良寛論 吉本隆明・その2

前日のつづき。

良寛

良寛

不生不滅

仏教の根本義である不生不滅について、道元は人間は生きているあいだは生きているのだし、また死んだら死んでるのだから、生と死というのは、生が終って死に移りかわるのだとか、死がまた移りかわって生になるとか、そういうことはない。つまり、生は生としていっぱいつまっているので、それだから死とは断絶している。
(略)
 このかんがえは、事物の状態一般にまでひきのばされます。すべての事物は〈それ自体〉で満されているので、分割された状態は不可能なのです。
(略)
魚が泳ぐとか、鳥が飛ぶとかいう状態の中にすでに空とか水とかは含まれているといっています。つまり、鳥の外に空があるのではなく、鳥が空を飛んでいる状態のなかに空は含まれているという考え方なんです。
(略)
山河や天地や日月星辰とかはどのようにあるのかとかんがえたとき、かんがえる心、あるいは感ずるその心のなかに山河とか大地とか日月星辰とかは含まれているというのです。
(略)
 人間は死んでから浄土へ行くとか、浄土へ行くために修行をするとかいうことはまったくない。修行をしたり坐禅をすること自体が浄土なのだ。人間は修行して仏の悟りにちかづくのではなくて、じぶんで修行しているその姿とか、山や川や谷の水の音を聞いているそのこと自体が仏なのだ。これが道元の「行仏」思想にあたっています。
道元と同時代の思想家で浄土教系統の親鸞という人がいます。親鸞の解釈の仕方によりますと人間は具体的に生きているとか死んでいるとかいうところ、つまりその人がその人であるというところでは人間は本質的な存在ではない、というのです。これを現在の言い方でいえば、人間はいつも現に存在するところのものではないということでしよう。現に存在するところのもの、あるいは現にしか存在できないものは、すべて仮の姿で、本質的な人間とはそれらを貫いている何かだとかんがえたわけです。そして親鸞にとっての浄土とは、死んだあとで行く処ではなく、生きている状態を見通せる眼を獲得できるとすれば、それが浄土からの視線の始源だとみなします。
(略)
寺を出たとき、なお道元の思想に忠実でありたいとかんがえれば僧としての良寛にのこされているのは「阿羅漢」の方法しかありませんでした。(略)じぶんが現世的な利益や名利を求めず、人をじぶんの姿自体によって教化しようとか、それから人のために役立とうとするかんがえをまったく捨ててひたすら無執着で自然の風物を眺め、じぶんの心とおなじものとして受容する生活をすることです。

良寛の同門批判

 修行だと称して各地を行脚している僧侶をみよ。(略)坐禅を組んだり問答したりすると箔がつくみたいにおもっている。そして僧とかわす問答は師匠から教えられたありきたりのものだ。訊かれたらこう答えるなんてことがちゃんときまっていて、両方とも八百長なんだ。遇ってちょっと問いを仕かけてみると、師承を墨守するだけの哀れな僧であることがすぐにわかる。ざっと良寛の同門批判はそうなっています。
(略)
僧侶のなかには村落共同体の周辺とか内部に住みついて、爪は長くし、頭はぼうぼうとのばし、破れたぼろぼろの衣を着けて、きびしい修行者然とした面持をかまえ、五穀を断ってみせるものがいる。草や木の根だけを食べて、それでたとえば強烈な炎天の下で坐りとおすといった修行の態をしている。しかしそういうのは外道であって仏道者ではない。そんなのはだめな存在だときめつけています。農家の人たちからあの僧侶はきびしい修行者だと賞讃されたりするが、本当はつまらぬ存在なのだというのです。良寛の思想からは村落共同体の内部で、農耕者に何かすさまじい修行をやっているような外観を晒すことは、農業の共同体にたいする位置づけが根本的に間違っていることになります。五穀を断って、生死の境いをきわめるような強烈な修練をしてるのなら、村落共同体から隔離された山野で、誰にも観られることなしにやって、勝手に死ねということです。(略)
仏教はその発生の当初から農耕のアジア的共同体にたいして、どういう位置づけをするか、僧侶あるいは出家という身分をどう規定するかを考えぬいてきたといえます。(略)この位置づけを誤まれば、すぐにカーストとしての婆羅門や、たんに村落共同体における人々の生き死にと無関係な呪術的修練にすぎなくなってしまうからです。僧にとって穀物を村落に乞う托鉢は、いわば農耕共同体との関わり方を象徴する本質的な行為を意味しています。たんに五穀を断つ修練には、この農耕共同体への関わりの仕方という、僧の本質的な概念が不在なのです。

良寛の宗教性の根柢

夜半の雰囲気は沈々と静かで子規が鳴いている。頭を振りむいてみると、遥かに遠くに月がかかっている。夜ごとにあなたを思いながら鐘の音を聞いている。そういう詩です。
 ここで良寛にとって大切なのは、自然という枠組を規範としてみている考え方です。(略)大切なのは、じぶんの内面の流れでもなければ、また自分の内面性からみた自然がどんなふうに存在しているかということでもありません。自然がひとつの規則、あるいは規範としてあるとき、じぶんはそれにたいしてどんな位置をとるのかということだとおもいます。
(略)
 秋の日誰も連れや友達がなく、杖をついて一人でさまよい歩いた、山は広々として静かで、ぐみの実が赤くなっている、川は寒くて葦の葉が黄色く見える、渡っていく橋も別段格別の橋ではなくいつも渡っている橋だ、お堂に上がり込んだが、そのお堂も別に特別のお堂ではなくて、いつもの通りのお堂だ、すさまじい感じで風が吹いてくるこの夕べ、じぶんは何を思っているのか、あるいは何かをそこで思ったのか、寂しくなって涙がじぶんの裳に落ちた
(略)
このときの良寛の涙は何なのかと問うてみますと何かわかりませんけど、良寛の本能的な欲望、欲求があって、それが多分涙になって出てきているのだとおもいます。(略)良寛のなかで欲望の形がほとんど自然のなかにとけてしまっていて、ただ涙だけが欲望を象徴するものだったにちがいありません。
(略)
良寛の宗教性の根柢にある自然と人間存在との差異を消去してしまうモチーフの状態で、なにが起るのか、それはどんな意味かという問題は、禅の修練に内在するわけでしょう。(略)
人間の状態からだんだん動物の状態みたいなところにいき、動物にもまだ意識もあれば感情もある。それでまだどんどん意識の状態をもっと違うようにもっていって、なにか植物の状態みたいなのにだんだん気持ちを似せていって(これらは比喩ですから比喩として聞いて下さい)、それでもまだなまぐさいといいますか、まだ生きている。もっと意識の状態をもっていくと岩とか石とか風とか水とかの無機物の状態までもっていけるみたいになったとき、それで大自然との差異が消去されたという比喩が成立するのではないでしょうか。