西行論 吉本隆明・その2

前日のつづき。吉本隆明西行論』。桜の季節だから長文引用。

古典 (吉本隆明全集撰)

古典 (吉本隆明全集撰)

西行論 (講談社文芸文庫)

西行論 (講談社文芸文庫)

 この浄土門の地獄概念のデカダンスの本質性と不郡合さに、はじめて気づいて異議を感じたのは法然であり、こういう理念の否定にまで浄土の概念をつきつめたのは親鸞であった。(略)
 西行は浄土理念において、まだ源信の『往生要集』の圈域にあった人である。西行の「地獄絵を見て」の連作は、浄土教が与えようとした啓蒙的な地獄の恐怖や強迫観念に忠実に対応して、母胎の温もりを求めて泣き叫ぶ嬰児の姿勢に戻ってみせるところからはじまっている。
(略)
まえの一首は夜の性行為への懺悔だとすれば、あとの一首は同性愛や姦通のような不倫のエロスにたいする懺悔を含んでいる。「夜の思ひの報い」だという言葉で、こんなことにふけっていていいのだろうかという抑圧された性意識を、直截に表現した歌人など、平安末から中世にかけて誰もいるはずがなかった。(略)
 慈円は男女のあいだのエロス的な情感についても、母の後生についても〈苦しい〉と〈悲しい〉というふたつの言葉で、まわりをぐるぐる循環しなから、ひとつの情念を浮び上らせようとしている。だがけっしてそのものに到達しない。西行はちがう。嬰児のじぶんに慈愛の乳房を含ませてくれたはずの母の温もりも忘れてしまった、地獄の路すがらおなじ責め苦をおたがいに母とも子ともわからずに受ける姿をかんがえて、あまり悲しく苦しくなったので、とはっきり詠んでいる。また父もじぶんとおなじ地獄の炎に投げ入れられて苦しみを受けてるにちがいないのに、父の姿がどこにあるのか知ることもできなくなるのだとうたっている。地獄絵に触発された西行の嬰児がえりは、どこかで切実にじぶんの資質のなかの障害感にゆき当っている。母胎につつまれる安堵のイメージは西行にはやってこないで、母とのあいだの異和や、母からうけた心の傷あとがかえって蘇ってくる。

花は夜に風に散りはじめて、木の下でまどろんでいる西行の衣のうえから、まるで花のうちかけを着せるようにつもった。月もまた乱れ散る花びらの笠を着ているようにみえた。(略)
桜の花がさく盛りには心はそわそわと落ちつかなくなり、眺めに出かけないと心を鎮められなくなってしまう。またいちめんの桜の木の集落が、花をさきみなぎらせているのをみると、心が苦しくなってしまう。また心は身体を離れて桜の花に染みついて、花が散ったあとでなければ、わが身にもどってこない。また花の盛りのころのある夜、夢のなかでいま風が吹いて、桜の花びらを散らしている最ちゅうだ、もう明日あけてでかけても花は散ったあとしかない、しまったとおもって夢からさめてみると、まだ夢のなかの胸さわぎはのこっている。西行はそう詠んでいる。そして花のさかりのころ、桜の木の下で死にたいと歌い、死んだあとは桜の花を持ってとむらってもらいたいものだと言っている。
 こういった歌は修辞的な誇張だろうか。それとも桜の花の盛り、その花びらが水を含んだように半透明の、うす紅いろの皮膜を無限に織りかさねているような光景をみて、心(魂)が身体を遊離する心的な体験を促され、桜の花びらを憑き代に離魂の入眠状態に入ってしまうのだろうか。こういう西行の歌をよむと花びらが織りかさなった濡れて艶めいたうす紅いろの幻影や、一夜の風でたちまち花びらを吹き散らしてしまう予感の描写を、詩的な誇張とうけとりやすい。またその方がどうしても妥当におもわれてくる。しかしこれはよくよく確かめてみるに値する。もしかすると西行のほんとの体験で、起った心の状態そのままを詠んだものかもしれないのだ。平安期から中世初期にかけての、宮廷世界や宗教的な夢告の世界や、無数の無名の遁世者がしたがってゆく死後の世界への願望の切実さや、それを実現しようとして、しゃにむに死に突入してゆく異常な振舞いの世界を思い浮べると、かれらの心の体験の世界は、とうていいまの常態からは推し量ることはできない。それは異常に過敏な感応の世界らしくおもわれてくる。
(略)
どうも西行にとって、桜の花は乳幼児期に形成された無意識の資質を誘発し、露呈させる特異な憑依物だったように思われてくる。

 桜の花を相手に、無常をいだいたわたしのこの心を、一緒につれて散って欲しいと、そう語りかけている。それは劇の舞台のセリフなのだ。(略)西行の心は劇仕立てになって、じぶんの現世厭離の心を連れて散ってくれと語りかける。(略)
 風がひと吹きで桜の花を散らしてしまうのを眺めているのは口惜しい。それでいつも花よ散るなと願う心になっている。でも空しく散ってしまうのだ。だから今年は桜の木にむかって、はやく散ってしまえ、何とも思わないから、と語りかけてみようか、そうすると逆に風の方が、花を惜しんで散らさない気になってくれるかもしれないから。ここでも桜の木や風は、西行の花の劇の登場人物として擬人化されている。擬人化というと誤解をうむとすれば、詠んでいる西行のほうが、桜や風とおなじ次元のところまで入りこんでいる。
 桜の花をたずねてゆく山の傾面の峰越しに、花の群れがいっぱい見えてきた。じぶんの心はもうはやくそこへ行きたがってそわそわしはじめた。それならもう心だけ先に先達としてゆかせることにしよう。単離された心の姿が、独りで行動している像が、擬人化とおなじ効果になっている。
 桜の散る花びらは、無常を知るじぶんのような人間の涙のようなものだ。風が身にしみて吹いてくると、涙がこぼれるように、花びらがこぼれおちていってしまう。散る花が人間の涙に比喩される。比喩としては無理であるし、また歌として決していい歌ではない。だがただ桜の花が蕾からはじまって盛りになり、やがて風や雨がたった一度やってくれば、たちまち枝をはなれて散ってしまう。こういう単純な事実にたいする心遣りを、西行はなんとかして多様な表現に加えようとしている。それは『古今集』の歌人たちも、同時代の歌人たちも思いもおよばない劇化の多様さとしてあらわれた。西行の歌の言葉は、劇のなかの行為やセリフと、現実のなかの行為や対話のはざまで、微妙にこのふたつが重なり合って、動きの像を鮮やかな言語にしている。

西行もかならずや読んでいた『浄土三部経』のひとつ『大無量寿経』のなかに、浄土の「花」について想像を繰ひろげているところがある。(略)
 ここで浄土の宝石の木々から風に吹き散らされて、地上を七尋の深さに敷きつめる花びらは、ガラスのようにきらびやかで、多彩で、硬質な感覚を与える。わたしたちの伝統的な感性からいえば、濃厚で派手すぎる感じがする。浄土を荘厳にしているこの花の濃密な官能性や、熱帯的なきらびやかさをどう修正するかは、かならずやわが初期の浄土教の感性的な、また美的な課題だったに相違ない。西行の桜花浄土ともいうべき歌の理念が登場したのも、その場所だったとおもえる。
 一方で、午前がすぎると花々はことごとく消えうせて、静寂で清浄になり、また風があまねく四方から吹きおこると新しい花々が吹き散らされ、これが日中のとき、夕暮のとき、夜の初めのとき、夜の中頃のとき、夜の終りのときと繰返されるという描写は、むしろ桜の花になぞらえ、おきかえてよいほど、おなじ花を感じさせる。
 西行は桜の花の淡白さで『大経』のいう浄土の花の濃厚さや、きらびやかさを、おきかえようとしたのではあるまいか。あまりに濃厚で、熱帯的な華やかさで、硬質にすぎる『大経』の仏国土の花は、西行の感性には叶わなかった。桜の淡色で、半透明な艶と濡れたような色調をもった花びらを、かれらの感性にふさわしい浄土の花においた。そして風に吹きさらされて、ひと夜のうちにたちまち花びらを散らし、花びらが雪の積もるように地上に積もる有様を浄土の姿に見たてたようにおもえる。