ダニエル・デフォーの世界

チラ見。

ダニエル・デフォーの世界

ダニエル・デフォーの世界

「非国教徒撲滅最短法」

[「さあ、盗人ははりつけにしよう。[国教会の]基礎をその敵の破壊の上に築こう。……彼らはかたくなであるから、根絶やしにしなければならない」といった内容]
デフォーは匿名で自分とは正反対の考え方の者を筆者にした。しかもハイチャーチ特有の言い方を使った。(略)デフォーの意図はハイチャーチの理不尽な論理を暴き、その主張の非道を周知させることにあった。(略)
ハイチャーチ側は「非国教徒撲滅最短法」を自分たちの意見を支援する冊子として歓迎した。(略)しかし、筆者が判明したとき、彼らの怒りは収まることがなかった。まったく一杯食わされた形であった。それほど完璧にデフォーは彼らの一員に扮して、その役をうまく演じきったと言える。
 一方、非国教徒側も見事に騙された。(略)筆者が非国教徒のデフォーであると知ったとき、ハイチャーチ側に劣らぬ、あるいはそれ以上の怒りを持った。自分たちの仲間であるはずの者が敵の論理をそっくりそのまま使い、味方を騙し、恐怖心を煽り立てている。これは裏切り行為でしかない。

晒し台の刑

[デフォーは晒し台をひどく恐れた]
この刑では群衆に石や腐ったリンゴ、汚物、卵など危険な物を投げつけられ、ときに不具者に、あるいは最悪の場合殺される恐れがあったからである。さらにこの刑による精神的打撃は計り知れないものがあった。(略)
[三日連続で刑は執行された]
しかし恐れていた晒し台は彼の予想外の結果に終わった。晒し台の周りを支持者が囲み、花束を投げられ、逆に英雄視された、シティー内には非国教徒が多かったこともあるが、以前からデフォーは友人を通じてハーリーに助けを求めていたから、ハーリーが手配して暴力的なことを未然に阻止したとも考えられる(略)晒し台の周りでは彼の著作が売られ、問題の「非国教徒撲滅最短法」まで売られたという。(略)
さらに「晒し台讃歌」がその場に用意され、群集はその痛烈な風刺詩を買い求めた。

六ケ月近くの長期の入獄で商売のほうがすっかり駄目になった。(略)[そして破産、以降]終生借金から逃れられなかった。(略)
下院議会の議長であったロバート・ハーリーにパターソンを通じて助けを求めているが、そもそもこの逮捕劇のきっかけにはハーリー自身も関わっていた。「非国教徒撲滅最短法」を見て、これを書いた男を利用したほうが賢明と判断し、あえてデフォーを逮捕し、しばらく獄中の苦渋をなめさせてから釈放した。これらはハーリーの計算尽の行為であった。デフォーは政府や議会にとって敵に回せば面倒な男だが、自分たちが利用できれば重宝な男、という評価を、ハーリーや大蔵卿ゴドルフィンは下していた。(略)
これから恩返しの奉公ということになる。以後、デフォーからハーリー宛の手紙は200通近く残っているが、ハーリーからの手紙はー切ない。ハーリーはデフォーとの関係を外部に認めたことはないが、二人の関係、というよりデフォーのハーリー依存度は高くなっていく。この関係は、1713年まで続く。デフォーに対するハーリーの態度を、サザーランドは「彼がデフォーに取ったやり方は、常に頼らせ、お金の支払いを遅らせ、約束は曖昧模糊とし、どのような継続的雇用も拒否することだった」と要約している。
(略)
「私は雇われたことも、使われたことも、何かで、どこかへ行くよう指令されたことも、権力に、大立者に雇われたこともない」[と全面的に否定し続けたが](略)『書簡集』で確認できるハーリーとの金銭面のやり取りは、それを否定しがたいことを示している。

デフォーとスウィフト

当時、最大の政治課題は、1702年から延々と続いているスペイン継承戦争をいかに終わらせるかということであった。(略)ホイッグ党は「スペインなくして和平なし」という基本路線をかたくなに維持していた。[デフォーもホイッグ党路線だったが](略)
神聖ローマ帝国が巨大化することは、デフォーが主張してきた「バランス・オブ・パワー」が失われると[早期終結を訴えるように](略)
そのようなときに和平促進の論陣を張って書いたのが、デフォーとスウィフトだった。先に書いたように、デフォーは非国教徒でジャーナリスト、しばしば変節者と非難され、この時点ではトーリー党政権に雇われの身、一方のスウィフトはアイルランド国教会の聖職者であるが、それまでホイッグ系の友人が多くホイッグ寄りと思われていた。しかし「変節」してトーリー政権、特にオックスフォード伯に急接近していた。その結果、デフォーとスウィフトが同じ時期にオックスフォード伯お抱え文人ということになった。
(略)
この二人には信仰の違いもあるが、共通点はほとんどない。性格もスウィフトは激しやすく感情的になるがデフォーは穏健である。前者は大学出であるが後者はディセンターのアカデミーでの教育しかない。デフォーが40代からの破産がたたって日々の生活費を稼ぐのに忙しいジャーナリストであるのに対して、主任司祭スウィフトの生活は安定していた。そのような状況からスウィフトがデフォーに言及するときは愚かな無学者という言い方をして軽蔑し、基本的に無視する姿勢を取った。しかしデフォーはこのような頭から決めつけるような蔑視は許せなかったから「レヴュー」などでしばしばスウィフトを攻撃した。
(略)
[ユトレヒト和平に]貢献したのはスウィフトだと見なされ、残念ながら、デフォーの影が薄い。スウィフトの「同盟国の行動」は当時のパンフレット合戦の中で際立っていて、影響力も大きかった。彼はハーリー陣営の「宣伝隊長」という言い方をされ、その活躍をもてはやされたのに対して、デフォー論文への言及はほとんどない。(略)オックスフォード伯にとってデフォーはあくまで陰の存在だった。

二重スパイ

[1715年オックスフォーフォ伯はユトレヒト条約&ジャコバイト関連でホイッグ新政権により弾劾され、デフォーも告発される。]
デフォーは新政権と取引をして刑の宣告を逃れ、彼らのもとで隠密に働くことを決めた。(略)本来のホイッグ党的信条と齟齬もなかった(略)
その仕事は、これまで通りトーリー党支持の仮面を被り続け、トーリー系の新聞などの出版物に入り込み、それらの毒を抜き、骨抜きにすることだった。(略)
評判は最低で、「お金のためなら何でも書く人」とか「ペンで売春する人」とか言われた。

それにしても、人間の体は恐ろしいなあ、一度二度に慣れたら、たまに晴天で七度くらいだと、ぽっかぽかですよ、7瀬なつ3ですよ、7瀬かす3はミキティ似ですよ。