久里洋二、アトム、楢山節考

80歳を超えた久里洋二ツイッター本。

ボクのつぶやき自伝―@yojikuri―

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真鍋博柳原良平久里洋二による「アニメ三人の会」で手塚治虫がアート・アニメ『しずく』を発表した夜、ある男が見て欲しいものがあると話しかけてきた

 場内が暗くなって、大きなスクリーン、シネスコで、突然、鉄腕アトムが空を飛んでいる姿が映った。僕はビックリしてしまった。それもカラーなのだ。音楽は効果だけだ。物語はない。ただ鉄腕アトムがスクリーン一杯に飛んでいるだけ。
 シネスコ画面に鉄腕アトムが飛んでいるだけの、たった一分ばかりの短い作品だった。フィリピンにあるアメリカの会社が勝手に作ったCM映像だとのこと。手塚君は見終わった時、ただ黙っていた。僕は「著作権違反で訴えるだろ?」と聞くと「いいよいいよ」とだけ言って、黙っていた。
(略)
手塚君は突然、「久里君、僕は子供アニメを作ることにする。だけど久里君は子供のアニメは作らないでくれないか」と言った。一種の住み分けみたいな提案だった。

 アニメをたくさん観ると、アニメ作家になれるか? まあ、なれないな。ほんとに好きなアニメ作家の作品を見るだけで充分です。観過ぎるとアニメ評論家か、アニメ・オタクになってしまうだろうな。じゃ、どうすればいいんだと言われるが、とにかくコツコツとアニメを作る、それ以外にないと思うな。

よく盗作を見ます。詰問すると「影響です」という。

デジタル時代ではありますが、アナログの基礎知識も学ぶべきです。筆を持って「絵」を描いてください。たくさんの「絵」を描くのです。

今のテレビで放映しているアニメは紙芝居アニメになってしまったな。動画を見なくても声だけ聞いていればわかっちゃうじゃないか。

楢山節考

ある時、鎌倉の丸尾長顕さんの自宅で「久里君、面白い男を紹介するよ」と出て来たのがジャンパーを着た猫背の男だった。「僕ね、お茶の行商をしとるんよ。それにギターも弾けるから」。それが、のちの作家・深沢七郎君との初めての出会いだった。
 ある夏の日。丸尾先生から電話があって、深沢君が小型の屋形船を買ったので、一緒に江戸川の花火を見に行かないかと言う。(略)
 その時、丸尾先生が、原稿用紙を前にして深沢君と何やら話をしていた。「ここのところは、もっと緻密に表現したらどうなんだ」「いや、これで良いと思うだけど」「だめだね、老婆の心の中が書けてないよ」「そうかな」「分らないのか」。原稿のトップに『楢山節考』と書いてあった。
(略)
 第一回中央公論新人賞を深沢君がもらった。(略)さっそく丸尾さんと僕は、有楽町の中華料理店に集まって深沢さんと祝杯をあげた。ところが、その後どうしたのだろう? 深沢君は丸尾さんと会わなくなってしまった。なぜ?
 『楢山節考』は深沢君が全部書いたのだろうか? 船での会話ではほとんどの部分に丸尾さんが手を加えているようだった。細かいアイディアですら丸尾さんに聞いていた。しかし結果的に深沢君が受賞し、何かあったのか、深沢君は二度と丸尾先生とは会わなかった。深沢君は日劇MHの出演もやめてしまった。

昭和23年福井地震

ゴーゴーと音がしたとたん、グラリと揺れて、ホームは見る見る沈んでいった。
 駅舎はあっという間につぶれた。みんな逃げたが、僕はハッと気が付いて反対の方向に逃げたんだ。七階建てのデパートが斜めになって倒れかかっていた。四ヶ所から火が出て、あっという間に街は燃え始め、厚さ10センチもあるような分厚い本が空に舞い上がっていて、鉄橋が壊れて川に沈んでしまっていた。(略)
次の日、救援隊が組まれて福井に来た。空には低空で、アメリカの輸送機の編隊が飛んできて、色とりどりの落下傘で救援物資を投下してくれたな。ありがたい。三日目には宗教団体が野天風呂を作ってくれたな。アメリカの救護班は二人一組で、ケガ人を助けてくれた。
 福井地震の時は「火事」がひどかったです。全壊した家の中に残された女性は、木材に足が挟まって助け出すことが出来ません。そのための機材もありません。足を切断しなければ助かりません。そのうち火は家を燃やし、女性を焼き殺してしまったのです。ああ、なんてことなの。地震は怖い。
 何故何故、自衛隊は救援物資ヘリで運ばないのですか。車で運ぶなんて、道が塞がれているのに。今から50数年前に米軍輸送機が救援物資を落下傘で投下したんですよ、今はヘリがあるではないですか。誰か自衛隊に進言してください。偉い人がヘリ から見て、「こりゃ酷い」と言っている場合じゃないです。