良寛論 吉本隆明

また古典からでスマンソン、吉本隆明第六弾。

古典 (吉本隆明全集撰)

古典 (吉本隆明全集撰)

良寛

良寛

良寛自身がじぶんの青少年時代を述懐した詩をみますと、朝には黄色いぴらぴらした衣裳を着て、白い鼻面の馬に跨がって遊びに出かけ、お酒を買って飲むし、夕暮には花見にいって何不自由なく暮していた。帰って行くところはどこかといえば娼婦の家、そういう生活を送っていたと書かれています。たぶん経済的に豊かで家に文化的な雰囲気も具わり、遊蕩の味も知った無自覚で何不自由ない、しかし学問については相当な才能を発揮していた青年だったとかんがえればよいでしょう。そこから急に出家するのですが
(略)
 『正法眼蔵』にあらわれた道元の思想は何でしょうか。良寛はどこに感銘し、そして傾倒したのでしょうか。道元の思想のひとつは、厳しい正統意識それ自体です。釈迦に始まり中国に渡った仏教の正統性を継いでいるのはじぶんだという自負です。自負であるとともに、それは偏狭さです。(略)
道元は、同時代の宋の禅家の風潮に手厳しい批判を下しています。老子荘子と融合してしまった禅の思想は、仏教本来の思想ではない
(略)
 坐禅による肉体修練の方法こそが、釈迦が導入した脱化の概念をいちばんよく伝えているものだというのが、道元の根本思想です。現世的な悩みを生死からの脱化の流れにそそぎ入れて、肉体の修練を契機に、いわばじぶんを、人間でもない、動物でもない、植物でもない、もっと極端に無機物だというところにもたらしてしまえば、生死もへちまもないんだ、自然の時間が永らえていくように人間も永らえて、流れていくことができるということになりましょう。
(略)
 良寛が魅かれたのは、いわば道元の絶対的な声調と、絶対的な正統意識でした。良寛は備中の玉島の円通寺で、国仙から印可を許されます。(略)しかし印可を得たとき、じぶんが道元のようになれないことを知り絶望します。道元は『正法眼蔵』のなかで詩文みたいなものに淫しては堕落なんだと、厳しく卻けています。また老荘の思想を卻けていますが、良寛はそのときから詩文と老荘に淫してゆくのです。
(略)
じぶんは孤独好きであり、そして人と交わるのが嫌いで、また拙いから、到底世間にでていくことはできないのだ(「孤拙と疎慵と我は出世の機に非ず」)といってみたり、じぶんのなかでたちまちに何かが判ってしまって、そこをまたとび出したくなってしまうという性向があるといってみたりします(「忽地 高跳して保社を脱す」)。またどこに行っても不満で、結局は「窮巷の辺」に帰ってくることになるともいったりします。自然の風物に淫しのめり込んでしまうところがあって、到底世間と交わりができない。どうしてもボロを着て、わけのわからないようにしながら、生きることになってしまう云い方もしています(略)
どうしようもない堪え性のなさ、張り切ることのできないちぐはぐさ、懶惰と無為、他者との葛藤に耐えずに退転する心情、軟弱で、文学みたいなもので、じぶんを慰めないではおられない性格、それらに良寛自身がじぶんで見極めをつけたとき、道元禅の思想から遠くに去ったのです。それとともに真の隠棲が始まったともいえます。

どんな制度の思想が支配しても、たいして変わりばえしないはずだという強固な認識はなぜでてくるか。思想が制度にぶつからないまえに、山川草木にぶつかり、そこに関心が滞留しうるだけの充分な感性の距離をもつ根拠はここにあります。中世ヨーロッパでは、特別に僧院のなかに罷った特殊な僧侶とか、特異な自然詩人のうちにしか成り立たない制度的な〈無〉の思想ですが、日本の〈アジア的〉な社会では、自然と遊ぶ隠遁思想が制度的な裾野をもってきました。制度にたいする考察なしに、なぜか〈自然〉思想が成り立ったのです。文学、詩歌の類が人間臭さにぶつからず、自然のなかにじぶんを移し入れることで成り立ち、政治制度の思想が〈天〉の秩序にかかとを接して権力の秩序を構えたのです。これが感性的につかまれた〈アジア的〉という制度の概念です。
 良寛の性格悲劇を包んでいる思想的な雰囲気は、老荘の優れた〈自然〉思想でした。
(略)
 愚かでぼんやりしていて、何でも子供のいうことを聞いている良寛というイメージではなくて、おそろしく鋭く人間をつかむことができ、じぶんの生活の隅から隅までよくわかっている、そういう良寛を思い浮べたほうが妥当でしょう。これらの歌についていうならば、むしろぼんやりとぼけた良寛ではない、抜群の優れた人間洞察と生活感覚をもった良寛を思い浮べたほうが、たぶんただしいとおもいます。この問題をつきつめてゆけば、良寛の抜群に時代を抜いた孤独にゆきつくようにおもわれます。そこでは、ひとの善い良寛のかげはまったくふりきられてしまいます。
(略)
 良寛がこれらの作品でやっていることは、構成的に、意識的に、自然詠を組み立てようとし、資質のために空隙をつくっていることです。逆に、資質そのままに自然を詠んだのに、おのずから構成的になっているといってもよいのです。ここでは良寛はたれにもわからない厳しい貌をみせたのではないでしょうか。この貌をうけ継いだのは、明治初期の子規派写生歌でした。
(略)
 良寛は童心をもっていたからだと理解したら、何も理解していないと同じことです。お米がないから托鉢に行ったけれど、途中で子供と会ったら遊んでしまって日が暮れた、という行為は、簡単にはできないはずです。それは意図的でなくてもいいのですが、何かではあります。ひとの家に泊るにも、ひとの家から帰るにも、なんか白雲が悠々と浮んでいるとか、風が動くにまかせているとかいわなければおられないような、現実と観念の距離の遠さ、ちぐはぐさというべきでしょうか。そのことは良寛の本質であるかもしれないのです。そこに良寛の難解さがあるのではないでしょうか。
(略)
病気で臥して苦しんでいる、この夜が明けたら、世話をしてくれる女性が来て、じぶんのした尿のたれ流しを、洗ってくれたりするだろう。早く夜が明けてその女の人が来てくれたらいいと悶え苦しんで、眠れないで、この長い夜の明け方をまっている歌です。いってみれば〈苦〉の詩です。(略)〈苦〉を歌って詩になるという考え方は、近世にはまったくありませんでした。明治になっても、初期の新体詩にはありようがなく、そこでは花鳥風月と物語の詩があっただけです。(略)道元禅や荘子の思想からもっとも遠ざかった場所でじぶんというものを凝視せずには、こんな詩は創れないはずです。(略)
 それは、良寛が堕落したからではなく、虚偽の思想からひとりでに脱出したからです。病苦を詩に表現するという識知は、良寛が〈アジア的〉古典思想の迷路のなかで、どれだけ醒めていたかを象徴しています。近代と呼ばないうちに、近代をつかもうとしています。

 良寛は人から揮毫を頼まれたりすると、道元の『正法眼蔵』の「菩提薩埵四摂法」の条を書いたといわれます。(略)道元が挙げている四つは、一つに「布施」、二つ目は「愛語」、第三に「利行」、第四は「同事」です。「布施」というのは人から心を取らないことです。つまり人の心をむさぼらないとか、人の感謝をとろうとしないという意味です。そして、このことをもっと敷衍すると、たとえば、木の葉が散るのは風にまかせればいい。木の葉の散ることまでじぶんが散らしたのだとおもうことはだめなので、風のことは風にまかせればいいんだ、そういうことも布施の一種だと、いうことになります。(略)
最後の「同事」というのは道元の説によると、じぶんに違反しないと同時に他者にたいしても違反しないこと。つまり、他者とじぶんとがおなじだと考えることだと書いています。他者とじぶんが平等だという意味とはちょっとちがいます。じぶんがじぶんに違反するようなことはせず、またそのことが同時に他者にとっても他者に違反しないことだ。そういう行ないをさしています。
 このなかで、良寛がとくに好んだのは「愛語」なんです。憎しみとか他者の勘にさわる言葉とか、そういう言葉を一切見せずに、愛する言葉とか慈悲の言葉だけを使うということです。
 この「愛語」にたいする良寛のこだわり方は、きわだっています。良寛は「良寛禅師戒語」というものを九十ヵ条にわたって書きとめていますが、これはじぶんが他人と喋るときにでてくる嫌なばあいを、よくもこれだけ鋭くとりだしたものだとおもえるほど拾い上げています。これを読んでいると良寛のすさまじさがわかるような気がします。
(略)
「ことごとしくものを言う」というのもあります。わざとらしくとか誇張して話してはいけないということでしょう。「ことわりの過ぎたる」は理屈っぽいもの言いということだとおもいます。「人の隠すことを明かす」「あやまり過ぎたる」「推しはかりごとをまことになして言う」、つまり本当は推測に過ぎないのに、あるいはそう推測されるというのに過ぎないのに断定的に言う。「押しが強い」「息もつき合せずものを言う」。それから「品に似合わぬ話をする」というのは、つまりその事柄、その時や場所にふさわしからぬことをいうこと、「人の器量のあるなしを言う」、人のあげ足をとったり、あいつはダメだとかということですね。そういうのはことごとくよくないということです。
(略)
こういうことを言葉の戒律として書きとめた良寛という人は、人と人とのあいだに言葉がひき起す場面にとても鋭敏な人だったことがよくわかります。ここで良寛が理想とみなした場面に、良寛のような言葉の関心をもって入っていったとして、そこになにが起るのでしょうか。たしかに敏感な内視の装置をもった言葉の共同体が出現し、そこでは慈悲ぶかい内在性が交換されます。だがこの共同体はすこしも外在とまさつを起さずに閉じられています。そのためほかの世界では勝手に繁茂する言葉の網の目が無限に許されることになります。つまり良寛の理想とした言葉の場面は、それを理想とみなさないかぎり存在しないとおなじです。

明日につづく。