辺] 結局、このコール市場のパニックが、拓銀、そして山一へと飛び火していくんです。
もちろん、どちらも不良債権を抱えていた金融機関ですが、三洋証券の会社更生法申請だけなら拓銀、山一への影響ももっと軽かったはずです。むしろ大きかったのは、翌日のコール市場の混乱です。
なぜ大蔵省は、わずか10億円のデフォルトで混乱してしまうコール市場の問題点を放置していたのか。いくら金融ビッグバンとはいえ、コール市場の決済方式の不備を放置したまま、三洋証券の破綻処理を行うことは、金融恐慌の発生につながると予測できなかったのか。(略)
[江田](略)
なぜこのタイミングで榊原さんが金融ビッグバンを仕掛けてきたかについては、後に榊原さん本人も「大蔵省の組織防衛という意味もありました」と言っています。
つまり、金融ビッグバンを仕掛けることで、大蔵省の権限は縮小されるんですが、「肉を切らせて骨を断つ」的に、それによって「まだ大蔵省には、これだけ金融の世界でやることがあるんだよ」ということを身をもって示す。そうやって財政と金融の分離を回避していくんだという意図の下に仕掛けられたのが金融ビッグバンだったというわけです。(略)
私は金融ビッグバン自体はいつかはやらなければならなかった改革だと考えています。(略)
ただビッグバンを実施するタイミングの問題はいまも気にかかっています。喜美さんも言うように、大蔵省は不良債権の所在も量も把握しないまま、組織防衛のことを考えて無責任に金融ビッグバンを仕掛けてきた。その結果、三洋証券の破綻による、戦後初のコール市場でのデフォルトの発生ですよ。おっしゃるようにたった10億円ですよ。(略)
結果的に、三洋証券の破綻をきっかけに、コール市場でパニックが起き、もともと資金繰りに苦しんでいた拓銀が倒れてしまった。まあここまでは、さっき言ったように橋本総理も想定していた出来事でした。
だけど山一証券の自主廃業については、簿外債務の問題があったにしても、われわれ官邸サイドも想定しなかった。そして山一が破綻した結果、何が起こったかというと、徳陽シティ銀行など複数の地銀での取り付け騒ぎでした。
ただし、そのことは報道されませんでした。(略)メディアにも協力してもらい、報道を控えてもらったので表面化しなかったんです。
選挙の現実
[江田] そのとき私はまだ、「自民党は中から変えられる」と思っていたから自民党から出たんです。(略)
ところが実際に選挙戦を闘ってみて、それは無理だと痛感しました。
私が出た横浜の北部は東京のベッドタウンで無党派層が非常に多い。そんな地域でも、自民党から出た以上、まずやらされることは利権圧力団体のボス回りなんです。どれだけ当初の志は高くても、なんとか協会とかなんとか連合会のボス連中に頭を下げて回るうちに、どんどん自分が倭小化していくのがわかるんです。志を高く持って選挙に出たはずなのに、しがらみにどんどん足を取られて。特定郵便局長会に行ったときなんて、橋本政権で郵政民営化を進めていたはずなのに、ついつい特定郵便局長の前ではおもねるような発言をしてしまう自分を見つけたりして……(苦笑)。
それで、「これじゃダメだ」と痛感して、選挙後に離党したんです。
官僚言葉「真空斬り」
[渡辺](略)リーク、悪口、サボタージュに加えて、恫喝もありました。
大臣になって間もないころ、閣議の前に待合室で座っていると、官邸官僚のトップがツカツカと寄ってきてこう言いました。
「天下り規制は決着のついた話ですからね。これをこれ以上進めるとクーデターが起きますよ」
(略)
[江田](略) 官僚は「真空斬り」という言い方をよくするんですが、「規制する対象が存在しないから、規制できません」という論法をよく使います。それまで「押し付け的天下りは存在しない」としていたから、それを禁止することはできなかった。ところが、この渡辺大臣の書いた答弁書のお陰で、禁止すべき対象が突如、姿を現したわけです。
天下り
[江田] 若手官僚のころに将来の天下りのことを考えて仕事をしていたわけでもないし(略)
大部分の人間は「少しでも国や国民のために役立ちたい」と思って官僚を志していたんです。(略)
ただね、やっぱり40歳前後で管理職になるぐらいからかな。それまでは純粋に政策を考えて仕事をしてきたつもりだったのに、その年代になると、陰に陽に上のほうから圧力がかかってくる。たとえば「新政策をつくるんだったら、天下り先を新規開拓するために、団体をつくって、そこに専務理事のポストを確保しろ。専務理事の給料が要るから、補助金を出して、そこに人件費を埋め込んでくれ」とかね。そういった話が持ち込まれる。
そして、そういうことに長けた人間が、局長だ、官房長だ、次官だとどんどん出世していくんです。(略)
若手官僚で真面目な人ほど、むしろ「天下りを禁止してくれ」という人が多いんですよ。(略)
片山善博さんが自治省の固定資産税課長だったころ、租税特別措置の整理合理化で、鉄道会社の特別措置を廃止する案をつくったんだそうです。ところが、官房から嫌味を言われてしまった。「天下りポストがなくなっちゃうじゃないか」という趣旨のことを言われ、非常に嫌な思いをした。だから片山さんは、「自分は後輩にこういう嫌な思いをさせないためにも、絶対に天下りはすまい」と心に誓ったそうですよ。
人事院
[江田] [内閣人事局への事務の移管について、谷人事院総裁]があれだけ堂々と政府に噛みつけた背景には(略)バックに財務省がついているという安心感があったからだと見ています。人事院は確かに内閣や政治から独立している。けれど財務省からは独立していないという構造があるんです。(略)
人事院で級別定数を管理している担当課長が歴代、財務省からの出向者なんです。それから総務省の行政管理局の総括管理官といって、公務員の総数を管理する管理官も財務省出向者の指定席で、このポストは将来の財務事務次官コースとなっています。さらにいえば公務員の人件費の総額管理は、財務省主計局の給与共済課がやっています。
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