トクヴィルの憂鬱・その2

前日のつづき。順番を変えてプレス考察を先に。

トクヴィルの憂鬱: フランス・ロマン主義と〈世代〉の誕生

トクヴィルの憂鬱: フランス・ロマン主義と〈世代〉の誕生

プレスの弊害、「新しい無知」

トクヴィルも同時代の文学を、サント=ブーヴを意識して「文学産業」と呼んだ。さらに、プレスの弊害について新しい論点も提出している。それは「新しい無知」と言われる思考停止の問題である。確かに情報は溢れている。しかし、溢れるほど流通する情報につねに接していると、他者の個々の意見に対して鈍感になって無関心になる。「極度の公開性から生まれるある種の無知というものがある」とトクヴィルは語る。本来、人が表出する個々の感情や意見に光を当てることこそ新聞雑誌の目的だったはずが、これではまったく逆説的な効果を生むことになってしまう。
(略)
トクヴィルは、プレスの商業化を憂慮しながら小さなサークルに閉じこもるような集団に不満を覚えたが、それは旧貴族も例外ではなかった。(略)
トクヴィルは、当時増加していた「秘密結社」もおそらく念頭に置きながら、「私的結社」が新しい社会で群生すると指摘する。かれによれば、新しい社会では個人と国家の間の中間領域が没却する一方、数人の趣味や好みの一致によって雑多なサークルが形成される。その理由は、大きな違いのない、その意味で何者でもない人間が「共通の全体のなかに溶け込んでしまう」ことを恐れるからだという。しかしこうした「小さな私的結社」は精神を内向きにし、「個人主義」を培養するだけで、そのなかで人が他者に承認されて社会で「何者か」になるということはない。これに対して、新聞雑誌は「私的結社」であってはならないし、プレスは個人主義とその純粋培養体である「私的結社」を乗り越えるようなものと評価された。

ヴォルテールの子どもたち」

「当時は、われわれの間でヴォルテール精神と呼ばれるものが認められました」、そうトクヴィルは後にある手紙に記している。「すなわち、宗教の職にある者だけでなく、宗教そのもの、どの宗派のキリスト教にも徹底的に敵対し、嘲笑する精神です。十八世紀のあらゆる本が再刊され、民衆に安価で配られていました」。
実際、1817年から24年に、ルソーの著作集は49万2000部が刷られ、当時としては大ベストセラーだったが、ヴォルテールのそれはその三倍以上の159万8000部が刷られた。民衆に強い反教権主義が広がるなか、ヴォルテール功利主義者エルヴェシウスの著作が「飛ぶように売れた」という。

スピリチュアリズム

[訪米当時は第二次信仰復興運動の時代]
トクヴィルは、「熱狂した執拗なスピリチュアリズム」によって精神を横溢させた人間がいるのを観察する。それはかれによれば物質主義の過剰に対する一部の人間の反動だった。
(略)
[大規模な野外集会でのトランス状態によるメソディストの回心を目撃し]
「嫌悪と深い恐怖」のあまり逃げ帰ったトクヴィルは、その奇矯に驚き(略)深い沈黙の後に神から霊感を受け集団でダンスを踊り出すクウェーカーの姿を見て唖然とし

ギゾー

復古王政を彩ったこうした精神状況のなかで、「大学」が果たした役割は大きい。クザンとヴィルマンとともに「三巨頭」をなしたギゾーの講義は、青年の絶大な支持を得た、ギゾーは若者の言葉で語り、かれらを導いた、その講義は、物事をより広い地平で捉える世界観を教えることで若者に解放感を与えるとともに、なによりその講義を特徴づけたのは、未来を切り開くダイナミズムだった。
(略)
新しい世代は、十八世紀の乾いた批判哲学ではなく、自己と世界をトータルに取り結ぶより包括的な理論を欲していた。この点では、クザンの二元論を乗り越える「折衷主義」と呼ばれる哲学講義は、バルザックをはじめ青年の新しい「精神主義」の欲求に応えた。それは「全体性の渇望」を表現するものだったという。
(略)
トクヴィルも、ギゾーの講義に熱中した一人だ。1829年夏、やや興奮していたのではないか。ボモンに対して、ギゾーの講義はわれわれにとって未知の歴史の見通しを与えてくれるものだと語っている。

政治家デビュー

一八二九年三月二日、二度目の挑戦で、同じ対立候補に318対240で勝利した。議場では、正統王朝派というレッテルを消し去るため左側の席に陣取る。(略)かれは独立した政治家であろうとした。親戚で当時首相のモレ伯が出馬を歓迎し支援を申し出たがトクヴィルは断った。モレヘの手紙で、決して政府の反対者ではないが政府を支持するにも自由でありたい、要するに「独立した立場」で政界入りしたい、そうトクヴィルはモレに伝えた。
モレは政治の世界では「孤立は独立ではない」と諭したが、トクヴィル聞く耳をもたなかった。しかし議員となったトクヴィルが、この言葉の意味を理解するのにさほど時間を要さなかった。議会では何をするにも党派を作り、多数派を形成しなければ「影響力」をもつことができないからだ。
演説で聴衆を魅了するにはその力がトクヴィルには欠けていた。(略)多くの聴衆の前で声を張り上げる必要があったため、どちらかといえば病弱なトクヴィルの身体には不向きだった。(略)自分の「憂鬱な気質」は政治生活につねに必要とされる決断力や瞬発力からは程遠いと妻に愚痴ったこともある。
(略)
トクヴィルも、地元有力者の対応に追われた。かれらは地元選出の議員がクニに戻って来ると聞きつけるや集まって来て、議員に自分たちの利権に関心をもたせようと躍起になる。トクヴィルは毎日おこなわれる大宴会とともに、こうしたことに関わることに辟易した(略)
かれを驚かせたのは、国民が個別利益の追求に没頭し公共の事柄に関心をもたず、結果的に圧制(中央政府の画一的支配)に唯唯諾諾と従うことだった