オバマを読む、ロールズ、ニーバー

 

ロールズ、ニーバー

 驚くべきことに、1942年に若きジョン・ロールズが展開した議論の主旨は、サンデルや、サンステイン、ミノウ、ベンハビブなどのコミュニタリアンフェミニストたちが円熟期のロールズに向けた批判に異常に似ている。プリンストン大学において、ロールズは、社会契約論的リベラリズムについて、それが孤立した個人という観念を前提としているがゆえに、明示的に否定している。ロールズは、キリスト教神学に依拠しながら、人間は相互依存のコミュニティにおいてのみ人間になると論じる。彼の言葉を使っていえば、社会契約論者は、「人はコミュニティから離れて人ではないということ、真のコミュニティは、個人を同化するのではなく、彼の個性を実現させるということを理解できていない」。ロールズによれば、私的利益という観念は、たとえ、「啓発された自己利益」であっても、同時代の神学者たちによって理解されているように、生を捉えるには不適切であるし、同時代の合衆国における生を理解するにも不適切である。対抗する諸国にたいする自国の文化的優越性を確信している世紀半ばのアメリカのプロテスタントに典型的な自信をもって、ロールズは、「どのような社会であれ、相互のエゴイズムで説明する社会は、確実に破壊に向かっている」とのべている。(略)
 若きロールズは、自らの知的遺産を、聖書と、同時代の新正統派の聖書解釈者であったスイス人神学者エミール・ブルンナー、および、アメリカ人神学者ラインホルト・ニーバーに負っていた。当時、ブルンナーは、プリンストン大学で教えており、ロールズは学部学生だった。(略)
[ニーバーを碌に理解せずに言及する人々とは]対照的に、ロールズは、ニーバーを丹念に読んでいた。のちのロールズの研究からすれば、1942年に、ロールズが、「コミュニティを破壊および放棄するもの」として罪を定義していることは驚きである。ロールズは、その当時から哲学者のあいだで流行している自然主義に背を向けている。それに代えて、彼は、個人が、罪に陥ることから免れ、個人とコミュニティとを調和させ、他者を自分の目的のための手段としてではなく、他者自体を目的として捉えるカント的な(そしてキリスト教的な)義務を受け入れるのを助ける神の恩寵の役割を強調した。近年、ニーバーは、人間の罪深さは根本的であり根絶できないという考え方をアメリカで説いた人物として紹介されている。しかし、ニーバーが恩寵について書いていることには、ほとんど注意が払われていない。(略)
オバマ自身、自分の思想に大きな影響を与えた人物としてニーバーの名前をしばしば挙げている。
(略)
 近年、ニーバーを引用する人びとは、彼の複雑な思考を単純化している。ニーバーは、人間の自尊心がもたらす危険を認識していたために、堕落し罪深い人間である自分が神の意思を知っていると確信しうると主張できなかった。おなじように、外交政策における「リアリスト」の唱道者としてあまりにも称賛されてきた嫌いがあるニーバーの言動は、1930年代の全体主義の台頭と1960年代のヴェトナムヘのアメリカの介入を彼が批判していたことを考慮しなければならない。若きロールズ新正統主義に引きつけたのは、たんに、人間の罪深さについてニーバーが気づかせてくれたからだけではなく、神の恩寵を彼が説いていたからでもあった。そして、オバマが支持しているのもニーバーの複雑に構成された思想であった。

政教分離

 オバマは、「孤独なボウリング」におけるパットナムの主張と、『心の習慣』におけるロバート・ベラーの主張とを、まず、取り上げる。日常生活に精を出しているアメリカ国民は、「なにかもの足りない」という。彼らは、「目的意識」や「弧線を描くように人生を語る物語」をもっていない。彼が、シカゴで自分の目で見ていたように、そして、「なぜコミュニティ活動をするのか」でのべているように、アメリカ国民は、自分の隣人や家族と密接な繋がりをもっているとは思っていない。オバマは、信仰心をもたずに育ってきた自分は、シカゴのサウスサイドの深奥部で一緒に活動したキリスト教の信者たちの影響を受けたとき、彼らがどのように考えているのかがわかったとのべている。彼らにくらべるならば、「特定の信仰共同体への関わり」をもたないために、「私は、いつも、どこかしら、一人孤立していた」。彼は、黒人のキリスト教の伝統のもつ資源、すなわち、抑圧されたひとびとを慰める力だけでなく、希望を鼓舞する力についても考察している。その希望は、疑いを一掃することはないだろう。なぜなら、疑いは、人間であるかぎり根絶できないものであるから。ニーバーを彷彿させるように、彼は、誤りうる創造物であるわれわれには、確実性は、手に入れることができないと説く。(略)
 オバマは、多くの民主党員によくみられる主張、すなわち、政教分離は宗教的議論が公的領域から排除されなければならないことを意味するという主張を、断固として退ける。(略)宗教的観念に訴えることは、尊ぶべきアメリカの伝統であり、民主党員がそれを省みなくなったのは、近年のことにすぎない。オバマは、別の道をたどるように説く。(略)
オバマは、はっきりと、ロールズに目を向けている。もし、現代の革新主義者たちが、宗教にたいする偏見をなくすならば、「われわれは、宗教がわれわれの国の精神的および物質的な方向づけになるとき、信仰をもつ人びとと世俗的な人びとが共有できる重複する価値があることを認識するだろう」。(略)「デモクラシーは、宗教的に動機づけられた人びとが、自分たちの関心を、特殊宗教的な価値ではなく、普遍的な価値に翻訳し直すことを要請している。デモクラシーは、彼らの提案が議論に付され、理性に服するよう求めている」。
(略)
 そのような意志は、自分が真理を体現していると信じている人びとには、簡単には生まれない。オバマは、その問題を理解している。「宗教は妥協を認めない。それが不可能だと主張する」。(略)
自分の生を「そのような非妥協的な確信に」基礎づけることは「崇高であるかもしれない」が、「われわれの政策立案をそのような確信に基礎づけることは、危険なことだろう」とのべている。オバマは、市民社会論、コミュニタリアニズム論、および、熟議デモクラシー論の論説を組み合わせて議論を構成し、重複する合意の形成をめざしたロールズの主張のプラグマティズム版を提示した。われわれが個々に抱く確信がなんであろうと、われわれは、公的な議論の領域に立ち入るとき、同胞市民が、各自のもつ信条を問わず、説得的であるとみなすことができる理由を示さなければならない。

不信感

[大学を出てカトリック教会が支援する「コミュニティ開発プロジェクト」で働くようになった時]のオバマからすれば、対立するすべての教義は、みなおなじように、そして、過度に独善的に見えた。彼は、自分が「異端者」である、いや、それですらないと思っていた。「というのは、異端者ですら、自分自身のもつ疑いは真であるという程度でしかないとしても、なにかを信じているにちがいないからである」。シカゴでの活動を始めたころ、オバマは、シニシズムと宗教への不信感とのあいだで揺れていた。(略)不信感とは、シカゴの貧困者のために協働することを妨げていたカトリックプロテスタントのあいだの対立にたいしてオバマが抱いていた感情である。
(略)
[コミュニティがないことで暴力的になっている少年ギャングたちを目撃したことがオバマを覚醒させる]
自分は、不満をもつ十代の若者ではあったけれども、社会秩序に繋がっていたおかげで、自分のなかにある「御しがたい男性性」を躾けることを可能にした(略)
 オバマは、シカゴのサウスサイドのさまざまなコミュニティとの繋がりを求め、少年ギャングニヒリズムに対応するためにコミュニティの資源を幅広く利用しようとしていたとき、あなた自身の「教会家族」をもてれば、あなたはもっと幸せになれるかもしれないといわれた。しかし、彼は、その気にならなかった。彼の懐疑心は彼のなかに深く根をおろしていた。彼は、昔から熱心に教会に通う黒人ですら、いまや、彼らを公民権運動に加わるように突き動かした夢が儚いものであったことをわかっているのではないかと推測している。彼らは、あのとき、「高貴な目的のために行進している」と思っていた。彼らは、「権利のために、原理のために、そして、すべての神の子らのために」参加した。しかしながら、やがて、彼らは、「権力は譲歩せず、原理は移ろいやすいと理解した」にちがいない。その瞬間、彼らが幻滅していることがたしかであるという感覚を憶え、オバマは、なにも変わらなかったし、なにも変わらないということを彼らも理解していたにちがいないと思った。(略)
オバマは、シカゴの黒人たちが抱いているとみなしたペシミズムを一時は共有し、自分に残されている唯一の自由は、逃避する自由でしかないのではないかと悶々と悩むようになった。自分にたいする不満は、なにかを成し遂げたいという焦燥感と相まって、コミュニティ組織活動をやめて、ロースクールに入ろうという思いに彼を駆り立てた。

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